第1話 キツネ
家具職人だった僕の祖父は僕が生まれてすぐに、祖母は僕が高校生の頃に亡くなった。
祖父の記憶はないが、両親が共働きだったこともあり、小さい頃はおばあちゃんっ子で、祖母がよく一緒に遊んでくれた。
祖母が話して聞かせてくれた「キツネにだまされた話」が大好きで、何度もせがんでは同じ話を繰り返し聞いた。
毎回同じ内容なのに、僕は飽きもせずにドキドキして目を輝かせていた。
キツネに“つままれた”或いは“化かされた”の方が一般的な言い方かも知れないが、祖母はキツネに“だまされた”話だと言った。
祖父母が結婚してまだ間もない頃の話だから、時代は大正末期。
二人は和歌山県の紀の川沿いの同じ小さな町出身で、そこで暮らしていた。
ある日のこと。祖父は用があって隣町に出かけた。車などないから当然徒歩だ。
夕方までに帰る予定が、用事が延びて日が暮れてしまったらしい。
祖父は町への一本道を一人で歩いて帰る。
使い慣れた道だから迷うことはないが、まだ車もほとんど走らないような田舎道。この時代に街灯などない。提灯も持ってきていない。
宵の口の薄暗い道を歩いていくと、町が近くなってきた辺りで、道端に一人の女の子が立っていたそうだ。
初めて見る、四、五歳ぐらいの女の子。
「どこの子や」
「こんな夜道で何しとる」
「家に帰れんようになったのか」
いろいろ尋ねてみるが要領を得ない。
さて困った。日が暮れた道に一人残していくわけにもいかない。
祖父が「一緒に町まで帰るか」と尋ねると、女の子はうなずいた。
祖父は自分が知らないだけで、同じ町のどこかの家の子供だと思ったらしい。とにかくここに置いてはいけない。
足元がおぼつかない夜道、転んだりしたら危ない。祖父は女の子と手をつなぎ、また一本道を歩き始めた。
祖母は帰りの遅い祖父が心配になり、家の前まで出て、まだかまだかと待っていた。
一般の家庭には電話など無い時代。急な要件も、連絡する術がない。
しばらくして、道の先にやっと祖父の姿が見えてきた。
辺りはもうすっかり暗くなっている。
「すまんすまん。用事が遅なってもうてな。帰って来る途中で、この子がおってなあ。一緒に帰るて言うから連れてきたんや。どこの子やろな」
祖父が説明する。
「はあ?何言うてんの」
祖母は祖父の言ってる意味がわからない。
「何言うてるて、こんな夜道に子供ほっとかれへんやないか。せやからこうして手つないで帰ってきたんや」
「手つないでて、よう見てみ」
「何がや」
「自分の手見てみ」
祖父がつないだ方の手を見ると、やせた大根を一本握っていたそうだ。
「おじいちゃんな、キツネにだまされよってん」
そう言って祖母が笑った。
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