25

「僕の家は、典型的な虐待家庭でね、父が母に暴力を振るい――その母がストレス解消として僕に暴力を振るう。最悪の三段論法だった」


「! それは」


 初耳であった。


「だろうね。今まで誰にも話していなかったから」


 柿川は笑った。


 笑わずとも良いだろうに――この状況で、どうして笑みを浮かべることができるのだろうか。


「どうして、隠していたんだい」


「どうして、と言われると難しいな。家庭の教育方針だったから、という他ないんだよね。これが」


「どういうことだい」


 白稲葉は訊ねた。


「言ったろう、父が母に、母が僕に暴力を振るうと、そしてその暴力の形は、決して力によるものではなかった」


「――虐待にも、種類がある、ってことか」


「そうだね。母の場合は、教育的虐待だった。生徒会長をしたのも、児童会長をしたのも、母の勧めというか、内申のため。というかほとんど強制でね。中学時代の僕は、そうする他無かった。そうすることで、家庭が正常に機能すると信じて疑わなかった。認知のゆがみだよね。まあその延長線上は、自分が虐待をしているという事実を隠すために、子どもにより正しく在って欲しいと思って――やったのだと言っていたよ」


「そう、なのか」


 母と、話したのか――と、白稲葉は内心思った。


 自分なら、そこまでの教育虐待が発覚したとしたら、まず真面目ではいられない。非行少年になってもおかしくは――。


 と。


 そこまで考えて、ようやく。


 白稲葉は思い至った。


「まさか――君のその容貌は」


「そうだ。幼少期から思春期にかけての、異常な抑圧と抑止の結果、今の僕がある。別段、会社でストレスがあるとか、ブラックな所に勤務しているとか、そういうことではないんだ。ただ、徐々に身体だけが壊れていく。世の中の一般的な『普通』の基準になろうと頑張ろうとすると、身体から先に崩壊してゆくんだ」


 思わず目を逸らしたくなるような、現実だった。


「母が、良く言う言葉があったんだ――それは母を象徴する言葉といっても過言ではなかった。




 




「…………それは、無理だろ」


 白稲葉は、唇を噛みながら言った。


 珍しく彼が、感情を露わにしていた。


「『ちゃんと』すること。それこそが、僕の正しい在り方だと思っていた。正しい生き方だと思っていた。そうすることで、僕が我慢することで、家庭環境も、学校環境も、友好関係も、『ちゃんと』なると思っていた。実際そうだったしね。僕の他に立候補者はいなかったようだし」


 極力感情をし込めながら、白稲葉は続けた。


「……成人式に出席しなかったのは、どういう意図なんだい」


「ああ、それは簡単だよ。その頃、大学時代の頃から、僕は、何というか、粗が目立つようになってきていてね。機能不全家族の功罪といったところだ。容貌も酷い有様だったのさ」


「……それで?」


「だからだよ」


「だから――って、理由になっていないじゃないか」


「だから――。成人式に居られるのは、学校に居られたのは、僕がちゃんとしていたからだ。ちゃんとできなくなった僕に、そこに居場所は、ない。そこに居ちゃいけないんだよ」


「…………」


 これを。


 これをただの、数十年を経てようやく真面目で危うさのある生徒会長の闇がつまびらかになった――という物語にすることは、簡単である。その物語は、恐らく一般的な支持を得ることができるだろう。


 ただ、どうだろう。


 


 ――だって、こいつは。


 ――柿川画行は、何も悪くないじゃないか。


 ――そういう家庭環境に生まれたから?


 ――そういう巡り合わせだったから?


 ――


 ――そう書くのが、私の書きたい物語なのか?


 ――今あるべき、文学なのか?


 ――それが今の、流行なのか?


 白稲葉の中には、そんな心情が浮かび上がってきた。


 それは、前回の具備いるかの取材でも、ほんの少しだけ思ったことであった。


 とことん己の不幸を、目を皿のようにして探す彼女。


 己を積極的に生きづらくすることに抵抗のない、普通の彼女。


 それを文章化、物語化することに、抵抗が無かったかといえば、嘘になる。


 確かに、世の中は醜い。


 これは、断言してしまっても良いことである。


 もう三十路になる白稲葉である。


 世の中が綺麗事だけで済まないことも、吐き気を催す邪悪がこの世に存在していることも、目を背けたくなるような現実が跳梁跋扈していることも、否定はしない。

 だけれど。


 しかし。


 それだけを抽出ピックアップし、「ほら見たことか、世は醜いだろう」と語ることに、一体何の意味があるのだろうか。


 そんなこと、改めて言われずとも、皆知っていることである。


 少なくとも、救いはない。


 多からずとも、希望はない。


 そんな物語に、意味があるのだろうか。


 そう思ってしまった。


 胸に何かがつかえたまま、白稲葉苗代と、柿川画行の会合は、静かに幕を閉じた。




(続)

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