16
そして、久方ぶりの会合の日となった。
白稲葉は、時間丁度に駅に着くようにすると、既にそこには、芍薬が来ていた。大人しめな格好をした、図書館で本でも読んでいそうな落ち着いた女性であった。
「あ、北ちゃん」
と、気付くと芍薬は手を振った。
白稲葉はそこに行った。
「久しぶりだね、何年ぶり?」
それはあの頃と同じ、どこかふわふわと浮遊するような、柔らかな口調であった。
芍薬咲矢は、依然健在であった。
「もう何年だろう、成人式から十年は、まだ経っていないか。九年かな」
「九年かあ。あっという間だね。そしてその割に、北ちゃんあんまり変わってないね」
「家に缶詰の職業だからね、勿論人とも合うけれど、人よりストレスは少ない」
「えー、いいなー、作家さんだっけ」
「そう。って言っても、まだ端くれだけどね。芍薬さんは、何してるの?」
「私は、中学校の教員。国語科だよ、毎日大変だけれど、それはそれで楽しいよ」
「ほう」
根石のことを少し思い出した。
白稲葉は小説家として『生きづらい』人々の生態を観察するべく、この取材の場を設けている。友人も時間も有限の中、重複する部分があると、小説としてはあまり良くないのではないか、とも思った。まあ現実はこんなものだろうと思い直した。
「国語にしたんだ。意外」
「うん、まあー、書道とか、古文とか好きだし」
「そっか、芍薬さん。習字上手かったもんね」
「えへへ、そう言われると照れます。で――これからどうする」
「一応、近くの良い感じの店を予約してはあって、もう入れると思うけれど、どうする?」
「あ、そうなの。ありがとう~」
促されるまま、流されるまま、二人は店へと入った。
駅から徒歩五分の、地下にある洋食店だった。
メニューを見、料理を注文し終えて、ひと段落した。
「それで――私に聞きたいことがあるんだ?」
単刀直入に、芍薬は言った。
「うん、まあ、事前に話した通りなんだけど、僕、人を描写するのがあまり得意じゃなくてさ。それを出版社の人に
「ほうほう」
嘘は吐いていない。
全てを話していないというだけで。
流石の芍薬でも、自分が『生きづらい』の枠に入れられていると思ったら怒るだろうと思ってのことであった。
「それで、まあ、色んなタイプの人と話してみている最中って感じだよ」
「成程ねー、それで私かー」
「何か思うところでも?」
「いやあ、小説家の友達の役に立てるのは嬉しいけれど、てっきりさ、今流行りの『生きづらい』とか『生きるのがしんどい』とか、そういう類の情報収集をしているんじゃないかって思ってたんだよね。まさか私に声が掛かるなんて思わないもの」
白稲葉はどきりとした。
ふわふわした口調ながら、真実を見抜いて来る。
未だかつて、それを見抜いてくる人間はいなかった。
いや、芍薬は元より、そういう人間だった。ふわふわぷかぷかと浮遊したように口数少なく、それでも芯を喰ったことを言う――そんな中学生だった。
変わり者。
そしてその称号には、付属物のように『生きづらい』が憑いて回る。
「いやいや、それだったら先に言うよ。自分を低く見積もりすぎなんじゃないか」
「そうだよね、北ちゃんはそういうの言ってくれる人だもんね。でもさ、私に何かそういう付加価値があるかって考えた時に、どうしても先に出るんだよね。『生きづらい』って言葉がさ」
「生きづらい、と思うのかい、芍薬さんは」
「ううん、どうなんだろうね。でも『生きづらい』って、自分で発信するというより、誰かが誰かをそう判断するって側面の方が大きいのかもしれないんじゃないかなって」
「……ほう」
白稲葉は、時間の余白が大きくなりすぎないようにしながら、続けた。
「誰かか誰かを、そう判断する――ということは、観測者視点で『生きづらい』は発生する、ということかな」
「うーん、観測者だと完全な第三者になっちゃうから、第二者、つまり私に対する『あなた』も含まれるかな。自分が『生きづらい』のじゃなくって、誰かに『生きづら』そうだと言われる方が、結局多いと思うもの」
「それは――確かにそうだな」
何を隠そう白稲葉も、人を『生きづらそう』と決めつけて、取材と称して小説の種を摘みに行っていた者の一人である。
「そんな芍薬さんは、自分が『生きづらい』と思う?」
同じ質問だったが、もう一度した。
もしかしたら、この人には、話が通じると思ったからである。
「あ、ひょっとしてもう取材って始まってる? ちょと待って、よいしょっと」
と、芍薬は椅子に座り直して、一呼吸した。
「私は、私を『生きづらい』とは思わないかな。でも、周りから見たら、『生きづら』そうに見えていると思う」
「自分の評価と他人の評価に、
「そ。私って、学生時代まあなんていうのかな、所謂ちょっと外れた子だったじゃない? ていうか今でもそうで、しょっちゅうあれこれ忘れて、旦那はもう呆れてるんだけど」
芍薬は、昨年に籍を入れたと聞いていた。
「外れた、何が?」
「何って、何だろうね、
そう言って、頭をこつんと叩いた。
その中には、脳髄が詰まっている。
(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます