21

 ――可哀想でしょ。



 その言葉は。


 それを咀嚼そしゃくするのには。


 今まで聞き流していたものとは、また別の認識が必要となった。


 ――可哀想?


 ――お前が?


「……そうだね」


 何とか、微妙な間が空くことがない極限ぎりぎりの所で、白稲葉は返事をした。


「人それぞれ、生育環境で人間が決まると言っても過言ではないからね。両親が揃っているからと言って、家族が揃っているからと言って、幸せであるとは限らない」


「そう! そうなんですよね。流石作家先生」


 分かりやすい世辞であった。


「幸せ、幸福感。私にはそういうものが、欠落しているように思うんですよ。確かに世間的に見て、私は恵まれた人間なのかもしれませんよ、でも、そんな人間にでも、ちゃんと悩みがあって、ちゃんと苦しみがあって、ちゃんと辛さがあるんです」


「人間だからね」


「せっかくの取材ですから、是非そういうものも描いてほしいと思って、色々と話を用意しておいたんですよ、聞いてくれますよね、北本先輩」


 それからしばらく、具備いるかの独壇場であった。


 その大半が、不幸自慢であった。


 好き放題しゃべり、最終的には「私可哀想」論に持っていっていた。


 それを、途中メモを挟みながらも、一応取材という体なので聞いていた。


 聞きながら、一所懸命に喋る具備を、また別方向から分析していた。


 ――具備いるかは、自分を不幸な人間だと認識してほしいのだろう。


 ――


 ただの愚痴ばかり吐く、尖った小学校教諭になりたくないからこそ、目一杯、自分は不幸だと主張する。


 何かになりたい。


 何者かでありたい。


 その心持ちは、白稲葉にも理解はできる。


 何かになりたくともなることのできない者を、白稲葉は大勢目にしている。


 既に小学校の教諭であり、一定以上の収入を稼いでおり、社会から信用もされる立ち位置にいる。


 そんな具備が、己を「不幸」だと言い、自分も「人間」なのだから、もっと満たされたい、という。


 


 今まで取材してきた人々とは、また違った領域の話である。


 具備は、それ以上の幸せを求めている。


 幸せ――幸福。


 自分を幸せと思わなければ、幸せにはなれない。


 ――でも。


 白稲葉は、話を聞き流しながら、どこかで確信する。


 根石、井津々井、押流、芍薬。


 彼ら彼女らの生きづらさと、具備の生きづらさは、決して交わることのない位置関係にある、と。


「はあ。すみませんね、色々喋りすぎちゃいました。取材って形式なんですよね? 先輩から質問とかあります?」


 そう言われて、現実へと引き戻された。


「いや、小学校の先生の話を、色々と聞けて参考になったよ。ありがとう、具備さん」


「どういたしまして。ありがたく思って下さいね」


 どうやら、酒が回っているようだった。酒が回ると、彼女は口数が多くなる。かなり強いが、飲んだくれられても面倒なので、白稲葉は取材を切り上げた。


「えー、もっと話しましょうよ、先輩」


「いや、また今度にしよう。せっかくの休日を、僕の取材に付き合わせて、済まないね」


「いえいえとんでもないー。また私が必要になったらいつでも呼んで下さい」


 そう言って、具備は笑った。


 とても自然に、幸せそうに。


 図らずもそれが。


 白稲葉苗代が見た、具備いるかの、最後の表情になった。




(続)

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