13

「家では、君はどう過ごしている?」


「どう、ねぇ。基本的には意識の空白は作らないようにしているな――一応うつ病だから、油断すると、『死』について深く考えちまう。だから、両親が仕事に行っている間、つまり朝食以外だな。家の家事のほとんどは、俺がやっているよ。夕食も作り置きで置いておいて――で、両親が帰ってきたら、部屋に戻る」


「ふうん、両親との会話とかはどうだ」


「ほとんどないな。いや、これは言っちまえば、俺の方から拒否しているという感じだ。大学受験期に喧嘩の仲裁で勉強させてもらえなかったことを、を俺は今でも許していないし、両親は今でも悔いているんだろう。気まずい、微妙な雰囲気、っつうのか? 言葉で表現するのも難しいがな」


 大学受験、高校3年生の夏から冬にかけて、押流家は離婚の危機に直面していた。

「受験期、大変だったもんな」


「ああ、あの時は、地獄だった」


 当時、高校に来るたびに、彼の顔色が悪くなっていた。


 そして保健室登校が増え、何とかセンター試験――今の共通テストである――利用でギリギリ受かった大学に進学した、という塩梅である。


「少々突っ込んだことを聞くが、良いか」


「ああ、構わない」


「両親に対して、今は、どう思っている」


「……そうだな」


 押流が少し考えている間に「お待たせしましたー」と、店員が、ラーメンを持ってきた。


 白稲葉は軽く会釈をした。


「さっきも言ったかもしれないが、今でも、許せていない」


 箸を二つに割りながら、押流は答えた。


 それはいびつに割れた。


「両親の喧嘩については、まあ仕方ないと思うよ、人間だしな。受験期に喧嘩されたことも、そこまで怒っちゃいない。ただ、その喧嘩の仕方については、未だに思い出して、いらつくことはあるね」


「喧嘩の仕方、というと」


「ああ。まあぶっちゃけて言うと、俺の介入を前提として二人が喧嘩をしていたようなんだよな。離婚目前まで行ったって言ってたろ。その通りでさ。俺はさ、さっさと決めて欲しかったんだよ。離婚するのか、離婚せず共に生きてゆくのか。にも拘らず、だらだらだらだら無視だのモラハラだの子どもの進学はどーだのいちいち言い訳を続けて、中学生の喧嘩みてーにいつまでも引きずって、挙句、今じゃまるでそんな喧嘩なんてなかったことみてえに、普通に暮らしてやがるんだ。それが、俺は許せない」


「成程な」


「一度親父おやじに言われたことがあるんだ。大学4年で、就活が一つも出なくて、まあ、うつ一歩手前っつうか、もう踏み込んでる時期だな。『就職が決まらなければこの家から出ていけ』ってな。言うに事欠いてお前がそれを言うかよ。それを言われて、キレちまってさ。いや、癇癪かんしゃくを起こしちまったんだ」


「癇癪か」


 押流は、落ち着いた様子で続ける。


 彼が癇癪を起こすところなど、白稲葉には想像がつかなかった。


「生まれて初めて、親に反抗した。二人の前で『』って言った。そこから、まあ俺は家では、家事をする置物みたいなもんさ。両親は俺の生き方については、何も言わなくなった。言えなくなった、が正しいのか、この場合」


「そう――か。君も大変だったんだな」


「まあな。実際自分が『大変』で『どうしようもない』って気が付いたのは、大学四年の頃だったから、もう打ち止めなんだけどな。新卒ってカードがどれだけ重要か、今になって分かるよ。そう考えると、お前はすげえよ。大学在学中に小説家デビューなんてな。高校の頃から、色々と書いてたもんな。お前の書いた図書館報の小説、まだ持ってるぜ」


「いやいや勘弁してくれ、あれは黒歴史なんだ」


 図書館報とは、彼らの母校で一学期に一度全校生徒に配布される、図書委員会の小冊子である。そこの寄稿コーナーに、白稲葉は高校時代、短編小説を何篇か投稿していた。


 自分の人間観察が小説に接続リンクすると理解した白稲葉は、高校時代から執筆を始めていた。その折に、丁度図書館報というものを見つけたのである。


「僕は、恵まれてたよ」


 白稲葉の箸は、綺麗に割れた。


「小説を書く余裕と、小説を書ける環境があった。まあ、高校時代勉強はサボったけれど、結果的に小説家って職に就くことができたから、良かったんだと思う。そう思える」


「そうか。そりゃ良かった」


「波浪、君はどうだ。あの時こうして良かった、それか、こうすれば良かった、って思えること、あるか?」


「ないな」


 即答だった。


 意外である。


「後悔はしないようにしている主義でな。同時に過去も振り返らないんだ」


 ふう、と。


 その息が麵を冷ましたのか、溜息を吐いたのか。


 白稲葉には分からなかった。


「まあ、引きニートの分際で何を言ってんだって話かもしれないが、俺は昨日よりも明日を、一昨日より明後日を見て生きていきたい。勿論、こんな歳だ。結婚なんて夢のまた夢だろうし、定職に就くことだってできない、尊敬する人物からは真っ先に除外されるような親も親で、いつまでも健在だとも思ってない。二人共仕事人間だからな、そろそろガタが来たりして、介護が必要になる可能性だってある――お先真っ暗なのは重々理解してる――」


 ――それでも、だ。


 手を合わせて。


 目をつむって。


 そして、開いて。


「今、生きている自分自身には、感謝していようと思っている」


 いただきます、と言って、押流は美味しそうにラーメンをすすった。


「……そっか」


「ああ、そうだ。まあ、お前には心配を掛けたし、これからも掛けるかもしれないが――その時は、どうか笑ってくれ」


 ――そうすれば、俺も笑えるから。


 そう言って、押流波浪は、笑顔を作った。


 それはいびつで、曲がっていて、変で、無理をして作ったのがすぐに分かるような笑顔だったけれど、どうしてか白稲葉も、一緒に笑っていた。


 その表情が、押流にどう映っていたのかは定かではない。


 ただ。


 一緒に食べたラーメンは、白稲葉にとって、忘れられない味になった。




(続)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る