第5話「充足」
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正直、悪いと言ってしまって良い。
勿論それは、白稲葉視点の話で、具備視点では分からない。
基本的に会う時は、具備から一方的に連絡が来て、行くことになる。そこでつらつらと愚痴を聞かされるのである。
しかしならばどうして、白稲葉が今回具備いるかとの取材を試みたのかといえば、ひとえにそれは、白稲葉の探求心の他にない。
今まで、取材という体で会ってきた人々は、一応は白稲葉に対して好意――というほどではないにせよ、互いに友好的関係を築いてきた者のみで構成されている。
「互いに」という部分が味噌である。
ならば、一方通行、具備からの好意か何かは分からないが――嫌われている訳では無い感情に応えることによって、より小説に深みが増すのではないか、と思ったのである。
この頃の白稲葉が、中々最近の「生きづらさ」を掴むことができずに、焦燥の念を抱いていたことは否定できない。
誰彼構わずでは決してない、精査はしつつも、それでも具備を選ぶのは、結構渋った。
前述の通り、具備いるかという女は――一方通行の女なのである。
こちらから感情を出す猶予の無い、余地のない女。
常に自分が物語の中心にいると思っている。
そんな彼女の職業は、小学校の教諭である。
まあ、それくらいの個性が無ければ、今の時代、小学校教諭などやっていけないのだろうな、と、昨今の教育現場を遠目から見つつ、思う。
だから基本的にこちらが下手に出るしかない。予定を取り付けるのにも、かなり時間を要した。一応締め切りという建前がある以上、白稲葉も無闇矢鱈に延長することはしたくはなかったが、仕事ばかりは仕方がない――そう思って、待った。
待っている間、仕方がないので、執筆した。
いや、本来これは、出版社に開示するべきではない感情である。
白稲葉は、小説家になりたいと思い、小説家になろうとしてなった。世間的にいうのなら、夢を叶えたということになるけれど、白稲葉苗代は、決して、小説を書くことが好きというわけではない。
勿論、執筆が好きだった時期が皆無ということでもない。
書き始めの頃、ノートにボールペンを走らせ、またパソコンで「新規Microsoft Word 文書」を開いた時の、「ああ、これから物語が始まるのだ」という高揚感は、確かにあった。
しかし、書き、書き、書き、書き、書き、書き、書き続ける
人は慣れる生き物である、良くも悪くも、だ。
だから、小説を執筆することは、今の白稲葉にとっては、衣食住に必要なこと――だから書いている、という面が大きい。生計を立てるために、書いている。
そうでもしなければ、何事も続くまい――と白稲葉は思っている。
何かが「好き」という感情は――というかこれはどの感情にもいえることかもしれないけれど、永続性を含有してはいないのである。
常に更新していかねばならない。
例えば白稲葉が、小説を読み続け、書き続けたように。
入力を怠らなかったからこそ、今の自分があると、白稲葉は思っている。
逆に言えば、更新しなければその感情は、徐々に薄れてゆく。
正負強弱関係なしに、である。
勿論環境もある。継続的に何かを続けるというのは、相当恵まれた者でなければできない所業だ。しかし、こと思考に関しては、誰にでもできる代わりに、誰にでも続けられるとは限らない。
いつまでも、そう思い続ける――というのは、実は難しいのだ。
この辺り、線引きが難しいところであるが――白稲葉は、極力そういう線引きをしたがらない男なのだ。
白黒はっきりつけない。
というより、勝負の土俵にそもそも立たない。
争う姿勢を見せない。
見る人が見れば、それは初めから敗北しているということになろう。しかし、彼自身には、何らダメージはない。というか実際、自分が勝っていようが負けていようが、どうでも良い男なのである。
そんなことをつらつらと思いながら執筆していたら、一作完成してしまった。
どこからも依頼されていない分量の、所謂中編とも呼べるくらいの作品である。雑誌などに短期集中連載すれば良いかもしれないが、生憎その仕事は今は入っていない。最優先は「生きづらさ」を表題とした小説である。白稲葉が書いたものは、お蔵入りとなる。
まあ、いつか使う機会があるかもしれない。
取っておこうと思い、白稲葉は原稿を封筒の中に入れた。
そうして、具備との会合までの時間、中編か長編かあたりの小説を、実に三篇書き終え、一応の校閲も終えてしまった。小説家として暇かと言われると心外だが、顔を公開していない以上、来る仕事も限られる。
例えば、講演会などは、顔出し作家でしか出来まい。
――とは言っても。
――私に、語るだけの中身があれば、の話か。
中身。
人間の本質は、外見か中身かという論争があるが、白稲葉は勿論、その争いに参加しない。
傍から観戦も、恐らくしないだろう。
その土俵に立つことができるという時点で、少なくとも中身は、お互いに恵まれていることが確定しているからである。
白稲葉とて、決して容姿が整っている方ではない。しかしだからこそ、極力人を不快にさせないような立ち振る舞い方を覚えている。清潔感を保った状態で、外出時は一応身なりは整えているつもりである。
と、そんなことを思い、また小説の種が芽吹くのを肌身で感じつつ――ということは自分は土壌なのだろうかと、思いつつ――月日は流れ、約束の日になった。
(続)
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