第3話

 もちろんノーラにも婚約者がいるわ。平民だけれど王都にある商会でサンドス男爵よりも遥かに裕福なの。そこの子息がノーラの事を気に入ったみたい。商会も男爵位が欲しいし男爵も商会の財力は魅力的だったからお互いの利益のためにノーラは婚約したらしい。


 何故私が詳しく知っているかというと、ノーラの婚約が決まった時にアランが馬車の中で不機嫌ながらもお前のせいだと詳細に語っていたから。




「旦那様、ピシュノヴァー伯爵と子息がお見えになっております」

「……分かった。彼らをサロンへ通しておいてくれ」

「畏まりました」

「……マノア。すまんな。いくらお前が思っていても今回ばかりは許せそうにない」

「父さん、当たり前です。マノアを放ってあの女を介抱したのです。我が家は必要ではないのでしょう」

「そうだな。ではサロンへ向かう。お前たちはマノアに付いていてくれ」


 父はそう言うとサロンへと向かった。母は口を開く事はないけれど、私の手を握り涙を流しつづけている。


「ねぇ、マノア。一緒にサロンへ行ってみない?楽しそうだよ?」


死神は楽しそうにしながら私をサロンへ行こうと誘う。


「死神さん、どうやってサロンに行くの?」

「ほら僕の手を握ってごらん?」


 私は死神の手を取ると道化のように笑いながら歩き始める。先ほどの父達と同じように壁をすり抜け、床をすり抜けてスルリとサロンへと着いた。


物をすり抜けるのは気分的にあまり気持ちいいものでは無かったけれど、痛みや不快感は全くなかったわ。私はみんなが言うゴーストという状態なのかしら。


「んーそうだね。まだ死んでいないけどね。ほらっ君も座って」


死神には私の考えは言葉にしなくても伝わっているみたい。


 彼は勢いよく伯爵の隣に座った。けれど気づく様子はないみたい。伯爵はずっとハンカチを握りしめ、汗を拭きながら勧められたお茶を飲んでいる。その横には無表情のアラン様が座っている。私は向かいの父の横に座る。けれど、三人とも私達に気づく事はないようだ。




「本日はどのようなご用件ですかな?」


父は厳しい表情でそう口を開いた。


「クオッカネン侯爵に謝罪とマノア嬢が王宮から帰ってきたと聞きましたのでお見舞いに……」


伯爵は頻りに汗を拭いている。


「残念ながらマノアはまだ目を覚ましていない。彼が助けた男爵令嬢はその日のうちに帰ったらしいがな」

「……すみません。俺が、俺がノーラを優先したばかりに、こんな事になるとは、思っていなかったんです」


アランは流石に反省をしているのか謝罪の言葉を口にしている。


「謝罪はいらない。隣にいた婚約者のマノアよりも男爵令嬢が大切ならその娘と結婚すればいい。君の望み通り婚約を解消してあげよう」

「侯爵っ、そ、それだけはっ。アラン、お前も謝りなさいっ」


伯爵が必死になっている横で死神はケタケタと笑っている。


「あー可笑しいっ。面白いね。伯爵はこんなに必死なのに息子は上辺だけ。深刻さが全く分かっていないんだね」


 私は楽し気な死神を放って黙って様子を見ている。二人とも父に頭を下げて謝っているが、父が執事に視線で合図を送ると執事は予め準備しておいた婚約解消の書類をテーブルの上に置いた。


「どうぞ頭を上げて下さい。アラン君のした事は多くの貴族達の目に止まった。私達が学院で噂が広まらないように手を回していた事も水の泡となった。話は広まる一方でしょう」

「そ、それはっ……」

「アラン君の希望通りノーラ男爵令嬢と婚姻するしかないでしょうな。むしろ彼の本望では?こちらとしても美談として語らせて貰いましょう」

「……」


伯爵は二の句が継げないでいる様子。


「アラン君、非常に残念だ。この婚約は家同士の繋がりもそうだったが、マノアは君の事が好きで婚約を続けていたんだよ。

学院で噂が立った時に婚約解消を求めたが、アラン君が好きだから待って欲しいと言ってな。マノアは君に好かれていないと分かっていても結婚を楽しみにしていたんだよ。

君には心底がっかりだ。さぁ、ここにサインをしておくれ」


 いつも私には優しい父が今まで見たことのないほど怒っているのが分かる。私はずっと父に心配させ続けているのね。アランは父の話した事を初めて知ったような顔をしている。


「マノア嬢が、俺の、事を?」

「あぁ。そうだと言っているだろう?それを君は無下にしたんだ。マノアから手紙が届いていなかったのかい?娘はいつも嬉しそうに君宛に手紙を書いていたようだが。まぁ、今となってはもう遅い。娘は未だ目覚めず、婚約者でいる事は難しい。さぁ、サインを」


 伯爵は何度も横で謝罪をしているが、アランは父に言われるがまま婚約解消の書類にサインをした。


 本来なら婚約破棄でも良かったみたいだけど、慰謝料で伯爵家はすぐに潰れてしまうのは目に見えていたし、父なりの温情なのだとも思う。

彼が毒を持ち込んだのではないので責任を問う事が出来ないけれど心の内では腸が煮えくり返っていても可笑しくはない。


 私だって兄が同じような目に遭ったら怒りを何処にぶつけていいか分からない。


私ならきっと婚約者を責めてしまうわ。


 伯爵は最後まで汗を拭きながら、アランは青い顔をしながら我が家を後にした。

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