7
待ち合わせ時間を1時間過ぎた。
駅の改札口から少し離れた所、通行の邪魔にならない場所に重心を預けながら、白稲葉は待っていた。
待ち合わせ人が来る気配は一切見えなかった。
元々時間にルーズな所があるのである。
「はー、ごめんごめん、遅くなった!」
と、若干枯れた声を鳴らしながら、彼女、
「いやー、
底抜けに明るい声が、白稲葉に向けられた。
「そうかい、そりゃ災難だったね」
「しっかしそれよりも吃驚したのは、
「まあ、ちょっと小説が行き詰まっててさ、一周回って、書くことが分からなくなっちゃって。だから知り合いと話して、息抜きって言うか、何というか、そういう時間を取ろうと思ったんだ」
「そうなんだー、もう有名な小説家だもんねー。私の友達にも漫画家がいるけれど、すっごく大変って聞いてるー」
「……そうなんだ」
くりっとした目に、人懐っこい面持ち。
彼女の名前は、井津々井啄木鳥という。
ちなみに。
目の前の列車の電光掲示板にも、駅構内の案内音声にも、人身事故の情報は流れていない。
そして、井津々井に漫画家の友人がいる、というのも、真実ではないだろうと――白稲葉は見ている。
直前に、白稲葉が小説家であるという前提条件に
全て虚言である。
「その漫画家とは、仲が良いのかい、井津々井さん」
「うん。名前は言えないけれど、とある週刊少年誌で連載を持ってる人でねー。結構稼いでいるらしいよー、もしかしたら北ちゃんよりもよりも」
そう言う井津々井の表情は、勝気であった。
虎の威を借る狐という言葉が、まさに合致する。
「あはは、僕は場末の小説家だよ。それに新参だ――そもそも勝負にならないよ」
白稲葉は静かに、言葉を
「さて――どうしようか。僕はこの辺りには詳しくはないのだけれど、井津々井さんは、どこか知っているかい」
「うん、知ってるよ。この辺りには詳しいんだー」
「へえ、そうなんだ。凄いね」
また、勝ち誇ったような表情になった。
その言葉も、恐らく嘘なのだろうと白稲葉は思う。
ただ集合した駅は、首都圏の主要駅である。近くを歩けば、居酒屋、チェーン店、ファミレスなどは簡単に見つかる。
井津々井に連れられて、白稲葉は結局、駅から少し離れたファミレスに入店した。
席に着き、注文をした。
最近はタッチパネルとロボットが導入されている。
分かりやすい人件費の削減である。
注文を終え、井津々井はドリンクバーで飲み物を入れ終えた。
場に静寂が訪れた。
ほんの数コンマ零秒以下ではあるけれど、それは永遠のように長い静寂であった。
何も話さなければ、
会話を始めなければ、
それが、井津々井啄木鳥という女である。
「しかしすごいよね、友人伝いで聞いたけれど――会社で評価されて、昇進するんだって」
「え? ああ、うん。そうだよ! なんだ、知ってたんだー」
「まあね」
井津々井啄木鳥の虚言癖について、白稲葉が看破したのは、大学時代のことである。
他学部と混合の講義となる英語の講義で、一際目立ったリーダー格の者として、井津々井は存在していた。
彼女は文学部、英語コミュニケーション学科卒である。
そして白稲葉は、物事や人物に対して常に一歩引いて見る立場の人間である。
友達は量より質だと考える。
故に、井津々井のような人間とは、積極的にコミュニ―ションを取るというようなことはしなかったのだが――英語のグループワークで一緒になってから、何となく縁が繋がっていた。少なくとも、学内で会ったら挨拶する程度には。まあ白稲葉にとっては、繋がって「しまった」と表現する他ないのだが。
そんなやり取りをするうちに、白稲葉は彼女の立ち位置を理解したのだった。他の友人とて莫迦ではない。彼女の虚言癖――というか登山(マウント)癖に気付き、距離を取り始めていた者もいた。
そんな中で、白稲葉は井津々井との交友を継続していた数少ない者の一人である。
だから、懐かれた――と。
白稲葉は分析している。
「小説の参考、ねー。私なんて参考にならないと思うよー。私なんて、ほら、どこにでもいる普通の会社員だし?」
そう言って、井津々井はほんの少しだけ口角を上げる。
謙虚さを気取っていると、白稲葉は見抜いた。
(続)
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