4−1

 スケッチブックの上を鉛筆が走る。

 ラフスケッチだった輪郭線を何度もなぞり、机に置いた目覚まし時計の姿を明確にしていく。描き慣れたそのモチーフをスケッチする行為は、紙に絵を描くというよりも、そこにあらかじめ埋まっている絵を掘り起こす作業に近かった。

 一段落ついた頃には描き始めてから二時間が経っていた。ずっと時計を見ていたにも関わらず、時間の感覚が消えているのがおかしかった。明日からバレー部の練習が始まることを考えるとそろそろ寝る準備をしなければならない。だが、少しだけならという誘惑が雫に再び鉛筆を握らせようとする。もう一枚ぐらい、簡単な物でいいから描きたい。

 机の前で迷っていると、カーテンの向こうで何かが光った気がした。

 雫の部屋の窓からは砂利敷きの駐車場が見える。その向こうには、祖父の代までこの家が専業農家だった名残である納屋が建っている。

 その納屋の中で明かりが灯っている。

 昼間でさえ誰も使っておらず、ましてや日付が変わろうとしている時間である。誰が何の用事で納屋になどいるのだろうか。

 まさか泥棒、と浮かんだ考えを、雫は首を振って掻き消す。そんなドラマみたいなことがあるわけがない。泥棒に盗まれるような物は、納屋はおろか母屋にだってない。両親のどちらかが電気を点けたまま消し忘れたのだろう。

 カーテンを閉め、再び机に意識を戻そうとする。だが、窓の外がどうしても気になって仕方ない。電気の消し忘れならそれはそれで放っておけない気がしてくる。数分後、結局雫は納屋に向かっていた。万が一泥棒が潜んでいた時のために、手には傘立てにささっていた金属バットを握っていた。

 足の下で砂利が鳴るのを抑えるため、極力忍び足で進んでいく。辺りからは鈴虫の鳴き声しか聞こえない。だが、納屋に近づくにつれ、虫の音に混じって別の音も聞こえるようになってきた。

 人の声。低く囁くような男の声だ。

 雫は息を呑む。バットを握る手に力が入る。ここへ来て、戻って父を起こしてきた方がいいのではという考えもよぎる。だが、父の戦闘能力では無用な負傷者を増やすだけだとすぐに思い直す。今年の正月、親戚の集まりの中で何かの流れで父と腕相撲をすることになり、雫は父に圧勝してしまった。父は大層傷ついた顔をしていたが、雫もそれなりに傷ついた。

 二人までなら何とかなる。こちらはバットで武装しているし。そう己を鼓舞し、呼吸を整えると引き戸の脇の壁に身を寄せた。

 音を立てないよう気をつけながらアルミサッシの引き戸を三センチほど開く。くぐもっていた声が鮮明になる。会話ではなく、一人がずっと喋っている。誰かが相槌を打っている様子もない。

「——はい、ではね、早速歌にいこうと思うんですけど、今回の曲はこちらです。——はい、すっかりお馴染みですね。今更かよって言われそうですが今更です」

 息を殺して引き戸の隙間を覗く。

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