第27話 新たな迷宮

夕暮れの光が差し込むピアノ室。鍵盤に手を置く柚月は、楽譜の端まで続く音符の列をじっと見つめていた。それは佐伯先生から手渡された新しい課題曲「星の迷宮」。その名の通り、音は絡み合い、迷路のように複雑だった。


柚月(心の声)

「この曲、まるで迷子になるみたい…。今までの練習とは全然違う。」


彼女は深呼吸をして、鍵盤に指を落とす。低音から始まる不協和ぎりぎりの和音が空間に響き、すぐに高音がその上を飛び跳ねる。指は音の波を追いかけるように動き続けたが、途中で音が止まってしまった。


柚月(小声で)

「…ここだ。またつっかえた。」


それは、左右の手が対話するように動く難しいフレーズだった。彼女は何度もその部分を弾き直すが、リズムが乱れてしまう。焦りと悔しさが胸に広がり、椅子にもたれてため息をついた。


「一人でそんなに頑張らなくてもいいんじゃない?」


不意に声がして、柚月は驚いて顔を上げた。扉の向こうに、アキがチェロケースを肩にかけて立っていた。彼女は笑みを浮かべながら、部屋に入ってくる。


アキ

「また難しい曲に挑んでるね。ちょっと聞こえたけど、いい音してたよ。」


柚月は照れくさそうに答えた。


柚月

「でも、まだ全然ダメで…。この部分がどうしてもうまく弾けないの。」


アキは譜面台の前に立ち、楽譜を見ながら口笛を吹いた。


アキ

「うわー、確かにこれは迷宮だね。左右の手がバラバラなことやってるし、普通なら混乱しそう。」


そのとき、廊下からもう一人の声が響いた。


「また二人で盛り上がってるのか?」


翔がバイオリンケースを片手に現れ、少し笑いながら二人の間に割って入った。


「新しい曲か?見せてみろよ。」


アキが楽譜を手渡すと、翔は少し眉をひそめて口を開く。


「これ、俺たちのアンサンブルでもやったことないレベルだぞ。」


柚月は不安そうに二人を見つめた。


柚月

「…私、弾けるようになるのかな。」


アキはチェロを取り出し、弓を軽く弾きながら言った。


アキ

「一人で考え込んでないで、みんなで音を出してみればいいんだよ。ね、翔?」


翔もバイオリンを取り出し、弦を軽く弾く。


「確かに。一人で迷宮に入るより、三人で迷宮を探検するほうが楽しいだろ。」


柚月は二人の言葉に少し戸惑ったが、やがて微笑んで頷いた。


柚月

「ありがとう、二人とも。私、一緒に音を探してみたい。」


ピアノの旋律が再び響き始める。低音が道を切り開き、そこにチェロの深い音が加わる。バイオリンの音は軽やかに高みを舞い、三つの楽器が少しずつ重なり合っていく。最初はぎこちなかった音が、次第に形を取り始める。


柚月(心の声)

「みんなと一緒なら、道が見えてくる…。音が迷いながらも、前に進んでいる。」


フレーズの途中で崩れても、アキがリズムを支え、翔が音を引っ張る。三人の音は互いに補い合いながら、まるで迷宮を一歩一歩進む探検隊のようだった。


演奏が止まり、しばし静寂が訪れた後、アキが満足げに弓を下ろした。


アキ

「ほら、ちょっとだけ迷宮の地図が見えてきたんじゃない?」


翔も頷きながら、バイオリンを抱えたまま柚月に視線を向けた。


「柚月、いい感じだったぞ。あとは少しずつ慣れていけばいい。」


柚月は息を吐き、二人に向かって笑顔を見せた。


柚月

「うん。少しずつでもいいから、この曲を弾けるようになりたい。自分の音を信じて、最後まで進んでみる。」


窓の外では、夕暮れが町を優しく包み込み始めていた。三人の影が長く伸び、音楽とともに新しい挑戦が静かに動き出している。


カット:ピアノ室の窓から見えるオレンジ色の空と、三人の背中。まだ道の途中だが、彼らの音は確かに重なり始めている。


次回予告

柚月たちの「星の迷宮」はついに完成へと近づく。だが、その過程で彼女たちは新たな試練に直面する――音楽に向き合う中で生まれる葛藤と成長が描かれる。

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