災厄の伝承⑶
男はエドワードの胸倉を掴む力を緩めて、エドワードに言った。
一方、そんなことを言われたエドワードは、"塔の封印が失敗した"などという言葉に反論しようと「いえ」と、声を発した。しかし、その次の言葉が出てこなかった。
エドワードは、封印執行者であるアルべから塔の封印の完了報告と塔の魔物の詳細について報告を聞いた。その報告の中で、アルべが嘘をつくとは考えにくい。
なぜなら、"実は封印できていなかった"などという事態は、エドワードやギルディアの民だけでなく、アルべにとっても悪だった。アルべは、『アザレア』で押し付けられた役目に区切りをつけ、家族と平穏に暮らすことを望み、そのために戦うこと選んだのだから。
そして、エドワードは戦いの後もアルベ達がより幸せに平穏に暮らすために手伝うことを約束した。
塔の封印遂行の褒章にしては少なすぎるほどの対価であり──むしろ、現在進行形でアルべが望んだ平穏が10年も保たずに崩れようとしている状況では、謝罪してもし尽くせず、対価として相応しくなくなっている。特に、アルべが不安視していた『アザレア』の動向については、エドワードがもっと注意深くしていれば防げたことかもしれなかった。
塔の封印は、決して失敗していない。
アルベが持つ平和に対する想いと、アルベの身を裂くほどの苦労のおかげで、ギルディアは今日まで、塔の魔物に脅かされることなく平穏であり続けたのだ。
それなのに──
エドワードは、ただいまの惨状について、塔の封印について結びつけることなく説明することができなかった。
エドワードの目の前に映る景色は、凶悪な魔物が──それも塔の主と酷似した特徴の魔物が街を襲い、立ち向かった者はあっけなく死んだ。そして、街中に戦火を振り撒き、人々を脅かしていた。
ああ、これが──
「これが、ギルディアの言い伝えの災厄でなければ、何というのか。説明してくれ──」
男はもう一度、エドワードに言った。
エドワードの頭の中で葛藤の末に導かれた結論と、男の放った言葉が偶然、否、必然に一致する。
「……か、確認する時間をください。今の私には結論が出せません。彼は……件の魔物を追いかけていたという彼はどちらへ行きましたか!……おそらくですが、その彼が7年前の塔の封印執行者で"チェイス様"という方です。彼と話をしなければ……」
「……いいや。そのチェイスとやらを僕は知らない。あの魔物を追いかけていたのは、"グルワールのせがれ"だろう?」
「"グルワールのせがれ"?……なんのことですか?」
降って湧いた"真実"に対して、エドワードはしらを切った。
この手の嘘はエドワードの得意分野であった。『アザレア』を脱走した後のアルベ達を追う者は、『アザレア』だけではない。むしろ、内部のトラブル対応をしていたためにすぐに追ってこなかった『アザレア』は可愛い方だった。
アルべは、ギルディアの戦闘部隊である『アザレア』の内情を知る者。アルべが持つ情報を欲するものは多くある。とりわけ、隣国のシエント帝国からはかなりしつこく「行方を知らないか」と聞かれていた。
ある時は、茶会と称してシエント帝国軍元帥の前でアルベに関する嘘情報を披露させられたりもした。今でこそ、シエント帝国軍元帥とはそれなりに良い関係を築いているものの、初対面の茶会の際には、何やら口の滑りやすくなるような薬の入った茶を飲まされそうになった"疑い"がある。疑い、というのは、それをエドワードが指摘する前に相手の方が全て有耶無耶にしたため、真意がわからない。
そんなシエント帝国軍元帥の元へ逃げて、助けを求めろなどと、再び『アザレア』に追われる身となった友人に言ってしまったが、改めてこの惨状を見たエドワードは、自分の進言は正しかったと感じた。
友人を守るため、どんなに位の高い人にだって嘘をつき続けたエドワードにとって、男の発言は何ら恐れるものでも、驚くものでもなかった。むしろ得意分野を引き出されて、惨状に混乱していた頭を冷静にさせた。
この国では、アルベは"チェイス"という名前で通っている。ギルディアの住民登録もその偽名で通した。7年前の封印執行者の報告も"チェイス"の名前を使っていた。そんなところ、どういう経緯で"チェイスはグルワールのせがれである"という結論に至ったか、どこから話が漏れたのかは気になったが、今すぐ口止めをする緊急性はなく、この場ではしらを切り通しても問題はないと判断した。
「私が探しているのは、チェイスという名です。グルワールといえば……かつての『アザレア』の戦闘部総長の名前だとは把握していますが、何か関係があるのですか?」
顔色を変えず──とはいえ、ただいまの惨状自体には焦っているためエドワードの額と背中には冷や汗がにじんでいるが──渾身のカミングアウトを打ち返してきたエドワードに対して、男は驚いた。
二回りも違う若者が、必死で隠し続けてきたであろう事柄を思い掛けないところで暴露されておきながら、こうも平然としているとは思わず、少しくらいは、眉を動かすくらいには動揺するのではないかと、ある意味で期待していた。
もし、ここでエドワードが真実を話したのならば、男は何も咎めるつもりはなかった。
かつては、この狩人の男と、それからこの国の一部の人間は、亡きギルディア王の後任として行政長官という地位を授かったエドワードをよく思っていなかった。
理由は単純で、エドワードの過去にある。エドワードが『アザレア』養成学校の生徒だったころから、男は他のギルディアの民の例に漏れず、エドワードの奇天烈な能力の被害──町中に大穴が開いたり、水浸しになったりなど──を少なからず受けていた。
それから、エドワードがクラス担任で優秀な『アザレア』の職員である黄泉を殺してしまった事件についても、"皆の迷惑だから追放か処刑されれば良い"という感想を持っていた。
そのため、エドワードが王家の職員として残り続けると決まったときには、反対もしたし、"人殺し"というレッテル貼りにも加担した。
そして、エドワードが一時的な王の後任となったときにはギルディアを去ろうとも男は考えたが、塔の封印の日が近くであったこともあり、その時は見送った。
その後、ほどなくして『アザレア』が塔の封印執行間近で休業を掲示し、ギルディア内での暴動が増えた時には、"これ幸い、行政長官の手腕を試してやろう"という一人の意地の悪い住民の提案から、封印執行の日を見守った。
男を含む住民たちの意地悪に対し、エドワードは塔の封印の成功にとどまらず、その先、7年の平穏をもって応えた。
今では、エドワードに意地悪をする者はいない。若造だ、人殺しだと罵るものも居らず、功績をたたえ"行政長官様"と呼ぶようになった。
都合がよいことだとは、エドワードに意地悪をした誰もが思っている。
だから、せめて──
行政長官が塔の封印執行者として招いたという"チェイス"という青年とその家族のことについて、たとえその正体が自分たちを見捨てた『アザレア』の残党だとしても、"悪魔"と呼ばれた子供だとしても、知らぬ振りをし、疑わず、ただ塔の封印を遂行した勇敢な青年として迎え入れることを男を含む住民たちは秘密裏に誓いを立てていた。
平穏に、手を取り合って生きていこう。
この国は魔物と争うことが多いから……せめて人同士の、ましてや国内での争いや、いざこざは無くしていこう。そう、決めていたのに──
「こんな時くらい、正直に話してくれたっていいんじゃないか。守るべき秘密があるのはわかるが、しかしな……秘密にしていて良いものじゃないぞ」
「──あれは、悪魔だ。あの"グルワールのせがれ"、ずっと肩に毛皮をかけていてカタワなのかと思っていたが、その実、下に隠していたのは人非ざる左腕だ。複数の能力が使えるっていうし、僕が見た時だって、妙な言葉を使っていたし、"魔物も連れていた"んだ」
「──行政長官様。貴方がアレに恩を感じているのはわかる。庇いたくなるんだろう。一方で僕は、貴方にこの国を前よりも良くしてもらった恩がある。だから親切心で言うぞ。……アレは、やめとけ。アレはもう切ったほうがいい。『アザレア』の隠し財産か何かだったんだろうが、信用に値しない」
「──アレを切る決意ができたら、この惨状のことも適当にアレに擦り付ければいい!"人をだますのが得意な悪魔に騙された"って言えば僕も賛同するし、仲間にもそうするように言ってやるから!アレのことはもう貴方にも庇えない。さっさと諦めないとせっかく掴んだ人生を棒に振ることに……」
男が言葉を終えるのと同時に、一瞬だけパッと辺りが明るくなった。間もなく、ガシャンと耳をつんざく音が響き渡った。
その光と音に驚いて、次なる災厄が降りかかるのかと、消火活動をしている者たちが災厄に備えて動きを止めた。
ただ、男とエドワードは違っていた。
もともと会話だけで大きな動きのなかった彼らであったが、ただいま男は地面に尻もちをつき、そんな男の様子をエドワードは見下ろしながら、ゆっくりとした動きで右手を使って左目を押さえた。
エドワードは、開いていた左瞼を右手で閉じてから、その右手を左胸へ移動させて、恭しく礼をした。それから、まっすぐ男を見つめて言った。
「ご忠告、痛み入ります。……ああ、言われずとも、シャンドレット王からこの国を託していただいた時から、何もかも覚悟の上だよ」
「──民を守るのが、オレの役目だ。そして、あんたらも、あの人も、あの人の家族もみんな、ギルディアの民だ。そこに例外は無い!……失礼しました。彼を探します。どこへ行ったか、教えてもらえますね?」
エドワードが改めて問うと、男は尻餅をつきながらも、とある方向を指差した。
男が指を差した先は、『アザレア』建物と王宮がある方向であった。
何やら様子がおかしいらしいアルベのことは心配であったものの、広範囲にわたる火事を鎮めるためにも、魔導書館への協力要請がエドワードの急務だった。
王家に預けられた魔導書が手元にない状態では魔導書館と連絡が取れないため、一度王宮に戻る必要がある。魔導書館に何事もなければ、奪われた魔導書は館長の手によって王宮に戻されることになっている。
王宮に戻っているであろう魔導書を持って館長と連絡を取り、"直接契約"に基づき、魔導書の力で火事を鎮めることとした。そして、王宮に向かう最中でアルベを見つけることができれば、アルベと家族の安否を確認することも、詳しい経緯も聞くことができ、都合がよかった。
「……ありがとうございます。王宮に戻り次第、すべての火事を鎮めます。今は、燃え広がらないようご協力願います」
いまいちど男に向かって礼をし、男の返事もその後の言葉も聞かないまま、エドワードは駆けだした。
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