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少し早めに着いたつもりだったが、先に待っていた。彼女は、せっかちなのである。
「あ、
「いや、ごめんごめん。君はいつも早いなあ。まだ約束の時間まで12分もあるじゃないか」
「私は、12分しかないと考える派なんです、さ、行きましょ」
言われて、白稲葉は彼女――具備いるかに続いた。
具備とは、先輩後輩の仲である。大学時代のサークルで同じになった。音楽系のサークルである。元より部活寄りのサークルで、ただでさえ忙しい教育学部からここに入部するとは――と、当初は吃驚したものである。
「一応ちゃんとした店を予約したつもりだったけれど、大丈夫かなあ」
「何がです」
「や、予約より早く着いてしまいだろう」
「またー、北本先輩はいつもそう些細なことを考えてばかりですね。そんなことだから、いつでも後れを取るんですよ」
「何にだい、僕は別に、行動が遅いわけではないけれど」
「何かにつけ、噂話は最後に届くタイプだったでしょう? 北本先輩は、人に興味無さすぎなんです」
「ああ、そういうこと」
部活寄りとはいえ、サークルだったので、恋愛事情というものも、勿論あった。
無論白稲葉は、基本的に『小説家になるための猶予期間』として大学に入ったので、サークルに本腰は入れなかった。一度何かの間違いで団長にさせられそうになった時は、一瞬で拒絶した。
そうして、歩くこと3分間、さるビルのエレベーターに乗って3階の所に、目的の店はあった。そこは以前、行ったことがある店であった。
席に着き、いつも通り注文を済ませた。
「はー、もう今週も大変でしたよ」
「小学校の先生は大変だろうね」
「大変も大変です、聞いてくれます?」
「良いけれど」
そうして料理が届くまで、具備の一方的な愚痴が始まった。この時間に意味はあるのかなどと思いつつ、一応耳を傾けていた。これも取材の一環である、と。
「そうだったのか、それは大変だね」
「きつい仕事だね」
「頑張っているじゃないか」
等々。
そんな言葉を返せば、具備は満ち足りるようだった。
リズムゲームか何かのようであった。音符に合わせて、都合の良い言葉を吐く。そうしてスコアを稼いでいく。一体何のスコアかは分からないけれど。
満足気な表情をして、次の愚痴へと移った。
「北本先輩、家族仲ってどうです」
唐突なそれに、白稲葉は少し驚いてしまった。というか、具備から質問形式での話が来るとは思わなかったからである。
白稲葉は答えた。
「普通、かな。今は一人暮らしをしていて、年に数回帰省する程度かな。遠くもなく近くもなく、という感じだよ。それがどうしたんだい」
「それが聞いて下さいよ。私今実家住みなんですけれど、最近親が面倒臭くなってきてですね。家に金を入れろだの、結婚相手を探せだのと、いちいち言ってくるんですよ。私って兄がいるんですけれど、兄はもう結婚しているんですね。特に私が女だからっていうのもあると思うんですよね。過剰に心配をし過ぎなんですよ」
「ふうん、それは」
贅沢な悩みだな――と、白稲葉は心の中で思った。
今までの者達は、ある程度社会から逸脱し、外れ、はぐれていた。
そしてそんな己を社会に適合するべく、努力を重ねていた。しかし具備に関しては、どうやらそれには当てはまらないらしい。
逸脱していない。
外れていない。
はぐれていない。
一応、悩みや辛さ、しんどさというものは、他人と比較するものではない――というのが白稲葉の持論である。
それでも、具備のその悩みは、そういうものでは無かった。
ただ単に、自分を憐れんでほしいというだけのものである。彼女は間違いなく、「持っている」側の人間である。社会にも普通に適合し、小学校教諭という仕事もこなし、愚痴を吐きながらも、立派に生きている。生きることができている人種である。
「なーんか腑に落ちないっていうか、苛つくんですよね。別に私、産んでくれって頼んだわけじゃないですし、勝手に産んだのは
具備の両親も、教師である。
「要は言ってしまえば、親が敷いたレールの上をずっと走っているようなものなんですよ。それだけでも褒められるべきことなのに――現状それ以上を求められている。どういうことなんですかね」
具備は続ける。
「当たり前のことを当たり前にできる――って言葉、両親が幼い頃から掲げてて、今考えると結構嫌いだったんですよね。その当たり前って基準を決めるのは、親じゃないですか。私の意見の介入する余地がない。実際、ちょっと教育虐待っぽいところありましたし。まあ、教師の子がグレるってことは結構あるみたいですけれどね。皮肉ですよね。教育に携わる人間の子どもが、教育に反発するなんて。まあ? 私はそういう思いを抱えながら、大人になったんですね。でも」
一呼吸。
具備は、酒を飲んだ。
「でも、小学生中学生の子にとって、世の中って、親と学校と部活とクラスメイトあたりで完結しているじゃないですか。そんな中で、私は自分が置かれている環境の異常さに気付くことができないまま、大人になってしまった。アダルトチルドレンなんじゃないかなって思うんですよね。だからこそ、小学校教諭が出来ている。子どもに近いから。そういう理由で、そういう動機です。どうです――私って」
その次に言われた台詞は。
白稲葉の脳髄に、こびりついた。
――可哀想でしょ。
(続)
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