最終話「了解」

27

 白稲葉苗代は、悩んでいた。


 小説を、書くことができなくなったのである。


 いや、それを言うには少々語弊がある。


 実際、第6章までは簡単に書き終えた。


 地引氏の助言にあったように、――飯島いいじまという名の男を登場させることによって、すいすいと物語は進んだ。人々は、彼の言葉によって救われ、助けられ、生き延びた。


 不幸で、不全で、不能なままでも生きていけると、前向きに後ろ向きに中庸に、それぞれの方向を向いて、彼らは生きていった。


 それを――最後には「それは、関係のない話である。」と、冷徹に切り捨てる狂言回しの小説家を、白稲葉自身に当てはめたら、簡単に章を終わらせられることができた。


 しかし、最終章である。


 第6章「抑圧」を書き終えた後、全六章の連載作の締め切りまで余裕があったので、先に最終章に取り掛かることができた。これも、白稲葉の速筆のなせる技である。


 が。


 書けない。


 いや――やはり単にこの状況を「書けない」とするには誤りがある。


 話の結末は決まっている。


 艱難かんなん辛苦しんくの末に、「それでも生きていれば何か良いことがある」と、狂言回しの小説家が、飯島という男に説得され――そういう人々だけに届く、醜く、酷く、辛く、苦しく、目を背けたいくらいに現実的な小説を書く、というおわり。


 第1章を執筆した時に、それは決めていた。


 ――にもかかわらず、一向に筆が進まなかった。


 最初は原因が全く分からなかったけれど、しばらくしてそれは浮き彫りになった。飯島という救済人物を登場させることによって、「生きづらい」人々の「生きづら」さが、露骨に露呈したのである。もっと苦しまねば、もっと辛くあらねば、物語として解決感カタルシスが薄い。


 そう思って、彼らを設定し直した。


 救いようのない人々が、救われ、話。


 成程それは、現実としては成立していよう。


 しばしインターネットでも目にする光景である。


 恵まれた人間は、恵まれない人間に対して、幾らでも残酷になることができる。


 世の中を分かった気になったような子ども大人が、簡易的に世の仕組システムの一部だけを切り取って表現し、閲覧数インプレッションを稼ぐ。


 救いようのない人達が救われる、救いようのない話。


 成程、現実を露骨に露悪的に描くことは、白稲葉は不得意という訳では無い。


 むしろ積極的にはぐれ者として人生を過ごした彼にとっては、日常茶飯事のようなものである。


 しかし。


 彼の中に存在する、小説家としての白稲葉苗代は、こうも思ってしまうのだ。




 




 徹底的に「現実」「現実」と誇張して表現し、駄目な奴が駄目なまま生きるだけの話なんて、誰が見たいと思うだろうか。


 いや、少なくとも、一過性の流行りにはなるかもしれない。


 何かにつけ過激な、奇をてらった表現、描写に目が行きがちな令和の世である。


 それに、奏譚社だって会社である。


 出版社で、仕事として働いて、日銭を稼いでいる人がいる。


 少しでも売れる小説を作家に書いてほしいと思うのは道理にかなっている。


 担当編集、地引依鳥の眼だって節穴ではない。


 白稲葉苗代という小説家にそれが向いていると思ったから、「生きづらい」者達の物語を書くように促したのだろう。


 何より作家が書きたいように書いて売れるのなら初めから誰でもそうしているだろうし、そうではないからこそ、編集や出版社というのが存在しているのだ。


 別段、白稲葉苗代という小説家が、将来の生計の心配をしているのではないのだ。


 読者が手に取った時は、その瞬間は、輝くかもしれない――話題にはなるかもしれない、注目を浴びるかもしれない。緻密で残酷な描写と、各先生から帯文句を頂けるかもしれない。


 しかし、どうだろう。


 ――辛いだけの現実なんて、もうこりごりなのではないか。


 ――そんなもの、皆毎日浴びているではないか。


 ――現実を書きたくて、小説家になったのではない。


 ――虚構ものがたりを書きたくて、小説家になったのではないか。


 白稲葉は、逡巡していた。




(続)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る