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「でも、周りで昇進しているのは君くらいしかいなかったからさ。聞かせてよ、君が輝く物語」


「相変わらず詩的だねえ、五七五だしー、えー、でもいいよいいよ、どっちかっていうと私、会社でひがまれているみたいだからさー」


 照れながら(照れているのは本当だろう)、井津々井は続けた。


「僻まれている? 優秀なのにかい」


「だからこそ、だよ。足の引っ張り合いじゃないけれど、内の会社は個人成績を出すからね。やっかみとか、いわれなき誹謗中傷とか、そんなの日常茶飯事だよー」


「そんな中で、良くやっていけるね」


「まあねー、仕事人間、って程じゃあないけれど、仕事以外に熱中できることがないのも事実だし、彼氏もいない、両親からも、三行半みくだりはんを突き付けられて絶縁状態だしねー」


「両親と絶縁?」


 それは、新しい情報である。


「そうなのよー、両親も――特に母親が嫉妬深い人でね。私が会社で業績トップな事を、良く思わなかったみたい。それに、妹の結婚式にも呼ばれなかったし」


「それは穏やかじゃないね」


 親族の結婚式に呼ばれない。


 さらりと告げられたけれど、重要なことである。


 登山マウント癖のある彼女には珍しく、対象を取っていない。


 そう考えた白稲葉は、もう少しつつくことにした。


「妹さんとは、仲が悪いのかい」


「悪くはないよ、良くもないけど。ただなんていうのかな、昔からやっかみ? って言うか、私がやることなすこと真似してきて、私より頑張っちゃうんだよね。いや、可哀想だなって思うよ。だって姉が妹に越される訳ないじゃん。頑張りは認めるけれど、それで表彰とかされてさー、頭に来て、邪魔してやったら、すぐ泣いて親に頼るんだよ。媚びへつらってさ。本当、嫌な妹だよ。結果、先に結婚して、今妊娠してるのー。きっとデキ婚だよねー。あー、けがらわしい」


 井津々井は饒舌じょうぜつに話した後、はっとなって口をつぐんだ。


「ごめん、なんかつい言い過ぎちゃった。私ついつい言葉が止まらなくなることがあるんだよねー」


「いや、良いよ」


 恐らく。


 今発せられた長い言葉に、井津々井の本音が混じっているのだろう、と、白稲葉は思った。


「しかし大変だね。僕には兄弟姉妹はいないから、その気持ちは分からないけれど。血が繋がって、自分より出来る奴がすぐ近くにいるっていうのが心地良くないのは、僕も分かるな。小説を応募していた頃が、まさにそうだったから」


「いやいや、私はそんなことに嫉妬しないけどね。ただ、苛立つってだけ。後から生まれたんなら先に生まれた人に追随するべきじゃん。追い越すなんて、ありえない。あっちゃいけないって、私は思うよ」


「……そうか」


 白稲葉は、もう少し小説でのたとえを続行しようか迷った。


 あらゆる全ての情報が開示される令和の今、小説新人賞の分野においても、例外ではなかった。史上最年少受賞、新鮮気鋭の若手作家。そんな風に印字された帯文句を見て、何も思わないほど、白稲葉は感情を捨ててはいなかったからである。その話で、共感を誘えると思ったのだ。


 ただ――「ありえない、あっちゃいけない」とまで断言した井津々井に、共感は無理だと、白稲葉は思った。恐らくその辺りが、井津々井の核心、触れられたくない過去、なのだろう。


 だったら、軌道修正をする。


「嫉妬や羨望、か。皆大人だというのにそんなことに手を染めているなんて、余程暇なのだろうね、会社の人たちは」


「そう! 本当にそう思うんだよねー、全くさ。人に嫉妬している暇があるのなら、お前らも仕事で良い成績残せよって感じだものー。陰口とか本当酷くてさー、ランチとかも一緒に行ったりする人いたんだけど、全員懐柔されちゃって。もうまるで中学校の女子の集団いじめみたいな感じだよー」


 呆れたように、井津々井は言った。


「そんな中でも、君は良い成績を収めているんだろう? だったら、上司からは、評価して貰えているんじゃないか」


「うん。だけど――あー、これはどうなんだろうね。その上司も、私の異例の異動に嫉妬しているみたいでね。女の人なのだけれど、色々と文句を言ってくるの。あなたは仕事はできるけれど、態度は最悪だとか、社会人を舐めているだとか、酷くない? ちゃんと成績を残しているし、なんなら上司がまだ上司じゃなかった時代よりもちゃんとしているのにさ。きっとそれが許せないんだよ。自分より上位に立たれることが嫌なんだと、私は思うね。だから上司は、私にいちいち突っかかって来るんだ」


 仕事ができるけれど、態度は最悪。


 白稲葉とて職業小説家である。想像力くらいは、人並み程度にはあると自負している。少しずつ、ではあるけれど、井津々井の職場での立ち位置が、理解できるようになってきた。




(続)

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