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「ふうん、それは大変だ。僕なら多分、速攻で心が折れているよ。そんな理不尽な目に遭ったら」


「大変っていうか、そうだね、面倒、かなあ。ほら、私の人生って結構理不尽な目にも遭って来たし、いじめ? も受けたことあったから、その辺りの耐性はついてるんだよね」


「ああ、言ってたね」


 その話は、井津々井が学生時代に聞いたことがあった。


 それは中学の時、いじめを受けいたというものである。


 しかし本人がそれに気付いておらず、卒業式に、いじめの主犯格に「いじめてごめん」と謝られて、初めてそれがいじめだったと気付いた――という逸話である。


 彼女は、いじめという話題が挙がる毎に、この話をする。


 白稲葉は「自分はいじめ程度では折れる心は持っていない」という、いつもの登山マウント癖だと理解している。


「じゃあ、満たされている訳だ。仕事も、私生活も」


「ちょっとちょっと、そうするのは早計でしょ、北ちゃん。私だってもうすぐ30だし、そろそろ結婚相手とかも考え始める頃だよ」


「ああ、そうだった」


「どうなの? 北ちゃんは、相手とかいないの?」


「僕は、恋愛には縁がない人間だからなあ。しばらくは小説に集中したいと思っているよ」


「えー、仕事一徹って訳? でも、40、50になって、急に寂しくなってくるっていうよ。あの時婚活しておけば良かった――って後悔するかも」


「そういう君はどうなんだい、井津々井さん」


 待ってましたと言わんばかりに、井津々井は話し始めた。


「私はねー、意中の相手とか、仕事は仕事って割り切っているから、そういうのは特になかったんだけど、もう30近いし、婚活をしている所。結婚相談所って分かる?」


「ああ、分かるよ」


「そうそう。そこに登録して、何人か男の人とお見合い? じゃないけれど、会ったり、紹介してもらっているのだけれど、これがさー、また酷いのよ。年収詐欺、顔面詐欺、不細工、低身長。男で低身長とかって、ありえなくない? 当たり前みたいに勧めてくるんだよ。もう本当、高い年会費払ってるんだから、ちゃんとして欲しいよ」


「理想が高いんじゃないかい」


 言うだけ言ってみた。


「理想? そうかなー。ただ、普通に稼いで、普通に身長があって、普通に家事育児も手伝ってくれて、普通に容姿の整った、普通の人を選んでいるつもりなんだけどさ。ほら、? だから、そういう普通に対して、何ていうの、憧れ、みたいなのがある訳」


「普通、ね。確かに君は、普通じゃないかもしれない」


 普通。


 そうなりたくともなることのできない者を、白稲葉は嫌というほど知っている。


「でしょ。だから、私が普通に普通で普通の人を求めているのに、相談所の人が提示するのは、いつもどっかズレてるのよ。結婚相手なんだから、厳選しなきゃいけないじゃん。良物件知らない? 北ちゃん」


 人のことを物件扱いする井津々井に、何も思わない白稲葉ではない。


 何かを思った。


 それが何かは、ここでは記述しないでおく。


「さあ。意外と作家の人達は既婚か、僕みたいに結婚を放棄した人ばかりだからね。それに偏屈の極みみたいなものだ。だから、君とはつりあわないと思うよ」


「そっか。まあ、小説家って変わってる人が多いイメージあるし、そういうものなのかもねー」


 そう言って、井津々井は理解した。


「結婚ねー。いやあ、私も昔は思ったものだよ、いつか勝手に付き合う相手が現れて、そこから結婚して子ども産んで、母親になるものだって。そういう幸せが普通だと思っていたけれど、違ったんだねー」


「そうだね。今は多様性が重視される時代だし、何より子どもを産むってなると、どうしても母体への影響も加味される。産まない選択をする夫婦も多いと聞くよ。まあ、時代によって、『幸せ』の形が、変わっているということじゃないかな。取り敢えず結婚して子供作って育てて、って時代じゃないのだと、僕は思うよ」


「あははー、そうだね。時代の違いかー。そう考えると、女の私がこうして社会に進出できて、昇進できたのも、時代のお蔭かもね。昭和とか平成初期の頃だと、『女は家庭に入れ』みたいな考え方が普通だったみたいだし、私んの父親も、悪い人じゃなかったけれど、亭主関白だったしなー」


「そうだったんだ」


「うん。まあ、良い家庭だけれど、過ごしやすい家庭かっていうと微妙だったかな。妹はさっきも言った通りだし、両親はどっちかっていうと妹を溺愛してたしね」


 少しだけ、井津々井の表情にかげりが見えた。


 多分、それこそが。


「あ、でも私もちゃんと愛されてたよ。勿論、妹よりもね」


「ふうん、そっか」


 愛されていた、の比重について、前後で矛盾が生じていたけれど、敢えて白稲葉は、指摘しなかった。どちらが本音かは、言うまでもあるまい。


「あ、ごめん」


 と、次の井津々井の言葉を待っていたところ、彼女から提案があった。スマホの画面を確認していたと思ったら、何かあったらしい。


「悪い、ちょっとこの後、用事入れてたこと思い出した。取材の途中で申し訳ないんだけど、この辺りで終わりにしてもらっても良い? 何なら、また別日に続きの話をさせてもらうけれど――」


「いや、良いよ。僕も、良い区切りを探していたところだったから。井津々井さんも忙しいだろうし、この辺りにしておくよ。今日は多忙な中、時間をくれてありがとう。小説の参考になったよ」


「そう? 私はただ話しただけだけれど――まあいっか。うん」


 二人は会計を終えた。


 割り勘か、もしくは白稲葉が出そうと思っていたけれど「いや、私出すよ、昇進したばっかで給料沢山貰ってるしさ」という言葉の下、井津々井に奢られる形になった。


 店の外まで出、そして改札で、井津々井を見送った。




(続)

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