5−4
交差点に差し掛かり、車は一時停止する。目の前の通りを、ライトを灯した車が何台か通り過ぎる。
それらを待つ間、父の手が握っていたハンドルを叩き出す。リズムが刻まれ、父の中で何らかの曲が流れているのだとわかる。昨夜、納屋で観た光景が雫の目に蘇る。
「ところで雫は、ネットに動画を投稿したことなんかある?」
胸の内側を見られた気がして、雫は息を呑む。
「ないけど。何で?」
「いや、会社の人がね」
父は務めている役場のことをいつも「会社」と呼ぶ。
「自分で撮った動画をネットで公開したいらしいんだけど、なかなか上手くいかないんだって。ちゃんと公開されてるかわからないっていうかさ。調べてもよくわからないらしくて」
「よくわかってないのに、動画だけは撮ったんだ」
雫は外を見たまま言った。
「気持ちの方が先走ったらしい」
「わたしもよく知らないよ。やろうと思ったこともないし」
「そっかあ」
再びハンドルでリズムが刻まれ出す。
やはりあれは夢ではなかった、と駄目を押された気持ちになる。父は現実に、あの曲を歌って動画を上げようとしている。
何故そんなことをするのか、問いたい衝動が胸を内側から突いてくる。夜中にこっそり納屋で歌うのまではわかる。けど、何でわざわざネットに? どうして人の目に付こうとするの? そんなことして何か得られるものでもあるの? 怒り。悲しみ。戸惑い。様々な感情が、目まぐるしく変わる信号機のように明滅する。
最後に灯った言葉は、抗う間もなく喉元までせり上がってくる。
世界中に恥を晒して平気なの?
ぐっと堪え、やっとの思いで言葉を呑み込む。先ほどとは違う種類の溜息をつき、雫は別の言葉を探した。もっと穏当な、父を深くは傷つけずに事の真相を知ることのできる言葉を。
やってくる車の流れはなかなか途切れず、車は走り出すことができない。
ハンドルを叩く音に、メロディーが加わった。口笛だ。笛というほど明確な音ではなく、空気の漏れる音が高くなったり低くなったりしている程度に過ぎないが、たしかに曲を奏でようという意思は感じられた。
運転席へ目を向けると、走ってくる車の灯りを受けて窓に光が溢れている。父の横顔がシルエットとなり、発しようとしていた言葉と、時間の感覚が消える。
同じ横顔を、前にも見たことがある。
一度や二度ではない。
何度も何度も目にした横顔だ。
いつの間にか見なくなってしまった横顔だ。
見なくなるうちに、忘れてしまった横顔だ。
横顔のシルエットが過去で言う。
「お父さん、昔はさあ——」
続く言葉を、雫は知っている。
それは消えてなくなったわけではなかった。記憶の底に沈んでいただけだ。
父の中にもまだ、あの言葉は残っているのだろうか、と雫は思う。
残っているのだ、と自分が答える。残っているから、歌っていたのだ。
「ん?」
左右からの車がなくなり、暗くなった車内で父が言う。
「何か言った?」
「何も」
雫は言った。
車が再び走り出す。フロントガラスの向こうには濃い闇がどこまでも広がっていた。
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