Episode3 君に触れたい
いつものように渡り廊下を抜けて、羽音はミセス・サラの元へと向かう。
もうすぐ、キリスト教を信仰する人々にとって、大切な日となるクリスマスがやって来る。皆にとって幸せな日でも、羽音には憂鬱な日だった。
「おはようございます。ミセス・サラ」
「あら、羽音。今日は遅かったのね」
「あ、はい。ちょっと寝坊をしてしまって……」
「そう。珍しいわね」
ミセス・サラが少しだけ驚いたような顔をしながらも、優しく手招きをする。
それと同時に湧き上がる強い強い罪悪感。昨夜自分は、甘い誘惑に負け、神父を志す学園に在学しておきながら、瑞稀との淫らな行為に酔いしれてしまった。それなのに、また瑞稀に触れられたいと思う自分もいる。あの快楽の世界を、もう一度だけでも垣間見たい。そう思ってしまうのだ。
「さぁ、羽音。こちらにいらっしゃい」
「はい。ミセス・サラ」
羽音は静かにミセス・サラのベッドの脇に膝まづいた。
──また痩せたな……。
ミセス・サラを見てそう思う。羽音と出会った頃に比べて、少しずつ衰弱をしてきている。それでも、その朝の眩しい日差しのような、優しく気高い笑顔は変わっていない。
羽音は、もう何度、この笑顔に救われてきただろうか。
「これを、貴方に」
ミセス・サラが羽音に手渡したのは、透明な小瓶だった。
「これは?」
羽音は首を傾げながらも、その小瓶を受け取る。小瓶の中には、黒いトロッとした液体が入っていた。
「これは、神から貴方に与えられた『聖水』です。貴方が困った時……例えば、九条君が傍にいて、自分自身を見失いそうになった時。この聖水を飲めば、貴方は自分自身を見失わないで済むはずよ。きっと、神が貴方を助けてくれることでしょう」
「これを僕に?」
「えぇ。大切に使ってね」
そう羽音に向かって微笑むミセス・サラの笑顔は、透き通っていて、天使のように羽音には見えた。
「昨夜は、お騒がせして……申し訳ありませんでした」
「え? あ、あぁ。はい、大丈夫ですよ」
ミスター・ハルが頬を赤らめながら、自分の顔の前で両手を振っている。羽音は放課後、医務室を訪れ、学校医であるミスター・ハルに謝罪をした。
「でも、ちょっとだけ驚きました。まさか、九条君と貴方が……その、キスをしてるなんて。全く予想もしてなかったので、偶然見かけてしまい……申し訳ありませんでした」
本当にすまなそうに頭を下げるミスター・ハルを見れば、この男の人柄の良さが伝わってくる。
「でも、とてもお似合いでしたよ」
「え?」
「身長差とか、美男同士とか」
照れながらもにっこり微笑むミスター・ハルだって、十分過ぎるぐらい綺麗だ……と、羽音は思う。
「また、何か困ったことがあったら、いつでもいらしてくださいね」
「は、はい。本当にすみませんでした」
にっこり微笑むミスター・ハルに向かって、羽音は礼儀良くお辞儀をしてから、逃げるように医務室を後にしたのだった。
火照った頬が少しずつ冷めていくのを感じながら、羽音は自室へと急ぐ。その時、楽しそうな声が聞こえてきたから思わず足を止めた。
「瑞稀! こっちだ! パス!」
「いいぞ瑞稀!」
渡り廊下から校庭を見下ろせば、瑞稀と数人の生徒達がサッカーをしているのが見える。
校庭には、数人の生徒がいるにも関わらず、羽音には一目で瑞稀がどこにいるのかがわかってしまった。
「そりゃあ、わかるよ。九条君はかっこいい」
自分で言っていて、自分が情けなくなる。この容姿で人の目を引きはすれど、自分には瑞稀にあるようなキラキラとした魅力などないことは、わかっていた。
どこまでも真逆で、決して交わることなんてない二人。
立場や心が交わることができなくても、口付けはできるんだ……という現実が、羽音は悲しく思えた。
羽音は、そっと冷え切った自分の唇を指でなぞる。
それでも、自分はあのキラキラ輝く人物と、口付けを交わしたのだ。信じられないけど、それは夢なんかじゃない。
『可愛い』って、何度も何度も言ってくれた。優しく優しく抱き締めてくれた。
「なんであの時、九条君は僕の所に来てくれたんだろう……」
羽音はそれが不思議でならなかった。
「偶然? それとも、運命とか……?」
暗くなるまで、まるで子供みたいに遊ぶ瑞稀を、羽音は飽きる事なく眺め続けた。
「僕は君の傍にいられないけど、君の温もりを感じたいんだ」
冷たい北風が、羽音の柔らかい銀色の髪をサラサラと揺らした。
いつの間にか、金星が輝き出した空が、教会を淡い蒼色で包み込む。そんな穏やかな夕暮れだった。
羽音は不審な動きでキョロキョロと辺りを見渡す。その場に瑞稀がいないかを確認し、いないとわかった瞬間に大きな溜息をつく。
「よかった……」
もう何日もそんな事の繰り返しだ。お陰で、食事もゆっくり食べられないし、いつも瑞稀の存在に怯えながら過ごしている。
カチャン。
羽音が体を丸めた瞬間、キャソックのポケットの中にある水晶玉と小瓶がぶつかる音が小さく響いた。
その音を聞いて、思わず水晶玉に指先が伸びる。熱を帯びてきてはいないかと、確かめる癖がついてしまっていた。
瑞稀の存在を感じた時に、いつも水晶玉が熱くなる。なぜそんなことが起こるのか、いまだに謎ではあったが、熱を帯びる水晶玉は羽音にとっては一種の恐怖だった。全身の血の気が引いていくほどの。だからこそ、冷たい水晶玉を肌に感じることができれば、ホッとするのだ。
「大丈夫……うん……」
……それなのに。瑞稀の全てが恋しくて、胸が張り裂けそうになる。気が付けば、羽音はいつも瑞稀のことばかり考えていた。
少し項垂れたまま、羽音が歩を進めていると、ふと、鼻腔をくすぐる匂いに気がついてすぐさまに足を止めた。花の香りだ。
待ち焦がれていたのか危険を察知しているのか。自分の咄嗟の反応が、どういった色のものなのかも判別できないまま、羽音の視界に瑞稀の姿が入ってくる。
「……あ……」
そんな羽音に気付いたのか、少し離れた場所で瑞稀も立ち止まった。久しぶりに見る瑞稀の姿に、胸が甘く疼くのを感じる。
その瞬間、瑞稀がフワリと微笑んだ。まるで冬の陽だまりのように。でもその顔は、笑っているはずなのに、羽音には泣いているように見えた。そんな表情も一瞬のうちで、瑞稀は他の生徒と共に、角を曲がっていき姿はすぐに見えなくなる。花の香りも遠ざかっていくばかりで、羽音は全身の緊張が、どっと抜けていくのを感じた。
決して交わることが許されない『自分』と『瑞稀』。
それでも、会いたくて恋しくて、触れたくて、触れて欲しくて……羽音は、相反する感情に心を掻き乱された。
ある日の放課後。
普段、この時間に瑞稀がよくいる場所は校庭だ。
校庭ではサッカーやバスケットをして、友人と遊んでいた。ただ、渡り廊下からでしか、そんな姿を見ることはできない。渡り廊下までは、花の香りは届かなかったから。
それから、図書館にいることも多かった。
図書館で分厚い本をペラペラめくりながら、勉強をしている姿をよく見かける。そんな瑞稀の周りには、明らかにチラチラと瑞稀を盗み見る生徒で溢れていた。
そんな瑞稀を、羽音も他の生徒と同じ様に、遠くから見つめることしかできない。いつからか、羽音は瑞稀に触れたい……そう思うようになっていた。あの甘い夜から、一体どれぐらい経っただろうか。
瑞稀の柔らくて温かい唇に、蜂蜜みたいに甘い唾液。名残惜しそうに唇同士が触れて離れていく音が、鼓膜を震わせるのだ。熱い舌に口内を犯されて、どんどん息が苦しくなって。舌を絡め合う卑猥な水音が響き渡る頃には、羽音は蕩けきってしまう。
あんなに幸せで、満ち足りた時間を忘れられるはずなどない。
この感情がなんなのかなんて、瑞稀のように恋だの愛だの、はっきりと口に出せる性格ではない羽音にはわからない。それも仕方ない。未だかつて、羽音は恋をしたことなどないのだから。だから戸惑っていたし、怖かった。
そんな気持ちを抱えながら、その日も羽音は、瑞稀に近づくことはなかった。
その日の夕暮れは、とても赤かった。紅のような光に照らされ、真っ赤に染まる図書館を見下ろせる三階のフロアに足を運んでいた羽音は、またその姿を目敏く見つけてしまう。
瑞稀は、一階にいた。テーブルにひたむきそうな様子で向かい、勉強をしているようだった。羽音は吹き抜けになっている三階から瑞稀を見つめることしかできない。
九条君! ……そんなふうに、ここから羽音が叫べば、きっと瑞稀には聞こえるだろう。でも、それができなかった。名前を呼びたい。今すぐ、彼の近くに行きたい。羽音の心が葛藤を繰り返した。
「なんで、僕は汚らわしい存在なんだろう」
その事実が悲しくて、羽音の目の前が涙でユラユラと揺れた。
『キスして……』
あの日、瑞稀に素直にキスをねだった自分が羨ましかった。素直な羽音は、一体どこに行ってしまったのだろうか。
『貴方が困った時……例えば、九条君が傍にいて、自分自身を見失いそうになった時。この聖水を飲めば、貴方は自分自身を見失わないで済むはずよ。きっと、神が貴方を助けてくれることでしょう』
ふとミセス・サラの言葉が脳裏を過る。
「あ、あの聖水…」
ポケットの中から一つの小瓶を取り出した。
「逆に、九条君が傍にいる時に飲めば……もしかしたら、あんな風にならないんじゃ……」
羽音の脳裏に、ひとつの考えが浮かぶ。
「この聖水を飲めば、いつもの僕で九条の傍にいられるかもしれない。普通に、話ができるかもしれない」
きっとミセス・サラは、こんな目的の為にこの聖水を羽音にくれたはずではないだろう。そう思えば、羽音の心がグラグラとまるで天秤のように大きく揺れた。
「でも……ごめんなさい、ミセス・サラ。僕はどうしても、彼の傍に行きたいです」
小瓶の蓋を開けて、躊躇いながらも聖水を口へと流し込んだ。それは想像以上にドロドロしていて、その苦い味に、羽音は思わず顔を顰める。
──怖い。これを飲んだ僕は、どうなってしまうんだろう。でも、でも……。僕は、どうしても君の傍に行きたい。
羽音は、意を決して声を振りしぼった。
「九条君!」
「え?」
突然静かな図書館に響き渡った羽音の声に、瑞稀が大きく反応する。
「九条君、お願い……ここに来て……」
「来栖さん」
「僕の、傍に来て……」
羽音の悲痛な叫び声を聞いた瑞稀が、弾かれように顔を上げて一瞬泣きそうな顔をした。
「もし、僕が君にそんな顔をさせているのだとしたら……」
羽音は手の甲で必死に涙を拭う。
「ごめんなさい……」
それでも、羽音の大きな瞳からは絶えず涙が溢れ出した。
「それでも、僕は君の傍にいたい……」
「来栖さん」
「お願い……」
放課後の図書館には、二人以外の生徒は居らず、羽音と瑞稀の声だけが広くて古い図書館に響き渡る。暖炉のついていない図書館は居座るには寒く、体がカタカタと震え出した。 ギギッと重い椅子が動く音が聞こえた後に、静かに階段を昇る音が聞こえてきた。その足音は、ゆっくりゆっくりと羽音に近付いてくる。
それと同時に、羽音の鼓動がどんどん速くなっていった。
「早く、来て……」
羽音は、瑞稀に触れたかった。
「来栖さん」
階段を昇る足音が止まり、羽音がゆっくり顔を上げれば、そこには彼が求めて止まない存在がいた。
「瑞稀……」
そっと名前を呼べば、やっぱり寂しそうに微笑む。その笑顔に、羽音の心が熱くなる。
ずっとずっと焦がれていたのに、決して交わってはいけない存在。でもそんな瑞稀が、今、手を伸ばせば届く所にいる。あの噎せ返るような、花の香りだってしないし、ポケットの水晶玉だって冷たいままだ。編入してきた瑞稀と知り合って、初めて、真正面から彼と向き合うことができた瞬間だった。
瑞稀がそっと羽音に向かって囁く。
「来栖さん……傍に行ってもいいですか?」
羽音は夢中でコクコクと頷く。
「大丈夫、怖がらなくても大丈夫です」
羽音が怯えているのを察してか、瑞稀は一気に距離を詰めることはせずに、慎重な足取りで羽音に近付いてくる。
「どうか……水晶玉よ、熱くならないで。お願い……」
羽音は、キャソックの上から水晶玉を握り締めた。
「俺が怖くないですか?」
「はい。全然怖くないです」
いつの間にか夕日が沈んで、図書館を淡い月明かりが包み込んでいる。瑞稀が泣きそうな顔で微笑んだ。
「ずっとずっと、貴方の傍に行きたかった」
「瑞稀……」
「抱き締めても、いいですか?」
「…………」
「おいで、羽音」
瑞稀は、羽音に向かって大きく腕を広げた。
「怖いなら無理しなくていいです。でも、貴方も俺と同じ気持ちなら、貴方から僕の腕の中に来てください」
「瑞稀……」
「怖くないよ。ほら、おいで……」
「……瑞稀……!」
羽音は勢い良く、瑞稀の胸の中に飛び込む。その瞬間、羽音は温かくて大きな存在に包み込まれた。
「ずっと、ずっと抱き締めたかった……」
「瑞稀……ごめんなさい、ごめん……んっ、んん……」
羽音は必死に言葉を紡ごうとしたが、その唇は瑞稀によって塞がれてしまった。
「んっ、はぁ……ん……」
あまりに激しい口付けに、羽音は少しだけ不安になる。キスに不慣れな羽音は、瑞稀にしがみつきながら、夢中でそれを受け止めた。
瑞稀の唇がこんなにも柔らかくて、舌が熱くて……頬にかかる吐息が擽ったかったことを、羽音は思い出していた。
「あ、んん……ふぁ……」
そのまま、コクンと瑞稀の甘い唾液ごと飲み込んだ。
そうやって、しばらくの間お互いの唇を堪能してから、チュッという音をたてて名残惜しそうに唇を離した。
「はぁ、瑞稀……もっと……」
「もっとキスしたい?」
「うん。したい……ねぇ、もっと……」
「ふふっ、可愛い」
瑞稀が微笑んでから、優しいキスをくれる。
「んん……はぁ……」
「なんで逃げるんですか? 自分からねだったくせに」
「だって、苦しい……」
羽音が嫌々をして酸素を求めても、瑞稀の唇に捕まってしまい呆気なく舌を絡め取られてしまう。あまりに濃厚な口付けに、羽音の足は立つことに力を入れられなくなり、最終的には腰が抜けて床に座り込んでしまった。
「おっと……」
その体を、瑞稀が支えてくれる。瑞稀の逞しい腕の中で、羽音はようやく息をついた。
「貴方は、積極的なのか
瑞稀が、顔を紅色に染めて蕩けきっている羽音を見て、クスクスと笑っている。
「俺は、貴方のこの蕩けきった顔が好きです。凄く可愛らしい」
そのままギュッと抱き締められれば、羽音の心臓が口から飛び出るのではないか、というぐらいバクバクと高鳴った。
「僕は真面目しか取り柄がないつまらない男。なのに、こんなに淫乱だったなんて思わなかったです」
「ふふっ。みんなの憧れの的の生徒会長が、キスで蕩けてる姿なんて、きっと誰も想像なんかつかないはずですよ」
「やめて……」
「俺しか知らない貴方がいるなんて、凄く嬉しいし、めちゃくちゃ興奮する」
瑞稀の甘い吐息が耳にかかり、羽音は思わずギュッと目を瞑った。瑞稀からは、あの甘ったるい花の香りはしないのに、明らかに欲情している自分がいる。
「羽音、可愛い」
耳をペロッと舐められて、瑞稀の唇が頬、首筋へと移動していく。
「あ、あ……はぁ……」
その柔らかい感触に、羽音は切ない吐息を洩らす。
もはや、羽音は抜け出すことのできない、快楽の世界への扉を開けてしまっているのだ。もう、簡単には引き返せない。
「今日は、あの綺麗な片羽は出ないんですか?」
「……羽……?」
「そう。あの雪みたいに真っ白な、大きな羽です」
瑞稀が意地悪く羽音の背中を撫で回す。その刺激に、羽音は背中を仰け反らせた。
「また見てみたい……あの純白の片羽を。あの日の貴方は、本当に綺麗だった」
また吸い寄せられるように重なる、唇と唇。羽音は夢中で瑞稀にしがみつき、口付けを交わす。そんな羽音を、瑞稀は強く抱き締めてくれた。
あまりにも激しいキスに、羽音はクラクラと目眩がしてくる。
こんな図書館で何をやっているんだろうと、残された冷静な羽音が警笛を鳴らしている。誰かに見つかったら、本当に洒落にならない。自分も瑞稀も、もうこの学園にはいられないだろう。
「でも、でも……」
焦らしに焦らされた羽音の体は熱く火照り、切なさのあまりに涙がボロボロと溢れ出す。
「このままじゃ体が切ない……。でも、僕はどうしたらいいわからない。だから……」
「だから?」
「お願い。どうしたらいいか教えてほしい……」
「羽音……」
「瑞稀と、もっと気持ち良くなりたい……」
羽音は頬を紅潮させ、潤んだ瞳で瑞稀の顔を覗き込んだ。
キスをし過ぎてサクランボのように赤い唇に、乱れた呼吸。はだけた洋服からは、綺麗に浮き出た鎖骨が覗いている。
そのあられのない姿は、例え同性相手でも、欲情させるには十分過ぎる程の艶っぽさだった。
戸惑いを隠せない表情をしながらも、羽音は既に熱くなっている瑞稀の手を強く握り締める。
「お願い……瑞稀……どうしたらいい? 教えて?」
「羽音……そんな事言われても、俺だってどうしたらいいか……」
瑞稀が顔を真っ赤にしながら、片手で口元を覆う。いつもは余裕に満ち溢れたその顔に、明らかに動揺が浮かんでいた。
瑞稀の傍にいると、少しずつ優等生としての鍍金が剥がれて、本能が剥き出しになっていくのがわかる。羽音は、それが少しだけ怖かった。
「羽音……めちゃくちゃエロくて可愛い……」
瑞稀が頬を撫でてくれことが気持ちよくて、羽音は思わずその手に頬擦りをする。大きくて温かい手。羽音は、この手が大好きだった。
「じゃあ羽音。こっちに来て」
「え?」
羽音はグイッと瑞稀に腰を抱かれると、綺麗に整列して並べられているテーブルにそっと横たえられる。
「もっといっぱいキスしよう。ほら……」
「ちょ……ちょっと瑞稀……あん、あ、はぁ」
二人は夢中でキスをした。何度口付けを交わしても、満足なんてできない。
時々遠慮がちに羽音の体を這う瑞稀の指が擽ったくて、「んッ」と甘ったるい声が口から洩れる。
「可愛い」
自分を愛しそうに見つめながら微笑む瑞稀の表情に、羽音は欲深い疼き以上の、愛情を感じていた。
羽音の熱に魘されたかかのように潤んだ瞳からは、ハラハラと宝石みたいな涙が溢れ出し、頬もほんのりと紅く染まっている。瑞稀の唾液にまみれた唇は卑猥に輝き、生糸のような銀色の髪が、汗で額に張り付いた。
「羽音、綺麗。やっぱり貴方は天使だ」
瑞稀がうっとりと溜息をついた。
「瑞稀、瑞稀……」
「羽音、キス気持ちいい?」
「うん、気持ちいい……瑞稀は? 瑞稀も気持ちいい?」
「俺も……気持ちいいよ」
今更ながら照れくさくなってしまい、二人で顔を合わせて微笑んだ。
「……ん?」
「え?」
その時、突然瑞稀が眉を顰め振り返る。瑞稀は目を凝らして暗闇を凝視しているが、彼が見つめる先は暗闇が広がっていて羽音には何も見えない。突然どうしたのだろうと不安に駆られた羽音は、そっと瑞稀に問いかけた。
「瑞稀、どうしたの?」
「……いや、誰かの気配を感じたのですが……。俺の気のせいだったようです。それより羽音、大丈夫ですか?」
瑞稀は羽音の顔を両手で包み込んで自分の方を向かせたけれど、羽音はトロトロに蕩けきってしまっていて……恥ずかしくて視線を逸らした。
「大……丈夫……です」
「ふふっ。全然大丈夫そうに見えないんですが?」
「少しだけこのままでいてください。気持ちいい余韻から、抜け出せなくて……」
「本当に貴方って人は……」
そんな甘い時間を過ごしていた二人には、気付く余裕なんて全く無かった。そもそもこんな時間に、他の生徒が図書館にいるなんて思いもしなかったのだ。
「エッロ……」
そんな二人をジッと見つめていた人物が、ポツリと呟いた。
「あの容姿端麗、成績優秀……みんなの憧れの的の生徒会長様が、こんな所で男とあんなエロいことを……」
その人物は、形のいい唇を歪めてクスクス笑っている。
「これは、面白いことになりそうだ」
まるで悪魔のように冷淡な笑みを浮かべて。
しかし、幸せの余韻に浸る羽音は、そんな事など全く知る由もなかったのだった。
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