闇天の応え



 雨をかき分けながら王宮へと帰る道中、エドワードはいくつかの火災現場を目撃した。魔導書館への依頼のためにも、その場所を記憶する。そうして10分ほど、駆け足と休憩を繰り返すと、間も無く、『アザレア』の建物近辺に到着し、さらにその先へ視線を送ると王宮のあかりが見えた。

 王宮の方はいつものように静寂を保っているように見えたが、『アザレア』の建物の方はというと、エドワードの想像を超えていた。


 思わず立ち尽くして見てしまうほどの業火──

 時折、火先が蛇のようにうねり、建物に食らいついているようにも見えた。

 黒煙の量は凄まじく、色々なものが焼ける臭いもする。遠くから見たときは曇天に炎が映っているように見えていたが、空の曇りのように見えたものは全て黒煙だった。

 周囲には、消火に来たらしい人々がエドワードと同じように業火を眺めていた。そのうち1人の女が、たった今、業火に向かって大きな水の塊を投げたが、間も無く火先の蛇に絡め取られて蒸発してしまった。


 水の塊を投げた水の能力者は、瞬く間に蒸発する水を見て「これは手に負えない!延焼は防ぎますからあなた達は他へ」と、女性ながらも、業火の声に負けない声量で周囲の人々へと呼びかけた。

 声が掛かった人々は水の能力者の女が言うように、ここから見える火災現場へ向かって行った。



「……なんて、憎悪のこもった炎かしら。それでいて出鱈目でもなく、こんなにも美しいのって、なんだか自信無くしちゃうなあ」



 そう呟いて、女はどっかりと地面に座った。

 服が汚れるとか特別気にしない性格などではなく、すでにそこら中を駆け回って汚れきった服のことなど、今更どうでもいいという様子だった。

 女が座って間も無く、業火の火先が跳ねて、街路樹へ飛び移ろうとすると、女はすかさずその火先へ向かって水の塊を投げた。水の塊は飛び移ろうとして塊となった炎にぶつかり鎮火させ、そのあとは降りしきる雨と同化して落ちた。



「やっぱり、他のは消せるってことは"他の場所"には興味がないのね。……あくまで、『アザレア』。その気持ちは分らないでもないけど、そんなことしたって……」



 女はため息混じりに独り言を呟いた。

 それから、視線か気配を感じたのか、不意にエドワードの方へと視線をやった。

 まもなく、女は「え、エドワード君!?」と驚きの声を上げ勢いよく立ち上がった。雨に濡れて顔のあちこちにくっついている髪を手櫛でまとめ、座ったことで出来た服の乱れを直した。そうして、何事もなかったように、こほん、と咳払いをして言った。



「……こ、こんばんは。行政長官様。……えっと、あたしの独り言、聞いてました?」


「聞くつもりはなかったのですが、聞こえてしまいました。盗み聞きなど無礼な真似をして、申し訳ありません」



 女に向かって、エドワードは深く頭を下げた。

 女はというと「あ、いや、そんなことしなくても!」と、礼を尽くすエドワードの傍に駆け寄り、頭を上げるよう促した。


 言われるようにエドワードはゆっくりと頭を上げた。

 女が近づいてきたことによって、思いがけず雨に濡れた女の姿を至近距離で見ることとなり、少しぎょっとしたエドワードだったが、女の顔を見ると何かが気になった。


 年はエドワードと同じか、少し下。

 髪色は炎の光のせいでうまく判別できないが暗い色のように見え、瞳も髪色と似たような色だった。

 まじまじと姿を見つめてくるエドワードに対し恥じらいを感じたのか、女は両の手で自らの顔の下半分を隠した。

 女の左手の薬指にある指輪が、きらりと光った。



「……不躾な質問ですが、一度どこかで、お会いしたことがありますか?」



 女の顔を見て感じたのは、既視感だった。

 しかし、エドワードの既視感というのは、あまりあてにならない。

 エドワードの毎日は、必ず一度は人と関わりがあった。ある時は王付きの執事として、それから今ではギルディア行政長官として、数えきれないほどの人に会ってきた。

 その数ある人の中に、この女がいたかもしれない、いや、そうではなく誰かの顔と混同してしまっているのかもしれない。そんな2つの可能性と、見れば見るほど強くなる既視感を捨てきれずに、エドワードは思わず問うてしまった。


 そんなエドワードに対し、相変わらず顔下半分──口元を指輪の光る手で隠しているが、目を細めて、くすりと笑った。



「ふふ、行政長官様はおかしなことを言いますね。あなたはこのギルディアの行政長官様なのだから、あたしのことを街中で見かけていても、不思議じゃないでしょ?」


「それは、そうなのですが──」


「それに、今は昔話なんかしている場合じゃないよ。あたしは、ここで手一杯。といってもこの炎は"意思"が強くてあたしにはどうすることもできない……せめて他へ燃え移らないようにすることしか出来ない。だから、他の人を助けてあげて!」


「しかし、何か手伝いを……」


「いいから!……さっき、変なバケモノが王宮の方まで歩いて行ったから、危ないかもしれない。……せっかく、お互い自分の場所を見つけられたのだし、守らなくちゃダメでしょ。それに、こんな建物なんか、あたし達なら無くなったって平気でしょ!」



 女は指輪の光る手で、燃える『アザレア』建物を指差し、それからもう一度念を押すように指を差した。

 女の言葉──『アザレア』の建物がなくなっても平気ということについては、国の景観を守る行政長官の立場として同調できないエドワードだったが、"変なバケモノが王宮の方へ行った"という言葉は聞き過ごせなかった。



「……ここは、お任せします。どうか、怪我などはないように。私も王宮へ戻り次第、各地に発生している火事の鎮火に努めます」


「……うん、お願いします」



 エドワードは女に向かって再び礼をしてから、"バケモノ"が向かったらしい王宮へと駆け出す。


 女は、そんなエドワードの後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。そうして間も無くエドワードの姿が暗闇へ紛れると、ふう、とため息をついた。



「お互いにあんなことは思い出さない方がいいよ。……でも、忘れられちゃってるのは少し悲しい。……あーあ、笹野先生の言うとおり、アイツが死んだ後の学校なら行っておけば良かったかな」


「──いや、あんな姿をみんなに……エドワード君に見られて、その上エドワード君にEクラス全員の恐怖を被せておいて、彼の前の席に座ろうだなんて思えないよ」


「──あんな事件があったのに、立派にお仕事してて、嫌なこともみんなから言われただろうに、挫けないでいてさ。あたしがこの国が嫌いでも離れられなかったのは、そんなあなたのことが……」



 パチリと、炎が跳ねる音が聞こえた。

 女はその音にハッとして、燃え盛る火事の方へと向き直り、自分の胸に発現した熱を鎮めるように、火事から飛び出した火先へ向かって水を放った。


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