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 待ち合わせ時間から5分ほど過ぎたところに、その男はするりと現れた。


「久しぶりだね、根石ねいし君」


「そちらこそ、久しいじゃないか。きた――いや、白稲葉先生と呼ぶべきかな」


「どちらでも良いさ」


「そうかい、済まないな、少し遅れてしまった」


「気にするな、僕と君と仲だ」


 あらかじめ予約しておいた店に入った。


 大学時代、良く通っていた居酒屋である。そそくさと注文を済ませ、白稲葉と根石はジョッキを鳴らした。


 白稲葉は麦酒ビール、根石は烏龍ウーロン茶である。


 デーの音が出た。


「それより根石君、元気かい?」


「ああ、まずまずってところだよ」


「そうか――いやね、君のエックスでの投稿ポストを見ると、どうも普通に元気だとは思えないのだよ。今は平気そうにしているけれど、一人になるとどうなるのだろうか、とかね」


「ああ――そりゃ、申し訳ない限りだよ」


 辟易へきえきしたように、根石は肩をすくめた。


 というのも、根石はⅩにて、自殺をほのめかす投稿ポストを何度か行っているのである。


 いわく、


 ――生きていて良いのだろうか。


 ――社会不適合者の自分は、死んだ方が良いのではないだろうか。


 ――自分は社会のお荷物だ、死ぬしかない。


 ――自分なんてさっさと死ねば良いんだ。


 ――社不でデブで無職の自分に、生きている価値はない。


 ――眼が覚めたら死んでいれば良いのに、と思う。


 ――無理に社会に出て、誰かに迷惑をかける前に、誰かを傷付ける前に、死ななければならないんじゃないか。


 ――生きている意味が分からない。


 ――死ななければいけないと毎日言い聞かせて生きている。


 等々などなどである。


 勿論それは百人に満たない彼の友人限定公開のものであり、所謂いわゆる鍵アカウントによる投稿ポストである。「いいね」を押して後押ししてしまう訳にもいかず、どうしようかこうしようかと迷った末、白稲葉は今回の飲み会を企画した。


 根石と白稲葉とは、大学時代の友人である。形骸けいがい大学文学部国文学科の一年次の入門ゼミにて、隣の席になった。初めは趣味の小説の話が合い、お互い小説家を目指していることが分かり、切磋琢磨し合える、そんな同志であった。


「いや、君が元気なら良いんだけれどね――心配してしまうんだよ。だから、何か力になれることはないか――と思ってさ」


「済まない。そこまで俺が人から心配されているとは、思っていなかった」


 根石は、自己肯定感というか、自己評価が低い。


 学生時代からそれは変わっていなかった。


 異常に高いハードルを己に課し、それを満たせなかった己に対し、手厳しい罵詈雑言を浴びせていた。


 正直白稲葉も、先に小説家になるのは、根石の方だと思っていた。


 それくらいの、熱意がある者だったからだ。


「いきなり穿ったような質問をしてしまって申し訳ないが、教員の仕事の方は、辞めたのかい?」


 根石は、教職課程を履修し、高等学校と中学校の国語科教員免許を有している。


 教職課程は、元々国文学科のカリキュラム外の、教育学部の講義を履修する必要があるため、卒業単位数には含まれない。


 ついでに、介護等体験、教育実習などの必要に応じた外部とのやり取りも行わねばならない。


 故に、教職課程を履修する者は、他の者よりもかなりの労力を要する。


 白稲葉も一年次は履修していたけれど、途中で脱落した。


 気安く取得できるようなものではないと知っている。


 教職課程と、国文学部の学科の講義と、そして小説。


 その三つを両立していた根石を、白稲葉は尊敬していた。


 自分には、絶対にできないことだから。


 だから、白稲葉は当時、驚いた。


 根石が、教員採用試験に落ちたこと。


 自分が、根石より先に小説家になったこと。


 それは謙遜でも何でもなく――驚嘆であった。


 根石ならできてしまうと思っていたし、何なら、そんな両道の根石に嫉妬心すら抱いていたのだから。


「ああ、辞めたよ」


 淡々と、根石は続けた。


「続けられなかった――ちょっとプライベートの方で、色々あってね。それが遠因だか原因で、精神を病んでしまってね。再び就けるには、まだ時間が掛かりそうだ」


「そう――なのか」


 プライベートの方。


 根石のコミュニティは、大抵が白稲葉とかぶっている。お互いサークルにも所属せず、無類の本好きとして学部内に居たのだから、それは似通うものだ。


 白稲葉は頭を巡らせた。


 確か交際相手は、大学卒業時点ではいなかったはず――である。


「あはは、付き合ってる人はいないよ」


 白稲葉の心を読むように、根石は言った。


「良く分かったね、僕の考えていることが」


「まあな。大学四年間を共に過ごしたんだ、それくらいは分かるさ」


「そうか――」


 交際相手、ではない。


 ならば、何なのだろう。


 白稲葉は、思索を巡らせる。


 それが無遠慮だと分かっていながらも、そうせざるを得ない。


「仕事を辞めて、今は、どうしているんだい」


「ああ。週に一度、訪問看護の看護師が来るようになっていて、あと、二週に一度かな、最寄りの心療内科に通院しているよ。障害者手帳も、交付されている――今ここに来るのも、ヘルプマークと、このヘッドホンを付けて、外部からの刺激を極力遮断することで何とかできている」


「そう、だったのか。いや、済まない。無理に足労を掛けてしまって」


「いやいや。久しぶりの飲みさ、無理はしていないよ」


 そう言って、根石は笑った。


 ほんの少し、いびつな笑みだった。


 笑顔――も、普段はあまり浮かべていないのだろうな、と思った。




(続)

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