第4話

 どうやら空き缶の回収日らしい。そう言えばそんな回覧版を見たような見なかったような……と考えていると、ルーエルが手を離し駆け出していった。

「ちょっ、待ちなさい」

 思わず声をあげ、集まった人の注目を集めてしまう。あいまいな会釈でごまかして、ルーエルのもとへ行く。輪っかを探すのかと思いきや、アルミの空き缶を足で潰したり、スチール缶が混ざっていないかを調べている回収作業を眺めていた。

「一佳さんはこれ、やらないんですか?」

 屈託無くそう尋ねるルーエルの手を引き、一佳は公園から出る。不思議そうな彼に目を合わせるためにしゃがみこみ、噛んで含めるように言う。

「いい、ここに何しに来たのかな? 輪っかを探すんだよね。空き缶集めを見てる暇は無いよね。早く探そ……」

「あの……どうかしましたか?」

 不意に背中から声をかけられる。大家さんの孫が後ろに立っていた。彼女には一佳の姿が、しゃがみこみ意味不明の独り言を言う女性に見えただろう。

「いえ……その、何でも無いんです。空き缶を捨てに……」

 それでも不審そうな表情を崩さない彼女の注意が、公園から呼ぶ声でそらされた。

「岡田さんちのお孫さん、そろそろ行くよ」

 渡りに船とばかりに一佳は話題を変えて、何か始まるのかと聞いてみる。何でもこれから、河川敷まで空き缶拾いに行くのだという。月に一度の町内会の活動の一つで、彼女(岡田美輝という名前だそうだ)は旅行中の大家さんの代理として出ることになっているらしい。

「笹崎さんも一緒にどうです? 若い人自分一人じゃちょっと……」

「いえ、私は……」

 一佳は断ろうとしたが、ルーエルは公園に集まっていた人について歩いていた。彼女は何度目かのため息をついて、ついていくことにする。輪っかを探す気があるのか無いのか分からない彼の態度に、怒る気も失せていた。彼は相変わらずチョロチョロ動き回り、周りのもの全てに歓声を上げたり、触ったり、じっと見つめたりしていた。目を離すとどこかへ行ってしまいそうだ。声をかけて注意したいがそれも出来ない。

 お年寄りが多いので歩くペースは遅い。深く高く冴え渡った青空の下、車も通らない田んぼや畑の間の道をテクテクと歩いていく。若い人の参加は珍しいのだろう、一佳は何かと話し掛けられた。しかし、彼女は基本的にそういうのが苦手なのだ。会社でも人付き合いの悪い人で通っている。だが、この状況下でそれを面倒くさがっているわけにもいかない。何とか話を合わ、相槌を打ち、笑顔を浮かべる。

 そんなこんなで、一時間と少しかかって河川敷の広場まで来た。町内会の人たちはここから折り返し別のコースで公園に戻るのだが、一佳はここで輪っかを探さなくてはならない。何とか他の人達の追及を振り切って、河川敷に残る。

「さぁ、探しま……って、ルーエル!」

 彼は川の方へ走っていた。今までのことから考えて輪っかを見つけたとは思えない。コンクリートで護岸された川岸は意外と高いのだ。慌てて追いかけて、川に近づかないよう言い含める。だが、広い河川敷をどう探せばいいのだろうか。手入れされた場所ばかりではなく、草が生い茂っているところも多い。途方にくれそうな彼女の救いは、危機感を感じさせないルーエルの笑顔だった。

『……って、この子がしっかりしなきゃダメじゃん』

 そう思った矢先、彼は一つの提案をした。

「僕、のどが渇いたんですが」

 真面目に輪っか探しを考えている自分が馬鹿らしくなった。ルーエルが心配していないのだ、彼の好きなようにやらせてそれに付き合えばいい。十一時半を過ぎていたのでお昼にする。少し歩いて見つけた喫茶店に入った。

 一番隅のボックス席で、ルーエルがカウンターの店員から見えないよう(見えないのだが)に座る。何も無い空間に食べ物が消えていくのを見せる訳には行かない。ランチのセットにチョコレートパフェを頼み『大食いの女だって思われる』というぼやきを胸にしまう。

 背後の店員に気を配りながらも、口の端を汚しニコニコとパフェを食べるルーエルを眺める。

 日頃の不摂生が足に来ていたため、思いのほか長居してしまい、再び河川敷に戻ったのは一時過ぎだった。広場の一つで子供が野球の練習をしている。あまり大きな子がおらず、コーチらしき人もいない。その子達を連れて来た母親らしき人が二人いたが、練習というより遊びだった。

 案の定、ルーエルはそこに駆けて行って彼らの様子を食い入るように見つめている。少し離れてその様子を見ていると、足元にボールが転がってくる。手を振ってボールを投げ返すように叫んでいる子がいた。

「おばちゃーん、ボール投げてー!」

「お・ね・え・さ・ん!」

一佳はズボンと運動靴を履いてきたことに感謝し、思いっきりボールを投げた。なまっているとはいえ、高校三年間ソフトボール部にいたのは伊達ではない。ボールは手を振っていた子の頭上をはるかに飛び越し、遠くへ転がっていった。

 歓声が上がって、子供達が集まってきた。十人くらいの子供が一斉にしゃべるので、何を言っているのかよく分からない。だが、監督をしている人が一軍(彼らより年上の子供達のことのようだ)の試合を引率していてないということと、代わりにコーチをして欲しいということを言っているらしかった。出来ないといっても聞いてくれない。

 しかし、お母さん方にまで頼まれ、ルーエルの「すごいですねぇ」という感嘆の声と期待の眼差しを受けるともう引き下がれない。結局、臨時のコーチを引き受けることになってしまう。もっとも幼稚園くらいの子供から小学校低学年、しかも比較的下手な子ばかりだったので、バットの振り方やボールの取り方を教えるだけでよかった。お母さん方の作ってきたオヤツまでご馳走になり、四時くらいまでコーチをしてしまった。

 来週のコーチまで約束させられて彼らと別れると、もう日が傾いている。

 比較的暖かかった日とは言え、空気の冷たさが増してくることが分かる。これから一気に暗くなるだろう。そろそろ家に戻らなくてはならない。一日かけて、まともに輪っか探しは出来なかった。

「見つかりませんでしたね」

「そりゃ……探さなかったんだし」

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