悪魔の行方⑵



「し、執事長!?……どうしたんですか!?お顔が真っ青です!!お、お医者様……は、さっき追い出したんだった!……と、とにかく他の方を呼びますね!?」



 ちょっとした、"仕返し"のつもりだった。

 ううん、と……まずいことになったぞ?


 エドワードの背中が、じっとりした汗で濡れていく。



「……お、お、おおおおい!……"フラム君"、この病院、誰の紹介だって!?なんでこんなことになってる!?」



 エドワードは被っていた布団を蹴り上げ、その勢いで身体を起こした。それから、ベッドから出てすっくと立ち上がった途端、バランスが取れなくなり、硬い床に倒れた。ドン、と鈍い音がする。



「し、執事長〜〜〜ッ!?!?」


「いたい……いや、"フラム君"!悪いが着替えを持ってきてくれ。今すぐご挨拶に……ぐふっ……」


「わ、わ〜〜〜!?執事長が死にそう!?病院!病院に行かないと!?……あ、ここが病院だった!……お医者様は、追い出したんだった!かくなるうえはそこのヤブ医者!まだ残ってたら、な、なんでもいいから手を貸してください!!」



 フラミニアが叫ぶと、バタンと勢いよく扉が開かれた。

 扉を開いたのはもちろん須藤で、目前の景色に絶句した。


 蹴飛ばされて床に落ちた布団。

 妙な体勢で倒れているエドワード。

 そのそばで小型銃を握りしめているフラミニア。

 無能な探偵なら、フラミニアがエドワードを銃で撃ち殺したという推理ができそうな混沌した状況に、須藤は頭を抱えた。



「な、何してんの、もう……」



 須藤は倒れているエドワードに近づいた。

 それから何を思ったのか、そばに居たフラミニアにエドワードの体勢を仰向けにするよう指示をした。

 フラミニアは須藤に指示されたことに少しムッとなったが、何か医療的な指示かと思い、素直に従った。


 ゴロンと、エドワードの体勢が仰向けになる。

 エドワードの視界には再び見慣れない天井が映った。すると再び、視界の左半分が暗いことが気になって、自らの手で左目に触れた。なにか、ガーゼのようなもので覆われていることを確認していると、その手へそっと誰かの手が触れた。


 遮られていない右目で手の持ち主を見ると、それは須藤だった。彼はエドワードの手に触れながら静かに目を閉じていた。しばらくして、須藤はゆっくりと目を開く。


 紫色の宝石のように煌めくその瞳は相変わらず──かつての記憶と同じように恐ろしいような気持ちをエドワードに思い出させた。


 須藤は「ああ……」と何か言葉を紡ごうとしたが、すぐに口を閉じた。代わりに、エドワードの記憶には久しい微笑みを向けた。



「な、なんなんだ……?先生、あんたなんか気味悪いぞ……?」


「……執事長のおっしゃるとおりです!緊急時だから近づくことを許可しましたが、どういうつもりですか!」



 エドワードとフラミニアに言われると、須藤はエドワードの手に触れていた自分の手を引っ込めた。

 それからエドワードの背に手を入れて身体を起こしてから問うた。



「……えっと。エドワード君、自分で立てる?」


「な、なんか言えよ。人に気味悪いって言われてんだぞ。何事もなかったようにスルーすんな、受け入れるな、反論待ちで言ってんだ、オレは!」


「ああ……そうなんだね。うん、おじさんもエドワード君の言うとおりだと思うからそれでいい。……で、自分で立てる?君、まだ聞かされてないと思うけど、5ヶ月眠ってたんだから」


「……5ヶ月?ほとんど半年じゃないか!?」


「そう、5ヶ月。ほとんど半年ね。おじさんのこと信じられないなら、彼女に聞いてみなよ」



 エドワードはフラミニアに視線を向けた。

 一方で、フラミニアは、うん、うんと大きく頷いた。



「何ッにもわからん!どうなってる?」


「うーん、記憶障害あるものの、意識はかなりしっかりしていて、ある程度動くこともできるっと……いやほんと、なんか凄いよ。エドワード君、そもそも目を覚ますこと自体が"お星様も驚くほどの奇跡"なんだから」


「……星?」



 エドワードは、特に気になった"星"という単語を聞き返した。

 しかし、一体どうしてそんな一般的な単語を聞き返したのか、自身でもよくわからなかった。


 ただ、その返しに須藤はぴくりと反応した。

 やがて取り繕うように「とにかくベッドに戻ろうね」と言ってから、エドワードを軽々と横抱きにして立ち上がった。



「お、おい!!自分で立てるっつーの!!」


「はいはい、静かにして!ここは病院で、君は病人だからね」



 須藤はエドワードを抱き上げて一歩、二歩進むと、間も無くエドワードをベッドに寝かせた。それから蹴飛ばされて床に敷かれることになった掛け布団を拾い上げて寝かせたエドワードに被せようとしたところ、すでにエドワードはヘッドボードに寄りかかって身体を起こし、腕を組んで須藤を睨みつけていた。


 向けられた鋭い視線に対し、須藤は肩をすくめ、拾い上げた布団は半分になるように畳んで、エドワードの膝にかけた。



「はあ、どーも。すみませんね、5ヶ月も色々ご迷惑をかけましたようで」



 仏頂面ではあったが、とりあえずエドワードは礼を言った。

 それからフラミニアをそばに呼びつけ、須藤の現在について誤解がある旨を説明し、改めて礼を尽くすよう言った。



「……そ、そういうこと、ですか!?完璧に説明を忘れてた執事長が悪いじゃないですか!!あ……も、申し訳ありません、須藤様!こちらが助けていただいたご恩も忘れて、大変なご無礼を……!」



 フラミニアは須藤に対し、深く深く礼をした。



「……い、いや、いいよ。元はと言えば噂を広めた──いや、噂を広められる原因がおじさんにあるわけだし。今日、お互いに分かり合えたってことで良しとしようか。あ、あと、あんまり、ヒトに頭下げられるの好きじゃないから、その辺にしとこう?」



 須藤はフラミニアに顔を上げること、それからベッドの傍らにある椅子に腰掛けるよう促した。

 フラミニアが腰掛けたことを確認すると、須藤は部屋の中心まで移動して、足をそろえ、右手で左胸へ手を当てながら深々と礼をしてから、さらに続けた。



「では、改めましてご挨拶を。私はシエント帝国軍 軍医の須藤 文(すどう ひとし) です。此度はシエント帝国軍 元帥の命(めい)のもと、ギルディア行政長官殿に対する緊急治療措置と術後の経過観察を行なっておりました。……行政長官殿におかれましては、その御身が回復なさったことをお喜び申し上げます」



 須藤は口上を述べると再び深々と礼をした。

 礼を尽くされたら返すのがエドワードにとって当然である。身体に染みついたその当然が、エドワードの身体をベッド中から出て礼をつくせと命令した。

 命令のとおり、エドワードはベッドから出ようとしたが、「いいから、いいですから!」と、フラミニアと須藤両人から止められた。


 止められてはやむをえず、エドワードはベッドに座ったまま背筋を正し、深く頭を下げたまま言葉を述べた。



「せっかくご挨拶いただきましたのにこちらも返せないことを大変恐縮に思います。座しながらの挨拶にて失礼を致します。……須藤軍医、此度はこの私の身をお救いくださったようで、まずは謝辞を述べさせてください。ありがとうございました」


「──このあとすぐにヨハネス元帥にもご挨拶に伺いたいと思いますが……その前に、失礼があってはいけませんので、重ねて恐縮ですが、私めが眠っていた間の状態をお話しいただけますでしょうか?」


「ああ……あいにく、元帥は終日予定が入っております。今日は1ヶ月後に控えている祭事の下見と打ち合わせ中でして、明日以降も時間が取れるかどうか……」


「あれ、もしかして"観兵式"の時期ですか。……入院して、半年というと、そうですよね。ああ"フラム君"、やっぱり日程調整しないと!オレの手帳は──」



 そばにいるフラミニアへ、エドワードは視線を送った。

 一方、フラミニアはそんなエドワードに対し鋭い視線を向け、「執事長」と一言呼んでからさらに続けた。



「執事長、シエント帝国観兵式への出席はできません。今のギルディア政府にそのような余裕はありません。すでに藤原様から断りの連絡を入れています」


「は?断った?……いや、オレなら別に問題ない。今はこんなだが、もう少し休めば大丈夫なんだろ。なあ、須藤先生!」



 フラミニアの言葉に反対し、須藤に問いかけたその時、エドワードの頭がずきりと痛んだ。

 左目の奥が疼き、静かな病院の中であるはずなのに、さまざまな人の悲鳴、怒号が飛び交っている。

 突然の痛みと謎の幻聴に苛まれエドワードは両手で左目を押さえながら「うう……」とうめき、悶えた。


 そんなエドワードの背中をフラミニアがさする。そして二人の姿を見ていた須藤は、フラミニアに対して言葉を投げた。



「……この状態で、すべての説明をしてもよろしいのですか。正直、今の彼には酷すぎると思いますし、医師としてもあまりお勧めしたくないのですが」


「私たちが伝えなかったら、この人は自分で事実を知りに行きます。その方が危険だと思いますから、今、私の口からも合わせてお伝えします」


「……わかりました。出だしはお任せします。私にできるのは、医者としての見解を述べるだけですから」



 須藤の返答にフラミニアは頷きを返した。

 それからエドワードに対して、再び声をかけた。



「執事長。そもそも貴方がこの病院に入院することになったきっかけ──貴方が倒れたときの出来事を覚えていらっしゃいますか?」


「何……、きっかけ?」


「そうです。先までのお話しを聞いている限り、記憶が全部抜けてしまっているわけではないように思われます。シエント帝国観兵式の時期とか、そういう他国の重要な催し事もきちんと覚えていらっしゃいますから、だから、思い出せるはずなのです」



 エドワードはしばし黙った。

 それからフラミニアの言葉を聞いて少し冷静になり、早速、記憶を呼び起こしてみると、存外簡単に、さらには鮮明な映像として、頭の中に残っている記憶があった。



「……鏡を、貸してもらえるか」



 左目を覆っているものに触れながらフラミニアへ依頼すると、彼女はまもなく病室に置いていたエドワードの荷物から、身だしなみ用の手鏡を手渡した。


 小さな手鏡に映る自身の顔を、エドワードはまじまじと見つめた。左目を覆っているのは白いガーゼ。そんな姿を見ていると医療用テープの接着面がむずむずと痒くなってきて、人差し指でかりかりと引っ掻いた。



「こら、外しちゃ駄目ですよ」



 テープを剥がそうとしたことに、すかさず須藤の注意が入る。注意をしたあと、須藤はゆっくりと説明を始めた。


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