災厄の伝承⑴



「……な、なんだこれ」



 空色の両眼で惨状を目の当たりにして、エドワードは思わずつぶやいた。



「なんだよ、これ!!」



 次には叫び、地面を蹴り、一番近くの火災現場へ向かった。そして消火作業をする人々らに加わってバケツに汲まれた水を投げるように振りかける。しかし、火の手は一向に収まらず、消火活動をしている男の一人がエドワードに向かって「もっと水を持ってこい!」と叫んだ。

 しかし、男は消火活動に途中参加した者がエドワードであることを確認すると、はっとして言った。



「ああ、行政長官様だったか。すみません、夢中でお顔に気が付かず……」


「いえ、構いません。……そ、それよりこの状況はどうなっているのですか。訳あって王宮を不在にしていて、何があったのか全くつかめていない。現状について、火事の原因、何でもいい。貴方が知っていることを教えてください。至急、王家で対応を練ります」


「あ、ああ。……ここじゃ消火活動の邪魔になる。少し離れましょうか」



 そう言うと、男はエドワードが持っていたバケツを受け取り、同じくエドワードの来訪に気がついた男の妻らしき女へとバケツを預けた。妻らしき女は男からバケツを受け取るとサッとエドワードに礼をしつつ、「どうかよろしくお願いします」と挨拶をしてから、再び消火活動に加わった。


 情報を集めるためとはいえ、自分が現れたことで消火活動の妨げをしたのではないかと、情報収集よりも優先するべきことがあるのではないかと、いまだ燃える建物に対してエドワードは後ろ髪惹かれる思いであったが、一方で男はそんなエドワードの背を押し促して歩いた。

 そうして、男は火災現場から少し離れた街路樹の花壇にどかりと腰掛けた。大きくため息をついて、額の汗を拭い、じとりとした目でエドワードを見て言った。



「……うちは、もう駄目だよ。あの炎の勢いを見ただろう。あんなのはバケツの水がいくつあったって足りやしない。水を扱える能力者が知り合いにいるが、誰も引っ張りだこで、うちに協力してくれるもんは居なかった」


「──それにな、暗いし正面から見えなかったと思うが、正面玄関の奥はもう崩れてるんだ。どこかから火の玉が飛んできたんだ。奇跡的に寝室に当たらず、僕も妻も生きているのは不幸中の幸いだが……家はもう住めないだろう。必死に火を消そうとしてんのは、他へ燃え移らないようにするための努力だ」


「──だから、うちのことをは気にするな。あなたにはもっと他にやるべきことがあるはずだから」



 男はそう言うと俯いて、肩を震わせて泣き始めた。

 エドワードは自分よりも二回りほど年上の男が泣いている様子をただ見ていた。年輩の人間には馬鹿にされるか、蔑まれるか、亡王のように優しくされた経験しかない。反対の立場──すなわち若輩から年輩を慰める立場にある今、どのような声をかけたら良いのかわからなかった。

 しかし、どうにかしないといけない気持ちはあっため、花壇に座り泣いている男と背丈を合わせるように地面に片膝をついた。



「何があったのか、聞かせてください」



 エドワードは男の肩に手をのせ、うなだれる男をまっすぐ見つめて、力強く問うた。

 自分に出来ることを見定めるためにも、状況整理が必要だった。



「……僕も、うちの消火活動に参加してくれた人から聞いただけだ。なにせ、火の玉が降ってくるまで床に入っていたからな。情報に誤りがあるかもしれないが、許してほしい。……その人曰く、"魔物が出た"らしいんだ」


「魔物……?」


「雷雲のような真っ黒い──おそろしい魔物だ。あんなのはギルディア周辺じゃ見たことがない。森へ採取に行くやつらも知らないと言っていた。……そんな未知の魔物が突然やってきて、『アザレア』の敷地内へ火を吐いたそうだ」


「──その人は、その様子を遠くから見ていたから、例の建物が実際に今どうなってるかは知らないと言っていたが、その魔物が火を放った後、『アザレア』敷地内から迎撃するよう光が見えたらしい。……見ているだけでも恐ろしくなるような攻防だったと言っていた」


「──それで、その流れ弾が民家の方へ落ちていくのを見て、ただ事ではないと思って家を出たそうだ。彼がその現場へ着くと案の定火事が起きていて、消火活動をしたそうだ」


「ん……?その話は、貴方の家のことではないのですか?」



 エドワードが問いをかけると、男はゆっくりと首を横に振った。



「彼が行った現場は『アザレア』の建物の程近くだった。僕の家じゃない。僕の家に火の手が上がった"原因は別"なんだが、まずは始まりから話したい。長官様も、僕もそのほうがいいんだよ」



 そのほうがいい、と確信めいた物言いが少し気になったものの、「それで……」と変わらず話を続けようとする男を遮らないように、エドワードは黙って聞いた。



「それで、その彼が行った火災現場は水の能力者が居たこともあって無事に鎮火できたらしい。火の手がおさまった頃には近くでドンパチ行われていた攻防の音も止んでいて……『アザレア』の敷地内がどうなっているのか様子を見に行こうってことになったらしいんだ」


「そんな、危険なことを……」


「いやいや、危険だと思うか?……だって、ここしばらくは業務停止をしていたとはいえ、あの『アザレア』だぞ。魔物退治のスペシャリスト集団だ。きっと、激しい攻防の末、魔物を仕留めたものだと思って当然じゃないか。僕だって、そう思う。昨晩は『アザレア』の職員らしき人を見たって言う人も居た」


「──だからさ、"『アザレア』が帰ってきたんじゃないか"って期待しても不思議じゃないだろう。そういう思いで、彼らは見に行ったらしい」


「見に行って、何があったんですか?」


「『アザレア』の職員は、確かに居たそうだ。あの黒いスーツを纏った人が、何人かあった。……しかし、全員、生きているようには見えなかったそうで、そして……赤い血の海の、ま、真ん中に、『アザレア』に火を放った"魔物"が、『アザレア』の人たちの死体を食い荒らしていた……そうだ」



 男も、エドワードも口をつぐんだ。

 身体に当たる雨音と、未だ消火活動に努める人々の声が鮮明に聞こえてくる。


 突如現れた黒色の魔物──

 それはギルディアの上空から『アザレア』に攻撃を仕掛けた。攻防の結果、勝利をおさめたのはその魔物で、『アザレア』の職員達は食い荒らされた。

 エドワードの脳裏に、友人アルべの顔が思い浮かぶ。エドワードと別れたあと、アルべはその健闘虚しく『アザレア』捕えられた。となれば、アルべとその家族は『アザレア』に居ることが想定できる。

 建物内に捕えられているだけなら良いが、『アザレア』が提示した方針──アルべを魔物退治専門の職員として据えるならば、捕えた彼を、魔物との戦闘に強制的に参加させていてもおかしくはない。


 そんな想定ができたとき、聞かされた戦闘結果は『アザレア』の敗北。

 エドワードは友人の安否について再び不安を覚え、頭痛がした。しかし不安の種は友人のことだけではないため、頭を強く押さえることで頭痛を軽減させてから、男に問うた。



「その魔物は……それからどうしたのですか?」


「彼らは、その惨状を目の当たりにしてとにかく逃げたそうだ。……当然だろう、『アザレア』が敵わない相手に、僕ら一般人が勝てるわけがないだろうし。王家に相談したところで、どうにかなる話でもないんだろう?未だ、3年後の塔の封印執行者の候補すら上がっていないんだから」


「……それは、そのとおりです。申し訳ございません」


「いいや、長官様は良くやってくれているとは思うよ。僕は」


「いえ、私はまだまだです。現に、話を聞くだけで、みなさまのことも救えなくて……」



 エドワードが言うと、男は深いため息をついた。それは失望のため息のようにエドワードの耳に届いた。



「とにかく、だ。魔物と惨状を見つけた後の彼らは、すぐさまその場を離れ、自宅に戻ったそうだ。一応周辺には一般人には手に負えない魔物が街中に居るから、家を出るなと声をかけたらしい。だからその人も、そのあと魔物がどうしたかは知らないんだとさ……ひとまず、彼から聞いた話は以上だ」


「貴重なお話、ありがとうござ……」



 エドワードが礼を言おうとすると、男はそれを手で制し、まだ何か話をしたいというような視線を向けた。

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