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*
「どうでした、白稲葉先生。久々の取材は」
「取材という程じゃないさ。何か創作の参考になればと思って、昔の友人と久闊を叙してみたというだけの話だよ。それをそのまま創作にしようとすれば、それこそ個人情報の
「でも、価値はあったんでしょう、だからこそ、私との打ち合わせを快諾した」
「――君は本当に論理的に組み立てるのが上手いなあ。いや、実際そうだよ、意味はあった」
そう言って、白稲葉は背もたれから起き上がった。
白稲葉苗代は、小説家である――ことは、殊更今になって強調することではない。
職業小説家であるということは、つまり担当編集が付いていることでもある。
彼の担当編集は、奏譚社第二出版部所属、
白稲葉は、次の小説の主題について、考えあぐねていた。
そんな中、書店を見てみた時、そこに「生きづらさ」がありありと印字されていることを感じたのである。これは、白稲葉の特技のようなものである。小説の棚、タイトル、帯、その文言から、共通点を探る。探偵が事件に惹き付けられるように、白稲葉にとっての小説家としての能力、といって差し支えない。
「生きづらさ」。
生存に支障があり、それが苦になるということ。
それが今の流行なのかもしれない。
そう思い、
しかし地引編集の反応は、
「悪くはないんです。悪くはないんですけれど、どうしても視点が『強者』の目線なんですよね」
地引は率直にそう言った。
こういう時、彼女の表現は容赦がない。
そういう所はありがたいと、白稲葉は思う。
「実際、生活保護を受給するにあたっての経緯が書かれているものの、それに対する負い目だとか、苦悩だとかは、描写されていませんよね。もし先生が、昨今の『生きづらさ』の小説に迎合されるのだとしたら、その辺りをより綿密に書く必要があると思います。これでは、ただの探偵小説になってしまっている。自己不全を先に立たせねばいけないのではないかな、と思いますよ」
という意見を頂戴した。
成程確かにその通りである。
そう思った白稲葉は、周囲の「生きづら」そうな者に連絡を取り、情報を収集することにした。
勿論、「君は『生きづら』そうだから、是非小説の参考にしたい」などとは口に酸味が帯びても言えるわけはない。
それとなく声を掛けると、しかしそういう者達は、こぞって誘いに乗って来る。
救済を求めているのかは分からない。
それは、白稲葉が関知するところではない。
そのうちの一人目が、根石盤希という男だったのだ。
「でも、一人目にしては、
「どういうことだい」
「そのままの意味ですよ、その方と先生とは、親友だったのでしょう?」
不思議そうに、地引は言った。
「少なくともその会合で、交友関係に
「いやいやまさか」
白稲葉は続けた。
「僕程度の零細小説家が何を言ったところで、根石には響かないよ。僕は自分にそこまでの価値があるとは思っていない。きっと根石のことだ、僕との話なんて忘れて、今頃きっと小説を書いているよ」
「……成程」
地引は、考えた。
「自己評価が低い、というより、他己評価が高すぎる、と――そういうことですか。だからこそ、あなたは根石盤希を傷付けようとも、何ともない、何も思わない。相手に当然の期待と重きを置いているから、その重責で相手を圧し潰そうとも、意に介さない。それは自分じゃないから。そういう訳ですか、白稲葉先生」
「ん、何か言ったかい」
「……いえいえ、何も」
地引は指摘しようとして、止めた。
このままの方が、良いと考えたからである。
小説のために、作品のために。
地引依鳥は、そういう編集である。
「でも良かったですよ、最初で
「ああ、ありがとう。精進するよ」
白稲葉はそう言って、笑った。
*
その後。
根石盤希は、衝動的に自宅の壁に頭を何度も叩きつけ、脳溢血を起こした。
その音を不審に思った近隣住民の通報で、彼は緊急入院した。
手を尽くされたものの、しばらくして死亡が確認された。
自宅のアパートからは大量の未完の原稿が見つかるものの、一つとして、完結した物語は存在していなかったと捜査関係者は言うが――。
それは、関係のない話である。
(第1話「失調」――了)
(続)
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