後編

悪魔の行方⑴



 とある一室にて、エドワードは目を覚ました。

 見たことのない天井、自分の鼓動と同じタイミングで鳴る無機質な機械音、それから強く強く誰かに手を握られている感覚など──寝起きのぼうっとする頭で、何がどうなっているのかを整理した。


 結果、何もまとまらなかった。

 視界の左半分が暗く遮られていたり、遠くから響くドン、ドンという音が聞こえたりと、次々新しい情報が飛び込んで来てしまうためだった。



「シャンドレット王陛下……」



 誰かに強く握られている右手を今できる限りの力で握り返し、エドワードは静かに敬愛する王の名を呟いた。



「あ……!執事長……!」



 そんなエドワードの視界に、新たな情報が入り込む。

 目を覚ましたエドワードの顔を覗き込んできたのはギルディア王家の女給仕であるフラミニアだった。

 フラミニアはエドワードが目を覚ますと、自身の両手でエドワードの頬をそっと包み込み、さらに額を合わせた。

 額を合わせたその拍子、エドワードの顔にポツポツと熱い雫が落ちてきた。



「フラムさん?ここは……?」



 エドワードがフラミニアに語りかけると、エドワードの右手を握っている誰かの手の力が弱まり、ふっと消えた。



「……あれ?」



 フラミニアがわんわんと声をあげて泣き始めたのを聞きながら、エドワードはもう一度自分の手を握ってみたが、空を掴むだけだった。

 不思議に思いつつも、フラミニアがエドワードの頭を抱きしめて離そうとしない状況に落ち着いていられず、ものを考えることができなくなっていた。仕事ばかりに打ち込んできたエドワードは、異性と交際することはおろか、親しいと言える異性もいない。そして、そのまま30歳を迎えた。女性に耐性の無いエドワードにとってこの状況は、かなり恥ずかしいと感じるものであった。



「ふ、フラムさん、ちょっと苦しい。離して、というか離れて、なんか怖い……」



 恥ずかしさが限界突破し、どこか得体の知れない恐怖に変わる。それでもフラミニアはエドワードを解放せず、相変わらずわんわんと泣いていた。


 そんな様子から、エドワードはふと昔の自分を思い出した。敬愛する王がエドワードの不注意──尤も他人から見て不注意とは言えない些細なこと──で怪我をしてしまった時、ただいまのフラミニアと同じように声を上げて泣き喚いていた。そんなエドワードを落ち着かせるために、王はエドワードの背をゆっくりと撫でた。



「ふ、フラム……フラミニアさん。大丈夫、だから……」



 かつて、亡王が自分にしてくれたように、エドワードはフラミニアの背をゆっくりと撫でた。



 ──人の悲しいと思う気持ちは、僕の能力では癒せない。だからこうして、寄り添うのです。



 王が人を慰める時、寂しそうにしながら必ず言う言葉を思い出しながら。

 背を撫でてから数分経つと、フラミニアは落ち着いたようだった。抱擁を解いて、顔に残った涙を袖で拭う。そして次にフラミニアが顔を顕にした時には、彼女は眉を吊り上げてムッとしていた。



「……大丈夫、だなんて。あなたがどれだけ長い間眠っていたかも、もう目を覚まさないかも知れないとお医者様に言われたことも知らないで、そんな、無責任なこと言わないでください。……執事長、今回は王家職員鉄則の全てに違反してますから、どうか反省してくださいね」


「──私、先生を呼んで来ますから。どうぞ、そこで、おとなしく、寝ていて、くださいね」



 言葉を分節に区切って、さらに念押すようにエドワードをぴしっと指差してフラミニアは言った。

 エドワードはそんな様子に気圧されて「ああ」と、短く言葉を返すことしかできなかった。

 ふん、とフラミニアは鼻を鳴らして、エドワードが大人しくしていることを確かめてから部屋を出ていった。

 エドワードは少し身体を起こし、ベッドのヘッドボードと背の間に枕を挟んで寄りかかった。

 右手を握られる感触を思い出して、今一度確かめるように拳を作って解く。そうして、窓から外を見やると見慣れているようで見慣れない景色が飛び込んできた。


 立ち並ぶ建物はギルディアの街とは異なり統一感があり、また少し離れたところにこの国がどこであるかを象徴する緑青色の屋根の美しい城の一部が目に入った。それから、ドン、ドンと何か爆ぜるような音が響いていては、確証を得るしかない。


 この場所は──



「シエント帝国か。な、なんで……?」



 窓から見える景色が信じられず、エドワードはフラミニアの言いつけを早速破って、ベッドから出ようとした。その時だった。



「……執事長?」



 背後から声がして驚き、エドワードは思わず背筋を正した。ゆっくりと声がした方向を振り返ると、フラミニアが部屋の扉を開け放って立っている。



「おとなしく、寝ていて、ください?」


「……はい」



 まるで、亡王がベッドから抜け出そうとしていたことを叱っていた時の自分自身を見ている心地がしていた。

 エドワードは冷ややかな視線を向けるフラミニアをチラと一瞥してから、ゆっくりとベッドに戻る。背もたれにしていた枕も元に戻し、完璧にベッドの中へ潜った。



「はい、よろしい。では、先生。お願いします」



 エドワードがベッドに潜ったのを確認し、フラミニアは部屋の外に居るらしい"先生"基い担当医師を呼んだ。



「了解。さてエドワード君、入るよ」



 担当医師の声は男。

 彼は、コンコンと一応といった様子で、すでにフラミニアによって開かれている扉をノックした。


 一方、エドワードは布団の中で身構えていた。

 医師の声に覚えがあり、その覚えは、かつての悪い記憶をも呼び覚ましてしまうためだった。

 間も無く、担当医師の男は部屋に足を踏み入れた。それと同時にしっかりとエドワードと目を合わせて言った。



「やあ、エドワード君。久しぶり」


「す、"須藤"……先生……」


「あれ、執事長?先生とお知り合いなのですか……って、す、す、スドウ!?」



 早速行動したのはフラミニアだった。

 びくりと身体を震わせて、須藤と呼ばれた医師をギョッとした様子で睨め付けてから、パタパタとエドワードが眠っているベッドの方へと移動し、エドワードを守るように、両手を大きく広げて須藤と向かい合った。



「……だ、騙していたんですか!?」


「えっ!?……なに?なんでおじさんそんなに嫌われてるの?悪いことした!?騙すって何……あっ、もしかして……」



 須藤は何かを思い出したようにペシっと自らの頬を叩いた。それから頬を撫で、髭を撫で、気まずそうに笑った。



「な、何がおかしいの!……シエント帝国の須藤と言えば、"必要ならどんな手でも使う諜報員"として悪名高いのです。貴方はこの病院に潜入して、入院中の執事長に危害を加えようとしていたところじゃ……!」


「お、おじさんの病院なんだけどなあ。はあ、ここにも弊害が……」



 須藤はガクンと項垂れた。

 フラミニアはそんな様子を見ても警戒する姿勢を解かず、どうにかして病み上がりのエドワードとここから逃れる方法を考えていた。


 須藤のことをフラミニアが警戒するのは無理もない。

 今からおよそ8年前──ギルディアの国王シャンドレットが亡くなり、国防を担う『アザレア』が休業し、かつて敵対していたシエント帝国含む他国に様々な協力を得なければどうしようもなくなっていた頃──"シエント帝国の須藤は悪名高い諜報員"という噂を耳にすることがあった。

 単なる噂とはいえ、王もその他強力な後ろ盾も失ったギルディアはかなり慎重になっており、"須藤には注意すること"と、行政長官となったエドワードは、須藤がかつて『アザレア』養成学校の教師であったことを知りながらも、全ての王家職員、その他関係者に喚起していた。


 とはいえ、それは数年前の話。

 須藤の悪名は、須藤本人の弁明により、"とある人物が仕掛けた悪い冗談だ"というふうにすでに解消されていた。

 もちろんそれはエドワードの耳にも入っていたことだが、塔の封印執行完了後の7年間、ギルディアの平穏は保たれ、シエント帝国へ援助を依頼するような危機も訪れなかったため、あえて話題に上げることはしなかった。


 したがって、フラミニアの頭の中では"須藤は悪名高い諜報員"という情報のまま更新されていない。つまり、彼女が須藤のことを敵視し、警戒するのは無理もないのだ。



「……そういや、忘れてたな」



 布団を被りながら、エドワードは誰にも聞こえないように呟いた。


 正直、須藤のことは忘れていた。

 この場面はこれ以上の混乱を避けるためにもエドワードからフラミニアへ、須藤との現状を説明する必要があった。

 とはいえ、エドワードにも事情が──須藤に対して色々思うことがある。それはずいぶん昔の話であるが、エドワードの人生を大きく狂わせた。


 もし、あの時──

 右も左もわからなかったエドワードに対し、"正しく導くために全てを受け止める"と話した言葉のとおり、事件の後も積極的に自分の道標となってくれていたらもっと変わっていた。

 学校生活の中で、須藤は他の生徒には普通に接しているのに自分にはどこか冷たいという状況があったから──心のどこかで、"落ちこぼれだから捨てられた"という思いがあった。


 親にも捨てられ、主人にも捨てられ、先に手を差し伸べてきたはずの教師にも捨てられた。そんな人生で、最後に救いの手を差し伸べてきたのがシャンドレット王だった。

 最後に救われたことによって、エドワードの人生は少し好転したが、過去の記憶は根強く残っていた。

 須藤も、その例外ではなかった。それだからか、信頼されていない須藤の様子を見て、エドワードは「ざまあみろ」と感じていた。



「こりゃ、参ったな。……ね、ねえ、エドワード君。彼女になんとか説明してもらえないかな?誤解は解けたと思っていたんだけど……」


「……わかりました。それじゃフラムさん、先生のこと、追い出して」


「はい、執事長!」


「ああ、助かるよ……って、ええ!?」



 エドワードの一声を聞いて、フラミニアは「ふん」と鼻を鳴らした。それから履いているスカートの裾を少し捲し上げる。

 フラミニアの右足にはベルトとホルスターが取り付けられており、ホルスターから小型銃を抜いて須藤に向けた。



「……お引き取りを。誰の命令かは存じ上げませんが、貴方が執事長と接触しようとしたことは、ヨハネス元帥に報告します。二度と貴方を近づけさせぬよう進言します」


「え!?……ちょ、ちょっと待ってよ!?」


「問答無用!」



 パンと乾いた音が響く。

 フラミニアは須藤に向けていた銃口を天井へと向けて引き金を引いた。



「……次は貴方を撃ちます。早く出ていって!」



 今一度、フラミニアは須藤へ銃口を向けた。

 須藤は困ったように目を閉じ、渋々両手を上げると、静かに部屋を出て行った。



「……まったく、どういうつもりなのでしょうか。執事長、この病院は信用なりません。ヨハネス元帥に直訴して変えてもらいましょう。もともと"あの方が紹介してくださった病院"なのですが、あんなやからが紛れているだなんて……」



 ため息を吐きながら、フラミニアはくるりとエドワードの方へと振り返った。その後映ったのは、エドワードが尋常でないくらい震えて、青ざめている様子だった。

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