5

 *


「どうでした、白稲葉先生。久々の取材は」


「取材という程じゃないさ。何か創作の参考になればと思って、昔の友人と久闊を叙してみたというだけの話だよ。それをそのまま創作にしようとすれば、それこそ個人情報の漏洩ろうえいにも繋がる」


「でも、価値はあったんでしょう、だからこそ、私との打ち合わせを快諾した」


「――君は本当に論理的に組み立てるのが上手いなあ。いや、実際そうだよ、意味はあった」



 そう言って、白稲葉は背もたれから起き上がった。


 白稲葉苗代は、小説家である――ことは、殊更今になって強調することではない。

 職業小説家であるということは、つまり担当編集が付いていることでもある。


 彼の担当編集は、奏譚社第二出版部所属、地引じびき依鳥よりどり女史である。


 白稲葉は、次の小説の主題について、考えあぐねていた。


 そんな中、書店を見てみた時、そこに「生きづらさ」がありありと印字されていることを感じたのである。これは、白稲葉の特技のようなものである。小説の棚、タイトル、帯、その文言から、共通点を探る。探偵が事件に惹き付けられるように、白稲葉にとっての小説家としての能力、といって差し支えない。


「生きづらさ」。


 生存に支障があり、それが苦になるということ。


 それが今の流行なのかもしれない。


 そう思い、いくつか小説を執筆してみた。


 しかし地引編集の反応は、かんばしくなかった。


「悪くはないんです。悪くはないんですけれど、どうしても視点が『強者』の目線なんですよね」


 地引は率直にそう言った。


 こういう時、彼女の表現は容赦がない。


 そういう所はありがたいと、白稲葉は思う。


「実際、生活保護を受給するにあたっての経緯が書かれているものの、それに対する負い目だとか、苦悩だとかは、描写されていませんよね。もし先生が、昨今の『生きづらさ』の小説に迎合されるのだとしたら、その辺りをより綿密に書く必要があると思います。これでは、ただの探偵小説になってしまっている。自己不全を先に立たせねばいけないのではないかな、と思いますよ」


 という意見を頂戴した。


 成程確かにその通りである。


 そう思った白稲葉は、周囲の「生きづら」そうな者に連絡を取り、情報を収集することにした。


 勿論、「君は『生きづら』そうだから、是非小説の参考にしたい」などとは口に酸味が帯びても言えるわけはない。


 それとなく声を掛けると、しかしそういう者達は、こぞって誘いに乗って来る。


 救済を求めているのかは分からない。


 それは、白稲葉が関知するところではない。


 そのうちの一人目が、根石盤希という男だったのだ。


「でも、一人目にしては、衝撃ダメージ大きかったんじゃないですか、先生」


「どういうことだい」


「そのままの意味ですよ、その方と先生とは、親友だったのでしょう?」


 不思議そうに、地引は言った。


「少なくともその会合で、交友関係にひびが入ってしまったのではないですか」


「いやいやまさか」


 白稲葉は続けた。


。僕は自分にそこまでの価値があるとは思っていない。きっと根石のことだ、僕との話なんて忘れて、今頃きっと小説を書いているよ」


「……成程」


 地引は、考えた。


「自己評価が低い、というより、他己評価が高すぎる、と――そういうことですか。だからこそ、あなたは根石盤希を傷付けようとも、何ともない、何も思わない。相手に当然の期待と重きを置いているから、その重責で相手を圧し潰そうとも、意に介さない。それは自分じゃないから。そういう訳ですか、白稲葉先生」


「ん、何か言ったかい」


「……いえいえ、何も」


 地引は指摘しようとして、止めた。


 このままの方が、良いと考えたからである。


 小説のために、作品のために。


 地引依鳥は、そういう編集である。


「でも良かったですよ、最初でつまづくと、後が怖いですからね。これからも取材、頑張って下さい。先生の渾身の新作を、期待してます」


「ああ、ありがとう。精進するよ」


 白稲葉はそう言って、笑った。

 

 *


 その後。


 根石盤希は、衝動的に自宅の壁に頭を何度も叩きつけ、脳溢血を起こした。


 その音を不審に思った近隣住民の通報で、彼は緊急入院した。


 手を尽くされたものの、しばらくして死亡が確認された。


 自宅のアパートからは大量の未完の原稿が見つかるものの、一つとして、完結した物語は存在していなかったと捜査関係者は言うが――。

 

 それは、関係のない話である。




(第1話「失調」――了)

(続)

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