3−2

 七時を回った頃、階下から母に呼ばれた。

 リビングに行くといつの間にか父が帰っていて、黒の甚兵衛姿でNHKのニュースを観ながら晩酌を始めていた。雫もその向かいに座る。母が父の隣に着き、夕食が始まる。

 特筆すべきことのない、いつも通りの食事風景である。以前は家族四人で同じ時間に食卓を囲んでいたが、修太郎が部活をやめ、塾に通うようになってからは両親と雫だけで食べることの方が多くなった。初めこそ、見慣れた風景の一角が抜け落ちてしまったような違和感を覚えたものだが、一月もしないうちに馴染んでしまった。両親にとってはどうかわからないが、少なくとも雫はそうだった。

「修太郎は今日も遅いの?」

 コップに発泡酒を注ぎながら父が母に問う。

「そうみたい。寄り道しないで帰ってくるよう言ったけど」

「なんだ、もう呑んじゃったよ。これじゃ迎えに行けないなあ」

「必要ないわよ。自転車で行ったし」

「けど、あんまり遅くなると夜道は危ないよ」

「男の子なんだし何とかするわよ。あ、天気予報」

 母に手で示され、雫はリモコンを操作して音量を上げる。

「男っていっても、まだ子供だよ」

「心配し過ぎよ。熊や狼が出るわけでもないのに」

「現代社会の夜道にはもっと別の危険があるんだよ」

「やだ、明日雨だって。布団干そうと思ってたのに」

「布団よりも修太郎だよ。万が一何かあったら、明日のこと考える余裕だって吹っ——」

 そこへ雫が割り込む。

「そういえばAmazonから荷物届いてたよ。父さん宛で」

「あ、そうそう。何か来てたわね。お父さんが自分で買ったの?」

「うん」

 父は短く言って、コップの発泡酒を空ける。

「それ、どこにあるの?」

「仏間。よかったね母さん。詐欺じゃないみたい」

「カードで買ったの? 番号とか大丈夫?」

「中身、見た?」

 父は雫と母の両方に問いかけた。

「見てないけど」と、雫。

「見られちゃいけない物でも買ったの?」と、母。

「そういうわけじゃないんだけど」

 言いながら、父は缶に残った酒をコップに注ぐ。半分にも満たないそれを一息で飲み干し、コップを置いた。

「ごちそうさま」

「ご飯、食べないの?」

 母は父が手を付けていないおかずを見ながら言う。

「ちょっとやらなきゃいけない仕事を思い出して」

 役場の仕事は持ち帰ることを禁じられている、と以前に父が言っていたことを雫は思い出すが、何も言わないでおく。

 父は仏間を通って出て行った。父が書斎に使っている物置部屋へはそちらを通らずとも向かうことができる。わざわざ仏間を経由した理由は、考えるまでもなく察せられた。

「怪しいわね」

 沢庵を箸で摘まみながら、母が言う。

「うん、怪しい」

 雫も頷いた。

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