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 *


「ふうん、聞いたところ、普通の会話劇っぽいですけれど、この人の何が問題なんですか――白稲葉先生」


 奏譚社第二出版部所属、地引依鳥女史は、白稲葉の話を聞いた後で淡々とそう訊ねた。


「最初の、えっと、誰でしたっけ、根石さんなら分かりますよ。精神的な病気でしたし。でもこの方、井津々井さんについては、実際に仕事で昇進していて、社会的に認められている人なのでしょう? 満たされているじゃないですか」


「いや、それがね、違うんだよ、地引さん」


 白稲葉は、椅子に座り直しながら言った。


「井津々井啄木鳥は、一見虚言癖に見えるけれど、相手に登山マウントを取る癖を持っているんだ」


「それは知っています。ああ、そういうことですか、昇進は嘘だと?」


「うん。まあ、それだと半分だな」


 白稲葉は続けた。


登山マウントを取る、という言葉自体、新しい言葉だから定義が曖昧だけれど、つまりはという欲求に基づくものだろう。井津々井さんは、それを常時発動している。常に誰かより上でいないと、気が済まない。その領域まで辿り着いているんだよ」


「それの、何が問題なんですか」


「例えば、彼女は最後に、『給料を沢山貰っている』という登山マウントを取るために、食事料金を支払ったよね。それだけを見れば小さなことだけれど、彼女は登山マウントを取るために金銭を惜しまない、というのが分かる。あくまで今回の例だけだけれど、拡大解釈すると他の人にはどうだろう。同じように登山(マウント)のために、金銭を使っていたら、嘘を吐いていたら? 一つ一つは小さなことだが、積み重なると、それが取り返しのつかないことになることは、自明だよね」


「……成程、そういうことですか。井津々井さんは、自分で自分の首を絞めている――、稀有な例だという訳ですね」


「そういうこと。あんな嘘と虚勢を張り続けていたら、いずれ破綻するよ、あの人は」


「でも」


 と、地引は続けた。


「先生は、止めなかったんですよね。指摘して、糾弾して、止める選択肢だってあったはずです」


「いや、それはできないよ。僕と井津々井さんの関係は大学時代に講義が一緒だったってだけだし、それに彼女の身に染み付いている登山マウント癖、人より上位にいたいという強い願望は、僕程度ではどうにかなるとは思えなかった」


「だから、放置したと?」


「ああ、そうだ」


「……そうですか」


 そう言って、地引はふう、と息を吐いた。


 溜息ではなかった。


 そこにどんな感情が込められていたのかは。


 白稲葉には分からなかった。


 彼は、超能力者ではないのである。


「まあ、先生の執筆に支障が出なければ、それで良いですよ、私としては。恐らく今後取材にあたって、先生のそういう俯瞰的な所が、上手く発揮されることを願ってやみません」


「そうだね、僕もそう思うよ」


 そう言って、白稲葉は笑った。


 *


 その後。


 井津々井啄木鳥は、大量の借金を抱え、また会社からの信用が失墜し、窓際部署に異動させられることになった。


 全方面に登山マウントを取り続け、嘘に嘘を塗り固め、自分を上位に置くということは、自分を良く見せるということでもある。


 そのためには、どうしても金銭と見栄が必要である。


 必然的に、膨れ上がっていた借金と嘘のツケを、彼女は背負うことになったが。


 それは、関係のない話である。




(第2話「登頂」――了)

(続)

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