第16話 夜の世界
夏休みのとある一日、石川陽菜から召集のメッセージが飛んできた。
相変わらず予定/Zeroな俺は、それに応えるつもりだったが、予想外な集合時間に眉をひそめた。
指定された時間は日没後。夜の八時だった。そして気になる内容は、「ナイトプールに行くから水着持参」とのこと。これには流石の俺も冷静さを欠いてしまう。
ツッコまなければならないことが色々とある。
集合時間が遅いのは、ナイトプールへ向かうとあらば納得がいく。しかし、そもそも『ナイトプールに行くってなんだ?』『高校生だけでナイトプールに入場できるのか?』という疑問。なんならナイトプールは高そうなイメージだ。陽菜がいくらアルバイトで稼いでいるからと言って、おいそれと遊びに行けるところなのだろうか。
ともあれ、メッセージだけでやりとりをしても真意を探れそうになかったので、ひとまず集合場所まで向かうことにした。もし問題があるようであれば、その場で解散したってかまわない。
夕食後、そそくさと家を出ていく姿を親に見られ、「どこに行くのか?」と怪しまれたので「日を跨ぐ前には帰る」とだけ言うと「そう、気を付けていってらっしゃい」と引き留められることはしなかった。両親はどちらかと言うと俺には放任主義だ。妹に対しては過保護なので、俺と同じことをしようものなら意地でも玄関を通さなかっただろう。
連絡が来てから、いったいどこのナイトプールに行くのだろうとあれこれ検索してみたが、どこも俺には場違いな場所ばかりだった。せいぜい混ざれるのは遊園地のプールで行われるナイトプールイベントくらいだろう。
一番不思議なのは集合場所が普段通っている学校であることだ。電車で数駅先にナイトプールがあるっぽいが、だとしても駅で集合が最適ではないか? と訝しみながらも歩き慣れた通学路を進んだ。
すっかり日が暮れ、あたりは暗くなっている。
道路を照らす街灯。時折通り抜けていく数台の車。
知っているはずの光景がいつもと違って見える。暗闇の中を歩く恐怖はさほど感じられない。幼い頃は、追いかけてくる自分の足音にさえ怖がっていたというのに。
首から下げていたYashica MF‐2 superを手に取り、フィルムチャージする。ファインダーを覗くが、周囲を照らすのは街灯くらいのもので、上手く撮れる保証はなかった。あとは焚かれるフラッシュ次第だ。
それはそれで構わないとシャッターを押し、写真を撮る。どう撮れているのか、すぐに確かめられないのもフィルムカメラの醍醐味だ。嘘、すぐに確認できた方がいいに決まっている。
「こんなことしてる場合じゃないか」
立ち止まった足を動かし、学校へ続く道を歩く。
念のため、スマホを取り出して現時刻を確認しておいた。どれだけ掛かるか、嫌と言うほど体に染みついているが、普段と環境が違う。雨の日は気持ち時間が掛かってしまうのと同じだ。
夜道は早足になってしまうらしく、思っていたよりも時間が掛かっていなかった。
早く到着してしまうことに問題はないので、ペースを変えることなく気の向くままに学校を目指した。
「おっ、今日は早いね~」
集合時間五分前に到着すると、俺に気づいた陽菜が手をひらひらとさせて声を掛けてきた。思い返せば、これまで同着こそあれど、陽菜より先に着いていたことがなかった気がする。なに? 俺が悪いの? デートで男が相手を待たせるなって言うけど、そもそもデートじゃないが? よし、俺は悪くない。
「おう」
陽菜の恰好は真っ白なワンピースで、あたりが暗くてもはっきりとその輪郭を確認することができた。
「それで、ナイトプールなのに集合が学校なんだ?」
開口一番とはいかなかったが、ここまで温めておいた疑問をぶつける。
「プールあるから」
「ん? 学校のプール使うのか?」
「うん」
疑問を解消しようとしたら、新たな謎が生まれてしまった。もっと言えば、陽菜が至極当然のことだとばかりに言うものだから、自分の常識から疑う羽目になる。
「許可を取ってるとか?」
「何言ってんの、出るわけないじゃん」
「だよな」
淡い期待はバッサリと切り捨てられる。
「なら学校じゃなくてもよくないか?」
「う~ん。色々検討したんだけど、ナイトプールってそもそも高校生が入れないところばかりだし、高校生が利用できる場所なんてたかが知れてるからね。それなら、学校が一番良さそうってなったわけだよ」
自分なりに考えての結論だと、陽菜は自信ありげに語った。
「その結果がナイトプールならぬ、単なる夜のプールじゃねえか」
「いいじゃん。そんなに変わらないって」
「そうか?」
無理があるだろ、と首を傾げてしまう。
ナイトプールはあちこちに淡い光が設置されていて、いかがわしい雰囲気を演出していると思うんだが。学校で光らせられるものは、グラウンドに設置されているナイター照明くらいだ。
「細かいことは気にしないでさ、行くよ」
「校門は閉まってるけどな」
「こんなの、よじ登ればいいじゃん」
「そま?」
うちの高校はスライド式の門扉で、高さ自体大したことはない。有刺鉄線が上に敷かれているわけじゃないし、監視カメラが設置されているわけでもない。その気になれば乗り越えられるのは事実だ。
ガバガバな警備体制なのが悪いのは確かだが、そこを突いて悪さを働こうという俺たちの方がよっぽど悪と言える。
内なる自分にこの行いの善悪を問うている間に、陽菜は門扉をロッククライムの如く、上り出していた。ダイアモンドパールもびっくり、お前ビーダルかよ。きっとなみのりもできちゃうんだろうな~。陽キャだし。良い波乗ってんね。
あっさり登頂してしまった陽菜は、俺を急かすように手招きする。
高くはないと言ったが、門扉なだけはあり、高跳びで超えられる高さをゆうに超えている。そんな高さで、しかも着ているのがワンピースとあらば、中が覗けてしまうのではないかとドギマギしてしまう。しかし残念、あたりが暗くて何も見えませんでした。
「高瀬くんも早くっ」
「ええ~……」
共犯の誘い。
俺はこれまで模範的な学生でやってき……てないな。いつも一人で過ごしている奴がお手本とは決して言えない。問題行動ではないけれど。
ここで陽菜の誘いに乗れば、責任逃れはできなくなる。咄嗟に脳内で想定されたリスクは軽いお咎めで反省文から、最悪の場合退学まで。得られるリターンと比べれば、随分重たいリスクに感じられる。
「どうなっても知らないからな」
それは陽菜だけでなく、同時に自分にもかけた言葉だった。
凹凸を足場に見立てて門扉をよじ登り、向こう側に飛び降りる。着地はなるべく音を立てないように膝をクッションにする。念のため、周囲を確認し、誰かに見られていないか用心しておいた。
先に下りて待っていた陽菜は、俺の不安を案じて口を開く。
「万が一の時は私が泣いて謝るから」
「何言ってんだ。俺も一緒に謝るよ」
「頼もしいね」
陽菜はへへっと微笑した。
沈黙も束の間、俺たちは自然と身体をプールのある方へ向けて歩き出していた。
道すがら、唐突に陽菜がこちらを見て質問する。
「そういえば、高瀬くんプール使ったことないよね?」
「男子は授業に水泳ないからな」
本校のカリキュラムでは、男子の保健体育に水泳は用意されていない。授業でプールを使うのは女子だけだ。この男女差別をなくそうって時代によくもまぁそんなカリキュラムを継続できているのかはさておき、他にプールを利用する機会があるのは水泳部くらいだ。ちなみに水泳部は女子だけで、男子部は存在しない。故に体験入部などで見学さえしたことないので、うちの学校がどんなプールをしているのかさっぱりわからない。
「だよね。じゃあ今日が初プールだ」
「そういうことになるな」
「女子が使ったあとで出汁がしっかり採れた特製プールだよ。ご堪能あれ」
「実態は塩素にまみれた消毒プールだけど」
「夢がないな~」
「逆に今ので俺が喜んで見せたらどんな反応するんだよ」
「ひく」
「俺の心に容赦ないな」
「ううん。自転車でひく」
「心身ともにズタボロじゃねえか」
「うそうそ、高瀬くんもちゃんと男の子なんだなぁ、って思うだけだよ」
「そんなの見ればわかるだろ」
「わかんないよ」
「トランスジェンダーかなにかと思われてる?」
あまりに奇天烈な応答ばかりするので、何を考えているんだと陽菜の顔を窺う。
するといつも見せる明るい表情は寂しげに曇っていた。その後、続いた陽菜の声音は曇天のように起伏なくのっぺりとしていた。
「そうじゃなくて、男子と二人きりでいるとさ、わりとすぐに告られるんだよね。迷惑じゃないし、嬉しいんだけど、その気持ちには応えられないからさ。だから最近はそういうの避けるようにしてて」
「俺は男子って判定じゃないわけだ」
「こんなことを言うのはなんだけど、高瀬くんだし。そんな勇気なさそうっていうか……」
「概ね間違ってないから返す言葉もないな。でも、俺がもし無謀な人間だったらどうするんだよ」
勇気と無謀は違うとどこかで聞いたことがある。その二つはどこか似ていて、結果として起こる事象にあまり違いはない。
「その時はその時だよ。あ、言っておくけど今の牽制だからね」
「ありがたい牽制だ。ついうっかり勘違いして告白して振られるところだったわ」
俺が陽菜に告白する未来。それを想像したことがないわけじゃない。きっと今の関係が続いて、牽制されていなかったら、いずれ告白していただろう。そして振られていた。実際に今、間接的に振られたのだ。少しだけ胸が痛い。
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