17

「逆に聞きたいんだけど、北ちゃんには私が、どう見えてた?」


「そうだな」


 問われる側になるとは思わなかった。白稲葉は考えた。


「どこにも属さない子、だったかな。中学の頃って、良くも悪くも、結局どっかに属すると思うんだ。中学生の先生にこんなことを臆面も無く言っても仕方ないとも思うんだけど、どんな奴でも、誰かと一緒にいる時間がある、要は学校って、社交性っつうか、集団におけるコミュニケーションの練習の場だと思うんだよ。でも、芍薬さんは違った。どこにも属さず、それを受け入れていた。中々稀有なんじゃないかなって思ったんだよ」


「稀有、ねえ。そっか、男子からはそういう風に見えてたんだ」


 得心するように、噛んで含めるように、芍薬は言った。


「いや、これは今だから言える話なんだけどさ、私小学校の頃は、そんなに外れている訳じゃなかったんだ。でも、そうだな、転機っていう転機は、確かにあった。中学生の、入学式の時」


「入学式――。何か、あったっけか」


「一年の時は、北ちゃんとはクラス違ってたから分からないと思う。私がこうなったのって、、入学式の時からなんだよね」


「入学式の時? えらく明確に言うね、何かあったっけ」


 白稲葉は記憶を辿るも、何も思い出せない。


 ただ、当時白稲葉の学年は、途轍もなく荒れていたこと、それくらいである。そんな中でも、三年間普通に外れたまま、はぐれたまま生きてゆく芍薬咲矢の心理を追いたくて、白稲葉はここに来たのだ。


「まあ、これも本当は、こんな場で言える話じゃないんだけれどね。私さ、丁度入学式の、だったんだよ」


「何が?」


「初潮が」


「……ああ」


 白稲葉は失礼なことを聞いてしまった、と反省した。


 女性の初潮の平均年齢は十歳から十五歳と聞く。


 それに、入学式という緊張感に満ちた空間の中である。


 緊張、つまりはストレスである。


 月経が起こったとしても、不思議ではない。


「女子の中には、もう来ている人もいてさ。当時はナプキン着けてなかったから、異変に気付いて、すぐに保健の先生が駆け付けてきてくれて、制服がちょっと汚れるくらいで済んだから、良かったんだけどね。問題は他の生徒だよ、私達の学年、結構な荒れ具合だったじゃない?」


「そうだね」


「だから噂は一瞬で広まって、私に居場所は無くなった。そう思ったよ。入学早々、私の中学校人生は終わった。そう思った」


「だから、――ってことか」


 所詮中学生のコミュニティだろう――などとは言えない。学生同士の噂話は怖い。特に女子の悪口あっこう讒謗ざんぼうは、人間観察が趣味の白稲葉ですら、聞きたくないと思ってしまうほどである。


「まあ孤立するつりはなかったけどね、一年の頃のクラスに、明らかに不思議ちゃんを演じてて、それに失敗している子がいてさ。その子美術科の高校行ったんだけど、覚えてる? 谷口たにぐちさんって」


「ああ、谷口幸菜ゆきなか。二年の時、同じクラスになったよ」


 不思議を気取っていた、美術部の女子である。白稲葉の世代では、何を考えているのか分からない系の女の子というのが、流行っていたのだ。その流行に、どっぷり浸かっていたのが、谷口だった。


「そう。谷口さんを反面教師ベースにして、新しい人格を作ることにしたの。まあ、人格っていってもそんな大それたものじゃないけれどね。身に染み付いた習慣を殺すところから始めて、身体の一つ一つの動きから、成績の取り方まで、極力人と群れずとも、誰かに寄りかからずとも良いように調節してたの」


「調節か」


 白稲葉は驚いた。


 不思議ちゃんとか、天然だとか、そういう類のものだとばかり思っていた。


 しかし違った。


 芍薬は、自発的に天然を演じ、白稲葉を含めた周囲の人間をも、騙していた。


 そう簡単に、できることではない。


 通常、ではない。


 


 


 天然とは、対偶。


 人工的な人格。


「じゃあ、君があの頃『天然』って呼ばれていたのは」


「うん、


「…………」


 生理、特に初潮の話については、中学校教諭の芍薬の方が、詳しいだろう。


 どういう仕組みで血が流れるのかは知っているが、それに関する苦労、例えばPMSや、生理痛などと言ったものの痛さ、辛さ、苦しさは、男である白稲葉には実際には分からない。


「そうだったんだ、いや、てっきり僕は、君が普通に天然そうしていると思っていたから、驚いたよ」


「まあ、今考えると他にも方法はあったんだと思うよ。今の子たちとか、結構打たれ強いっていうか、強いって感じる。些細なことでも、一回寝たらリセットしちゃえる胆力があるっていうかさ。そういう子たちを見るにつけ、思うんだよね。私があの時天然そうしたのは、間違いだったんじゃないかって」


「それは――」


 ――今思ったところで、どうしようもないのではないか。


 白稲葉の口から、そんな言葉が滑り出しそうになって、止めた。


 思春期の真っ只中、そんなことが起きれば、それまでの自分がひっくり返って、転覆してもおかしくはない。


 転覆。


 転落。


 そしてその先には、不登校がある。


 現代の学校のシステムは、ある意味落伍者には冷酷である。あらかじめ決められた筋道があり、それを通過できなければ、容赦なく切り捨てられる。いじめ被害者がそうであるように、学校に馴染めなかった者がそうであるように、担任教師がハズレだった者がそうであるように、定められた社会の前身に適合できない者は、転落するようにできている。


 芍薬は、そこにしがみついた。


 彼女なりに、彼女なりの方法論をもって、遮二無二にかぶりついた。


 それがたとえ、己そのものを作り変えてしまうとしても。


 あの頃の芍薬咲矢にとっては、きっと重要だったのだろう。


 そう、思うことにした。


「何か、悪いな、芍薬さん。厭なこと、思い出させてしまって」


 ごめん、と頭を下げた。


「いやいやー、気にしないで。大丈夫。今はもう十分馴染んだし、私もこの生き方の方が生きやすいからさー」


「そっか。なら、良かった」


――。まあ日本人だし、人の意見に流されがちだけど、それって結構大事なんじゃないかなって、最近改めて思うよ。今の子たち見てると」


「自分が」


 ――どう思うか。


 その言葉は、いずれ白稲葉が直面することになり、どころかこの『生きづらい』人々の結末を大きく左右することになるが。


 それはまだ先の話である。


 その後、芍薬とは、昔の友人や変人奇人たちの話をして良い感じに盛り上がった。二人とも酒は飲まなかったので、そのまま店の前まで出た。


「旦那さんには良いのか、芍薬さん」


「うん、大丈夫、ちゃんと言ってある。小説家の白稲葉先生と会って来るって言ったら、サイン持ってきてくれって言われたくらいだよ。良い? いただいても」


「お安い御用さ」


 そう言って、取り出された白稲葉の著作に、サインを書いた。


「じゃ、今日のことは他言無用でね、またね。北ちゃん」


「ああ。こちらこそ今日はありがとう、芍薬さん」 


 そう言って、平和的に、二人は別れた。




(続)

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