番外編【災厄の日】
京野 参
前編
焼ける街
焦げ臭さが鼻をつき、エドワードは目を覚ました。気を失うまで暴力を受けて酷く痛む身体を無理やり起こし、辺りを見渡すと──火の海になっていた。
「ちょ、おいおい……なんだこれ!」
この現状にエドワードは素直な感想を述べた。
それから髪留めが壊されて解けた髪先に小さな火がついているのを見るとわっと驚き、痛みを承知で炎を握りつぶした。
それから火の手を避けながら何とか建物──レンジの武具店から雨降り頻る外へと飛び出すと、まもなく店内にある武具用の火薬に引火して、ボンボンと小さな爆発を複数起こしながら、建物の形をなくしていった。
「暴行だけじゃなく、火まで放つのかよ。あの暴力教師め……」
エドワードは崩れていく建物眺めながら恨み言を唱えつつ、焦げ臭さで目を覚まさなければ炎に焼かれて潰されていたのかと思い返すと、ああそうでなくてよかったと、安堵のため息を吐いた。
そう一息をついたところで、状況を整理するため空を仰いだ。雨が額や頬に当たり、首元へ滴る。雨粒の冷たさがエドワードの思考を研ぎ澄ました。
鋭くなった思考に巡るのは、エドワードが気を失う前の一連の出来事。
すなわち、武具店の主レンジこと"桐野 蓮次郎"の死、因縁の相手の登場、『アザレア』の活動再開と今後の方針、そしてそのいざこざに巻き込まれたらしい友人とその家族の安否のこと。
「ああ、クソ……!」
断片的に記憶を辿っただけで居ても立っても居られなくなったエドワードは歩き出した。
ただ、大分けして4つの問題に対し何か解決策があるわけでもないため向かう先は適当に選び──結局、無意識のうちにエドワードが自由にできる場所である王宮へと向かっていた。
王宮へ向かう間の時間すらも惜しく、歩きながら思考する。
1つ目、武具店の主人レンジの死。
エドワードがレンジの死の第一発見者となった理由は単なる偶然だった。護身用に持っている銃の整備と、王宮にて常備している武具の定期メンテナンスの依頼をしようと思い出かけた矢先のことだった。店の表口から入ると、間もなく遺体を発見し、さらには店の中が荒れ果てているという惨状を目の当たりにした。
騒ぎを広げないために、エドワードは店舗内のカーテンを閉め、表口には鍵をかけ、信頼できる友人且つレンジの仕事上の弟子であるアルべ・グルワールを魔導書の力を使って呼び出した。
二人でレンジの死を検証した結果、その死の謎は増えるどころか、アルべにとってレンジは師匠である以上の大切な存在であることが判明してしまい、友人をより悲しませることとなってしまった。
2つ目、因縁の相手の登場。
図らずも友人に辛い思いをさせてしまったため、エドワードは検証を切りあげて、レンジの葬儀は明日以降行うことを決めて二人でその場をあとにしようと、塞いでいた表口を開けた時──その先に因縁の相手がいた。
男の名前は、椎名 黄泉。
エドワードが『アザレア』の養成学校に通っていた時の担任教師であり、エドワードの人生を大きく変えることとなった事件の被害者。黄泉はエドワードの能力により死したはずであったが、どういうわけか蘇り、再びエドワードの前に立ちはだかった。
尤も、黄泉の目的はエドワードではなく、『アザレア』を業務停止に陥らせ脱走したアルべとその家族であった。
3つ目、『アザレア』の活動再開と今後の方針。
突然の黄泉の登場、且つ、黄泉は1度目の死を向かえる前からかなりの手練れであったため苦戦を強いられたが、エドワードがその身を挺したことで、ひとまずは黄泉の前からアルべを逃がすことに成功した。
しかしその後、エドワードは黄泉から理不尽な暴力を受けながら、『アザレア』の活動再開と今後の方針について聞かされた。
7年もの間、『アザレア』は業務を停止していた。なんら断わりもなく突然に。
あったものといえば業務停止を伝える貼り紙のみ。
『アザレア』は、周辺の魔物退治や他国からの侵略行為の牽制、そして業務停止を発表した同年に行うべき塔の封印執行の役目を担っていた。それを紙きれ一つで放棄した。『アザレア』の業務停止を聞いた国民の不安はすさまじかった。前年には国王も崩御しており、残されたギルディア王家の関係者はその煽りを受けた。
そんな状況を打破したのがエドワードだった。亡き国王より国を任されていたエドワードは、あらゆる手段を使って国を立て直した。様々な奮闘の結果、そして友人アルべの力も借りて塔の封印執行も乗り越えた。
そうしてギルディア王国は、国王も、戦闘のスペシャリストも不在のまま、かつては人殺しと呼ばれたギルディア行政長官エドワードの手腕により、その平和が取り戻された。
しかし、此度活動再開を表明した『アザレア』は、エドワードの奮闘を踏みにじるような提案をした。
エドワードが積み上げてきたもの──平穏なギルディア王国に関する何もかもを譲ること。
エドワードは行政長官を辞し、行政の役目はギルディア王家に返還すること。
国民は『アザレア』の研究に全面的に協力すること。
隣国シエント帝国との協定は解消し、国防は『アザレア』が務めること。
国防には黄泉と友人アルべに努めさせること。
アルべの妻は『アザレア』の研究に消費すること。
そして、行政長官の最後の仕事として、国民へ『アザレア』の業務再開と提案の内容を伝え、橋渡し役となること。
エドワードには、その提案のうち何一つ同意できなかった。
何もしてこなかった『アザレア』が今更何をしにきたと反論した。亡王から預かっていたギルディアの行政権を王家に返還することはエドワード自身も考えていたことであったが、王家が『アザレア』に抱いている負の感情を知っている身としては、簡単に認められることではなかった。『アザレア』がこの国の主導権を握り、あくまでサポート役として王家を利用しようとしている状態ではなおさらのことだった。
また、『アザレア』の研究の全面協力についてもエドワードは否定した。『アザレア』はギルディアの未来のための研究と語るが、エドワードは懐疑的であった。『アザレア』で行われていた研究について知る機会は全くなかったが、ろくでもないものだということはある程度──『アザレア』に所属していたアルべが『アザレア』を嫌う様子や、学校時代から見てきた『アザレア』の職員の高慢さ、何より高尚な研究という割にはその内容を機密だと言って報告しないことなどから察していた。
エドワードにとって、この国の民はあまり良いものではないが、亡王が大切にしていたものを易々と、正体不明な研究に捧げることを認めるはずがなかった。
それから、国防に関することについては、もはや論外で──腕が達つとはいえ、かなり暴力的な性格の持ち主である黄泉が『アザレア』の戦闘部総長の座につくことは望ましくなかった。
かつての『アザレア』戦闘部総長といえば、ギルディア国内外の治安維持を担当するトップである。黄泉が戦闘部総長となれば、『アザレア』に反対するものは全て暴力で粛清されることが想定され、また研究協力についても黄泉が絡むとなると、かなり強引な方法で──今回アルべを襲撃した時のように暴力を振るうに違いなく、容認できるものではない。
また、友人アルべを魔物退治専門の戦闘員に据えるとか、アルベの妻マリアは研究対象であるというのも全く賛同できない。『アザレア』から逃亡した後も、塔の封印執行者としての責任感から命を懸けて封印の任務を遂行したのがアルベである。
そしてアルベは、エドワードが発した甘言にも屈することなく次回の封印執行を断り、ただ家族との平和な暮らしを望み、エドワードはそれを認めた。アルベが背負ってきた数々の苦労の褒賞として。亡き王が抱き続けた民を思う心を受け次いで。
だから、アルベが魔物退治の専門の職員に据えることは許せなかった。
4つ目、友人アルベとその家族の安否。
どの問題もエドワードにとって頭を抱えるほど悩ましいものであるが、これが1番の心配事であった。
アルベを家族の元へ逃がし、黄泉から聞きたくもない提案と暴力を受けた後、間もなく友人が『アザレア』に捕まったとの報告を黄泉が受けたのを聞いた。
アルベは優秀な能力者だ。それは塔の封印をたった一人で成功させた実績から疑いようがない。そんな彼が捕まるとは全く想像ができなかった。
しかし、気を失う最後に見た黄泉の表情と言動にはかなりの余裕があり、捕まったということがハッタリだとも思えなかった。
ひととおり思考を終えたエドワードは立ち止まった。
先の火災現場で煙を吸ったせいか、または友人の安否の心配によってか少し歩くだけでも息苦しさを感じた。
膝に手をつき、俯きながら呼吸を整える。やはりアルベのことが心配であるエドワードは、踵を返してアルベの家に向かおうとも考えた。ただ、家に行ったところでアルベが居るとは限らない。
「……そういえば、いま何時だ?あれから……どのくらい時間がたった?」
ジャケットのポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認した。時計の針は、既に日付変更を告げていた。エドワードがレンジの店を訪ねたのが夜9時ころであったから、およそ数時間はあの場所で気絶していたことになる。
その時間が少し妙だった。
仮に、黄泉がエドワードを気絶させた後、武具店を去る時に火を放っていったのだとしたら、数時間はあの燃え盛る空間に居たことになる。一般的に火事が燃え広がるには10分もかからない。どのような奇跡があったとしても、ごうごうと燃えさかる部屋に数時間も取り残されていたら、ただ髪が焦げるだけでは済まないはずだった。
さらに、『アザレア』の提案は、行政庁官として国民の信頼を得ているエドワードは橋渡し役になるということだった。だから黄泉はどれだけエドワードに恨みが有ろうとも暴力だけで済ませていた。余裕を見せていた黄泉が任務を忘れて、武具店に火を放ちエドワードを焼死させようとしたというには考え難い。
「じゃあ、なんで火事に──」
頭にあふれていた友人に対する不安が、一瞬だけ薄まった。しかし、その一瞬がエドワードの思考を一気に現実へ引き戻した。
人々の悲鳴が聞こえる。
それから真っ赤な炎があちこちの建物を燃やしていた。
雨降りしきる中、懸命に消火作業をする人々の陰影を炎が強調している。
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