精神感冒 淡雪

小狸

第1話「失調」

1

 暦の上では春であるが、寒い日が続いている。


 今年は寒冬だった。


 こうなると、着るものが分からなくなる。


 それは何を着ると身体に調子が良いのか、ではない。


 何を着れば周囲から浮かなくなるか、である。


 気付けば自分ではなく、他人との比較をしてしまう。


 皆やっているから、皆そうだから。


 集団心理である。


 そんな良く分からないものに流されたくはない。


 それくらいの抵抗心は、彼にもあるのである。


 これはいけないと、一旦家から出、外気を確認してから、服を選んだ。


 彼は服選びも苦手なのだ。


 というか、元々服をあまり持っていない。


 一季ワンシーズンで二、三着、値段の張らぬ服を着回して、それを捨てるという周期を送っている。


 別段誰かに見せるようなものでもなし、それを指摘するような者もいない。ただ、服装に無頓着であると思われるのは何かしゃくなので、ある程度きちんとしたメーカーの服を選ぶようにはしている。


 彼――白稲葉しろいなば苗代なわしろは、小説家である。


 本名は非公開であるため、ここでは白稲葉と表記する。


 小説を書くということを生業なりわいとしており、主に奏譚そうたん社にて小説を出版している。


 そんな彼が、外出時、目立たぬように服を選ぶというのは、何だか滑稽である。


 何より久方ぶりの、きちんとした外出である――下手な服は選べない。

 箪笥たんすの中に整頓された服の中から、一つを取り出して、それを着た。


 きちんとした外出、というのはそもそも何なのか、という話である。


 外出時は必ずといって良いほどに他人と遭遇する、いやさ、すれ違う、他人の視界に入る。


 公序良俗に反しない程度の格好をすることが求められている。これは法律とかルールとかそういうもの以前の話である。


 白稲葉には、それがとても気になることがある。


 そして言い聞かせる。


 自分は、正常である、と。


 何をもって正常とするのかは令和れいわの「多様性」を殊更ことさらに主張するこの昨今、多種なところはあるが、その大きな要因は、「自分が自分を正常だと思うかどうか」だと、白稲葉は思っている。


 正常。常に正しい。


 正しさという言葉と相対する時、白稲葉は、閉口しがちである。


 先程も記述したが、令和の世となった今、多様性という言葉を筆頭に、多くの「正しさ」が認められるようになった。


 それはとても良いことだと、白稲葉は思う。


 ただ同時に、危機感も覚えている。 


 正しさがあるということは、必然的に「正しくなさ」が存在するということだからである。


 これこれこういう風なのが正しい、ということを、白稲葉は時に「境界を作る」という風に表現している。


 そう定義するということは、畢竟ひっきょう、その境界からはみ出た者、その境界内に実存し続けられなかった者は、境界からはじかれることになる。


 それは――いやである。


 と。


 基本的に世の面倒事には無干渉を貫く白稲葉にしては珍しく、そう思っている。


 勿論もちろん、こちらから「これは正しいんだからこうしなさい」と押し付けることはしない。


 そんなことをすれば、間違いなく「正しさを押し付けるといういびつさ」を持った人間となってしまうから。


 そんな「生きやすさ」というか「生きるための力」を、白稲葉はきちんと教育されてきた。


 しこうして、これは。


 そんな白稲葉とは、ねじれの位置に存在する者達の物語である。




(続)

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2024年9月24日 18:00
2024年9月25日 18:00
2024年9月26日 18:00

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