5−5

 天井から落ちた水滴が、湯船に波紋を作る。

 波紋はそれほど広がらずに消える。雫は湯に浸かりながら、それを眺めている。正確には、目を向けているだけで見てはいないのだが。

 彼女が見ていたのは学校の、美術準備室の引き戸である。

 手を伸ばせば触れられる距離にあったにも関わらず、彼女はそれに触ることができなかった。障害は物理的なものではない。一重に、彼女の内側に存在する心理的なものでしかなかった。

 世界中に恥を晒して平気なの?

 さっき車の中で出てきそうになった言葉が頭の中で響く。

 自分は、父がやろうとしていることを否定しようとした。それは、かつて小学校の教室で自分を取り囲み嗤っていた男子たちと同じではないだろうか。

 彼らの嗤った理由はよくわかる。絵を描くという繊細な作業が、身体の大きな雫には似つかわしくないというのだ。お前には外で走り回ったりボールを投げたりしている方が似合うと、そう言っていたのだ。

 反論しなかったのは、雫自身も同じ意見だったからだ。たしかに自分には絵を描くことなんて似合わないと納得してしまった。簡単に納得できることが、馬鹿にされたこと以上に悲しかった。

 口元まで湯に沈む。そのまま頭の先まで、と思うが、浴槽はそこまで大きくない。

 父に謝るのはおかしいだろう。だが、このままではいけない気がする。父のために何かしなくては。

 そうしなければわたしは、自分の大事なものまで否定することになる。

 天井から落ちてきた水滴が、今度はつむじを打った。

 雫は浴槽の縁に手を掛け、立ち上がった。

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