年明けに絵本。

赤羽千秋

第1話

 幼い頃好きだった絵本があった。



 渋谷の交差点のような人だかり。メルヘンチックな小さな部屋。その間には壁があり、小さな窓が付いていた。


 部屋には可愛らしいものが大好きな少年が一人住んでいた。ロリータを身に纏い、テディベアを縫い、選りすぐりのティーカップに紅茶を注ぎ、お菓子を食べて過ごしている。

 人々はその小窓から部屋を覗きこみ、嘲笑や嫌悪を顔に浮かべた。少年はその窓から見える一角獣や妖精が住む不思議な世界に心を躍らせていた。

 あるとき、交差点側からヘッドドレスが投げ込まれた。少年は瞳を輝かせて、窓から身を乗り出した。すると一角獣も妖精も存在しない、交差点に出てしまったのである。

 少年は現実の世界でもワンピースを纏い、テディベアを抱いて生活した。周りは高層ビルやマンションが立ち並んでおり、人が沢山存在した。

 しかし少年の目には、彼らは一切映っていないのであった........



 これからの展開は覚えていない。絵のみで構成されたその絵本は、幼い頃の僕にとって不思議で魅力的なものだった。

 なぜ少年が奇異の眼を向けられているのか、小さな僕には分からなかった。




 目が覚めると、恋人の膝の上に僕の頭があった。幼い頃、好きだった絵本の夢を見た。あの少年は、どうなったのだろう。

 目を開いた僕を見て、彼は逆に目を細めた。

「……よかったですね、まだ年は越してませんよ」

 温かい手が髪を滑る。白くて、細くて、骨ばっていて、大きな、好きな手。

「……年明けても、起こすつもり、なかった?」

「どうですかね? ……あ、優心くん、うどん。作りますね」

 僕の頭を押しのけて台所へ立った伊吹いぶきは、あらかじめ用意しておいた麺を入れてゆで始めた。年越しと言えば、そばだろうが、僕は生憎そばが苦手なので、うどんにしてくれたようだ。相変わらず気が利ける奴である。

「準備万端にも程があるでしょ」

「だっておなか空いてたんですもん。優心くん食べきれなかったら俺が全部食べます」

「よろしく、僕あんまりおなか空いてない」


 僕はまたソファに寝転がった。少し大きいテレビが、騒がしい年末の光景を映していた。今年活躍したタレントや俳優を集めた番組らしい。

『やっぱアイドルは恋愛禁止?』

『…おいしいんで絶対行ったほうが』

『……………ここでゲストの登場です!』

『これでどんな汚れも…』

『スズハラくんはどうなの? 彼女、彼女……』

 何度チャンネルを変えても似たような番組ばかりで、何だか気に食わない。おまけにちっとも面白くない。しかも偶然だが『スズハラ』とかいう聞きたくない苗字を聞いてしまった。

 鈴原すずはらとかいう、元彼が僕には存在する。

 割と仲が良かったと思う。けれど別れは最悪だったと思う。

 手を絡めて入った店で、店員に、明らかに嫌な顔をされた。前に入ったカップルには笑顔で接客していた。何が違う。何が悪い。

 それからは、二人でご飯にも買い物にも行かなくなった。気付いたら、バラバラになっていた。僕の内の何かが壊れた気がした。


「……ね、ラジオつけていい?」

 手っ取り早く気分が変えたかった。返事を待たずにラジオを棚から取り出した。

 京都の放送をキャッチできれば数時間早く好きな番組が聴けるはずだ。ノイズが酷いがチューニングできたらしい。前番組が聞こえた。

『ザザサ……お便りのあて先は…ザッザザザ…』

「俺がいるところでそれ聞かないでくださいよ」

 僕の顔色が悪く見えたのだろうか。伊吹は冗談ぽく投げかけた。

 数年間同棲していればどの番組を聞こうとしているのかもう分かるらしい。


「嫉妬しますよ」

 この後の番組のパーソナリティーの声優が、僕は大好きなのである。彼の出演作は基本欠かさずチェックするし、イベントの数少ない男性の動員を支援している身である。つまり、大ファンな訳だ。

 どうやら声優とはいえ別の男の声にデレデレしている僕が気に食わないらしい。と言いつつもたまに、一緒に夜更かししてラジオを聞いてくれるのがまた、愛おしい。

「えー、じゃあ伊吹が面白いこと言ってくれるならいいよ」

「……仕方ないですね、許可します」

 伊吹は無茶振りに弱い。そもそも芸人では無いので弱いも何も無いのだが。

「どーも」

 そうこう言っているうちに、そばが運ばれてきた。あらかじめ僕の分を少なくしてくれたらしい。味噌汁用のお椀によそってある。

「ありがと、じゃ。いただきます」

「いただきます」

『ザッ…なー……は。…宮ザッザザでー。いやー……』

「うわ、全然聞こえない」

 僕は肩を落とした。ところで、ミョウガが美味かった。

「俺に意地悪する罰ですよ、きっと」

 伊吹のうどんはみるみる減っていく。彼は度を越えて食欲旺盛なのだ。限度があるだろうが、僕らの食費は多分四人家族とかと勝負できる位には嵩む。

「これ食べたら、初詣行きましょうね」

 僕は俯きがちに頷いた。


 今年こそは、手を繋いで参道を歩く。少し離れた天神様までお参りに行くから、知り合いに出会うことはきっとない。

「大丈夫ですよ。俺はいつでも待ちますし」

「エスパーかっての」

 伊吹が支えてくれるけれど、心の内の震えは止まらない。手を繋ぐだけ。それだけなのに、どうして僕の心は恐怖に苛まれるのだろう。

 この心の痛みを、乗り越えていけるのだろうか、僕は。

 あんな別れを、伊吹とは共有したくないだけなのに。

「ゆっくり行きましょうよ。誰も急かしませんし……」

「…うん」

「案外、周りは他人のことなんて気にしてないんですよ」

 それでも怖いものは怖いのだ。奇異の眼を向けるべき特別なんて、僕たちの間には無いはずなのに。異質な存在ではないはずなのに。

「……うん」

 大きくて、骨ばった手が、僕の髪を滑って、肩に落ちた。抱き寄せられた。伊吹の大きな体躯が、僕を包み込んだ。そのあたたかさに何時までも縋っていたかった。




 夢に出てきたあの懐かしい絵本。

 奇異の眼から目を背けて、自分だけの世界に閉じこもる。世界に目を向けず、自由であるかのように振る舞う。孤独なあの少年が、いまは少しだけ羨ましかった。

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年明けに絵本。 赤羽千秋 @yu396

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