第3話
ピコン、ピコン、ピコン、ピコンピコンピコンピコンピコン。
「あーもううるっさい!」
端末の通知画面を見れば、1番上は猫のようなキャラクターのスタンプだった。溜息をついて端末を開けば、既読ついた! と追加でメッセージが送られてきたのでとりあえずはうるさい、とだけ送る。これだけでも喜びそうだなと苦笑した。案の定、嬉しい!と書かれたねこ?のスタンプが送られてきたので思わず吹き出してしまう。
「いや、なんだそれ。お前そんな奴じゃないだろ」
メッセージを遡って見ると、どうやら昼食のお誘いだったらしい。そういえば、今日は1日フリーにするとか言ってたなあと朧気に思い出す。
あれから、俺とはほぼ毎日顔を合わせながら私とはメッセージのやり取りを続けていた。こんなにマメだったのかと驚くくらい、毎日毎日くだらないことや見つけたものの写真、俺の話とかを送りつけてくるので。端末を買って貰った手前罪悪感もあったので、3回に1回くらいは返してやっていた。
やり取りをしているものの、彼はあまり会おうとは誘って来ないので。何故かと聞いてみたところ、やり直したいだけだよと苦笑された。
私にはカッコつけてはいたものの、俺に対してはバーでは会いたいぃぃぃいなんて半ば発狂気味だった。俺は取り乱す姿も可愛いなんて思ってしまったからもう末期だと思う。
彼のこんな姿は初めて見る。見た目に反して気取らない態度ではあったものの、今までは情けない姿を見たことは無かったし弱音も聞いた事がなかった。そんな彼が私に乱されて、変わっていくのが嬉しくて、苦しい。
もっと乱したい。
もっと夢中にさせたい。
もっと私を見て欲しい。
──私だけを、見て欲しい。
どんどん欲は膨れ上がっていき、気がつけば薬をゴクリと飲み込んでいた。慌てて服を脱ぎ捨てると酷い頭痛がしてきて視界がグラグラ揺れて全身に激痛が走って、視界が真っ暗になり──。
パチリ、と次に目を開けた時、視界に入ったのは何も守れないか細くて白い手のひらで。
彼に貰った服に袖を通して、会えるかも分からないバーに向かう支度をし始めた所でピコン、と通知音が鳴る。
『今何してるの?』
あ、そうか。端末の存在をすっかり忘れていた。
『今からバーに来れる?』
送った後通知音が鳴る暇もないくらいに速攻で、勿論! と返って来たので苦笑してしまった。これで確実に彼に会える事になったので、とりあえずは安心した。
『会えるの嬉しいよ』
ドクリと心臓が跳ねる。化粧をする為に見つめていた鏡の中で私が笑っていた。
「ダメ、だなあ……」
両頬を手のひらで押さえて深く溜息を吐く。もう会うつもりも、薬を飲むつもりも無かったのに。こんなにも私の姿で会いたくて会いたくて仕方がなかった。
──今回だけ、1回だけ。
そう思いながら手早く支度をして家を出ると、風にひらりと黒色の膝丈ワンピースが靡いたので慌てて押さえる。女性はこんな心許ない布で下着を守っているのかとヒヤヒヤする。風が吹いたら丸見えじゃないか。
行き慣れた道を歩き慣れない靴で歩き、路地に入りお目当てのバーに到着する。深呼吸してから扉を押すと、見慣れた後ろ姿が目に入った。
彼は端末に触れる手を止めて視線をこちらに向け、そして心底嬉しそうに笑った。私が隣に腰掛けると、何飲む? と聞いたので迷わずエールをお願いすると彼はあはは、流石! と言って同じ物を注文する。エールがカウンターに置かれると2人してゴクゴクと喉を鳴らして飲んで、ぷはーと息を吐いてひげのついた顔を見て笑い合った。
「美人が口ひげって」
「貴方こそ」
「エールって一気に飲みたくなるよね」
「飲むんじゃないわ、流すのよ」
「ギャップに火傷しそうだ」
「ハイハイ、おかわりは?」
「勿論! 君も飲むよね?」
勿論、そう返してドリンクのチケットを2枚彼に渡すと、彼は奢らせてよと微笑む。
「前も貰ってくれなかったわ」
「僕の買った服を君が着てくれたから、君から僕に会いたいと言ってくれたから、メッセージをたまに返してくれるから……まだ理由が必要?」
「屁理屈よ?」
「すっごく似合ってる」
「……ありがとう」
彼は1度決めたことを曲げることがほぼ無い。本当に頑固なのだ。話を打ち切り誤魔化したのでこれ以上押し問答しても無駄だろうと思い、素直に受けることにした。私が苦笑すると、彼はどういたしましてと笑った。2杯目のエールがカウンターに置かれると、今度はゆっくりと味わうように喉を鳴らす。
「もし罪悪感があるなら、利用したいから僕とデートしてよ」
「ホテル?」
「そこまで盛ってないよ……君、甘いもの好きでしょ? だから最近出来たスイーツショップに行きたいなと思って」
「なんでわかったの?」
「この前、甘いカクテル美味しそうに飲んでたから好きなのかなって。当たった?」
こくりと頷けば、彼はまた嬉しそうに笑う。
「そこの店はショートケーキが美味しいんだけど。僕としてはタルトも気になってて」
「美味しいって、行ったことがあるの?」
私の指摘に彼は気まずそうな顔をして、言いたくないんだけど……と言い淀んでから頭をかいて観念したように話し出す。
「持ち帰りで、下見しました」
「ふふっ」
「格好悪いから言いたくなかったんだけど」
「てっきり女の子と来たのかと思ったわ」
「まさか! 君と出会ってから1度だってよそ見してないよ?」
「えっ」
てっきりバーで俺と別れたあとはいつものように仕切り直しているとばかり思っていたので動揺して反応に困っていると、彼は特大の溜息をついてまあそうだよねと落ち込んでしまった。
「貴方、性欲の塊でしょう?」
「人を化け物みたいに……それだってただ、特徴探しの一環だったんだ」
「特徴?」
「養護施設にいた子を、探してたんだ。幼いながらに、結婚しよーって約束してて。ずっと忘れられなくて。諦めきれなくて。背中のホクロが繋ぐと三角形になって、太ももの付け根にハートのあざがある事しか確認する方法が無かったから……僕がいくら顔立ちのいい男でもいきなり見せてって言うのは捕まるでしょ? だから一晩限りの遊び人なら面倒な事もないし、その……その子が見つかった後信用を失うとか後先は考えてなかったんだけど」
心臓がドクリと跳ねる。
そんなの、聞いてない。
私にある痣とホクロは相手の理想を写したものでは無いかと疑いを持った俺は、戻ったあとも自分の体を確認した。それは、消えずにちゃんとあった。つまり、彼がずっと探していたのは皮肉にも俺だったということで。
「奇跡ってあるんだと思ったんだ。半ば諦めてたけど……」
彼は私の手をきゅう、と握って嬉しそうに微笑む。
「ちゃんと出逢えた」
私は上手く、笑えていただろうか。
後日、 本当にケーキ屋さんに行くことになったので、あの壮絶な痛みと戦った後私は支度をして彼に会うための支度をしていた。今日は町娘が好きそうなスカートの装飾の少ない紺色のワンピースにした。これなら大きな胸も強調されることがなく
「ケーキ、どれにする?」
「私は、その。ショートケーキにするわ」
罪悪感で胸がいっぱいだった。正直、養護施設の事はまるっきり覚えていない。俺が欲を出してこんな事をしなければ、彼の初恋は笑い話になる筈だった。
一晩だけでいいと、そう思った。そうなると思っていた。ただの一度抱かれた思い出を胸に、一生を生きていこうとそう思っていた。
「どうしたの?」
彼の顔が見れなかった。自分のせいで、叶うはずが無かった彼の願いを叶えてしまった。そして、いつかは裏切らなければならない。俺は薬がなければただのイカつい男だから。
「口に合わなかった?」
ケーキの味がしなかった。苦しくて、口を開けばただただ意味の無い謝罪を繰り返してしまいそうだった。
「帰ろう」
彼は立ち上がると、一口しか食べられなかったケーキを持ち帰り用だよとタルトを追加して一緒の箱に入れてくれた。
──俺には、こんなことして貰う資格なんてないのに。
店を出ると行き交う人々は当たり前のように男女で手を繋いでいて、子供達は無邪気に追いかけっこをして楽しんでいた。
自分の手をじっと見る。白くて細くて、何も守ることの出来ない手。剣だこも何も無い、柔らかな女性の手。
彼は私の腰に手を回して支えるように横に立って、心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫? 家はどこ? 送るよ」
「私、旅人だから。家はないの。宿を転々としてる」
「今の滞在先は?」
「乗合馬車に乗れば着くわ」
「滞在先まで行くよ」
私はふるふると首を振る。彼に会うのは今日で最後にしよう。そう思って彼から離れようとした時、腰に回された手が私を引き寄せてきゅうと抱き締められ逞しい胸板に顔が埋まる。
「な……なに?」
「1ヶ月、1ヶ月だけでいい。僕と一緒に過ごして欲しい」
「それは……何故?」
「君は何らかの事情で、好意を寄せる僕に対して罪悪感を抱いてる。違う?」
彼は昔から鋭いところがあって、流石の洞察力に何も返せずただこくりと頷く。
「事情は聞かない。だけど、僕にチャンスをくれないかな」
「毎日は会えないわ」
「連絡だけでいい。週にどれくらいなら……会ってもらえる?」
「冒険者としての仕事もこなさないと生活が」
「一緒に行こうか? 知っているだろうけど、僕はS級ライセンス持ちだから」
「初心者ランクとは組めないわ」
俺が彼と同じ依頼をこなせないのは、この仕組みにあった。S級ライセンス持ちは特別な事情でもない限り1ランク下までのライセンスとしかパーティを組むことが出来ない。
ライセンスは上からSSS級、SS級、S級、A級、B級、C級、D級、E級、最下層は誰でも貰える初心者ライセンス。SSS級はこの世に存在していない、SS級は1人、S級は10人居るかどうからしい。功績はドラゴンを倒すとか、新しい発見をするとか分野ごとに細かく別れていて。同じ等級でも受けられる依頼が違っていたりする。
因みに俺は万年D級冒険者で。E級からD級に上がるのはそんなに難しくは無いけれど、D級からC級に上がること。大概皆ここで躓いて挫折していく。俺は挫折してはいないものの、万年D級と周りに馬鹿にはされていた。彼と出会ってからはそういう奴らが片っ端から教育的指導(拳)を受けたので、今は無くなったけれど。
話は逸れたが、こういった事情もあって彼は公式的? にパーティを組むことが出来ない。それを理解しているはずなのに持ちかけたのは、非公式(報酬なし)で手伝うと、恐らくそういう意味合いなのだろう。
「そこまでされる程、落ちぶれてはいないの。私は確かに女冒険者だけれど」
「ごめん!! そういった意味合いはない、ただ君と一緒に過ごせればと思っただけだ。安易で浅はかな考えだった。本当にごめん」
「……でしょうね。言葉には気をつけて?」
あからさまにしゅんとしてしまった彼が何だか可愛らしく見えて、子供をあやす様によしよしと頭を撫でてやる。彼は情けない顔のまま私を見て、ごめん、と呟く。
「もう、怒れないじゃない」
「本当は毎日でも会いたいんだ。夜だけでもいいから。今月だけだから。だから……」
はあ、とため息をつく。好きな人からこんなにも切羽詰まった様子でお願いされて、断れる奴なんて人間じゃないと思う。
命を削って願いを叶えてやる、か。と心の中で苦笑する。どうせ長く生きたって万年D級冒険者が送る人生なんてたかが知れているだろう。例え1ヶ月だけでも好きな人の傍に居られて、その人の一生に残れるのなら。
「いいわ。毎日、夜だけなら会ってあげる」
代償として、なんて安いんだろう。
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