『アザレア』の悪魔⑴



 王宮正面の大扉の隣にある簡易出入り口の小扉を押し開けて、エドワードは転がり込んで王宮の中へと入り、エントランスの絨毯の上へ倒れた。絨毯は毎日の手入れの甲斐あってかベッドのように柔らかで、暴行されて痛む身体と、ここまで全力で走り尽くした疲れを包み込んだ。

 このあと一度でも目を瞑れば間も無く眠りについてしまうと感じたエドワードは即座に立ち上がり辺りを見渡した。


 すると、そんなエドワードの登場にギョッとしているメイドが居た。突然飛び込んできたのが魔物ではなくエドワードであることを確認すると、メイドは間も無くエドワードの元へ駆け寄り声をかけた。



「……し、"執事長"!大丈夫ですか!?」


「……オレは問題ない!皆は、無事か?」


「い、今のところ執事長が一番の重症ですよ!守衛室の救急セットを持ってきますから、ここで大人しくしてください!こんなボロボロの姿じゃ、"王家職員鉄則その1"に触れますよ!一度、ご自分のお姿をよく確認して、"亡陛下に心配されないかどうか"をお考えください!」



 メイドはピシャリとエドワードを叱った。

 それからエドワードが入ってきた小扉のさらに左にある守衛室へと入っていった。


 メイドに叱られたエドワードはというと、少し息を整えてから、柔らかな絨毯の上を玉座の間の扉の方へ向かって進む。つまり、メイドの言いつけ基い"王家職員鉄則"を守らなかった。


 王家職員鉄則は、病弱でありながら行動的なシャンドレットが王の座に就いたあと、その病弱さと不釣り合いな行動力、それから誰彼構わず"病を御身に引き受ける能力"を多用する優しさを案じた王家の職員達が設けた暗黙のルール。

 王亡き今は、王家職員共々が自分やその他の職員達を律するため、それから天に昇った王が職員達の身を案じて降りてきてしまわないようにするために、暗黙を解き、上下関係なく呼びかけるルールへと変わった。


 メイドが言った"その1"は、自身の体調管理は徹底するというもの。その1が亡王を優先するような決まりでないのは、亡王が自身を優先しないから。その一方、身近にいる職員の体調の変化には職員自身が気がつく前にわかってしまうためだった。

 亡王は、体調が悪い職員を労りの言葉をかけると同時に、その身体に触れ、病を引き受けてしまう。

 それは王として慈悲深い行動とはいえ、王の体調を案ずる職員達にとっては恐怖でしかない。自分の体調管理ができていないせいで、病弱な王をさらに苦しませてしまうことに繋がるかもしれず、且つ"王が進んでしたこと"だから、誰も何も責めることができないのである。


 そんな王家職員鉄則を破ってでも、今のエドワードには自分の身を粉にしてでも守らなければならないもの──王が愛したこの国ギルディアと、その民があった。



 エドワードが向かう玉座の間から亡王の寝屋に入ることが出来る。

 王の寝屋にあるの本棚に、黄泉に奪われた王家専用の魔導書が戻ってきているはずだった。その魔導書から魔導書館へ、ギルディア王国全体に広がった火事の鎮火を要請する。ギルディアと、民を守るために──



「……し、執事長!お待ちください!」


「"エドワード君"!待ちたまえ!」



 玉座の間へ続く小扉に手を掛けたエドワードを呼び止める二つの声。

 一つは守衛室から救急箱を持ってきたメイド、もう一つは燕尾服に身を包んだ初老の男。この男のほうは、藤原 誠という名で、かつてはエドワードと同様に王付きの執事だった。王付きの執事、世話役という仕事はこの藤原と、ニケ・ペトラムという女の2人で担当していたところ、王からのたっての希望によって、その2人の中へエドワードが加わることとなった。

 つまり、藤原はエドワードの先輩にあたるのだが、亡き王がエドワードに執政を託したことで、今は多忙なエドワードの補佐をしている。


 藤原は生前の王を敬愛していたが、他に身寄りがないからと言って、エドワードばかりを気にかけている王に対して少しばかり不満があった。

 もちろん、エドワードに対しても、王に可愛がられていたことや、若輩でありながら"行政長官"という地位に立ったこともあって、良い感情を持っていなかった。



「……ふ、"藤原さん"」



 藤原は先輩らしく、エドワード後輩らしく、互いの名を呼び合った。

 公務においてはエドワードはその立場上、藤原ことを部下として"藤原君"と呼ぶが、客人のないこの場では敬称をつけて呼び、さらに先輩として敬うように一歩身を引き、頭を下げた。


 そんなエドワードに対し、藤原は少し怒ったように低い声で言った。



「……君、今までいったいどこにいたんだ。とんでもないことになっているぞ」


「ゆ、行き先はお伝えしていたとおりです。武具の定期メンテナンスの日程調整のため、武具店へ出かけておりました」


「それはわかっている。どうしてこんなにも時間がかかった。どうしてこんな時にすぐに帰ってこない?それにそんな格好で……強盗にでもあったというのか?」



 藤原はボロボロになっているエドワードと、会話に混ざらずエドワードの手当てをしているメイドの様子を見つめながら言った。



「人に襲われたというのは間違いではないです。……しかし、今は私の話をしている暇はありません。魔導書館へ協力要請を!いま、ギルディア中に火事が起こっていて──」



 そう訴えるエドワードに対し、藤原は持っていた魔導書を押し付けるように渡した。



「あ……」


「……色々な騒ぎが起こる前に、魔導書だけが先に帰ってきた。だのに君は全然戻らんし、何かあったんじゃないかと思って心配していた。……で、困ると思って、私が持っていたんだ」


「──火事や魔物の騒ぎになってから、それに色々と仕事をこなすよう命令してみたが、私には出来なかった。ところが先ほど、ようやく言うことを聞いたと思ったんだが……ああ、君がここに帰ってきたからだろうな。直に、街の騒ぎだけは、どうにか治まるだろう」


「──だが、問題は"こちら"だ。"フラム君"、玉座の間の様子は?」



 魔導書を藤原から受け取り、「街は大丈夫だ」と聞かされてエドワードは安堵する。しかし一方、藤原やエドワードの手当てをしているメイドの表情は暗いままだった。


 藤原は、エドワードの手当てをしているメイド──フラミニアに対し"玉座の間の様子"を問うた。


 その問いかけを聞いた途端に、魔導書と一緒に抱えていたはずの安堵が一気に吹き飛んだ。

 玉座の間は王の寝屋に繋がる場所。王の面影を思い出すだけの──厳か且つ穏やかであるだけその場所について様子を聞くだなんて、何かが起こったのではないかと、エドワードは考えた。



「玉座って、な……何かあったんですか?」



 エドワードが問いかけるも、藤原はそれを無視し、先にフラミニアに対し答えを求めた。

 不安そうにしているエドワードを横目に、フラミニアは言いにくそうにしていたが、重たい口をゆっくりと開いた。



「……"バケモノ"が、入って行ったきり出てきてはいませんでした。しかし先ほど、執事長がお戻りになる前くらいに、ものすごい音がして──」


「ああ、その音は私にも聞こえた。いよいよ、まずいことになっていないだろうか。一度確認をしたいところだが……」



 藤原は、玉座の間の扉を見やった。

 それから、藤原に一度無視されてからも繰り返ししつこく「何があったのか」と問いかけてくるエドワードの方に向き直って言った。



「君の不在の間に、玉座の間へバケモノが入ったんだよ。幸いにも私たちを見ても襲ってくるようなことはなかったのだが、玉座に行ったきり出てこないんだ。それで先程、轟音が響いたから暴れているんじゃないかと思って来てみたのだ。街へ出てしまう前に、我々でどうにかしなければならないのだが……」


「しかし、藤原さん。あの姿……例の"『アザレア』の悪魔"ではありませんか?私たち素人に、どうにかできるものじゃ……」


「んむう、そうだがなあ……。全く、姿を見なくなったと思ったがこの騒ぎに乗じて出てくるとは。『アザレア』が封じ込めていたんじゃないのか……いや、封じ込めていたが建物を破壊して出てきたと考えるのが正しい、か」



 藤原はエドワードに対してバケモノが玉座の間に入ったと説明しつつ、そのバケモノが"『アザレア』の悪魔"という存在であるということを、フラミニアと話をしていた。


 一方、話を聞いていたエドワードは、状況がよくわかっていなかった。二人が話している"『アザレア』の悪魔"という存在についても、いまいち理解が出来ていない。

 しかし、ずいぶん昔に──おそらくエドワードが王家職員となって間もない頃に、そういった話を風の噂で聞いたことがあった。



 その噂は、決して表立つことはなかった。

 人々の間でひそひそと囁かれるもの──エドワードの噂基い事実が"あいつは人殺しだ"と表立って話題にされていたのに対し、それは、じめっと張り付くような噂話だった。


 だから、特別気にしたことがなかった。

 エドワードは、そんなじめじめとした噂話よりも、直接罵倒される自分の方が辛いものだと思っていたから。

 地位のある親に恵まれ、学校に通い、不自由な能力でもない。むしろ、悪魔のような力でも使いこなせているだけ自分より恵まれていると、その噂に対して感じたことがあった。

 だから、行政庁官という地位として、初めて"噂の悪魔憑き"と顔を合わせた時には、彼の苦労なんか知らず、酷いことを言った。



「……"『アザレア』お抱えの悪魔憑き"」



 親の影に隠されてきた大したことのない噂と思って、今では大切な友人となってくれたアルべへと、そんな感想を向けた。

 無意識だからより質の悪いの罵倒の言葉を──エドワードは今再び、後悔を込めて口にした。



「ああ、そうだとも。"悪魔"なんてただの例えかと思っていたが、本当にそうだったとは……。っと、いけない。あんな醜い姿のバケモノに大切な玉座を荒されるのを黙ってみているわけにもいかないだろう」


「──それで思い付いたのだが、エドワード君、彼を……前回の封印執行者である"チェイス様"にあのバケモノの討伐を依頼できないだろうか。彼のことを私はよく知らないが……君は、今でも懇意にしているのだろう?」



 藤原はそう言うと、フラミニアと共にエドワードに期待の目を向けた。「ああ、確かに塔の封印をこなした彼であれば……」と、この2人のように何も知らなければ、エドワードも"チェイス"が適任だと決めたろうし、"チェイス"だって何事もなければエドワードの依頼を受けてくれただろう。


 だが実際は、そんなことには決してならない。

 藤原とフラミニアは、"チェイス"の本当の顔を知らない。

 塔の封印直前の説明と、塔の封印直後の褒章の儀において、"チェイス"は外套のフードを目深に被り顔を晒さなかった。

 だから、王家職員で"チェイスの本当の顔"──彼が"アルべ・グルワールであること"を知るものは、エドワードとエドワードのもう1人の補佐役で現在は退職した河田 ナツメだけだった。


 そのため、塔の封印が終わりしばらくした後、ギルディアの街中の安全確認──『アザレア』の動きがないことなど──をエドワードが済ませたのをきっかけに、アルべは顔を晒すようになっていた。


 しかし一方、藤原もフラミニアも王宮の外に出ることがない。そのため"チェイス"の本当の顔に出会うことがなく、この瞬間にも"チェイス"とアルべ基い"『アザレア』の悪魔"と噂される存在とは別人だと信じていたようだ。


 エドワードは、深くため息をついた。

 アルべに起こりうる最悪が全て巻き起こってしまったことを嘆く意味で。

 それから事情を知らない──またエドワードからも話していないとはいえ、"チェイスに『アザレア』の悪魔を倒すような依頼をさせる"よう期待している──藤原とフラミニアに、嫌気がさしたから。



「……"彼"のことを悪魔と言うが、一番の人でなしは、オレ達だよ。何も出来ない、何もしない、ただ後ろ指差していただけのオレ達だ」


「ん……?エドワード君、それはどういう……」


「まだ、あの人に謝ってないことがあったから、行ってくる」



 エドワードは、玉座の間へ続く小扉のドアノブに手を掛けた。そして、藤原とフラミニアが制止しようとしてくるのを、小銃を向けることで強引に治めて、扉を開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る