第29話 音楽の中の葛藤

数日後、ピアノ室にこもる三人の姿があった。アンサンブルの練習は順調に進んでいるように見えたが、柚月の中には焦りと不安が少しずつ募り始めていた。「星の迷宮」という曲が持つ奥深さに惹かれながらも、自分の音が本当にこの曲の一部になっているのかという疑問が消えなかった。


その日も、三人で演奏を始めた。冒頭の部分は滑らかに流れ、チェロとバイオリンがピアノの音と調和していく。しかし、曲が中盤に差し掛かると、ピアノのリズムがほんのわずかに崩れた。それに引きずられるようにチェロの音も遅れ、バイオリンの高音が孤立してしまった。


アキ(弓を下ろして)

「ちょっと待った!今、どこかズレたよね?」


翔もバイオリンを膝に置き、軽くため息をついた。


「中盤のところだ。ピアノが少し走ってたかも。」


柚月は肩を落とし、小さな声で言った。


柚月

「…ごめん。私のせいで。」


アキがすぐに否定するように手を振った。


アキ

「いやいや、そんなことないよ!この部分、全員が難しいんだって。」


翔も穏やかな声で続けた。


「そうだ。俺たち全員の課題だよ。一緒にやってるんだから、一人のせいじゃない。」


だが、柚月の心はそれでも晴れなかった。彼女は鍵盤に目を落としながら、自分の音が他の二人に迷惑をかけているのではないかと感じていた。


柚月(心の声)

「私がもっとしっかり弾ければ、みんなが合わせやすくなるのに…。私の音は、ちゃんと役に立っているのかな。」


その思いが彼女の指を鈍らせ、再びつっかえる箇所が増えていった。


練習が終わり、三人は一息つくために外の庭に出た。夕焼けが町を包み込み、空気が少し冷たくなってきていた。アキと翔は少し離れたベンチに座り、話をしている。柚月はその様子を見ながら、庭の片隅で一人立ち尽くしていた。


柚月(心の声)

「みんなはこんなに堂々としているのに、どうして私だけがこんなに不安なんだろう…。私に、この曲を弾き切る資格なんてあるのかな。」


彼女が考え込んでいると、不意に後ろから声がした。


佐伯先生

「柚月さん、どうしたの?」


振り返ると、佐伯先生が穏やかな表情で立っていた。柚月は一瞬言葉に詰まり、正直な気持ちを打ち明けるべきか迷った。


柚月(小さな声で)

「…私、自信がなくて。自分の音が、この曲の中でちゃんと役に立っているのか分からないんです。」


佐伯先生はしばらく黙って柚月を見つめた後、静かに言葉を紡いだ。


佐伯先生

「音楽に答えを見つけるのは簡単なことではないわ。でも、あなたの音は確かに二人を支えている。それに、今のあなたが不安を感じているということは、それだけ音楽に真剣に向き合っている証拠よ。」


柚月はその言葉にハッとした。自分が感じている葛藤が無意味なものではないと気づかされたのだ。


佐伯先生

「迷ったときは、自分が一番大切にしたい音を思い出して。それが、あなたの音楽の軸になるわ。」


柚月はゆっくりと頷き、目を閉じて深呼吸をした。心の中で、これまでに出会った音楽の瞬間が浮かび上がる。母の「帰る場所はここだ」という言葉や、仲間たちとの調和が蘇り、胸の中で温かく広がっていった。


その夜、再びピアノに向かった柚月は、迷いながらも鍵盤に手を置いた。彼女の指から紡ぎ出される音はまだ不完全だったが、そこには確かな意志が感じられた。


柚月(心の声)

「私の音楽に答えはないかもしれない。でも、この音を信じて進もう。」


静かな夜のピアノ室には、少しずつ成長する音楽が響いていた。


カット:月明かりに照らされた窓から見える柚月の横顔。その目は、迷いながらも新たな希望に満ちている。


次回予告

「星の迷宮」を完成させるために、柚月たちは新たな方法で音楽に向き合うことを決意する。しかし、それぞれが抱える葛藤が徐々に浮かび上がり、彼らの絆が試される――。

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