第1話 魔法使いと杖

 月にはウサギが住んでいるという。ウサギはいつも地球を狙っている。なぜなら、ウサギの好物は人間なのだ。

 人間を食べる月のウサギ。

 満月の夜は、月の力が強くなる。月明かりが様々なところに影を作る。その影を通して月のウサギは地球にやってくる。そして、人間を食べる。

 だから、満月の夜は出歩いてはいけない。



 というのが、世界的に広く流布している常識だ。話の子細は変わることもあるが、骨格は変わらない。これがいわゆる、「満月の制約」である。

 だが、こんなおとぎ話を信じる現代人などいない。大人になればサンタクロースが親であったことを知るように、ダットが人を食べるだなんて信じているのは子供くらいだ。夜更かしをする子供が早くベッドに向かうようにと、親がする怖い話。

 電気の発明により、地球の夜は明るくなった。夜であっても、どこかに電灯の明かりが灯っている。夜における星や月の存在感は薄くなった。煌々と夜を照らすのは月明かりではなく、電灯に変わった。リスクのある月夜を選んで夜道を行く必要はなく、夜の外出の難易度はぐっと低くなった。

 近年では、「満月の制約」が経済活動の妨げになっているとして、経済界からは撤回の声が上がっている。

 現在では無用な長物となった制約。のはずだったのだが。

「ダットは実在する。おとぎ話でも過去の話でもなく、現実として今も」

 マサムネの言葉をタビトはただぽかんと口を開けて聞くしかない。

 マサムネに連れられてきたのは、CROWNという組織の日本支部の支部長室。驚くことに、マサムネはCROWNの日本支部長、すなわち日本のトップだった。時には総理大臣さえ凌ぐ権限を持つ、などとマサムネ本人は言っているが、これはさすがに嘘だろう。嘘だと信じたい。嘘だと言ってくれ。傲岸不遜を絵に描いたようなマサムネに日本の命運を預けるのは怖い。

 CROWN日本支部支部長室内は、実用性を重んじつつも大企業の社長室を彷彿とさせる。木で作られた重厚感ある執務机、ガラスの机と革張りのソファで構成された応接セット、壁の一面を覆うほど大きな巨大なスクリーンなどが品良く並んでいる。

 マサムネは執務机とセットになっている椅子に座っている。机の上に足を上げて説明を続ける。応接セットに座ったタビトはマサムネの足癖の悪さに辟易する。最初に見せたえせ臭い笑みは完全に余所向きだったようだ。今は取り繕うこともせず、堂々と横暴さを見せつけられる。

「CROWNは、正式にはControl of Rule by Organization which the World Nationという」

 スクリーンにでかでかとCROWNの正式名称が映し出される。だが、筆記体で書かれた英語は、英語に堪能ではないタビトには少々厳しい。

「コントロール……?」

「日本語だと全世界統制機構だ。英語もまともにできないのか」

 マサムネの言い分にむかっとくるが、その通りなので反論はできない。英語も長いが、日本語訳も漢字が連なっていて難しい。

 国際連合も世界を代表する機関の一つだ。だが、国連に全ての国が所属している訳ではない。あくまで参加したい国だけが参加している。

 だが、このCROWNには地球上の全ての国が加盟している。抜け出すことはできない。

 それは何故か。月にダットがいるからだ。ダットが未だ月から地球を狙っている以上、地球人類は団結して立ち向かわなければならない。

 いつからダットが月に住み始めたのか。事実は歴史の闇に葬られてしまって誰にもわからない。だが、実際にいるし、その動向を観察するに地球人類の滅亡を目論んでいることも明らかだ。

 故に、CROWNは組織され、現在に至る。CROWNの発足は、人類史と同時期であるともされる。

「じゃあ、どうしてダットもCROWNも秘密になっているんですか? ダットが本当にいるなら、公表すればいいんじゃないですか」

 だが、マサムネの説明だけでは納得できない。おとぎ話でも過去の話でもないのなら、きちんと人間に説明すべきではないだろうか。秘密にしているから、タビトはダットに襲われたし、「満月の制約」にケチが付く。全員がダットについての知識を身につければ、対策だってそれなりにとれる。

「それが難しい話でな」

 マサムネは大きく溜息を吐く。投げ出していた足を下ろし、代わりに机の上で手を組む。「ダットの性質も関係してくるのだが……。そもそもダットが本当に地球へやってくるだなんて、誰も信じていなかった。実際、今まではダットが地球にやってくるなんてことはなかったしな。公的に記録に残っているのは『竹取物語』くらいだ」

「『竹取物語』って、かぐや姫の? 昔々、おじいさんとおばあさんがいました、ってやつの?」

「おじいさんは竹藪に、おばあさんは川に洗濯に、という、あの伝奇小説だ。あの話に出てくるかぐや姫はダットだったとされている」

 これまた、タビトは驚いてマサムネを凝視する。スクリーンが、タビトの記憶を想起させるように、竹取物語絵巻を表示する。

 『竹取物語』は、竹取の翁が光る竹を割ると、そこに美しい姫君が入っていた、というところから始まる物語だ。美しい姫君はすくすくと成長し、やがて彼女を巡る5人の求婚者が現れる。かぐや姫は求婚者にそれぞれ宝物を持ってくるよう命じる。だが、彼らはかぐや姫の難題をクリアできなかった。

 次に当時の帝がかぐや姫に求婚する。だが、かぐや姫はやはり帝の求婚も断る。かぐや姫は月の住人で、月に帰らなければならないのだというのが理由だった。さめざめと泣くかぐや姫のために、帝は月から迎えの来る満月の夜、かぐや姫のために兵を配置した。だが、帝が配置した兵たちの奮闘も虚しく、かぐや姫は月に帰っていった。

 教科書に必ず載っている、定番のお話だ。確かにかぐや姫は最後月に帰るが、それがまさかダットの襲来だとは誰も思いいたってない。

 だが、言われてみれば確かに。小学1年生だけではない。中学校でも高校でも、必ずかぐや姫、もしくは竹取物語の話は必ず教科書の一番始めに載っていたし、何度も繰り返し、暗記するまで音読をさせられた覚えがある。外国の教科書も同じように竹取物語を扱っているのかもしれない。

「光り輝く竹……」

 そもそも竹取の翁がかぐや姫の入っている竹を割ったのは、竹が光っていたからだ。昨日対峙したダットを思い出す。金属質な身体は、月光を反射すれば美しく光り輝くだろう。

「かぐや姫以降、主立ったダットの襲撃はなかった。だから、CROWNは組織とダットを秘密にすることにした。不用意に人の不安を煽るよりは秘密にしておいた方がマシだと思ったんだろうな」

 ダットが地球に攻め入るかもしれないと不安を抱えながら生きるよりは、ごく少数が秘密を共有し、ダットの研究を進めた方が良いという結論に至った。

 そして、民間人はいつしかダットが実在したことを忘れ、伝説の生き物の一つ、ドラゴンや幽霊の仲間だと思うようになった。

「ちょ、ちょっと待ってください! じゃあ、俺が昨日倒したのは……」

「ダットだ」

 ダットを倒した。タビトは今更ながらに、その事実に震えが止まらなくなる。一歩間違えれば死んでいた。何か歯車が噛み合わなければ、タビトはここにいなかったかもしれない。ダットに食われていたかもしれない。

 強敵を倒したという達成感よりも、自分が思ったより死の近くにいたという危機感の方が強い。

 それから、タビトが思ったのはもう一つ。

「ダットは生き物ですか? それとも、何かロボットのようなものなんですか?」

 とても生き物には見えなかった。金属に覆われた身体は、ロボットのようだった。最先端の技術で作られた人型もしくは動物型ロボットの方が、まだ生きているように見える。

 マサムネはすっと目を細める。

「あえて言うなら、お前が昨晩倒した個体は、そうだな、ロボットに近いと言えるだろう」

「そう……ですか」

 マサムネの言葉に、タビトは胸を撫で下ろす。生き物を殺すよりも、物を壊す方がまだ罪悪感は少ない。

「最近ではダットの動きが活発になっている」

 マサムネは本題だとでも言うように、タビトに語りかける。

「侵略の第一歩として、ダットはロボットを――ルナ・ゴーレム、簡単にゴーレムと言わせてもらうが――このゴーレムを地球に送り、生活させている」

「ふむ。じゃあ、俺が昨日戦ったのも、このゴーレムなんですね」

 マサムネはタビトの言葉を無視して、話を続ける。

「ゴーレムは地球人類になりすますことができる」

「なりすます? けど、全然違いますよ。見れば誰だってわかる」

 鉄の塊のような身体。ぎょろりとしたレンズの目。頭の上から伸びる耳。たくましい足。ロボットのような、だけど強烈な違和感を発する何か。あんなものが自分の隣にいたら、誰だって気が付くし、パニックになるはずだ。

「ダットは地球人類になりすます技術を持っている。現に、テレビ局にはダットのゴーレムが潜伏していた。お前は目撃したはずだ」

 マサムネは一枚の写真を差し出す。映っているのは昨日のテレビの生放送でタビトの世話をしてくれた茶髪のAD 池崎だ。

「彼が……?」

 タビトは驚いて目を丸くする。彼がゴーレムだった事実と共に、生放送がまだ昨日の出来事であったことに驚愕を受ける。遠い過去の事に思えるが、タビトがゴーレムに襲われたのは数時間前で、タビトがロビンソンと共にマジックの生放送に出たのも昨日のことだ。

「彼もゴーレムだったのは間違いない。お前のマジックで倒れただろう」

「倒れ……たらしいですけど、それがどう関係してくるんですか?」

 タビトは恐る恐る訪ねる。ADはタビトが披露した最後のマジック、モデルガンから折り鶴を発射するというマジックの最中に倒れたらしいのは聞いている。

 やはりあれはタビトのマジックによるものだった。だが、タビトのマジックと、ダットが作ったゴーレムが倒れることとの因果関係が掴めない。

「ゴーレムの弱点は、衝撃だ」

「衝撃? ますます意味がわからないんですが……」

 衝撃が弱点、といわれてもピンとこない。火が苦手、水が苦手、太陽の光が苦手とかだったらまだわかる。人間だって、火に近づけば熱いし、溺れれば苦しい。ファンタジーに出てくる吸血鬼は太陽の光やニンニクが苦手だ。

 そういう具体的なものなら理解しやすいが、『衝撃』という目に見えない掴み所のないものが苦手と言われても理解が難しい。

「ショック死くらいは聞いたことがあるだろう。あれも『衝撃』が死因だ」

 医療におけるショックとは、臓器に向かう血流の減少、それに伴う酸素の供給量の低下、そして臓器不全や死に繋がる状態とされている。大量出血による血液の減少。火傷による体液の減少。心肺機能の低下。いずれのショックも血液や体液などが、全身に行き渡らなくなることで起きる。

 ゴーレムの場合、衝撃を受けると身体を形作る砂が動きを止める。この砂はゴーレムの身体を作っている鉄のような皮膚であり、身体中を巡る血液であり、身体を動かす筋肉であり、タビトがゴーレムを倒した後に見た砂の山である。

 この砂の動きが止まると、ゴーレムは死ぬ。そして、動きを止めるためには、衝撃が必要であるとCROWNは突き止めた。

「衝撃は物理的なものよりも、人間でいうところの精神的なものの方がいいようだ」

「精神的な衝撃? ……びっくりする、ってこと、ですか?」

「驚愕も1つの衝撃だ」

 喜怒哀楽も度が過ぎれば衝撃となる。だが、異星人であるダットのゴーレムの喜怒哀楽をショックの引き金とするのは難しい。何に喜び、何に怒るかなどのメカニズムは解明されていないし、そもそも喜怒哀楽があるかさえも判然としない。

 また、喜怒哀楽を瞬発的に発生させるのは難しい。たとえば、「怒」一つとっても、大切にしていたケーキを食べられてようやく怒る人もいれば、どこにでもある飴を目の前で口に含んだだけで怒る人もいる。

 一方、驚愕というショックであれば、大きな音を出す、突然光らせるなど、簡単に生み出すことができるし、一般化もしやすい。

 ゴーレムが驚きによって壊れるというのは、タビト自身が証明してみせた。

「後ろから声をかける。目の前で突然手を叩く。そして、奇跡を起こす驚愕のマジック」

 マサムネはタビトを指す。タビトは思わず背筋を伸ばす。

「昨日のマジックは、大層派手な音と演出だったようだな」

 タビトは息を飲む。確かに、生放送でも映えるように、大きな音と多くの紙吹雪を使った。そして実際、ゴーレムが扮していた池崎は倒れた。

「ゴーレムがお前を襲ったのは、池崎の仇を討つためだったと私は考えている」

 ゴーレムを一体潰されたダットは、タビトを恨んだ。だから、タビトを殺すために別のゴーレムを送り込んだ。

 そして、タビトの部屋に侵入したゴーレムを撃退するときにも、タビトは同じモデルガンを使った。目の前で突然なり響いた派手な発砲音と飛んできた紙吹雪に、ゴーレムは大層驚いたはずだ。

 だが、所詮はおもちゃのモデルガンだ。派手な音と言っても、普通の人であれば思わず耳を塞いでしまう程度、赤ちゃんだって驚いて泣くくらいで済む。

 だけど、たったそれだけの音で、それだけの衝撃で、ゴーレムは壊れた。

「ゴーレムは見たとおり、金属でできており、普通の攻撃では歯が立たない。警察官が所持している拳銃も効かない。どころか、生身の人間が持てる最大口径の弾丸でさえも殺せなかったという話が、アメリカ支部からは上がってきている」

 そんなゴーレムをタビトは倒した。しかも、二度も。倒すのが困難なゴーレムを二度も倒したタビトは、何としてでもCROWNに引き入れたい。元より、ダットやCROWNについて知ってしまったタビトに、引き返す道はない。

「お前が今ここにいるのは、特例中の特例。CROWNに入れるのはごく一握りの卓越した能力を持つ人間だけだ」

 CROWNは存在自体が秘密とされている。就活サイトにもハローワークにも掲載されていない。

 CROWNへの入社は全てスカウトだ。求める人材は多方面に及ぶ。知識がある、技術がある、体力がある。何でもいい。人より優れた一芸がある人間が欲しい。

 だが、それ以上に重要な資質がある。秘密が守れ、規律を重んじ、地球を守る正義感を持つことだ。これは優れた技能を持つ人材を探すよりも余程難しい。

 だが、この2つが備わった人間は、概ね頭脳、性格両方が優れている場合が多い。結果、世界中どこのCROWN支部でも、その国及び地域の優秀な人材が集まることとなった。勉強はできるものの、国ではなく自分の出世しか考えない官公庁の役人など、CROWNの一職員の足下にも及ばない。

 タビトも様式だけで言えばスカウトに当たるが、『CROWNとダットについて知ってしまった』という後戻りできない理由と、実際にダットを倒したという実績を鑑みた、マサムネの独断での採用となる。

「本来なら、お前のような低脳は入ることのできない組織だ。そこを心得ろ」

「低脳って……」

 確かに勉強はさほどできなかったし、マサムネがCROWNの正式名称を言ったときも聞き取れなかった。

「けど、一芸っていうのなら、俺はマジックが得意ですよ。誰よりも人を驚かせる自信があります」

 タビトが世間を賑わすマジシャンとなったのは、単に新鮮味があり、物珍しいからだけではない。マジックの技術が卓越しているからだ。マジックの大会で優勝したこともあるし、世界のマジシャン、それこそロビンソンのような熟練のマジシャンからも評価されている。

 だが、マサムネは今日一番の大きな溜息を吐く。

「大事なのは人を喜ばせることではない。ゴーレムにショックを与えることだ。必要なのはサプライズではない。ショックだ。その違いも理解していないから低脳だと言っている」

「つまり……、俺がなるべきはマジシャンではなく、お化け屋敷のお化けですか?」

「その方が例えとしては適切だな」

 タビトの求めるマジックは、あくまで人を喜ばせることにある。驚きの先に、喜びや嬉しさがなければならない。道ばたで泣いている女の子に、指パッチンと共にあめ玉を差し出す。女の子は一瞬驚きで固まるが、すぐに笑顔になる。

 タビトはそういうマジックを志している。規模が変わっても、モットーは変わらない。

「文句を言うなら、CROWNから出て行ってもらうしかない。死体としてな」

 マサムネの声色は、死を前にしても変わらない。だからこそ、同じ声で、タビトの処刑も命じるだろうことが容易に想像できる。

「……わかりました。従います」

 生殺与奪の権はマサムネが握っている。いくらタビトのモットーが人を喜ばすことだとしても、命には変えられない。

 人に見せるマジックは面白いものを。ゴーレム相手には恐ろしい物を。それぞれ使い分ければいい。タビトは決意する。

「それで、俺は何をすれば良いんですか? ゴーレムと戦うってことはわかりましたけれど、人に紛れて生活しているのだったら、見分けはつきませんし。あ! だから、マジックで片っ端から人を驚かせていって、反応がおかしかったら倒す、とかですか?」

 タビトのマジックで、人々を驚かす。驚いて倒れた者はおそらくゴーレムだろうから、それと戦う。これなら、確かにタビトである意味はある。

 だが、マサムネは眉間を揉み込む。普段、CROWNの質の高い人間とだけ話をしているから、こういう突飛で楽観的な案を聞くと目眩がする。

「馬鹿か。そんなわけないだろう。頻繁に人が倒れるマジックのどこに需要がある。そもそも、自ら『死ぬ』とわかっていて、マジックを見に来るゴーレムなどいると思うか」

 人間は恐怖を求めてお化け屋敷に入る。だけれどそれは、絶対に死なない、とわかっているからだ。死ぬかもしれないお化け屋敷になんて入らない。

 ゴーレムも同じだ。死ぬかもしれないマジックを見にわざわざ来ない。むしろ避ける。

「昨日、池崎がマジックを見たのは偶然だろう。『マジック』が何か知らなかったからだ。言っただろう、お前は運が良かっただけだ、と」

 ダットの世界にマジックはない。ショックを受けるだけで死んでしまうのだ。ダットの世界にある娯楽は、刺激の少ないものに限られている。当然、他人を驚かせるようなマジックに相当するものはない。既にダットの中でマジックは危険なものであるという認識は広まっているだろう。

 だが、昨日の時点でダットにとってマジックとは未知数のものだった。マジックがどういうものか知らなかったから、池崎はうっかりと間近でマジックを見てしまった。そういえば、池崎は雑談の中で、マジックを実際に見たことがない、と言っていた。もし見たことがあったのなら、マジック番組のADはやらなかったのだろうか。

 人間の命を狙うダットのゴーレムと、気合い充分に生放送に臨む池崎の姿が重ならない。彼は、本当にゴーレムだったのか。タビトのマジックを見て、何を感じたのか。面白さよりも、怖さが勝ったのか。だとしたら――。

 重たい気分がタビトを覆うが、気を取り直してマサムネに尋ねる。

「なるほど。じゃあ、どうやってゴーレムと人間を見分けるんですか?」

「そこで役に立つのが、ルイだ」

 マサムネはルイに視線を移す。タビトもルイを見る。タビトとマサムネが話をしている間中、ずっと無言でじっとしている。忍耐強さは大したものだとタビトは感心する。おしゃべりなタビトは、無口でいる方が難しい。

「ルイはダットを感知する特殊能力を持っている。だが、戦闘能力は著しく低く、根本的に人が苦手だ。本来は街に出て、潜伏しているダットを炙りだしてほしいんだが、1人ではそれもできない」

 タビトのことはボロクソに言うのに、やけにルイには甘い気がする。できないことをできないまま許容する懐の深さがあったのかと、タビトはマサムネの評価を改める。もしくは、ルイの能力がそれだけ貴重であることの裏返しかもしれない。

「ということで、道明寺タビト。お前はルイとバディを組んで行動してもらう」

「具体的には?」

 行動、と一口に言っても、いろいろとあるだろう。どこかの会社に潜入するとか、張り込みをするとか。刑事ドラマみたいな展開になってきたと、タビトは胸を躍らせる。

「今からとある店に行ってもらう。後の説明は、ルイに聞け」

「わかりました。それから、もう1つ聞いてもいいですか?」

「何だ、手短にしろ。私は忙しい」

 話を終了したはずなのに、タビトはまだ引かない。マサムネはいい加減うんざりしてきた。

「俺は、まだマジックを続けても良いんですか?」

 タビトはまだ、人前でマジックをしてもいいのだろうか。CROWNという組織に所属しても、人を喜ばすマジックをしてもいいのだろうか。ダメだと言われても、タビトはやるけれど、やはり一言マサムネに宣戦布告はしておいた方がいいだろう。

 タビトの真剣な眼差しに、マサムネは姿勢を正す。

「好きにしろ。ただし、CROWNの業務に穴を開けるな。ダット及びゴーレムのことも決して口に出すな。それが守れるのなら、何をしてもらっても構わない。元より、お前に書類整理や作戦立案などの細やかで頭を使う業務は求めていない」

「いよっしゃー!」

 マサムネの返事を聞いたタビトは飛び上がって喜ぶ。ルイはタビトの動きに肩をびくつかせる。マサムネはタビトをCROWNに引き入れたのは間違いだったかもしれないと後悔し始める。

「とっとと行け」

「はーい」

 タビトとルイが返事をする。話は終わったとばかりに、マサムネが手をひらひらと振る。あっちへ行け、と言っているらしい。

 ぞんざいな扱いだが、マジックを続けてもいいと言われご機嫌なタビトは気にもかけない。タビトはスキップしながら、ルイは一礼して、支部長室を出る。支部長室の前には迎えの人が既に来ていた。

「こちらです」

「お迎え、ありがとうございます」

「いえ、とんでもないです」

 タビトが礼を言うと、彼は上品に謙遜する。マサムネの言う通り、CROWNには頭も性格も良い人しかいないようだ。

 タビトとルイは案内されるがまま、車に乗り込む。

「それで、今からどこに行くんですか?」

 タビトはルイに尋ねる。タビトの予想通り、ドラマもびっくりな手に汗握る潜入捜査が待っているのかもしれない。

「着いたらわかります」

「ルイさんはどこに行くのか知っているんですか?」

「はい」

「ルイさんは、何歳ですか?」

「17歳です」

「じゃあ、高校生? 2年生? 3年生?」

「高校には通っていません」

「通ってないんですか?」

 タビトは驚く。現代の日本で、高校に通わない人はごく少数だろう。高校は義務教育ではないとはいえ、ほとんどの少年少女は高校に進学している。

「それは……やっぱり、CROWNの仕事が忙しくて?」

「……」

 ルイは答えない。表情が変わらないルイの心情を読むのは難しい。気に障る質問だったかと、タビトは話題をルイから自分に移す。

「じゃあ、俺の自己紹介しますね。道明寺タビト。20歳。高校卒業してすぐに、プロのマジシャンになりました。好きな食べ物は、ハンバーグ。苦手な食べ物はにんじん。食べられない訳じゃないけれど、できれば食べたくないかな。趣味は、新しいマジックの研究。それから、映画見るのも好きだなー。あと、ジョギング。今の時期、朝にランニングすると爽やかで気持ちいいんですよ。ルイさんは、趣味とかありますか?」

「趣味はありません」

「じゃあ、休みの日は何をしているんですか?」

「休みの日は、休んでいます」

 一時代前のチャットボットのような無機質な返答だ。話好きで、明るい性格のタビトでも『休みの日は、休んでいます』と言われてしまえば、困ってしまう。

「あの、もしかして、俺とあんまり話したくないですか?」

「そういう訳ではありません」

 嫌っている訳でもないのに反応が薄いルイの扱いに困るタビトに、運転手が助け船を出す。

「タビトさん、使徒様はそういう方なんですよ」

「使徒様? えっと、それはルイさんのことで合ってます?」

 タビトは運転手に向き直りながら、ルイを横目で見る。運転手は頷く。

「地球人類とダットを見分ける能力を持つ方を、我々は『使徒様』とお呼びしています。ルイ様は幼少期よりCROWNの施設でお育ちになりました。使徒様の力を持つ方は非常に少ないです。セキュリティ面の問題から、一般的な教育施設には通っておられません」

 運転手の声に悲しみが混じる。CROWNの中で育てられ、外の世界を知らないルイを憐れんでいるのかもしれない。そういえば、マサムネもルイは他人が苦手だと言っていた。それもCROWNの中で育ち、CROWNの職員としか接触してこなかったからだと説明を受ければ合点がいく。

 幼少期に同年代の子と遊ぶことどころか、会話すらなかった。だから、ルイ表情に乏しい。だから、タビトの質問に対する答えもちぐはぐになってしまう。

(『休みの日は、休んでいます』か……)

 それはタビトに休日の過ごし方を詮索してほしくない訳ではなく、本当にただ『休んでいる』からだけなのかもしれない。

「ルイさん、マジックは好きですか?」

「見たことがないのでわかりません」

 ルイは正直なだけなのだと思う。わからないことはわからないと言っているだけ。嘘つきよりも、他人と接するマサムネのような慇懃無礼さも、CROWNで支部長として選ぶるマサムネの傲岸不遜さよりも全然マシに思える。

「では、花は好きですか?」

「花は好きです」

「では、お近づきの挨拶として。どうぞ」

 タビトは手をポンと1つ叩く。手を開けば、中から一輪の花が現れる。ルイは目を丸くして花を見る。

 ルイは結構怖がりだ。臆病と言い換えてもいいかもしれない。タビトがマサムネからマジックを続けても良いと言われて飛び上がったとき、過剰に肩をびくつかせていた。

 だから、ごく簡単でわかりやすいマジックを選んだ。

 タビトはルイに花を渡してやる。

「本物の花じゃない……」

「造花です。本物はなかなか仕入れるのも大変なので」

 本物の花は、当然だが日持ちしない。出演がある日は生花を仕入れるが、街中で突然マジックを求められたときのために、造花も買いこんでいる。

 昨晩突然CROWNに引っ張ってこられたタビトに花を買う余裕はもちろんない。手持ちでできるのは、花を出すかあめ玉を出すかだ。

 ルイの表情は相変わらずだ。だが、差し出した造花をじっと見つめているところを見るに、気に入ってくれたようにも思える。

 タビトが色々と話をルイにしているうちに、車はとある店の前で止まる。

「着きました」

「ありがとうございます。運転手さんには、はい、これ。よろしければ、どうぞ」

 ルイに花をあげたのと同じ要領で、今度はあめ玉を出現させる。運転手は一瞬きょとんとした後、嬉しそうにあめ玉を受け取る。タビトもにっこりと笑みを返して、車を降りる。

「ありがとうございました」

 ルイも礼を言って、車を降りる。車はすぐに走り去る。

「ここは?」

 下ろされたのは、郊外の一軒家。だが、何らかの商売を営んでいるらしい。本来、表札があるはずのところには、洒落たフォントで『Antique Shop Sangria』とある。

「えっと、あんてぃーく ショップ、サングリアで良いのかな?」

「合ってます」

 ルイは躊躇わずサングリアの家の前に立つ。

「鍵は? 持っているんですか?」

「鍵はありません。生体認証です」

「生体認証⁉」

 言うと、ルイはドアの前に立ち手を翳す。ドアの所定の位置には赤外線装置がついており、顔を認証するための装置を作動させる。程なく、ピッという軽い音と共にドアの上部が緑に光る。認証成功の合図のようだ。

「タビトさんもしてください」

「わかりました」

 ルイを真似て、タビトもドアに手を翳す。ドアの一部分が鏡のようになり、タビトの顔が映し出される。

 ブブーッという音と共に、警報音が鳴り響く。続いて散弾銃式のモデルガンからプラスチック製の弾丸が発射される。普通に痛い。

「え? え? ちょっと、これは? もしかして、認証されなかった? もしかして侵入者だと思われてるんじゃ!」

『あぁ、悪い。お前の認証を追加するのを忘れていたな』

 インターホンからはマサムネの声が聞こえる。

「わざとだろ! っていうか、早くこの銃、止めてください!」

『そういえば、どうして実弾ではなく、プラスチックの弾丸になっているんだ? 手品師、何か細工でもしたのか?』

「細工したのは、アンタだろ!」

 マサムネはタビトに嫌がらせをするために、わざわざ実弾をプラスチック製の弾丸に取り替えたに違いない。今、皮膚の上を撥ねるプラスチックの弾丸が、本来は鉄の塊だったと思うと、背筋が冷える。

 顔認証のシステムは、銃に標的をロックオンさせる役割も担っているのだろう。どれだけ遠ざかっても、銃弾がタビトを追ってくる。

『あまり俺の手を煩わせるな。とっとと中に入れ』

「俺のせいかよ!」

 言いたいことだけ言って、マサムネとの通信が切れる。タビトはもう一度、今度は恐る恐るドアの前に立ち、認証システムのスイッチを入れる。しばらく後、認証成功の合図が出る。

「……何か、俺のとき認証する時間長くないですか?」

 タビトは隣に立つルイに尋ねる。

「そうでしょうか」

 今の惨劇を目の当たりにしても、ルイは平然としている。毒気を抜かれたタビトは、ようやくサングリアのドアを開ける。

「う……わぁ」

 おしゃべりなタビトではあるが、思わず言葉を失った。ドア一枚隔てた向こう側は、何と形容するのが正しいのかも迷ってしまうような、乱雑で妖しくて異国情緒と日本の伝統が混在する空間が広がっていた。

 目にも鮮やかな布が垂れ下がった一角。イランの芸術を代表するペルシャ絨毯、チベットの遊牧民が編み上げた毛織物、複雑な文様を表現するアンデスの伝統を生かしたタペストリー、琉球時代から続く空気のように軽い芭蕉布などが平積みに、もしくは壁に掛けられている。

 布地の横には、各国の伝統衣装がいくつもが段を設けられたハンガーラックに掛かっている。刺繍がふんだんに散りばめられた振り袖はもちろん、色鮮やかなチャイナドレス、ブルガリアの色とりどりな刺繍を取り入れた民族衣装、メキシコの鍔の広い伝統的な男性用帽子であるソンブレロも置いてある。

 それから少し離れたところには、九谷焼や美濃焼を初め、シンプルなアースンウェア、鮮やかで深い青が印象的なポーセリンなどが分別なく、だけど割れないような絶妙なバランスで置かれている。

 また別のところに目を移すと、指輪やネックレスなど装飾品、蝋燭立て、懐中時計、コールベル、置き時計、動物をかたどった雑貨など数を数えるのも何があるのか判断するのも面倒になるくらいのものが溢れている。

 タビトはその押し寄せるような骨董品にしばらく圧倒された。なんせ、高めに設計された天井から床にいたるまで、色が洪水のように押し寄せてくるのだ。骨董好きが見れば卒倒してしまうかもしれない。美術商が見れば是非買い取らせてほしいと頭を下げるだろう。博物館員が見れば、貴重なものを適当に並べる無神経さに泡を吹いたかもしれない。

 骨董には完全に素人なタビトが見てもそう思えるほどの物が目の前にある。

 ルイは店の奥にあるレジカウンターに備え付けられた椅子に腰掛ける。中性的で人間味のないルイがそこに収まれば、骨董品に同化してしまったような錯覚を覚える。

「すごいですね。これ、全部ルイさんが買い付けたんですか?」

「僕の方から進んで買い付けをしたことはありません」

 ルイが自ら外国の骨董品店に買い付けに行ったり、のみの市で掘り出し物を見つけたりした訳ではない。

「サングリアでは、基本的に物々交換だけを行います。お客様の欲しい商品と、こちらにお渡しいただく商品の間に差があり、どうしても交換が成り立たなければ現金を扱うこともあります」

 評判を聞きつけたマニアがサングリアを訪れる。欲しい物が見つかる。欲しい物と自分の持つ骨董品を交換する。足りなければ別の骨董品をおまけで付ける。

 そういう風にして、サングリアの在庫は増えていった。現金が登場するのは本当に稀で、だいたいの人は他の骨董品を差し出すことが多い。

「へぇ」

 タビトは改めてサングリア全体を見渡す。そう言われれば、どの商品にも愛着のようなものを感じられるから面白い。

「あ、でも。これって、ダット関係あります? どうしてCROWNはサングリアなんてやっているんですか?」

「……」

 ルイはごそごそとレジカウンターの下を漁る。

「これ、差し上げます」

「え? いいんですか? やったー! ありがとうございます。ちょうど新しいタブレット欲しいなって思ってたんですよねー」

 ルイが差し出したのはタブレットとイヤホンだ。薄い本体から、最新モデルではないだろうかとタビトは当たりを付ける。今使っているタブレットはきちんと動くものの、分厚くて持ち運びには不便なのだ。イヤホンはごく普通の、有線のものだ。

「けど、なんで?」

「CROWNからの支給品です」

 CROWNからの支給品。つまり、マサムネあたりから渡すように言われていたのだろう。いわゆる、社用タブレットだ。

 私物のタブレットがもらえたとぬか喜びしてしまっただけに、落胆は大きい。まぁ、あのマサムネがあっさりとタビトに私物のタブレットをプレゼントするとは考えにくいが。

 こちらも顔認証が採用されているらしい。画面が付くと同時に、内カメが起動し画面にタビトの顔が映し出される。サングリアに入ろうとして銃撃されたことを思い出す。だが、タビトの心配をよそに、タブレットは爆発することなく立ち上がる。

「そこにある椅子、使ってください」

「これですか? ありがとうございます」

 ルイに促されて、タビトは2人がけのテーブル席に座る。しばらくタブレットを触るのであれば、確かに椅子と机があるとありがたい。

 画面に『CROWN』のシンボルマークと、『イヤホンを装着してください』という文字が表示される。イヤホンをジャックに差し込み、耳に嵌めると、続いてゲームのチュートリアルのように、『まずはここ』と言わんばかりの指をかたどったマークが表示される。

 タビトは指の指示に従って、1つのアプリをタップする。画面を黒い猫のようなものが飛び回る。

『こんにゃちは、道明寺タビトさん。これからCROWNと、タビトさんに勤務してもらうサングリアの目的について紹介していくよ! オイラの名前は猫又猫左衛門、またざえもんから取って、みんなからはエモにゃんと呼ばれているにゃ』 

「お、すご! イメージキャラクターまでいるなんて、なかなか凝ってますね。しかも、俺の名前も知っているし、ね!」

 タビトはタブレットから顔を上げて同意を求める。ルイはタビトが外国語を喋ったかのような、意味がわからないと言わんばかりに目を瞬かせる。

『エモにゃんはCROWNが誇る技術の粋を凝らしたすんごいAIなんだよ。CROWNのデータベースや世界のありとあらゆる情報にアクセスできるから、タビトさんの名前を知っていて当然なんだよ』

「うわっ……会話成立している……、怖っ」

 ここまで精巧なAIだと、逆に怖さを感じる。監視されている、もしくはタビトの言動を先回りして音声を生成しているような錯覚を覚える。

『ということで、エモにゃんの簡単CROWN講座、始まるよーっ! 榊支部長から「猿にもわかるように説明してくれ」と指示が出ているから、幼稚園生並みに噛み砕いていくよ』

 エモにゃんが言うと同時に平仮名ばかりの資料が画面に表示される。

『これでタビトさんにもわかるかにゃ?』

「あの人……」

 タビトはここにいないマサムネに恨みを募らせる。いくら『低脳』であっても、これは度が過ぎている。

「エモにゃん、難易度を高校生並みに戻してくれるかな? 平仮名ばかりだと読みづらい」

『わかったにゃ』

 瞬時に資料が差し替えられる。ある程度漢字が混ざった表記にタビトは安心する。

 エモにゃんは流れるようにCROWNの説明をしていく。

 まず、CROWNの目的。CROWNの目的は大きく2つに分けられる。

 1つは地球の防衛。ダットからの襲撃を未然に阻止することが目的である。襲撃を阻止するとはいえ、ダットが派遣するゴーレムを判別することは不可能に近い。できるのはルイのように『使徒』と呼ばれる特殊能力を持った者のみ。この能力を代替できる装置を開発中ではあるが、難航している。そのため、現在は阻止ではなく、被害の軽減が主になっている。

 CROWNの目的の2つ目。『ルールブック』と呼ばれる遺物の回収。ルールブックというのは、世界の在り方を定めた遺物の総称だ。

 ただし、一般的に想像されるブック、つまり本などの紙媒体ではない。たとえば、CROWNには『古代ギリシャ王の王冠』、『アストライアの天秤』、『ソロモンの指輪』、『ユグドラシルの枝と縄』、『ガニメデスの壺』の5つが保管されている。このことからもわかるように、ルールブックというのはあくまで名称であって、本ではない。

『サングリアでは主に地球上に散らばったルールブックの回収を行っているにゃ』

「ルールブックって何に使うの? 集めたら何かいいことがあるの?」

 名前だけ聞けば仰々しい、かつての王様や神様の名前に由来した遺物ではあるが、それの何が重要なのかわからない。タビトには重要な文化財程度にしか思えない。

『ルールブックさえあれば、地球上の理を変えることができると言われているんだよ。空を歩きたいと思えばそういう風になるだろうし、永遠に生きたいと思えば死という概念はなくなるんだよ』

「そ……れは、確かにすごいけど。けど、凄すぎて逆にうさんくさいなぁ」

 タビトはエモにゃんが挙げるルールブックの使用例にタビトは驚くよりも、うさんくささを感じてしまう。できることのスケールが大きすぎて、嘘くさい。

 だが、エモにゃんは至って真剣にルールブックについての説明をしている。

 ルールブックが何故重要なのか。ルールブックは地球の在り方を定めている。

 例えば、『古代ギリシャ王の王冠』には『地球の主は人である』と記載されている。『ユグドラシルの枝と縄』には『人は努力により成長する』と記載されている。その通り、人間は地球の万物霊長の頂点にたち、努力によって様々な能力を獲得しうる。

 ルールブックによって制定がなければ、これらは実現しなかったと言われている。つまり、地球には人間以上に知性や力を持つ生物が存在しただろうし、努力を知らない人間は技術の発展を行おうとも思わなかっただろう。

『現在は、CROWNとダットでルールブックの取り合いの最中なんだにゃ。だから、余計にサングリアとルイの重要性が増しているんだ』

 タブレットの画面に人間とダットのゴーレムが殴り合うアニメが流れる。こんなところまで凝っているなんて、CROWNは案外暇なのだろうか。

「ダットもルールブックを持っているの?」

『そうにゃ。タビトさんも「竹取物語」は知っているはずにゃ』

「え? 『竹取物語』? 知っているけど、あれもダットと関係が?」

『大ありにゃ!』

 エモにゃんの力強い声と共に、画面に教科書で見たことのある竹取物語の絵巻が写し出される。

 『竹取物語』の主人公、かぐや姫というのはダットからの使者である。ここまでは、先ほどマサムネから聞いた話と同じだ。マサムネは忙しさと面倒から話を省略したが、続きがある。

 かぐや姫は5つのルールブックを、すなわち『燕の子安貝』、『竜の首の五色の玉』、『仏の御石の鉢』、『蓬莱の玉の枝』、『唐土の火鼠の皮衣』の5つを持ち去るという、人類史に残る詐取をやってのけた。

 だが、CROWNやダットの存在が秘密にされている以上、竹取物語もまた表面的には空想上の話としての取り扱いだ。

 だが、ダットの狡猾さと人類の屈辱を後世に伝えるためには、決して忘れてはならない教訓だ。そのため、現在の学校教育では、かぐや姫もしくは竹取物語は必ず取り入れられている。

『ダットに全てのルールブックを回収されたら、本当に天変地異が起こってしまうんだにゃ』

 エモにゃんが画面上でしっちゃかめっちゃかになった大都市の様子を映し出す。天が落っこち、地面が迫り上がっている様子は、見る人を不安にさせる。

「だから、ダットよりも先にルールブックを全て回収しておきたい、と」

『そういうことにゃ。簡単な説明は一通り終わったけれど、何か質問はあるかにゃ?』

「なんか話が壮大すぎて話に付いていくのが精一杯って感じかな」

 タビトはぐっと伸びをする。ずっとタブレットと向き合っていたせいで強ばってしまった背中や肩を意識的に伸ばす。

「あー、そうだ。質問。CROWNはルールブックを回収しているんでしょ? じゃあ、かぐや姫が持っていったルールブックはどうするの? 月に行って回収するの?」

 人類の月面着陸はアポロ計画以降頓挫している。現在も度々探査機を月に送り込んではいるが、あくまで表面の土や石を採取する程度だ。

 ダットが持っているルールブックがどのようなものかわからないが、少なくとも月に送り込んだ探査機が、取って返ってくるのは難しいだろう。

『現在、CROWNは総力を挙げて月に人を送り込む計画を推進中だにゃ。もしかしたらタビトも月に行けるかもよ~』

「今の話聞いたら、行く気失せるなー」

 ダットが完全に作り話であったら、月に行けるかも、と言われたら喜んだだろう。地球の6分の1しかない重力下で行うマジックとか、生中継したら絶対に面白い。

 だけど、ダットやダットの作ったゴーレムがいて、人間に襲いかかってくるのだとしたら、俄然行きたくなくなる。

「あ、そもそも。ダットはどうやってゴーレムを送り込んで来ているんだ? ダットの方が地球と月を行き来する技術は進んでいるってことなのか?」

 地球人類は月に満足に辿り着くための手段を持っていない。それなのに、ダットはゴーレムを送り込んできている。しかも、複数。タビトが倒しただけでも2体だ。それ以上の数が来ているはずだ。

『ゴーレムは月の作る影を通して、地球に来ているにゃ』

「月の作る影? つまり、夜に来ているってこと?」

『そうにゃ。月は地球の鏡でもあるんだよ。だから、月に映る地球と、地球に実際にある影は同じなんだにゃ。それを通れば、月から地球に来ることができるんだよ』

「えっと……、よくわかんないけど、鏡から抜け出すイメージでいいのかな?」

 テレビから髪の長い女性が這い出てくるホラー映画を、タビトは思い浮かべる。

『たぶんそんな感じにゃ!』

「たぶんかよ」

 何とも投げやりな説明に、タビトはぼやく。AIにも馬鹿にされてしまった気がする。

『「満月の制約」は、ゴーレムがたくさん来て危ないから、人間は外に出ちゃダメにゃってことにゃ。ちゃんと守らないと危ないんだよ』

「なるほどねぇ」

 現代では厄介者扱いされている『満月の制約』だが、今でもきちんと意味のあるものだったようだ。

「じゃあ、俺のやることは主にサングリアでルールブックの回収を行うこと、でいいのかな?」

『そうにゃ。それと、ルイと一緒にゴーレムを炙り出すことだにゃ』

「炙り出すって言ってもなぁ……。具体的にはどうやって?」

『それは自分で考えるにゃ。指示待ち人間じゃあ、社会ではやっていけないんだよ』

「急に辛辣だな……」

 つまり、タビトとルイに丸投げである。

「もう一つ質問いいか? 使徒って何人いるんだ?」

『日本支部にはルイしかいないんだよ。だから、ルイとバディになったタビトの責任は重大なんだにゃ』

「えぇ! 1人? ルイさんだけ? それを俺が?」

 タビトは驚きの声を上げてルイを見る。ルイは相変わらず焦点が合ってないかのように、ぼんやりとして見える。日本に1人しかいない特殊な人材という自覚はなさそうだ。

「というか、そんなルイを俺に預けていいの? 俺、別に武道の達人とかじゃないよ」

 そんなにルイが希少な能力を持っているのなら、タビトではなくもっとしっかりとしたボディガードとかに守ってもらうべきではないだろうか。

『仕方がないんだよ。ルイと一緒にいることができる人間が、限られているから』

「限られる? どうして?」

『ルイの能力は、ダットと地球人類を区別するだけじゃないんだよ。人の嘘だって、見抜けちゃうんだよ』

「へぇ、凄いな。凄いけど……まぁ、大変でもあるか」

 人の嘘を信じすぎるのも考えものだが、人の嘘を見抜けてしまうというのも生きづらいだろう。人の心は見えない。見えないからこそ、人は着飾り、偽り、欺く。

 だけど、それは悪意があってのことばかりではない。相手を思うからこそのお世辞。相手を慰めるためにかける言葉。落ち込む相手を励ますエール。子供を守るためのたわいない昔話。他人との衝突を避けるための言い回し。

「……僕は、嘘が苦手です」

 ルイはカウンターで縮こまる。長身なルイだが、縮こまれば本当にちっぽけでか弱く見える。

 たとえ優しい嘘だとしても、ルイは聞きたくない。人の心を慮るからこそ吐かれる嘘があることも承知しているし、それが時には必要であることも理解している。

 だけど、ルイの体質が、『使徒』という能力が、嘘を許すことができない。人の本心と嘘との不協和音がルイには我慢できない居心地の悪さを感じさせる。

『タビトさんは、ルイに嘘を吐いたことがあるかにゃ?』

「たぶん……ないけど。絶対にないかって聞かれたら、わからない」

「マジックは、嘘ですか?」

「マジックは嘘じゃないですよ。全てのマジックにはタネも仕掛けもあります」

 そういうと、タビトはルイの目の前で指パッチンをする。すると、指の間からコインが生まれる。タビトはコインを巧みに操り、指から指へと滑らかに渡していく。ルイはコインの行方を目で追う。

「これだって、きちんとタネを仕込んでいるだけです。ポイントは、マジックをする前。ポケットに手を入れたときに、コインをこっそりと服の袖に仕込む。後は練習通りにするだけです」

 出番の終わったハンカチをポケットにしまうときに、ポケットから出した次のマジックの仕掛けを袖に仕込む。これがマジックの基本だ。

「マジックはあくまで見せ方です。手の甲を見せながら、手の中でコインを操る。タネを仕込んだらあとは練習。それから練習。どれだけ素晴らしいマジックでも、最後は練習量です」

 タビトは自分の手を見せながら、コインを手の甲や手の平を行き来させる。これがまるで魔法のように見えるのならば、それはタビトが何百回と練習してきたからだ。

「ルイさんには、どう見えますか?」

「……難しいです。嘘ではないし、偽物でもないし、幻でもない。だけど、実態は掴めなくて、わからない」

「じゃあ、ルイさんも練習してみますか、マジック」

「僕が?」

「練習すれば、誰だってできますよ。せっかくなので、俺が最初にできるようになったマジックを教えますね。といっても、100円ショップで売っているのと同じタイプの仕掛けですが」

 タビトは初めてマジックが成功したときを思い出す。両親と買い物に行った100円ショップでたまたまマジックグッズが目に入った。ねだって買ってもらって、1時間練習した。納得がいくまで練習したマジックを見た両親が思いのほか驚いてくれたのが嬉しかった。それから、友達や正月に訪れた親戚の家で披露して、薄らとマジシャンを志すようになった。

 きっかけは、ごく簡単なものでいい。仕掛けは、わかりやすい方がいい。初めてのマジックというのは、派手なものである必要はない。楽しくて、自分でも驚くような結果が出るものがいい。

 タビトはルイに花を渡してやる。

「この花は、こう順番に折っていくと、すごく小さくなるんです」

 造花だからこそできる仕掛けだ。立体的な折り紙のように、造花が手の平にすっぽりと収まるほど小さくなる。

 ルイは真剣に花を見ている。

「まずこれをポケットに入れておきます。それで、お客さんの視線を反対の手に向けるように誘導して、その隙にポケットから小さくなった花を取り出します」

 タビトは実際に、一度ポケットに花をしまい、それからもう一度取り出してルイに見せる。見せた後、手を裏返し隠す。それから、手をルイの目の前に持っていく。

「小さくなった花ごとパンって手を叩くと」

 タビトは手を叩く。目の前で手を叩かれたルイは、目を瞬かせる。

「折られていた花が元の形に戻ります。ね、簡単でしょ? タネがわかったら、案外難しくないですし」

 ルイはしきりに花とタビトの手を見比べている。タビトはルイに花を渡してやる。

「やってみます?」

「はい」

 ルイにしては珍しく、何度も頷いている。非常に前向きな姿勢だ。

「……」

 ルイは真剣に、タビトに言われた通り花を折りたたんでいく。ルイの不器用な手先を、タビトはいじらしい気持ちで見守る。

「えっと……、これをポケットにしまって……それから、えっとお客さんの視線を誘導して……誘導……」

 ルイがタビトに目線だけで助けを求める。タビトは苦笑して、ポケットに突っ込まれたままの手から目線を逸らしてあげる。

「じゃ……じゃあ、花を、その……出します」

「お願いします」

「パン」

 ルイはシンプルに口で『パン』と言いながら、手を叩く。だが、花は現れない。何度叩いても現れない。

「……」

「少しきつく折りすぎたんですかね? 力加減なのかなぁ」

 タビトはもう何度もやってきて慣れているけれど、初心者であるルイには力加減が難しかったようだ。一度戻してやり、もう一度折るところからルイは始める。

「もう一度、やります」

「お願いします」

 ルイがポケットに花をしまう。だが、今度は折り方が甘かったのか、途中で花が現れてしまう。

「ありゃりゃ。俺が折りましょうか?」

「……」

 ルイはじっと造花を見ている。タビトに渡そうという気配はない。

「……もう少し頑張ります?」

「はい」

 今度はルイも頷き、再び造花を折っていく。だが、何度やっても上手くいかない。

「なかなか……上手くいきませんね」

「……」

 ルイはじっと造花を見つめるだけだ。先ほどからの練習ぷりっからすると、おそらく小学生のタビトよりも不器用で時間がかかる。

 無表情であることは変わりないのだが、何度失敗しても前向きに取り組む姿勢を見るに、成功させたい、悔しいと思っているはずだ。

「もしよろしければ、それ、差し上げましょうか? 練習に使ってください」

「良いんですか?」

「良いですよ。また作ればいいですし。ルイさんの熱心さを見てると、初心を思い出しました。そのお礼です」

「けど……」

 ルイは暫し考え込む。それから立ち上がり、布製品が置かれている棚から何かを持ってくる。

「差し上げます」

 ルイは1本の紐、ミサンガを差し出す。色鮮やかな糸で編まれたミサンガは、学生が身につけている手頃なお洒落の道具ではなく、石なども編み込まれており高級感がある。

「そんな……いりませんよ、お礼なんて。先ほど言った通り、初心を思い出させていただいただけで充分ですよ」

 造花は高いものではない。気に入っているメーカーのものではあるが、いくらでも替えが効く消耗品だ。

「サングリアでは物々交換が基本です」

「けど、これはさすがにもらいすぎですよ」

『ルイの鑑定眼は確かなんだよ。ルイの鑑定に納得いかない場合は、サングリアから追い出されるにゃ』

 エモにゃんの言葉と同時に、タブレットの画面に『WARNING』と写し出される。天井に着けられた赤色灯が光り出し、さながら事件現場のような緊迫感を醸し出す。

「ちょ、止めて! 止めてエモにゃん! わかった、わかったから! もらうから、落ち着いて」

『わかればいいにゃ』

 赤色灯が消され、店内には元のかび臭いアンティークの匂いが戻る。

「1つ、疑問が解けた気がする……」

 タビトは一息吐く。少し疑問だったのだ。物々交換が基本のサングリア。様々なコレクターがサングリアを訪れるが、度を超した人見知りであるルイに接客ができるのだろうか、と。

 確かな鑑定眼を持っていると言っても、それを素直に受け入れる客ばかりではないだろう。最初から偽物を持ち込む人、自ら持ってきた骨董品に付けられた値段に納得のいかない人、サングリアの商品を買い叩く人。

 覇気のないルイに、そういう人たちの相手ができるのか疑問だったが、これでわかった。今みたいな演出をして、無理矢理武力でねじ伏せていたのだろう。あれだけ派手に赤色灯がピカピカ回れば、誰だって警察を思い浮かべる。いくら納得できない値段を付けられたとしても、警察沙汰はごめんだろう。

「では、有り難く、いただきます」

 タビトはルイからミサンガを受け取る。マジシャンは手が命だ。手先の器用さや手全体の見せ方が重要になる。ミサンガがマジックの邪魔になってはいけないし、ミサンガに観客が集中するのもよくない。かといって、足首につけるのも、何だか違和感がある。サッカー選手でもあるまいし。

 もらったもののどうしようか悩むタビトに、エモにゃんがアドバイスをする。

『ルイ、ドコエモンを渡してあげるんだよ』

「何それ、ドコエモン?」

『「どこでもエモにゃん」、通称「ドコエモン」なんだにゃ』

「それは……大丈夫なのか?」

 ルイがタブレットを出したところと同じ場所をガサガサと探す。それよりも、ドコエモンという名称はセーフなのかが気になるところだ。

「はい」

「ありがとうございます」

 今更、ルイが埃まみれの箱を無造作に渡してくるくらいでは驚かない。タビトは近くにあったティッシュで、埃が舞わないように箱を拭く。箱にはポップな書体で、「どこでもエモにゃん」と書いてある。卵を孵して食事や排泄などのお世話をする、大ヒット電子ゲーム機をイメージさせる。

 電源を入れると、タブレットを起動したときと同じく「CROWN」という表示が現れる。それから、すぐにエモにゃんが表示される。ただ、例のゲームとは違って角張った動きではなく、エモにゃんの動きは滑らかだ。さすが、世界で最も優秀な人々が集まるCROWNの技術だ、と言ってもいいのかもしれない。

「エモにゃんは黒猫なのに、カラーである必要ある?」

 タビトは揶揄い混じりにエモにゃんに言ってみる。

『失礼にゃ! エモにゃんは普通の黒猫じゃないんだよ! フウチョウもびっくりな、世界で一番黒い猫なんだにゃ!』

「フウチョウ?」

『これだにゃ』

 ドコエモンに一羽の黒い鳥が表示される。黒いは、黒い。が。

「黒なら、別に白黒の画面でもいいような気もするけどね」

『にゃー! こんな風に資料を提供するときもあるから、カラーなの! ドコエモンは凄いの! あんまり酷いこと言うなら、これからタビトのフォローしないんだよ!』

「凄いのはわかったよ。意地悪言ってごめんね」

 エモにゃんがドコエモンの中で撥ねて抗議している。自分の毛並みである黒と、ドコエモンに対して、並々ならぬ情熱があるようだ。タビトはこれからはその2つを馬鹿にしないようにしようと心の中でメモをする。無口で言葉足らずのルイとエモにゃんでは、エモにゃんの方が圧倒的に頼りになる。エモにゃんからフォローされないのは、正直辛い。

『わかったなら、いいんだよ』

 謝れば、後腐れなく許してくれるのがAIの、少なくともエモにゃんのいいところだ。

『ルイからもらったミサンガは、ドコエモンに付ければいいんだよ。ミサンガが切れたら大変だから、付属のチェーンもつけてもらわないといけないけどにゃ』

「なるほどねぇ」

 タビトはまず、箱から付属のチェーンを取り出し、ドコエモンに付ける。チェーンといってもボール状のタイプではなく、鎖状のしっかりしたものだ。これなら、切れてドコエモンを落とす心配もないだろう。

「けど、なんでドコエモンなんてある訳? 今どきみんなスマホ持ち歩いているでしょ。わざわざドコエモンなんて需要ある?」

 タビトはミサンガをチェーンに絡めるように取り付けながら聞く。

『スマホをいつでも持ち歩ける人ばかりじゃないんだよ。タビトもマジックするのにステージに立つとき、スマホを持っていかないでしょ? スマホを持っていっちゃいけない会議も、大企業の中にはあるんだよ。電波を遮断する部屋に入れられたら、スマホ版のエモにゃんは使えないし』

 スマホがなければ仕事にならないという職業がある一方、スマホを持っている人を排除しなければ仕事にならないという職業もある。

 大企業や官公庁の会議の一部では、録画や録音を嫌って、スマホの持ち込みが禁止されている。飛行機に乗ればスマホは基本的に機内モードもしくは電源を切らなければならない。身近では、映画館だってマナーモードにしなければならない。案外、スマホを使えないという場面は多い。

 そのため、CROWNではどこでもエモにゃん、通称ドコエモンを開発した。小型ゲーム機のような見た目ならば、スマホを持ち込めないところのチェックも通り抜けることができる。通信を妨害する建物に入れられたとしても、特殊な周波数を使った通信のため、通信ができない可能性も極力排除することができる。

 スマホを身につけることができない場合でも、ドコエモンのような小さな筐体であれば、ポケットに入れたり、ベルトループからぶら下げたりはできる。

「うん、良いんじゃないかな? どうですか? 本当は身体につけた方がいいとは思うんですけど」

 タビトはドコエモンに付けたミサンガをルイに見せる。シンプルなドコエモンの筐体に、エキゾチックなミサンガが良いアクセントになっている。

「タビトさんが良いなら、良いんじゃないでしょうか」

 あくまでルイは造花とミサンガを交換したかっただけで、その後どのように使うかまでは興味がないようだ。

『タブレットやパソコンは、資料の確認。ドコエモンは持ち運び。適材適所だにゃ』

 タビトがベルトループにドコエモンを取り付けたのを確認し、エモにゃんはタブレットに戻る。ベルトループに付けられれば、エモにゃんの姿を確認することができない。エモにゃんは、そういうところにも気を遣うことができるスーパーAIなのだ。

『今日の業務は全て終了にゃ。タビトはサングリアの二階を使って寝起きしてね。ルイ、案内してあげてよ』

「わかった」

「俺、ここに寝泊まりするの? アパートに戻れないの?」

『タビトのアパートはゴーレムが壊しちゃったでしょ? 住めないよ』

「確かにそうだけど……じゃあ、何? 俺、あのアパート退去になったの? 敷金礼金踏み倒しで? 荷物は?」

『礼金は大家さんへのお礼だから、どのみち返ってこないにゃ。あの状況だと、敷金も返ってこないよ。むしろ損害賠償を請求されちゃうにゃ』

「なるほど……。けど、戻らない方がヤバいんじゃない? 壊して逃げたってことで、捕まったりしない?」

 壊して素直に報告する方が、まだ罪は軽い気がする。逃げると悪い方向に事態が進みそうだ。

『安心するにゃ! タビトの部屋は、CROWNが買い取ったんだよ』

「え? そうなの? けど、なんで? 部屋、直してくれるの? 敷金は?」

『ダットの痕跡を民間人に見られる訳にはいかないからにゃ。タビトの部屋みたいにゴーレムが壊した場所はCROWNで買い取るんだにゃ。ゴーレムの研究に使うんだよ。壁の材質や厚さからゴーレムの強さがわかったり、身体の組成がわかったりするかもね』

 部屋の壁にひびを入れるだなんて、生身の人間ではできない。チェーンソーを使えば壁を裁断することはできるだろうが、タビトの部屋に入った亀裂を再現するのは難しいだろう。上手な言い訳が立たない。

 更に、攻撃の跡にはたくさんの情報が残っている。ゴーレムの強度、壊れた後の砂とゴーレムとして動いているときの違いなどなど。CROWNは長年ゴーレムの研究をしてきたが、まだまだその生体には不明なことが多い。

 そういった観点からも、タビトの部屋は大きなヒントを残してくれたことになる。

「じゃあ、本当に、俺は大家さんに謝ったりしなくてもいいんだな?」

『心配は不要にゃ。敷金は……マサムネと相談かも』

「……じゃあ、戻ってこないじゃん」

  エモにゃんの言葉にタビトは胸を撫で下ろすと同時に、消えた敷金に涙する。大家さんに謝って弁償するくらいなら、まだいい。どうして壁があんなに綺麗に割けたのかは説明するのは苦労しそうだと思っていた。マジックの練習に失敗した、とかありもしないことを言うところだった。だが、CROWNが全てを請け負ってくれるなら安心だ。敷金は戻ってこないけど。

「俺の荷物はどうなるの? 全部置いてきたんだけど」

『大丈夫にゃ。なぜなら』

 ここでサングリアのインターホンがなる。普通のピンポーンではなく、豪奢なメロディーはサングリアの雰囲気に合っているが長い。

『お客様はエモにゃんを通じて確認できるにゃ』

 サングリアの壁に付けられたモニターの画面が切り替わり、外の様子が映し出される。街でもCMでも目にすることの多い引っ越し業者だ。

「アンティークショップ サングリアです。どうされましたか?」

 タビトはタブレット越しに相手に話し掛ける。

『私、こういう者です。タビトさんに用事があるのですが』

 そう言って、相手は片桐 タクヤと書かれた、真っ白な名刺をカメラに見せる。真っ白で飾り気のない名刺は、マサムネに提示されたものと似ている。

「この人は、CROWNの方で間違いないですか?」

 振り返り小声で確認すると、ルイは小さく頷く。

「CROWNの方が店に来るときは、こういう風に真っ白な名刺を見せてきます」

 タビトはタブレットに向き直る。

「タビトは俺です。今、開けますね」

 タビトはドアを開ける。すると、爽やかな笑顔のタクヤが待っていた。制服姿も相まって、引っ越し業者にしか見えない。

「お荷物、お届けに参りました」

「荷物?」

 タクヤが身を引くと、そこにはたくさんの段ボールが並んでいる。

「タビトさんのお荷物を引き取って参りました。よろしければ、中に運びましょうか?」

「やったー、助かります」

 荷物が無事に届いたというのも嬉しいが、運んでくれるのはさらに嬉しい。軽く見積もっても10箱はありそうな段ボールを、自分1人で(ルイは見るからに貧弱そうだから戦力外)運ぶのは大変だと思っていたのだ。

「ルイさん、俺の部屋ってどこですか?」

「……階段登ってすぐの部屋です」

「わかりました」

 ルイは静かに答える。タビトの隣でタクヤが背筋を伸ばす。

「使徒様! これは失礼しました」

 姿勢の良いままにガバリと上半身を倒しお辞儀をするタクヤに、タビトはビビる。CROWNでいう『使徒』というのは、思っている以上に凄い立場なのかもしれない。日本支部で把握している使徒がルイ1人というのは、たしかに珍しいのだろうけれど。

 タクヤの綺麗なお辞儀は、それ以上のものを感じさせる。チラリとでも荷物を運んでもらおうと算段したことは隠しておいたほうが良さそうだ。

「えっと……、じゃあ、運んでもらってもいいですか?」

「かしこまりました、タビト様!」

「俺にはそんなかしこまらなくてならなくていいので」

 タビトに対する態度まで変わってしまったタクヤに若干引きつつ、タビトは段ボールを1つ持って、タクヤは2つ抱えて階段を上る。商品だけではなく、建物自体にも価値がありそうな古さのサングリアは、階段は急勾配で段差が大きい。一歩ずつ足下を確認しながら登っていく。

「ここ、かな?」

 タビトはルイの指示通り、階段を上ってすぐ右手に現れた部屋のドアを開けてみる。ギィという錆び付いた蝶番が立てる耳障りな音と共に、ドアが開く。

「うわっ!」

 タビトは開けたドアを思わず閉めた。

「タビトさん? どうしましたか?」

 後ろで不思議そうな顔をするタクヤと目を見合わせ、中を覗くように促す。タクヤは荷物を抱えたまま部屋の前に立つ。

 タビトはゆっくりとドアを開けていく。

「これは……なかなかですね……」

「酷い! ルイさん! これ、どうなってるんですか! てか、ここ、本当に人の住むところですか!」

 タビトが最初思わずドアを閉めてしまったのは、分厚い埃が宙に舞っていたのを見たからだ。そのまま足を踏み入れれば、思い切り埃を吸い込み呼吸困難になっていただろう。

「使わない物をそこに入れていたので」

 下から常と変わらないルイの声が返ってくる。

「掃除くらいしろ!」

「た、タビトさん……! ダメですって! 相手は使徒様ですよ!」

 思わず大声を上げて怒るタビトを、タクヤは止める。アワアワと慌てた様子で、一階にいるルイを気にしている。余程『使徒様』が怖いようだ。

 だが、今夜の寝床及び健康が掛かっているタビトはそんなこと気にしていられない。

「良いですか、タクヤさん。いくら凄い能力を持っているルイさんでも、同じ人間です。言うときは言わないと」

「え? タビトさん?」

 階下に降りるタビトを、タクヤは見守ることしかできない。タビトはレジカウンターに座ってマジックの練習をしているルイの腕を取り立ち上がらせる。

「うわぁ」

 驚きの声も普通の言葉と変わらないテンションだ。

「掃除道具はどこにありますか?」

「こっちです」

 ルイにはお世辞の類いは通用しない。言葉の裏にある心を全て見透かしてしまう。だから、タビトは愛想笑いすらしない。むしろ眉間に力が入った、怒った顔だと誰にでもわかる表情だ。ルイはタビトの急激な気持ちの変化に内心首を傾げる。

 ルイは一階の奥にある物置からホウキやバケツなどを指す。タビトは物置に入り込み、そのほか雑巾やハタキなども持ち出す。古い家に相応しい、こちらもアンティークといえるような掃除道具だ。

「掃除機はないんですか?」

「ないです。掃除機は苦手なので」

「ないなら、しかたないですね。あるものでしましょう。さぁ、行きますよ」

「行く? どこに?」

「二階に決まっているでしょう」

 タビトはルイにハタキとホウキを持たせる。タビトは階段の下にあるトイレの手洗い場でバケツに水を汲む。ついでに、机の上に置きっぱなしになっているカバンを掴む。何でも入っていて、このカバン1つあれば事足りることが多い。

「タクヤさん。申し訳ありませんが、荷物を運ぶとこまではお手伝いしていただけますか?」

「それはもちろんです。……けど、あの、それは?」

 タクヤは怖々とハタキとホウキを持ったルイを見る。

「掃除をします。じゃないと、生活できないので」

「それはもっともですが。その、使徒様と掃除を?」

「はい。もちろん。だって、ルイさんがサングリアの店長なんですよね?」

「はい」

「じゃあ、きちんと店内の掃除をしてもらわないと」

「えぇー! タビトさんタビトさん!」

 タクヤはタビトの回答に仰天し、タビトの肩を抱き、ルイと反対を向かせる。それから、耳に口を寄せ呟く。

「使徒様に掃除をさせるなんて、正気ですか!」

「正気ですよ。だって、ルイさんのお店ですよ。俺は物置として使っていた部屋で寝ろって言われたんですよ。掃除くらいしてもらわないと」

 汚い部屋を案内したのだから、当然タビトが掃除をすることも前提だろう。自分1人だけ掃除を逃れられるだなんて、虫が良すぎる。いつも無表情で涼しげな顔をしているルイにも、汗にまみれて働いてもらう。たとえ途中で嫌になっても、自業自得だ。

「けど、相手は……」

『ルイさえ良ければ、良いんだよ』

「エモにゃん」

 タクヤが身につけているスマートウォッチから、エモにゃんの声がする。時計の類いを身につけないタビトにはドコエモンが支給されたが、タクヤはスマートウォッチを支給されているようだ。

 携帯ゲーム機を模したドコエモンより、スマートウォッチの方が断然格好良い。が、時計を身につけないタビトがもらっても困るし、ドコエモンに対して誇りを持っているエモにゃんを前に、スマートウォッチの方が良かったなんて言うわけにはいかない。

「けど、使徒様に掃除だなんて」

 タクヤは困惑した表情でスマートウォッチとルイを見比べる。

『ルイさえ良ければ、良いんだよ。タクヤも手伝ってあげてほしいにゃ。この後の予定は調整しとくんだよ』

「すげー。そういうこともできんだね、エモにゃんは」

『えっへん』

 勝手に状況を把握されるというのは居心地が悪いが、今の会話だけで予定の調整までしてくれるなんて、有能な秘書のような仕事ぶりだ。

 タビトが褒めれば、スマートウォッチの中のエモにゃんが顎を上げ、得意げな表情を浮かべる。本当は胸でも張りたいのだろうが、スマートウォッチという狭い画面の中では生首しか映っていない。これが精一杯のアクションだ。

「ということで、ルイさん。掃除、しましょう」

「はい」

 有無を言わさないタビトの力強い言葉に、ルイはほとんど無意識に頷く。

「その前に、マスクしましょう。カバンの中にいくつか入れてあるので」

 タビトはカバンからマスクを取り出し配る。近い距離でマジックをするときの感染防止として、またテレビに出るようになってからは声をかけられるようになったから顔を隠すために、タビトは普段から多めにマスクを持ち歩いている。

 成人用のマスクだが、小顔のルイには少々大きかったようだ。顎の下が余っている。だが、今回はこれで我慢してもらうしかない。

 タビトはゆっくりと、埃を舞い立たせないようにドアを開ける。

「うわぁ……」

 改めて見ても、やはり酷い有様だ。一階はまだ、乱雑の中に『ディスプレイ』という言葉が垣間見られた。だが、この物置は、本当にガラクタが埃と共に積まれているだけだ。服の上に壺が置かれ、壺からは巻物が飛び出ている。由緒がありそうな甲冑の前には、コーヒーカップのセットが置かれ、その上ではオルゴールが鎮座している。

 汚くしようと思っても、この乱雑さはなかなか出せない。

「さ、やりますか」

 目の前の光景を恐れていても何も変わらない。タビトは手をパンと打って、とりあえず雑巾を手に取った。



 結局、掃除が終わったのは午後8時だった。タクヤが来たのが午後2時頃だったから、6時間ほど掃除をし続けたことになる。4畳半という決して広くはない空間だが、置かれたものの量が何せ凄かった。所狭しとぎゅうぎゅうに詰め込まれた物を取り出さなければ床を掃き清めることすらできないのだが、全てが骨董品である。取り扱いには慎重さが求められる。

 これらがここに仕舞われていたのはガラクタだからではない。今では失われてしまった技法の特徴を色濃く残したものだから、非売品として管理していたようだ。にしては、適当が過ぎると、タビトは素人ながらに思うが。

 だが、掃除をするうちに、ルイが芸術品に対して素人であるとタビトは察した。ルイは確かに優れた観察眼を持っているのだろう。だけれど、学芸員のような専門的な知識や技術は持っていない。希少品であるというのはわかるし、これを易々と手放してはいけないということもわかる。だが、その管理をどうすればいいのかはわかっていないようだ。希少品は、後日CROWNが預かるということで話がついた。

 掃除が終わる頃には、タビトはすっかりとタクヤと打ち解けた。マサムネの言葉を借りるのは癪だが、確かにCROWNに集まる人々は優秀のようだ。

 タクヤは物流部という、一見頭脳労働よりも肉体労働が主たる(実際、物を運ぶ仕事が多いらしい)印象の部署に配属されているが、頭は相当にキレると感じた。タビトがどんな話題を振っても、面白く返してくれた。人当たりも抜群にいい。学校ではみなに請われてクラス委員とか生徒会長になるタイプだ。

 やいのやいのと愚痴を言いながら掃除を終えたタビトは、タクヤに夜ご飯代として少しばかりのお金を渡した。いくらエモにゃんが予定を調整してくれたとはいえ、さすがにこれほどの労働はちょっと可哀想だった。

 タビトは床が見えるようになった元物置、もとい現タビトの部屋で寝転がる。タビトが住んでいたアパートからベッド等の家財道具は搬入されないとタクヤから聞いている。

 タビトとゴーレムはベッドの上でも戦った。そのため、検体としてCROWNで研究されるらしい。テーブルなどは4畳半の部屋に持ち込んでも邪魔だし、クローゼットの類いはアパートに備え付けのものだ。つまり、タクヤが部屋から持ってきてくれたのは、衣服や雑貨の類いだけだ。どんなものでもいいなら、タクヤが調達してくれると言ってくれた。タビトはその申し出をありがたく受け入れ、ベッドではなく布団一式を頼んだ。ただでさえ四畳半という狭い空間を、ベッドで占領したくなかった。

 掃除をしさっぱりしたとはいえ、それでも狭い空間の中で、重なった段ボール箱が存在感を主張する。タビトの腹がぐぅと悲しげな音を立てる。

「俺たちも何か食わないとなぁ」

 タビトは階下に降りる。階下ではルイがレジカウンターの椅子に座ってぐったりとしていた。

「お疲れさまでした。あの……大丈夫ですか?」

 タビトも、普段からCROWN内で物流を担い重たい荷物を運んでいるタクヤも、身体全体が疲労感に包まれるくらいだ。細身でペンよりも重い物を持ったことのなさそうなルイには一際重労働だっただろう。

 ルイがぐったりとしたまま、タビトを見上げる。

「部屋って、あんなに綺麗になるんですね」

「そうですね。まだ少し埃っぽさはありますけれど、見違えるようにはなりましたね」

 存分に埃を吸った壁から吐き出される空気からは、未だにかび臭い匂いが漂ってくる。だがそれも、しっかりと換気を行えば数日後にはなくなるだろう。

「あの……ルイさんの部屋は? まさか?」

「……」

「明日、一緒に掃除しましょうか?」

「お願いします」

 タビトの部屋は階段を上ってすぐにあるドアの向こうだが、ルイの部屋はその隣の、タビトより奥にある部屋らしい。

 サングリアの店舗部分の掃除は意識にあるようだが、居住部分に対する掃除も必要であるというとこまで思い至らなかったらしい。だから、ルイが埃っぽい物置にタビトを案内したのは嫌がらせではなく、普通に「あそこで寝れるだろう」と思っていたからのようだ。

 そんなルイの部屋の状態がどうなっているかなんて、見なくても想像ができる。……まさか長年放置され続けたタビトの部屋よりは酷いとは思わないが。

「掃除は明日に回すとして、とりあえずご飯にしませんか?」

 今まで埃っぽい部屋で寝起きしていたのだ。今日頑張って掃除しなくてもいいだろう。タビトは勝手に決めつける。

「そうですね。何か持ってきます」

「持ってくる?」

「持ってきます」

 タビトが頭にクエスチョンマークを浮かべていると、ルイが奥に引っ込む。足取りは重そうだ。ほどなく、電子レンジが調理完了を告げるチンという軽い音が聞こえる。

「どうぞ」

 タビトの前にほかほかと湯気が上がるブロッコリーが出される。先ほどの電子レンジの音は冷凍ブロッコリーを解凍していた音のようだ。

「ブロッコリー……だけ?」

「すいません。いつもの癖で1人分しか温めませんでした。2人分いりますね」

「ちょちょちょ! ちょっと待って!」

 再び奥に引っ込むルイをタビトは慌てて引き留める。

「まさか、夜ご飯はブロッコリーだけですか?」

「ブロッコリーは嫌いですか?」

 ルイは首を傾げる。タビトがブロッコリーを嫌いだからこれだけのオーバーリアクションをしていると思い込んでいる。

「好きですけど! マヨネーズかけたらいくらでもいけますけど! そうじゃなくて!」

「にんじんも出せますよ」

「にんじんはちょっと苦手です。じゃなくて! その、お肉とか、ご飯とかは? 作って……温めてもらっている立場で言うことじゃないかもしれないですけど!」

 ブロッコリーやにんじんだけの夜ご飯なんて切なすぎる。大掃除でお腹が空いているから、なおさらがっつりとしたものが食べたい。

「ハンバーグとかのストックもありますけど。ブロッコリーとハンバーグだと、多すぎませんか?」

「多すぎませんよ! 普段どんな食生活してるんですか!」

『ルイの1日の食事を紹介するよ! 朝 ブラックコーヒー、昼 なし、夜 とうもろこし』

「ハムスターみたいな食事ですね!」

 壁に付けられているモニターを通してエモにゃんが説明する。あまりに簡素なルイの食事に、タビトは思わずツッコむ。これではいつまで経ってもブロッコリーとかにんじんとかしかでてこない。それ以前に、ルイの食生活が非常に心配である。人間としてやっていけない。どうりで細い訳である。

「奥、見させていただいてもいいですか?」

「どうぞ。もうタビトさんの家でもあるので」

 許可を得て、タビトは奥のキッチンに向かう。ルイ1人で使うにしては大きな冷蔵庫がある。コンロの上には、ホーローでできたケトルが載ったままになっている。電子レンジにはたくさんのボタンがついており、高性能であることが窺える。

 タビトはまず冷蔵室を開く。水が冷えている。他には何もない。次に野菜室を開く。オレンジやブドウなどの果物はあるが、野菜等は見当たらない。……よくよく確認すると、入れられている果物は皮を剥かなくても食べられるものだけのようだ。

 最後に冷凍室を開く。市販の冷凍ブロッコリーや冷凍にんじんなどがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

「冷凍野菜ばっかり……!」

「レトルト系のものはこちらにあります」

 タビトの後ろから付いてきたルイが冷蔵庫の横にある棚を案内する。みっちりと詰まっていた冷凍室は取り出しやすいように整然とした感じも見受けられ、サングリアの店内を思い起こさせたが、こちらの棚は掃除する前の乱雑なタビトの部屋を彷彿とさせる。

 つまり、ルイは自分の関心のないところには無頓着なのだろう。

 タビトはとりあえず一箱手に取る。

「うわっ。これ、百貨店が出してるハンバーグじゃん」

 最近ではレストランのメニューを家に持ち帰り食べるという、中食も流行っている。百貨店もその恩恵にあずかろうと、レトルト商品の開発に乗り出した。

 その中の1つが、タビトが手に取ったハンバーグだ。一番好きな料理がハンバーグであるタビトにとって、百貨店の高級ハンバーグはぜひ食べてみたい一品だ。

 隣のレトルトに手を伸ばすと、そちらは有名日本料理店が出している鯖の塩焼きだった。

「うわっ、どっちも賞味期限ギリギリ。早めに食べた方が良いですよ」

「そうですか」

 わかっているのかわかっていないのか、タビトには読み取れない表情でルイは頷く。とりあえず、とタビトは鯖の塩焼きを棚に戻し、ハンバーグをあるだけ手に取る。

 密封されている袋から取り出し、ドカドカと皿に載せラップをかけて電子レンジに放り込む。本当なら1つずつなのだろうが、待つのも面倒だ。まとめて5分でセットし、スタートボタンを押す。

 その間に、再び棚の元に戻り、今度はレトルトのご飯を探す。白米ご飯があったので、そちらは5つ拝借する。

「お湯はどうやって作るんですか?」

「このケトルで沸かしています」

 ルイはコンロの上に乗ったままのケトルを指す。タビトは水を入れ温める。お湯が沸くよりも早く電子レンジが完成を知らせる。

「あちっ、あちち」

 少し温めすぎたようだ。爪の先で摘まむように皿を電子レンジから取り出し、ラップを外す。湯気と濃厚なデミグラスソースに包まれたハンバーグを見て、タビトの口に涎が溜まる。

 ルイの分を1つ別の皿に取り分ける。

「あぁ、もう待てない! ご飯は後からにして、とりあえずハンバーグとブロッコリーを食べましょう!」

「はい」

 タビトはハンバーグを、ルイは箸を持ってテーブルに戻る。

「さぁ、食べましょう! いただきます」

「いただきます」

 手を合わせて、タビトはハンバーグに箸を向ける。

「ん~! うまい! やっぱり百貨店の高級ハンバーグはレトルトでもおいしい~! 肉が多分牛肉100%だな! めっちゃ旨い!」

 労働の後というのも大きいとは思う。だけど、やはり百貨店の名を背負うほどのハンバーグだから、肉の味もしっかりしていて、デミグラスソースも濃厚だけど嫌味がなくて、とてもおいしい。タビトのようにハンバーグが一番好き、という人でなくても、この味には納得するだろう。

 全部食べてしまいたいぐらいだが、まだご飯はできていない。タビトはハンバーグを2つだけ食べ、残りはご飯を待つことにする。箸休めでブロッコリーを摘まむ。皿に残るデミグラスソースが勿体ないから、ブロッコリーを絡ませる。

「あれ? ルイさん、もしかして、肉は苦手ですか? だから、食生活がブロッコリーだったり、にんじんだったり、とうもろこしだったりするんですか?」

 お腹が空いたタビトががっつきすぎというのも否定はできない。だが、明らかにルイの箸の進みは遅い。

「肉は好きでも嫌いでもありません」

「なら、いいですけど。まぁ、そうですよね。嫌いなのに、あんなにストックを溜め込む訳がありませんものね」

 みっちりと詰まった冷凍庫と、乱雑に積まれたなレトルトの棚。肉が苦手なら、わざわざレトルト食品の棚なんて作る必要はないだろう。

「僕が買った訳じゃありません」

「そうなんですか? じゃあ、どうして?」

「CROWNから必要物資として支給されたものです」

「へぇ」

『ルイは自炊ができないんだよ。だから、給料から天引きしてレトルト食品や冷凍食品を買って、CROWNの人に――タクヤたちに運んでもらっているんだにゃ』

「なるほど」

 エモにゃんの説明にタビトは深く頷く。そうでもしなければ、ルイは食べることすら忘れていそうな気配がする。食品の選択に、ルイの意見は取り入れられていないのだろう。放っておけば、ブロッコリー1ヶ月生活(しかも夜だけ)を地でいきそうだ。

 それを防ぐために、CROWNの方で様々な食材を仕入れているはずなのだが、実際に食べる本人にバランス良い食事に対する意識がないからなんとも虚しい。

「もっと食べた方がいいと思いますけど。ブロッコリーは身体に良いけれど、肉にだって身体に必要な栄養がたくさんありますし。……と、お湯が沸きましたね。見てきます」

 コンロの上でケトルがけたたましい音を立てている。タビトは席を立ち、再びコンロに向かう。ご飯のパッケージを開け、次々とお湯を注ぐ。非常に小食なルイは、ご飯は食べられないかもしれないと思ったが、余ったらタビトが食べればいいだけだ。

『タビト。1つお願いがあるにゃ』

 ベルトループに付けられたドコエモンからエモにゃんが話し掛ける。タビトはケトルを手に持ちながら返事をする。

「なに? エモにゃん」

『ルイと仲良くしてあげてほしいにゃ』

「それはもちろんいいけど……どうしてわざわざそんなこと言うの?」

 これから一緒に働くのだ。立場でいえば、ルイはサングリアの店長で、タビトは店員だ。上下関係がある。だけど、ルイはそんなことを気にするようなタイプではなさそうだし、タビトとしてもフラットな関係の方がやりやすい。

 仲良く、というのとは少し意味がずれるが、これから一緒に働くのに、わざわざ仲悪くなろうとは思わない。

『ルイはね、ずっとひとりぼっちなんだよ。生まれたときから、今までずっと』

「そういえば、高校にも行っていないんだっけ。生まれたときから、ずっとCROWNにいて……」

 それはいったい、どういうような人生なのだろう。タビトは想像してみる。

 生まれたときからずっとCROWNで『使徒様』として崇められ、恐れられてきたのだろうか。CROWN日本支部からサングリアに来るまでに運んでくれた運転手のようによそよそしく、タビトがルイに掃除を頼もうとしたときのタクヤのように畏怖を込めた目で見られながら生きてきたのだろうか。

 CROWNの日本支部の息苦しさを、タビトは思い出す。マサムネがふんぞり返っている支部長室は例外だったが、廊下やエレベーターには病院を思い起こさせる潔癖さを感じた。

 それはダットを、ダットのゴーレムを地球から排除しようとする潔癖さの現れだったのかもしれない。もしくは、CROWNに所属する人たちはエリートばかりだから、掃除1つにも手を抜かないのかもしれない。

 そんな環境で、生まれてからずっと生きてきた。

「想像できないな」

 タビトは、好きなことを追い求めてマジシャンという夢を掴んだ。一方ルイは、使徒になりたくてなった訳ではない。生まれながらに持つ能力のせいで使徒になる以外の選択肢を与えられなかった。高校すら行くことができない。

 そしておそらく、それが不幸だと思ってもいない。自分に、使徒として生きる以外の選択肢があったかもしれないことに気が付いていないから。

『だからね、お友達になってほしいんだよ。たくさんマジックを見せてあげてほしいんだよ』

「うん、わかったよ」

 タビトはエモにゃんに約束する。純粋なCROWNの人たちが難しいのなら、ルイと仲良くするというのは、確かにタビトがすべき仕事だろう。

「けど、すごいね最近のAIは。そんな人間染みた心配までするなんて。実は裏に誰かいたりする?」

『そりゃあ、裏には人がいるよ。エモにゃんのメンテナンスする人とか、開発者とかね』

 エモにゃんが感情を学習し、ルイを憐れんで出た言葉かもしれない。だけど、もしかしたらエモにゃんをメンテナンスしている誰かが、ルイを心配して、そういうプログラムを組み込んだのかもしれないとも思う。そうだったら良いと思う。

 タビトはお湯で元に戻ったご飯を持ってテーブルに戻る。

「ご飯できましたよ。どうぞ」

「こんなに食べられません」

 ブロッコリーとハンバーグだけでも持て余しているのに、ご飯まで追加されても困る。

「余ったら俺が食べますから、食べられるだけ食べてみてください」

「……はい」

 ルイは控えめに、タビトの一口の半分にも満たないご飯を箸で摘まむ。タビトはウキウキとご飯の上にハンバーグを乗せデミグラスソースをかける。

「どうせなら目玉焼きも載せたいなぁ」

 卵が1つ載るだけなのに、ロコモコ丼になってテンションが上がるから不思議だ。ルイも真似をして、ハンバーグの欠片をご飯に載せて口に運ぶ。

 タビトはその様子を確認してから、口を開く。

「ルイさん、1つ提案があるんですが」

「なんですか?」

「敬語止めてタメ口にしませんか? 俺たち、歳あんまり変わらないし。無理に、とは言いませんけど」

「タメ口って何ですか?」

「そこからですか……」

 だけど、仕方がないのかもしれない。生まれた時からCROWNで過ごし、ずっと『使徒様』として扱われ、学校にも通っていないルイがタメ口を知らないのも当然かもしれない。支部長で粗暴なマサムネは例外だとしても。

「フランクにというか、対等にというか」

「わかりません」

 ルイの言葉はいつでも飾り気がない。それはわかりやすくて有り難いことも多いが、真っ直ぐなだけにすっと心に突き刺さる。

 タビトは素直な『わからない』という言葉の強さに胸を押さえつつ、違う説明を考える。

「そうですね……、もっと端的に言うと、ルイさんと仲良くなりたいんですよ。友達みたいに。使徒様とその他の職員じゃなくて。ルイとタビトになりたいんですよ」

「……」

 ルイはじっとタビトを見つめる。その目力にたじろぎつつも、タビトは目を逸らさず見つめ返す。人が嘘をついているのか見極める、ルイの特殊能力。おそらく今、ルイはタビトの中に嘘がないか探っている。ここで目を逸らすのは、嘘を吐いていることにはならないけれど、不誠実だ。

「……タメ口、になるのはいいですけれど、僕に、メリットはありますか?」

「ルイさんが俺と仲良くなるメリットですか……。うーん、マジックを教えてもらえる、とか?」

「それはいいですね」

 ルイは余程マジックが気に入ったようだ。タビトの提案に食いついてくる。

「では、タビトさんに何かメリットがありますか?」

「ルイさんと仲良くなるメリットですかぁ。特にないですけれど、デメリットもないですよ。強いて言うなら、そうですね……メリット、やっぱりないですね」

 ルイと仲良くなるメリット。特に思い浮かばない。ルイと仲良くしていたら、CROWN内での地位が上がるのだろうか。だが、CROWNでの地位を特段高めようという気のないタビトには関係のない話だ。しかもそれだと、仲良くとは少しズレて、打算的な関係になってしまう。

「メリットなくても良いんですか?」

「いいでしょう。友達なんて、そんなものだし。強いて言うなら、一緒にいたら楽しい、みたいな?」

「友達……」

 ルイの呟きを聞いて、あぁそうか、とタビトは独りごちる。ルイは上手に友達を想像できないのだ。

「太郎くんと花子ちゃんみたいに?」

「た、太郎くん? 花子ちゃん?」

 突然現れた見知らぬ人物の名前にタビトはたじろぐ。

『太郎くんと花子ちゃんはこれだよ。タビトも見たことあると思うんだよ』

 壁に備え付けのモニターの中からエモにゃんが紹介してくれる。夕方に放送されている子供向け番組の着ぐるみだ。タビトも幼い頃に見た覚えがある。

「そうそう。こんな感じ」

「ジョンとジョシュアみたいに?」

 エモにゃんが再びタブレットにジョンとジョシュアを表示させる。こちらは世界の名著をアニメ化した番組の主人公たちだ。

 タビトはいきなり出てきた子供向けのキャラクターたちに気圧されつつも力強く頷く。

「僕に……友達。エモにゃん以外の……」

『そうだよ。タビトは友達なんだにゃ』

 モニターの中でエモにゃんが飛び跳ねる。エモにゃんの嬉しそうな様子を見て、ルイは顔を上げる。

 『使徒様』と言われ、距離を置かれることが特段辛いと思ったことはない。それが普通で、当たり前だと思って生きてきた。

 ルイは友達というのを、テレビの中でしか見たことがない。エモにゃんは友達にとても近いけれど、これが一般的な友情とは違うというのはわかる。エモにゃんはAIだ。人間のように考えているのではなく、機械のように計算して、その結果をルイに吐き出しているだけだ。

 それに、ルイは距離が近いのは良いことばかりではないことを知っている。喧嘩もあるし、裏切りもある。

(だけど)

 ルイはじっとタビトを見る。タビトはにっこりと笑ってルイの言葉を待っている。怒るときもあるけれど、笑っているときの方が断然多い。人は笑いながら嘘を吐く。詐欺師は、詐欺をするときは絶対に笑っている。笑っている詐欺師の方が、簡単に人を騙せるからだ。

 だけど、タビトの表情には裏がない。裏がない人間というのは滅多にいなくて、そういう人の近くは居心地がいい。

 その居心地の良さは、友達になるとどう変わるのだろうか。

「あの……その、よろしく、お願いします」

「よろしく!」

 タビトはルイに向かって手を差し出す。ルイはじっと見て、それからおずおずと手を差し出す。タビトはルイの手を迎えに行って、少々強引に握手を交わす。もしかしたらルイは、握手も初めてなのかもしれない。それは口には出さないけれど。

「ご飯、続き食べよう。ちょっと冷めちゃったね。けど、高級なハンバーグだから、冷めてもおいしいと思う」

「はい……じゃない、うん」

 タビトはご飯とハンバーグ、たまにブロッコリーを口に次々と入れる。エモにゃんに流してもらったテレビのニュースを聞きながら、わいわいと食事を進める。

「あの……ごめん、もうお腹いっぱい」

「わかった。もらうよ」

 ルイはハンバーグもご飯も、3分の2以上残している。だが、普段ブロッコリーとかにんじんしか食べないルイにしては、かなり頑張った方だろう。元から人の5倍は食べ、また労働をして腹が減っているタビトは逆に、まだまだ足りないと思っていたから丁度良い。

「……タビトさんって、たくさん食べるんだ」

「タビトでいいよ。こんなの、たくさんのうちに入んないよ。夜食でラーメンも食べようかと思っているけど、一緒にどう?」

「いらない」

 ルイはみるみるうちに食べ物がタビトの中に消えて行く様を、マジックを見るのと同じような、不思議な現象を見るかのような面持ちで見守る。

「ルイさんも……ルイもサングリアに住んでるんだよね?」

「うん」

「朝ご飯は……ブラックコーヒーだったか」

 エモにゃんが先ほど教えてくれた情報だと、朝はブラックコーヒーだけだったはずだ。

「俺は朝ご飯派も、一緒に食べる?」

「す……少しだけ」

 ルイは小さく頷く。ほとんど食べる気はなさそうだ。だが、朝食を抜く人は珍しくないから、抜くことがさほど珍しい訳でもない。だが、ルイの食生活改善のためには、少しだけでも食べるという気があるのは良いことだろう。

「炊飯器は? 米とかもあるの?」

「ない」

「アパートで使ってた炊飯器、こっちに来てるのかなぁ?」

 たくさんの段ボールのどれかに入っているのかもしれないが、今は探すのが面倒だ。明日もパックご飯のお世話になろう。

「さて、ごちそうさまでした。おいしかった~」

「ごちそうさまでした」

 タビトに合わせてルイも合掌する。

「明日、米は買いに行かないとね。エモにゃん、米の配給はないの?」

『明日、タクヤに運んでもらうように頼んでおいたんだよ』

「ありがとう。助かる。さすがエモにゃん」

『えっへん』

 エモにゃんはタクヤの腕時計で表示されているときとは違い、モニターの中では腰に手をやり、胸を張っている。

「テーブル」

「テーブル? が、どうかした?」

「狭い」

 ルイはテーブルを見つめる。言われて見れば、ご飯の茶碗とハンバーグの皿、コップが2つずつ、ブロッコリーが盛られた器が1つ。すでに皿は半分テーブルからはみ出している。本当ならここに味噌汁がほしいところだが、置き場所はない。

 本来は2人がけのテーブルだから、ルイとタビトの2人だと丁度いい大きさのはずだ。だが、規格外に食べるタビトのせいで手狭になってしまった。

「テーブルも買わないとね。いや……、どこかに使えるものあるのかな」

 サングリアの商品の中に何か使えそうなテーブルセットがありそうだ。ルイの商品の取り扱い方を見るに、商品を普段使いしても良さそうだし。

「明日、探してみようか」

「うん」

 そうして、タビトのサングリア勤務初日は終了した。



 翌日、タビトはタクヤが家から持ってきてくれた大量の段ボールの中から炊飯器を探し当てた。一升炊きができる炊飯器はタビトが長年愛用しているものだ。どうせたくさん食べるのなら、おいしいものを食べたいということで、ナンチャラ製法のおかげでお米が舞い踊る、みたいなキャッチフレーズで売り出されていた。たしかに普通のお米でもそれなりにおいしく炊ける。すぐさまタクヤが届けてくれた30kgの精米を研いで炊飯器にセットした。これで昼頃にはレトルトではない、炊きたての白米が食べられるはずである。

 その後、ルイの部屋の大掃除に着手した。ちなみに、当のルイは筋肉痛によりレジカウンターで伸びている。いつも以上にびろーんと長く、持ち上げられたネコを彷彿とさせる。全身が痛いと力なく言っていたから、普段相当運動していないのが見て取れる。

 ルイの部屋は、サングリアの店内と似たような状態だった。すなわち、物が多くごちゃついている。タビトの部屋のような埃っぽさや汚さは感じないが、ここで人間が寝起きを? と疑問に持つくらいには物が積み重なって置かれている。足の踏み場もない。

 とりあえず、いらないものを全て部屋から運び出すことにした。サングリアの裏にはサングリアと同じくらいの大きさの倉庫がある。ここにルイが一時保管と判断をくだした骨董品や、店内に並べることのできないものが入れられている。

 昨日までタビトの部屋にあった物もとりあえず全てここに押し込めてある。ルイの部屋のいらないものも、他に持っていきようがないのでやっぱりここに入れる。何でも置くことができる倉庫が1つあると、全てのいらないものをしまうことができて便利だ。

 倉庫も乱雑にものが置かれている。骨董品なのか、ガラクタなのか最早わからない。というか、価値があるものならば、もっと丁寧に扱うべきなのではないだろうか、とタビトはサングリアに来てから何度も感じる疑問を再度思い浮かべる。

 屏風や絵画、螺鈿細工の飾り棚、重たげだが繊細な彫刻が彫られた灯籠、表情豊かな像、日本刀まである。多分、本物だろう。

 ここの片付けはタビト1人の力では無理だ。いつかマサムネにお願いして、応援をよこしてもらう必要がありそうだ。

 タビトは倉庫の中を慎重に、何か踏まないように、像に触れて倒さないように、屏風に手を突いて破かないように気を付けながら、物を運び入れる。

 集中しているところで電話が鳴る。タビトは退かすために手に持った壺を落とすところだった。

『タビト、電話だにゃ。テレビ局のプロデューサーさんだにゃ』

「わかった。出るよ」

 タビトはスマホを取り出す。

『CROWNのことは秘密にしておくんだよ。会話の内容は全てCROWNに報告されるから、そのつもりで話すんだよ』

「何それ、脅し? 怖いよ!」

 エモにゃんのさりげないカミングアウトに怯えつつ、タビトは通話ボタンを押す。

「タビトくん、こんにちは。どうだい、調子は」

「お疲れさまです。調子は……そうですね、昨日百貨店のハンバーグ食べたのがおいしかったですね。レトルトですけど」

「へぇ、良いもの食べてるんだねぇ」

「貰い物ですよ」

 タビトはのんびりと世間話に付き合う。同時に、このプロデューサーはダットのことも、ゴーレムのことも、CROWNのことも知らないのだな、と思う。彼の部下にダットのゴーレムがいたことも知らず、何時間も何日も一緒に仕事をしていた。もしかしたら、今も隣にいるかもしれないのに、命を狙っているかもしれないのに、存在すらも知らない。

 だけど、平和というのは知らないからこそ享受できるのかもしれない。タビトはきっとこれから先、人混みを避けて生きていくだろう。人混みの中にダットが、ダットのゴーレムが混ざっているかもしれないと思うと、とても入る気にはなれない。

 それほど時間が経った訳ではないのに、酷く懐かしく感じるCROWN以外の人間との会話に、タビトの心は自然と緩んだのだった。

「それで、だけどね。今日連絡したのは、君が気にしていたADの、池崎の近況を報告しようと思ってね」

「!」

 だが、和やかな時間は長くは続かない。タビトの息が詰まる。タビトがマジックでおもちゃの銃を使用した際、大きな発砲音が出た。その発砲音にショックを受け、池崎は――ダットが月から送り込んだゴーレムは倒れた。

 当時、タビトは池崎がまだゴーレムとは知らなかった。それでも、自分のマジックが原因で倒れたのならお見舞いに行こうと思っていた。タビトはプロデューサーに池崎がお見舞いできる状態になったら教えてほしいと頼んでいたのだった。

「池崎さんは……どうなりましたか?」

 プロデューサーは1つ呼吸を入れてから答える。

「池崎は、消息不明だ。運び込まれた病院から消えたんだ」

「消えた……」

 タビトは呆然とプロデューサーの言葉を復唱する。消えた、というのはどういう意味だろうか。病院から抜け出した。それとも……、タビトを襲ったゴーレムが砂になったように消えたのだろうか。

「ここから先は秘密にしてほしいんだが」

 プロデューサーは声を潜める。

「池崎がいたベッドには、何故か大量の砂が残されていてね。誘拐じゃないかっていう話もあるんだ。大量の砂は、何かのメッセージじゃないかって警察の方は言っている」

「砂が……」

 驚愕の声を上げたタビトを、プロデューサーはどう思ったのだろう。やはり尋常ならざることだと驚いたと思ったはずだ。

 だが、タビトはマサムネの言うとおり、池崎がゴーレムだったことに愕然としている。池崎はタビトのマジックで意識不明となった。すぐに壊れた訳ではないが、やはりタビトのマジックが原因だったのだろう。

「ご家族の方に連絡したんだけど、ご両親ももう亡くなっておられてね。遠縁の親戚の方が行方不明届を出されたんだけど、あまり積極的じゃないみたいだ」

 この『遠縁の親戚』というのが、ダットなのか、それとも人間なのか。ゴーレムの支援を行うダットの組織があるのかもしれないし、ゴーレムに騙された人間が勝手に使われているのかもしれない。

「もし街中で彼を見かけたら、また教えてよ。俺たちには、それくらいしかできないからさ」

 プロデューサーの声に諦めが混ざる。まさか人が消えるとは思っていなかっただろうし、手がかりがほとんどないというのに戸惑っているだろう。街中で偶然出会うという、ほとんどないに等しい確率にかけるしかないというのも、虚しさを引き立てる。

 そのほか2つ3つ言葉を取り交わし、電話を切る。

「はぁ……」

 実際にダットが地球に侵入しつつある事実。ゴーレムが紛れ込み、人間として活動している現実。

 タビトは、この目でゴーレムの本来の姿を見て、実際に倒した。だけど、そのときゴーレムは人間に擬態などしていなかった。一目見て、この世ならざる物だというのがわかった。

 だから、人間の皮を被ったゴーレムが今も社会のどこかで人間の顔をして生きているというのが、蜃気楼のようにあやふやだった。だけど、今のプロデューサーの電話から、その現実が生々しく突きつけられて、タビトは吐き気に似た心地悪さを感じる。

「エモにゃん、やっぱり池崎さんは……」

『ゴーレムだった可能性が高いんだよ。今の話は、CROWNに共有するにゃ』

「わかった」

 通話の内容が勝手に共有されるのは居心地が悪いが、CROWNという組織の性質上、またゴーレムという危機が実際に目の前にある以上、共有しておかなければならない話だろう。

「とりあえず、これはここら辺に置いておくか……ここの片付けはまた後日。誰か来たときに一緒にやろう」

 またタクヤとか、食糧を配達に来るCROWNの職員がそのうち来るだろう。そのときにいらないものを持っていってもらおう。タビトはテーブルを諦め、倉庫を出る。

『タビト、今度はお客さんだにゃ』

「お客さん? サングリアの?」

『そうだにゃ。常連の田中さん。タビトにはルイのお手伝いをしあげてほしいんだよ』

「了解」

 タビトは勝手口からサングリアの中に戻る。ルイはさっき見たときと変わらず、レジカウンターで伸びている。

「ルイくん! どうしたんだい? いつもよりぐったりしているみたいじゃないか! ちゃんとご飯食べているのかい? きちんとご飯を食べないから、そんなに細いんだよ。おじさんを見てみなさい。たくさん食べるから、歳をとってもこんなに元気いっぱいだ!」

 その言葉通りに、元気いっぱいな人がカウンターの前に置かれた背の高い椅子に座っている。彼が田中なのだろう。ただ、年の頃は『おじさん』というよりは、『おじいさん』の方がしっくりくるはずだ。60歳後半と思われる田中は、自己申告通り、たくさん食べるのだろう。お腹が見事な丸を形作っている。

「昨日は食べすぎたくらいです」

「ルイくんが? 珍しいじゃないか」

「人が来たので」

「人が?」

「初めまして、田中さん。昨日からサングリアで働くことになったタビトです。以後、お見知りおきを」

 タビトはひょこっと店の奥からにこやかに笑って現れる。田中に手を差し出し握手を求める。

「へぇ、バイト雇ったんだ。サングリアも繁盛しているなぁ」

 田中はタビトに手を差し出し、握手を取り交わす。タビトは握手を終えた手を、くるりと閃かせる。

「お近づきの印に、飴はいかがですか?」

「うわっ! 飴だ! けど、どこから? 握手したときには、手に持ってなかったよね。ね?」

 田中は突然現れた飴に目を見開いて驚く。握手したときに、たしかに飴の固い感触はなかった。それなのに、タビトが1つ手を動かすだけで、瞬く間に飴が出現する。

「サングリアの店員兼マジシャンなので。よろしければどうぞ」

「しかも、俺の好きな小豆味。ありがとう、これおいしいんだよなぁ」

 言うと、田中は早速口に飴を放り込む。小豆が好きというのは、こちらに向かう最中にエモにゃんから聞いた。

「まぁ、ルイくんだけだとこの店も大変だろうからねぇ。せっかくの骨董が泣いているよ」

 田中はぐるりとサングリア内を見渡す。乱雑に積まれた骨董品は、他のアンティークショップでは有り得ない。本来はショーケースの中に入っていたっておかしくないものが、そのへんにポンと置いてあるのだ。

 それはルイの無気力な性格と身体的が貧弱で物を適切な場所へ運べないというのが重なってのことだ。タビトが来たならば、ある程度整理がつくのではと田中は期待する。

「それで、今日はどういったご用件で? 何かお求めですか?」

「違う違う。そんな『お求め』なんて止してくれ。ただの暇つぶしさ。定年退職して、毎日暇でね。一日中家にいると家内からも邪魔者扱いされるから。ここでルイくんと話をしているんだ」

「そうなんですね」

 タビトは意外そうにルイを見る。ルイは人と話をするのが苦手だと思っていた。基本的に、人が話しかけないと口を開かない。今日の朝食のときだって、タビトとエモにゃんだけの会話だった。ルイは頷いたり、ごく短く返事をしたりするくらいだ。

 それに、特殊能力のこともある。人間の嘘を見抜いてしまうルイは、他人との会話に一定の距離を置く傾向にある。それは仕方のないことだとは思うけれど。

 そんなルイが接客をしている。あまつさえ、ルイとの会話目当てに通う常連までいる。

「お茶でもお出ししましょうか。それとも、コーヒーの方がいいですか?」

「お、タビトくん、気が利くねぇ。ルイくんと話していても、そういうのしてもらったことないからなぁ」

「……それは、なんかすいません」

 タビトが謝る筋ではないが、店主の不手際として代わりに謝っておく。ルイが田中を嫌ってわざとコーヒーを出さないとかではない。単純に、お客様が来たらもてなすという接客技術、もしくは『もてなす』という行為自体、知らなかっただけだとは思う。

 だからこそ余計、コーヒー1つ出ないのにサングリアに通い続ける田中が、むしろ立派に思えてくる。

「俺はコーヒーを頼むよ。できれば、砂糖とミルクもお願いしたいな」

「わかりました。ルイはコーヒーでいい?」

「淹れてくる。タビトは、何飲む?」

「俺もコーヒー。ブラックで」

「わかった」

 ルイが席を立ち、キッチンに引っ込む。代わりにタビトが席に着く。

「驚いた。ルイくんがコーヒーを淹れるだなんて」

「むしろ、コーヒーには拘りがあるようですよ。自分で淹れたいみたいです」

 朝ご飯の際も、ルイは自らキッチンに立ちお湯を沸かし、丁寧にコーヒーをドリップしていた。タビトもコーヒーは飲むが、朝ご飯と共に飲む習慣はないからそのときは断った。今から出てくる、ルイ拘りのコーヒーが楽しみでもある。

「へぇ。何にも興味がないと思っていたけれどねぇ。コーヒーが好きなんだ。今度、プレゼントしようかな」

「拘りがある物ほど、プレゼントが難しいですよ。今度、俺の方からこっそりどんな豆が好きか聞いておきます」

「お、タビトくん。君、結構やるね~」

「おかげさまで」

 タビトと田中は悪い顔をして笑い合う。

「田中さんは、ルイさんと長いお付き合いなんですか?」

 懐かしむように、ルイが引っ込んでいった方を見つめる田中にタビトは尋ねる。田中はしみじみと頷く。

「そうだな。今から5年ほど前かな? 定年退職して、本格的に骨董に凝り始めた頃にここを見つけたんだ」

 定年退職の前から、休みの日には蚤の市に出掛けたり、時には骨董品店を覗いたりして、骨董品を集めていた。妻にはガラクタだと言われることもあるけれど、ガラクタにはガラクタとしての愛着が湧く。

 無事に退職をし、暇を持て余すようになった田中は、本格的に骨董にのめり込むようになった。だが、老後の資金を食い潰してまで骨董品を漁るほどの情熱はない。貯金も、妻を含めて慎ましく生活するほどしかない。

 だけれども、見るだけならタダだから。たまにの楽しみとして、少額の物を買うくらいなら、と田中は冷やかし気分で骨董品店を探して散歩するようになった。

 その中で、見つけたのがサングリアだ。

「店に入ってびっくりしたよ。タビトくんもびっくりしただろ。なんせ一流の、本物の骨董品が、文字通り山みたいに積まれてるんだから」

 田中が手をいっぱいに広げる。タビトはうんうんと何度も頷く。タビトのような素人でも、サングリア内の骨董品が放つ存在感に圧倒された。骨董に思い入れのある田中のような人であれば、さらに驚いただろう。

「次にびっくりしたのが、ルイくんだよ。今よりももっと小さくてね。当然だけど、子供で。俺は最初、最新式の人形かなんかだと思ったね」

 ルイは今、16歳だ。5年前だと11歳。小学生に相当する、が、もしかしたら小学校に通わず、サングリアで店番をしていたのかもしれない。

「詳しいことは聞いたことないけどさ、家にも学校にも居場所がないのかもしれないな、と思って、勝手に同情してよ。不信がられないように、たまーにこうして様子を見にきているんだよ。そしたら、いつの間にかルイくんも大きくなってったって訳だ」

 田中は感慨深く言う。ルイとのこれまでの記憶を辿っているのかもしれない。

「持ってきました」

 トレイにコーヒーを乗せたルイが現れる。

「お、ありがとうよ、ルイくん」

「ありがとう……ってこれは?」

 だが、トレイの上にはコーヒーカップだけではなく、1リットルの牛乳パックと、食塩の瓶が載っている。

「田中さんがミルクと砂糖をって言ってたから」

「なるほど」

 田中のために持ってきてくれたようだ。だが、全然違う。

「ミルクって確かに牛乳って意味もあるけれど、コーヒーに入れるのはフレッシュミルクの方だと思うよ。あと、これは砂糖じゃなくて、塩だし」

「……砂糖って白くないの?」

 タビトはがっくりと肩を落とす。

「塩も白いんだよ。小麦粉も白いし、片栗粉も白いよ」

 砂糖を見たことがないようだ。自炊しない弊害は意外と大きい。学校に通ったことがないのなら、家庭科の授業で料理もしたことがないのだろう。ルイの自炊スキルを舐めていた。

「いや、せっかくルイくんが初めて俺のためにコーヒーを淹れてくれたんだ。牛乳と塩で……」

「わー! 止めてください! 無理しなくていいですから!」

 幼い頃からルイの成長を見守ってきた田中は、この程度の成長でも嬉しいらしい。感極まりすぎたのか、塩をコーヒーに入れるという暴挙に出ようとしている。タビトは必死に止める。

「だって、ルイくんが一生懸命入れてくれたんだ。この厚意を無駄にする訳には……!」

「無駄にしてください!」

 タビトは力尽くで田中から食塩の瓶をもぎ取る。

「俺が探してきますから! ちょっと待っていてください」

 タビトは牛乳と食塩を手にキッチンに戻る。牛乳は冷蔵庫に、食塩の瓶は調味料の棚に放り込む。コーヒーの器具が並ぶ棚には、本格的な喫茶店でしか見たことのない、コーヒーフレッシュを注ぐための銀の入れ物がある。その横には、角砂糖を入れるための薄い花柄の陶器が並んでいる。開けてみるとどちらも空だ。いや、この場合空で良かったと考えるべきかもしれない。長い間放置されたままのフレッシュと砂糖なんて見たくはない。

 だが、その横には、きちんと来客用に準備されたであろう、プラスチックの容器に入った一回分のコーヒーフレッシュとスティック状の砂糖がある。

 タビトはそれらをいくつか掴む。本来なら無作法なのだろうけれど、牛乳と塩を出された田中相手に今更作法もないだろう。

 カトラリー類の入る引き出しから小さなスプーンも取り出し、店内に戻る。

「ありましたよ」

「あぁ、タビトくんありがとう」

 田中は早速コーヒーにフレッシュと砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜる。

「……茶色くなった」

「ブラックも飲めない訳じゃないんだけどね。少しだけ甘いコーヒーの方が好きなんだ」

 田中はコーヒーから少しカフェオレに近づいた液体を口に含む。

「うん、おいしいよ」

「……やってみる」

 ルイは半分だけ残っている自分のコーヒーに、フレッシュと砂糖を1つずつ全て入れる。

「あーあ」

 タビトが止める間もなかった。だが、失敗も経験だと思い直す。ちなみに、タビト的には、フレッシュは全部入れても大丈夫だが、砂糖は一袋入れたら甘くて飲めなくなってしまう。

 コーヒーの分量が半分なだけ、田中のものよりも倍甘くなったコーヒーを、ルイは口に運ぶ。

「こんなのコーヒーじゃない」

 ルイはコーヒーを吐き出しこそしなかったが、プルプルと小刻みに震えている。やはり相当甘かったようだ。昨日のブロッコリーだってそのまま食べるくらいには、粗食……自然の味を大事にしているルイだから、砂糖一袋まるまる入ったコーヒーの甘さは衝撃的だっただろう。

「俺の飲みかけだけど、交換する?」

「うん」

 ルイは素直に頷く。コーヒーは好きだから、できれば飲みたいのだ。

 とはいうものの、タビトにしても甘すぎるコーヒーは飲めない。タビトのブラックコーヒーでルイの甘いコーヒーを割ってから交換する。

「うん、甘い! 歯が溶けそうなくらい甘い!」

 子供の時以来の、甘ったるいコーヒーだ。タビトは口をシパシパと開け閉めして甘さを逃がす。

「そんな甘い甘い言われると、俺の立場がなくなっちゃうよ」

 田中がしょんぼりと肩を落としながら笑う。

 それから、とりとめのない話――田中と妻のくだらない喧嘩について、医者に行けば必ず血圧とコレステロールに気を付けろと言われることについて、最近の若者言葉についてなどなど、世間話が続く。

 田中の話を聞いているうちに、田中がなぜサングリアに通うのかわかってきた。話し相手がほしかったのだ。

 ルイは基本的には無口だ。話し掛けなければ、言葉を発しない。だけれど、きちんと相づちは打つし、相づちのタイミングも心地よい。尋ねて返ってくる言葉も簡潔でわかりやすい。

 マジシャンは、タネと仕掛けを仕込むのが一番の仕事だ。そして、その仕事には、巧みな話術が欠かせない。話をしながら目線を、タネを仕掛ける手とは別の方向に誘導する必要がある。

 それだけではない。これから何をするのか、何が起こるのか、何が起きたのかの説明もしなければならない。無言で手から花を出しても、不気味なだけだ。手の中に何もない、ここから花を出す、ほら出てきた、と順を追って説明することで、観客に驚きをもたらす。

 だからタビトは、独学ではあるが話術のスキルも磨いてきた。そのタビトから見ても、ルイの話を聞く姿勢というのは、洗練されていると感じる。

「あぁ、それから。今日はとっておきの話を持ってきたんだよ」

「とっておきの話」

「教えてください」

「ははは、そんな急かさなくても」

 ルイとタビトという聞き上手と話し上手に挟まれて、田中はすっかりとご機嫌だ。タビトはキッチンから持ってきた、冷たい麦茶をグラスに注いでやる。コーヒーを立て続けに2杯は身体に悪いと、少し前に持ってきたのだ。

 田中はぐいっと麦茶をあおって喉を潤す。話しっぱなしで喉も渇いただろう。

「ここから車で山の方に2時間ほど行ったところかな。家内の実家があるんだが、それがまた立派な山でね。夏になったら虫がわんさか出て、子供たちが幼いころはよく虫取りに連れ回したりもした、それくらい自然が豊かなところでね」

 田中には既に成人した子が2人いる。どちらも男の子だから、大層楽しい虫取りになっただろう。

「で、その山の中に祠があったんだ」

「『あった』」

「そう。『あった』んだ」

 田中がわざわざ過去形にしたのには、理由がある。

「山がちというのもあって、雪が多くてね。今年は特にかなりの降雪があったらしい」

 そう言われれば、冬の間のニュースでは、毎日どこかしらの大雪情報を放送していた気がする。地球温暖化とはいうものの、冬になればそれなりの降雪が見込まれるから不思議だ。

 田中の妻の両親は既に他界しているから、新年のご挨拶で冬に訪れることはない。妻自身しばらく顔を出していない。だから、今年は雪が多かった、というのも馴染みがあるものの自分には関係のない世界の話だった。

 だが、先日のゴールデンウィークに仲の良かった友達と久しぶりに顔を合わせた。その際に、昔遊んだ山にあった祠が壊れた、という話が出たそうだ。

「家内が小学生の頃からすでにボロかった祠だ。だから、もういつ壊れてもおかしくないような祠なんだけどよ。去年の大雪でついに壊れてしまったんだと」

 建てられてどれくらいの年月が経っていたのだろう。雪の重さに耐えられず、静かに潰れてしまった。春になり雪が溶けてからようやく、祠が壊れていたことに散歩をしていた近所の人が気が付いた。

「祠は建て直しされることに決まったらしい。祠って、あれだろ? 何か謂れがあるから、わざわざ建てられるんだろ?」

 ルイは小さくこくりと頷く。

「今回は、年寄りばかりの村だからこそだな。迷信を信じる年寄りが多いから、祠も大事にする。これが若者ばかりで、今流行りの『コスパ』なんか重視してしまったら、建て直しはなかったかもしれないな」

 田中の言葉は一理あるかもしれない。タビトは内心思う。

「面白いのはここからだ。祠の中には、棒が入っていたんだ」

「棒、ですか」

「祠にはお地蔵さんがおられるんだが、その奥に杖が刺さっていたらしい」

 ここで田中は手振り身振りを交えて更に詳しい説明を付け加える。

「家内の言うには、祠の上は木でできていて、下は石でできているんだと」

 ここまでは、道ばたにある普通の祠と変わらない。雪の重みに耐えられず潰れたのは、上部の木造の部分だけらしい。

「お地蔵さんは木の板に座っておられるんだが、その木の板と、それから石でできた部分にわざわざ穴を開けてまで、棒が地面に突き刺さっているんだぜ? 何かいわく付きだと思わないか?」

 田中の妻の同級生の弟が村役場に勤めており、そこから聞いた話らしい。祠の建て替えをするにあたり調査をするために、確認したところ、例の棒が見つかった。引っ張ってみても、揺らしてみても動かない。

 中を覗いてみると、棒の先端は木造部分から石造部分に消えている。わざわざ穴を開けて通している以上、何かしらの意味があると考えるべきだ。

「村で管理する他の祠を調べてみたが、同じように棒が刺さった祠はない。その壊れかかった祠にだけ、棒が刺さっているんだと」

 だが、どうしてその祠にだけなのか、棒が何のためにあるのか、そもそもこの棒は何なのか、持ち主は誰なのか。棒に関することだけ、情報がぽっかりと空いている。

「確かに、気になる話ですね。けど、どうしてそれを俺たちに?」

 だが、その棒の話を、どうしてルイとタビトに語るのだろうか。まさか、その棒が言われあるアンティークだとでも言うのだろうか。

「サングリアは各地の隠れた名品も探している。祠の中には、たまに宝物が隠れている」

 田舎町の祠が壊れたなんて話は、インターネットには載らない。ニュースにもならない。地域の博物館だって収集しない。

 タビトが後で受けた説明だが、そんな情報の中に、ルールブックが隠れている可能性も大きい。だから、サングリアはアンティークショップを隠れ蓑に、世間話を兼ねた情報収集も行っている。

「どうだい? ルイくん好みの話だっただろ」

「はい。とても参考になりました。ありがとうございます」

 ルイに感謝され、田中は鼻高々といった感じだ。タビトは空になったグラスに麦茶を追加してやる。

「おっと、もうこんな時間だな。家にずっといたらいたで叱られるんだが、あんまり遅く帰ってもまた怒るからな、うちの家内は。今日はこのくらいでお暇するよ」

 田中はタビトが注いだばかりの麦茶をぐっと一息に煽る。

「またのご来店、お待ちしております」

「ありがとうございました」

 タビトとルイはにこやかに田中を見送る。ドアが閉まったことを確認し、タビトはグラスやコーヒーカップを回収する。

「常連さんは、みんな田中さんみたいな感じ? 雰囲気の良いおじさんだね」

「田中さんみたいな感じじゃない。岩城さんみたいな人もいるし、福岡さんみたいな人もいる」

『みんな良い人だよ』

 知らない人を次々と紹介されてもわからない。要領を得ないルイの答えに、エモにゃんが補足する。

 人が嘘を吐いているかいないのかを判断する特殊能力が備わっているルイは、心の形が普通の人間よりも鮮明に感じ取ることができる。そのため、雰囲気が似ているか、と聞かれても、雰囲気に似る似ないがあるという発想自体がない。

 赤色と朱色は、大多数の人は似ている、もしくは同じと答えるだろう。だけど、一部の人は赤色は赤色、朱色は朱色、全く違う色だと答える。ルイは後者に属する。

「祠、行ってみるの?」

「うん」

「ルールブックかもしれないから?」

「うん」

「けど、仮にルールブックだとして、それって勝手に持ち出しはできないんじゃない? 村が祠を管理しているってことは、祠の中身も村のものってことでしょ? 個人のものなら金を積めばどうにでもなるかもしれないけれど、村の資産ってことになったら、譲ってもらうのは難しいんじゃない?」

『そこで、CROWNの出番にゃ』

 エモにゃんが口を挟む。

『CROWNの業務は世界中の全てに優先するからね。何があっても大丈夫なんだよ』

「全てに優先?」

『支部長のマサムネには、総理大臣よりも強い権限が与えられているんだよ。そのマサムネが「欲しい」って言えば、日本中のものは大抵CROWNのものになるんだよ』

「な……! 怖っ!」

 タビトは本気で怯える。エモにゃんの言葉はつまり、あの傲岸不遜のマサムネに、日本のほぼ全てを左右することができるだけの権限があるということだ。マサムネが白と言えば、カラスだって白くなる。

『ということで、タビトとルイには祠の調査に行ってほしいんだにゃ。日程及びルートはエモにゃんが計算するから、少し待っててね。タビトは運転の仕方を思い出しておいてね』

「え? 俺が運転するの? タクシーとか、CROWNの輸送部……タクヤとかがしてくれるんじゃないの?」

『ルイは運転できないし、他の人がいると緊張しちゃうからだよ。タクヤは少し慣れてきたけれど、狭い車内で二時間はちょっと難しいと思うにゃ。今までの調査では都合が付く限りマサムネと一緒に行っていたんだけど、マサムネだって本当は忙しいんだにゃ。タビトは、マサムネと一緒は嫌でしょ? だから、頑張って運転しないとなんだよ』

 マサムネがCROWNの日本支部長だと聞いたときに感じた、微かな違和感。なぜそんな偉い人がタビトのアパートなんかに、ダットが暴れている最前線に来たのか。偉いのならば、セキュリティのしっかりした部屋で、後方から指示を出すというのが本来の在り方なのではないのか。

 CROWNが少人数で、支部長まで下働きのようなことをしなければならない組織なら、マサムネがやってきたことにも説明がつく。だが、実際はCROWNは世界規模の組織であり、マサムネは内閣総理大臣をも凌ぐ権限を有している。

 そんなマサムネがタビトのアパートに来たのは、つまりルイを連れてこなければならなかったからだ。どこにゴーレムが潜んでいるのかをいち早く確認するには、ルイがいる。だが、ルイは1人では行動できないし、かといってマサムネ以外の人間と行動するのは難しい。

 だから、わざわざマサムネがルイを連れて、タビトの元に来たのだ。

「なるほど……。しっくりきた」

『戦うことになるかもしれないから、戦うための準備もしておくんだよ』

「……わかった」

 またゴーレムと戦うことになるかもしれない。そう思うだけで、タビトは身が竦む。そもそもタビトはゴーレムはおろか、人と戦ったことさえない。学校の授業で柔道をしたことはあるが、そんなの経験がないに含めていいだろう。

 タビトがゴーレムに勝てたのは、本当に運が良かったから。ただそれだけだ。そのことはCROWNもすでに知っているはずだ。それなのに、どうしてタビトなのだろう。

「エモにゃん、1つ聞きたいんだけど」

『何かにゃ?』

「CROWNには戦闘部隊っていないの?」

 CROWNが人々の保護を目的としているのなら、当然ダットやゴーレムと戦うための部隊があっていいはずだ。だけど、タビトは彼らを見たことがない。

『いるよ。だけどね、ゴーレムと戦って勝った人はとても少ないんだよ』

「え? そうなの?」

『だから、タビトは特別に、マサムネがスカウトしたんだよ』

 CROWNの採用はスカウトのみ。それはCROWNの秘匿性も然る事ながら、才能と人格を併せ持つ人間以外は要らない、むしろ不要だからだ。才能がない故に僻む者、逆に才能を必要以上に誇示し周囲の空気を悪くする人間は邪魔になる。

 だから、CROWNの職員への採用は、例外なく各地に派遣されたCROWNの人事部によるヘッドハンティングになる。

 だが、タビトには残念ながら、特筆できるような才能はない。マジックの才能はは人より抜きん出ているが、それがCROWNのために役立つような才能であるとは到底考えられていなかった。不要な才能だ。

 だが、タビトは未だに誰もやったことのない偉業をやってのけた。ゴーレムと戦い、倒す。日本では初めて、世界的にみても珍しい事例だ。

 この特例を持って、タビトはマサムネの一存でCROWNに所属することになり、また秘密主義のCROWNの中でも最重要機密たるルイのバディに選ばれたのだ。

『ゴーレムと戦った人はいるよ。CROWNの戦闘部隊は、何度も交戦しているんだよ。だけど、勝つことはとても難しいんだにゃ。ゴーレムの身体の表面が鉄に似た組織でできているのはタビトもわかるよね? 体表が固くて、普通の銃弾は効かないんだよ』

 体組織のほとんどが鉄を主成分とした物質でできているゴーレムには、銃の類いは効かない。鋼の強さも然る事ながら、より厄介なのはその柔らかさだ。水銀のように掴み所のないゴーレムの身体は、あっさりと銃弾を受け止め、かつ、取り込んだ。

「だけど、俺の銃は効いた」

『ここからはエモにゃんの考えになるんだけど。タビトの銃が、おもちゃだったからだと思うんだよ』

「おもちゃだったから?」

『普通の銃なら、見ただけで攻撃されるかもって身構えるよね? だけど、おもちゃの銃を見せられても、誰も怖がったりはしないよね?』

 強盗が銃を持っていたら、それはそれは怖いだろう。命の危険を感じる。だけど、一目見ておもちゃだとわかる銃だったなら、誰も怖がりはしない。どころか間抜けな強盗だと笑い出すかもしれない。

『ゴーレムはね、その驚き方が人間よりも顕著なんだよ。ショックで壊れちゃうからね。ショックが大きければ大きいほど、ダメージを与えられる。ギャップが大きければ大きいほど、萌えるみたいにね』

「最後の一言はよくわからないけれど。けど、そうか。ゴーレムを倒すのは『ショック』が必要ってそういうことか」

『タビトのおかげで立てることができた仮説なんだよ』

 タビトがゴーレムを倒したことは、CROWN内でのブレイクスルーを引き起こした。これからは強い殺傷能力を持つ銃ではなく、より強い衝撃を与える武器が開発される。

 エモにゃんの一部も、つまりはCROWNが開発したAIの一部も、新兵器の開発のためにリソースが割かれている。

「良いじゃん。民間人が犠牲になる可能性がぐっと低くなって」

 ゴーレムが街中に現れて。CROWNの戦闘部隊が現れて。戦闘部隊が銃を撃って。だけど、ゴーレムには効かなくて。だけど、戦闘部隊が放った弾丸が周囲にいた人間を殺してしまう。

 そういう最悪の事態はぐっと減るだろう。

『早く、ゴーレムを地球から一掃しようね』

 画面の中のエモにゃんが、力強く拳を振り上げた。



 二日後、エモにゃんが準備が整ったと言うので、タビトとルイはCROWNが用意した車に乗り込み田中が言っていた祠に向かうこととなった。

 エモにゃんから聞いた場所に行くと、すでに車が止まっている。運転に不慣れなタビトにも乗りやすい、コンパクトカーだ。これがどでかいワンボックスカーだったら、交換してとエモにゃんにごねるところだった。

「車、久しぶりだなぁ」

 タビトは何度も座席の位置を微調整する。どの位置にしても、しっくりこない。

「運転大丈夫?」

「免許は取ったとき以来乗ってない。正真正銘、ペーパードライバー。一応、行くって決まったときから標識とかいろいろ勉強し直したけどねー。勉強の部分より、実技の方が心配」

 タビトは人差し指と中指の間に免許を挟んで見せる。このまま順当に行けば、ゴールドになるだろう。運転が上手いからではなく、運転をしないため事故も違反もないという理由だけれど。

 ルイはしげしげと免許を見て、タビトに返す。

『エモにゃんも運転をアシストするけれど、あくまでアシストしかできないにゃ。タビトに頑張ってほしいんだよ』

「わかってるって。わかってるけど、そんなに緊張させるようなこと言わないでよ」

 普通に、マジックを人前で披露するよりも緊張する。ハンドルの握り心地に戸惑い、運転席に座ったときの居心地に落ち着かず、アクセルとブレーキの場所を足で確認する。

「大丈夫?」

「頑張る」

 助手席から尋ねるルイに、頑張ると答えるしかできない。自分なりに納得が行くまで調整し、タビトはエンジンをかける。

『バックミラーも確認するにゃ』

「そうだった」

 エモにゃんの声で、バックミラーの存在を思い出す。後ろが見えるように調整する。

「よし、行こう」

 タビトはギアをドライブに入れ、ブレーキから足を離す。オートマの車はそれだけでゆっくりと前に進む。右足をアクセルに置き、ゆっくりと踏み込む。

『良い感じだにゃ。まずは駐車場を出て、高速道路に乗るよ』

「はぁ、高速か……」

『エモにゃんが付いているから、頑張るにゃ!』

「頑張るにゃ!」

 エモにゃんに励まされつつ、また素晴らしい運転サポート(道案内はもちろん、合流のタイミングまでバッチリ)を受けながら、タビトは何とか目的地まで車を走らせることができた。

 2時間半かけて辿り着いた駐車場で、タビトは車からヨロヨロと降りる。

「何とか着いた……」

『運転、お疲れさまなんだよ』

「お疲れさま」

 ルイはタビトとは対照的に、飄々と疲れを感じさせない軽い身のこなしで降りる。

 タビトの運転で辿り着いたのは、例の祠を管理している村役場の駐車場だ。白線はかなり薄くなっており、一台分の広さがわかりづらい。

 その代わり、土地の値段が都会よりもかなり安いからか、村役場の駐車場の駐車場はどこでも止め放題だ。もちろん、駐車も久しぶりなタビトに取っては、前から突っ込んで止めることができる駐車場は有り難い。

『ルイ、タビトに飲み物を渡してほしいんだよ』

「わかった」

「ありがとう、エモにゃん、ルイ」

 ルイが後部座席に積まれていた清涼飲料水を渡してくれる。タビトは有り難くいただく。冷えている訳ではないが、緊張で冷や汗をかき、その分乾燥した身体に液体がぐっと染みこむ。一気に半分ほど飲む。

「というか、途中まで電車だったらダメなの? こんだけ遠いんだから、新幹線使った方が早くない?」

「僕が……人混み苦手だから」

「あ、そうか。なるほど。ごめん、責めたい訳じゃなかったんだけど」

 CROWNの職員との交流さえ苦手としているのだ。不特定多数の人が乗る公共交通機関に乗るのは、ルイにとって相当負担なのだろう。

『タビト、お疲れのところ悪いんだけど、もう少しで約束の時間にゃ』

「了解」

 エモにゃんに促され、タビトは後部座席から上着を取り出し羽織る。一応、役所の人と会うということで、スーツを着てきたのだ。マジックのときに着慣れているから、苦痛ではないが、慣れない緊張でかいた汗が首回りにまとわりついて気持ち悪い。

 タビトが上着のボタンを留め終えたタイミングで、遠くの方から声がかけられる。

 声の方向を見れば、男性と女性の2人が近づいてきている。待ち合わせをしている、村役場の職員だろう。タビトにとって少し意外だったのは、スーツではなく作業着を着ているところだ。村役場に勤めている――つまり、公務員である彼らが作業着で、自由業のようなタビトとルイがスーツを着ているのは、何だかチグハグな感じがする。

「道明寺タビトさんですね! いやぁ、娘も私もタビトさんの大ファンでしてね。先日のロビンソンジュニアとの対決は娘とテレビにかぶりついて見させていただきました。素晴らしいマジックでしたね」

「楽しんでいただけたなら、良かったです」

 40代と思われる眼鏡の男性が、やや鈍った口調でタビトに握手を求める。タビトは笑顔で答える。幾分誇張された表現だろうが、褒められれば嬉しいことに変わりない。

「あ……すいません。つい興奮してしまって。名乗りもせず、すいません」

 男性は恥ずかしそうに照れ笑いし、それから名刺を差し出す。

「私はこの村の建設課 施設管理係で係長をしています高橋です」

「同じく施設管理係で主事の酒井です」

 タビトは眼鏡の男性、高橋と茶髪で髪の長い女性、酒井から名刺を受け取る。村のシンボルである緑鮮やかな山が2人の名刺には印刷されている。

 反対に、タビトは自分の名刺を取り出す。

「改めまして、サングリアの道明寺タビトです」

「同じくルイです」

 タビトが高橋に名刺を渡す。見よう見まねで、ルイも酒井に名刺を渡す。白地ではあるものの、薄い花柄が上品に入った名刺を高橋と酒井の2人は物珍しそうに見ている。

 CROWNの職員が使う無地のものとは違い、サングリアの名刺には少しだけ絵柄が描かれている。アンティークショップの名刺は、営業の許可をする係ならお目に掛かる機会も多いだろうが、施設管理係の2人には馴染みがないのだろう。

「お電話では聞きづらかったんで止めたんですが……、どうしてタビトさんがアンティークショップで働くことに?」

 高橋は名刺とタビトとルイを順番に見つめる。電話でもサングリアについては説明をしてあるが、タビトとアンティークショップが繋がらないのだろう。ルイの名刺には「店長」との表記もある。綺麗な顔をしているが、逆に言えば人形のように無口で無愛想なルイが、本当にアンティークショップを営んでいるのかも気になるだろう。

「先日からアンティークショップのサングリアでお手伝いをすることになりまして、今日はその一環として参りました」

 タビトは事前に用意しておいた答えを述べる。

 タビトは良くも悪くも有名だ。一世を風靡するマジシャンで、世間的にもそれなりに顔が売れている。ディナーショーをすれば満員御礼、マジックバーでゲストとして呼ばれれば席のチケットの高額転売が後を絶たない。テレビに出れば、視聴率が取れる話題のマジシャン。

 そんなタビトが急にメディアへの露出を控え、代わりにサングリアという店に出入りし始め、各地方にお宝をくれと言って出没する。人々は何故タビトがそんなことをしているのかの理由を求める。タビトが有名人であるからこそ生まれる弊害だ。かといって、ルイの代わりができる人材はおらず、ルイと共に行動ができる人もタビトかマサムネしかいない。

 タビトがサングリアに出入りする理由を作らなければならない。その理由が『お手伝い』というものだ。

「ちょっとした事故で、サングリアの収集していた美術品を壊してしまいまして。その罪滅ぼしとして、働かせてもらっているんです」

 嘘ではない。事実からも遠いが。『サングリアの収集していた美術品』が本当はダットが使役するゴーレムで、『罪滅ぼし』というのがマサムネに脅されたというだけだ。

 少々無理があるか? ともタビトは高橋と酒井の顔色を窺うと、2人とも神妙な面持ちで頷いている。

「へぇ……それはそれは。大変ですね」

「けれど、結構楽しいですよ」

 普段自分はどんなマジシャンだと思われているのだろうと、若干の疑念を抱きつつタビトは笑ってみせる。楽しいというのも事実だ。アンティークに向き合うのは、金額が脳内を掠めて緊張するときもあるが、見ていて面白い。収集家がいるのも納得できる。

「俺のことはこれくらいにして、本題に移ってもいいですか?」

「あぁ、すいません。せっかく東京からお越しになったのに、我々がくだらないことを聞いたばかりに。遅くなりましたが、例の祠を見に行きましょうか」

「よろしくお願いします」

 タビトは高橋が案内する車に乗る。村役場の駐車場の端に止められたワンボックスカーだ。高橋は運転席に、酒井は助手席に、タビトとルイは後部座席に座る。大人数が乗れることが売りのワンボックスカーだが、最後列の座席は取り外されており、ショベルや三角コーン、ヘルメットや毛布などの備品が積まれている。

 高橋たち、施設管理課の車両なのだろう。この車で、様々な施設に赴き、実際に直したり現場を見たりするに違いない。

「大丈夫ですか、ルイさん」

「大丈夫です」

 人が苦手なルイが、高橋と酒井に気圧されていないか、小声で確認する。

 大丈夫だと言うものの、ルイの声にはいつも以上に張りがない。初対面の人2人と車に乗って移動することに、ストレスを感じているようだ。

 人が苦手、体質とは言っても、慣れてもらった方が良い。ルールブックの回収には、今回のように管理者を通じて話をすることもあるし、詳しい人に由緒を尋ねることもしなければならない。タビトが代わりに人から話を聞くよりも、ルイが実際に表に出て、人と話をした方が実りあるものになるだろう。

「頑張ります」

 それでも、ルイは静かにやる気に満ちているようだ。このまま車に乗って移動しても大丈夫そうだと、タビトは一息吐く。本当に無理なら、右耳に装着しているイヤホンを通じてエモにゃんが何か言ってをくれるだろう。ルイよりは、エモにゃんの方がルイの体調を把握している気がする。

 主に高橋と話をしながら、時折酒井が話に混ざりながら、山道を登っていく。

「着きました。降りましょう」

 高橋が降車を促す。車から降りたタビトは、何故高橋と酒井が作業服を着ていたのか納得した。

 祠があるのは、今はほとんど使われなくなった山道の途中だ。草木が生い茂り、虫が目の前を通り過ぎていく。青々とした空気と言えば爽やかな感じもするが、夏になれば草いきれで苦しいくらいだろう。

 有志で草むしりや道の整備をしているため、道はまだ使える。だが、横から好き勝手に伸びてくる草のせいで歩くのはなかなか大変そうだ。散歩していた人が祠が壊れたのを発見したのは、雪が解けたくらいのことだから、まだここまで草が生えておらず歩きやすかったのかもしれない。

「昔は実際に山越えに使っていた道だったんですけどねぇ。通学路になるくらいで、小学生も歩けるくらいの立派なものだったようです。だけど、迂回路ができてからはほとんど使う人がいなくなって、この有様です」

 高橋は背の高い草を鬱陶しそうに手で払いのけながら、説明する。

 タビトは一際大きな木の根元に注目する。

 今では傾いだ祠がある。田中の言う通り、元は立派な祠だったことが窺える。下部の石はしっかりと形を保っているが、上部の木で作られた屋根の部分は半分朽ちている。そして、上の方から強い圧力を受けたことを感じさせるように、ペチャリと潰れている。

 それでも辛うじて『屋根』だったとわかるのは、潰れていながらも、絶妙に三角を保っているからだ。その小さくなった三角の中で、地蔵が穏やかに微笑んでいる。

 そして、その後ろ、崩れた屋根を突き破るように、棒が突き出ている。棒には何らかの模様が彫り込まれているようだが、薄くなってしまって読み取ることは難しい。

「これが、誰の物かわからない棒、ですね」

「その通りです」

 ルイがぐぐっと顔を近づけて観察する。観察はルイに任せて、タビトは高橋と酒井からより詳しい説明を受ける。

「他の祠にはこんなものないし、にしては立派だし。村の管理台帳にも載っていないし。誰かが悪戯で置いていったにしては、何か気味が悪いし」

 高橋は草を見るのと同じ鬱陶しい目つきで棒を見る。高橋にしてみれば、何の変哲もない棒ではなく、1つ仕事を増やした憎き棒であるから、それも当然だろう。

「タビトさんに聞くことではないかもしれませんが、いいですか?」

「何でしょう」

「祠って、やっぱり建て直した方がいいですか?」

 酒井が尋ねる。タビトは無言で続きを促す。

「小さな村ですから、予算が厳しくて」

 先ほど立ち寄った村役場も、築50年という威厳ある、言い換えれば古い作りのボロい建物だった。村役場のような建物と今回の祠では規模は違うが、祠の修理費を例えば他の修繕に使いたいという本音もあるだろう。

「俺たちは祟りとかの専門じゃありませんから、何とも……」

「祠は建て直した方がいいと思います」

 お茶を濁そうとしたタビトに変わって、ルイが割って入る。ルイにしては珍しい積極性だ。タビトは続きを促す。

「祠って、そこにあるべくしてあるから」

『祠は結界の役目をしているんだよ』

「祠は結界としての役目もあるらしいです」

 イヤホンからエモにゃんの追加説明が入る。ルイの言葉では足りないから、付け足せということのようだ。タビトはエモにゃんの言葉を、高橋と酒井に伝える。

「祠には災厄が村に入らないように守る役割があります。ここの他にも村に祠はあるんですよね?」

「ありますけど……」

「全部あることで、初めて結界としての役割を果たすことができます」

 高橋と酒井は顔を見合わせる。古びたそれらの祠に、そんな意味があったなんて信じられない。

 もう一つ、祠には役割がある。

「でも、災厄って迷信でしょう? 昔は今ほど科学が発達していなかったから、地震も台風もどうして起こるのかわからなかったから、迷信って言って恐れていただけで、今じゃあもうないんじゃないですか?」

「うーん、そう思われる方もいますけど」

 ここからはエモにゃんの通訳ではなく、タビトとして酒井の疑問に答える。

「都市の再開発の際、鳥居を移転したら良くないことがいろいろと起こったって事例も聞いたことがありますし」

 そして、不思議なことに、鳥居を再度同じ場所に設置したら、ピタリと災難は止まったという。これは都市伝説の類いではあるから信憑性は定かではない。だけど、それほど事実から離れてもいないと思う。

 そして何より。タビトは知ってしまった。都市伝説や昔話、災厄の類いが、この世には実在することを。ダットが今も月から地球を見ているのだと、知ってしまった。知ってしまったからこそ、防げる災厄であるのなら防ぎたい。

「予算の関係もあるとは思いますが、建て直すことをオススメします」

 タビトに何も権限はないが、これくらいは言ってもいいだろう。ルイが建て直した方が良いと言っているのだから、それだけの根拠があるはずだ。

「あの棒は、もらってもいいですか?」

「え? ぼ、棒を?」

 突然のルイの言葉に、高橋は目を丸くしている。今の災厄の話と棒の話が繋がらない。

「けど、祠は建て直した方が良いっておっしゃいましたよね」

「祠は建て直した方が良いです。だけど、この棒は祠とは関係ないので」

「はぁ」

 ルイの聞きようによってはつっけんどんな言い方に、酒井は目を白黒させる。タビトはルイと酒井の間を取り持つ。

「棒には骨董的な価値が付くようです。是非よろしければ、サングリアにお譲りいただければと思うんですが。ルイ、こういう場合って、お金はどうなるの?」

「基本的には物々交換なのは変わらない。棒の代わりに、新しい祠を建立するということでどうでしょう」

「祠を?」

 酒井の顔が、今度は怪しい儲け話を聞いたときのような顔つきになる。まぁ、いきなり祠をあげると言われても、真実味がないだろう。なんでアンティークショップが祠を立てるプロセス意味もわからないし。

「この件は私たちだけでは決めかねます。棒の持ち主は村ではありません。誰か個人の物だとしたら、勝手に私の方で了承をする訳にもいきませんし。一度持ち帰り、相談させてください」

 酒井よりも場数を踏んでいる高橋が、当たり障りのない答えを返す。

「けど……」

「わかりました」

 食い下がるルイを引き留め、タビトは高橋の言葉に頷く。

「ルイ、他に気になるところは?」

「ない」

「では、戻りましょうか」

 納得した様子のない酒井とルイを車に乗せ、村役場の駐車場に戻る。

「今日はお忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございました。先ほどの件、前向きにご検討をお願いします」

「わかりました。結果はまた後日ご連絡いたします」

 タビトとルイは高橋と酒井にお辞儀をして、車に乗り込む。2人はそれを確認した後、村役場に帰っていった。

「エモにゃん、次はどこに行けばいい?」

「もう一度あの祠に戻って」

『他の祠も見た方がいいかも。そこに向かうんだよ』

 ルイとカーナビから聞こえるエモにゃんの意見が食い違う。タビトはエモにゃんの言葉に従うことにする。

「祠」

「祠に戻って、何する気?」

 ルイがもう一度祠に戻ってほしいと言葉少なに要求する。だけど、タビトは進路を変えない。エモにゃんがナビする通りの道を走る。

「棒を引き抜いてくる」

「ダメだって。言ってたじゃん。あの棒は村のものじゃないから、高橋さんたちにも簡単に答えられないって」

「村のものじゃないなら、いいでしょ?」

「村のものじゃないなら、他の誰かのものってことだよ。それで、誰かのものを勝手に盗ったら、泥棒になっちゃうよ」

 タビトは会話の矛先をルイからエモにゃんに替える。

「いつもこんな感じなの?」

『にゃ~。これは予想外だにゃ。いつもはサングリアの中でしか取り引きしないからにゃ。お客さんの方からこれをもらってほしいっていろいろ持ってくるんだよ。今回はそれとは逆で、ルイが欲しいって言っているから、難しいんだよ』

「あれはルールブックだったの?」

「違う」

 CROWNが必死になって探しているルールブックが、そう簡単に見つかるとは思えない。だが、万一のことを考えて、タビトたちは祠を見に来た。

 結果、ルイはルールブックではないと言う。それなのに、あの棒が欲しいという。タビトには理由がわからない。

『タビト、次の信号で右だよ。それから300mほど真っ直ぐ進めば着くんだよ』

「了解」

 タビトは運転に集中する。エモにゃんの指示はどんなカーナビよりもわかりやすい。だが、久しぶりにハンドルを握るタビトに運転しながらの会話は難しい。自然と、会話は途切れてしまう。

『ここだにゃ』

「着いた。よし、見てみるか」

 タビトは一刻も早く運転席から離れたくて、エンジンを停止させると素早く降りる。ルイも気怠げに降りてくる。

「普通の祠だね」

 先ほど見た祠とほとんど変わらない。上部は木造、下部は石造。木造の部分は雨風によって変色していることが窺える。中にいる地蔵が穏やかな笑みを浮かべてタビトたちを見返す。

「やっぱり、棒もなさそうだ」

 タビトは地蔵の奥を覗き見る。高橋の言っている通り、棒らしきものはない。やはりあの祠だけが特別なようだ。

「ルイ、何か気になることはある?」

 タビトの問いかけに、ルイは興味なさげに首を横に振る。

『じゃあ、次の祠に行くんだよ』

「はいよ」

 スマホから話し掛けるエモにゃんに返事をして、タビトは再び車に乗り込む。そんな感じで、残り3つの祠を確認し、タビトたちは旅館に辿り着いた。

 本来は日帰りも可能な距離だが、運転に不慣れなタビトに配慮し、今回は村で一泊することになっている。

「え? 2人部屋? 何で?」

 問題は1つ。タビトは当然、シングルを2つ取ってあるものだと思っていたが、ツインだった。旅館のロビーでタビトは思わず大きな声を出す。女将は困ったように接客スマイルを浮かべてタビトに繰り返し説明する。

「はい。ご予約の時にツインルームでとお伺いしましたので、そのような予約状況になっております」

 予約はエモにゃんが行っている。こっそりとドコエモンを確認すると、エモにゃんはそっぽを向いて口笛を吹いている。

(この野郎……)

 わざとなのか、うっかりなのか。AIにうっかりはないはずなので、わざとだと考えた方が良さそうだ。

 タビトは女将に向き直る。

「シングル2つに変更は……」

「申し訳ありません。あいにく、今日はもうシングルのお部屋が全て埋まっておりまして」

 祠や村役場と同じくらい年季の入った旅館である。昔ながらの作りで、そもそもシングルの部屋は少ない。普段観光客もいないような村だから、部屋数も少ない。

 今日は村の名士たち仲良し4人組が飲み会をするそうだ。飲み会が終わる頃には帰りのバスもなく、夜中に帰ってこられても迷惑だと妻たちが言うため、飲み会の日は村に唯一ある旅館に泊まることにしている。だから今日は、数少ないシングルは全て彼らに押さえられている。

 旅館に残っているのは、タビトたちが予約したツイン1つ、それから大人数が雑魚寝できる大広間だけだ。

「申し訳ありません」

「いえ、こちらこそ我が儘言ってすいません。驚いただけです。そういうことならツインで大丈夫ですよ」

 頭を下げる女将に、タビトは逆に恐縮する。部屋が全て埋まっているのならどうしようもない。村には他の旅館もない。ここに泊まるしかないのだ。

 他人と同じ部屋で寝るなんて、高校を卒業して以来だが、ルイとならそこまで嫌悪感はない。他人と一緒だと寝られないほど繊細でもない。ルイは見た目からして、いびきをかくようには見えないし。

「ルイさんもそれでいいですか?」

「うん」

 ルイにはシングルかどうかはあまり関係がないようだ。書類に必要事項を記載し、風呂がどこにあるかなど旅館の大まかな説明を受けながら、部屋に着く。

「うわぁ、すごい。いい景色ですねぇ」

 窓の外は庭園となっており、青々とした木々の影が爽やかな風を運んでくる。タビトは思わず深呼吸をする。

「田舎ですから。良いのは景色くらいです」

「そんなことありません! 女将さんを初め、ここにお住まいの方も素晴らしい方ばかりですよ」

「あら! ありがとうございます」

 タビトが褒めれば、女将は嬉しそうに頬に手をやる。そのまま襖の奥へと下がる。

「では、ごゆっくり」

「はい、ありがとうございます」

 女将が頭を下げ、襖が閉められる。その奥のドアも閉まる音がする。

「さて、と。エモにゃん」

『呼んだかにゃん?』

 タビトが呼びかければ、エモにゃんがドコエモンから返事をする。

「ツインで予約したのはわざとだよね?」

『まさかタビトがそんなに嫌がるとは思わなかったにゃ』

「嫌がる……そうだね、サングリアでも別室だったから」

 エモにゃんから「友達になってほしい」と言われ、実際にタビトはルイに友達になりましょうと言った。友達なら、旅先のホテルをツインで泊まることも珍しくない。

 だけど、そんな友達になって3日ほどの人間と一緒の部屋は、さすがのタビトも少々気まずい。タビトとルイの関係はまだ、友達よりも仕事仲間の方がしっくりくるのに。

『タビトはルイのボディガードもしないといけないんだよ。この旅館は、サングリアみたいにセキュリティがしっかりしていないから、同部屋にしておいたんだにゃ』

「……そう言われれば、確かに」

 日本で1人しかいない、人間と人間に擬態したゴーレムを見分ける能力を持つルイ。希少なその能力が失われないように、誰かが(この場合タビトが)ルイを守るのは、至極当然な流れだろう。エモにゃんはAIなりに、何がCROWNに利するかを考えただけのようだ。

「ルイは? 俺と同部屋で眠れる?」

「わからない」

「そう。多分、いびきはしないと思うから、安心して」

『タビトはいびきより寝言がひどいにゃ。たとえば、これとか。「ハンバーグはおやつに入りますか?」「え? 俺が魔法少女に?」』

「うわ……我ながらひどい」

 エモにゃんが勝手にタビトの寝言を録音していたらしい。自分の寝言ではあるけれど、そのひどさにタビトは顔を覆う。ハンバーグが好きすぎるし、魔法少女ってなんだよ。

「それくらいなら、大丈夫、だと思う」

 ルイはルイで、そのくらいの寝言であれば気にならないなどと、真面目に答えるし。タビトは一気に脱力する。

「部屋のことはわかった。それで、この後、特に予定はないんだよね? 明日、車でサングリアに帰るだけだよね?」

『そうだよ。けど、ハメは外したらダメなんだよ。マサムネが怒るんだよ』

「俺、そんなに信用ない? 風呂に行くだけだよ」

 タビトは肩を落とす。先ほど女将が案内してくれた時に、風呂には男女ともに露天風呂があると言っていた。久しぶりの運転でガチガチに緊張した筋肉を風呂でほぐしたい。

『風呂なら存分に入るといいにゃ。溺れたら、ダメなんだよ』

「はぁい。ルイは? 一緒に行く?」

「僕はいい」

「そう。わかった」

 タビトは下着の替えをカバンから、浴衣や帯を備え付けのクローゼットから取り出す。

「じゃ、行ってくるから」

「うん」

『いってらっしゃーい』

 残された部屋で、ルイはテレビさえ付けずじっとしている。テレビを付ける、という発想はない。じっとしているのは、苦痛ではない。それがルイの平時の姿勢だ。

『ルイもお風呂に行ってみれば良かったんだよ』

「嫌」

『そっか。嫌か』

 それ以上は、エモにゃんも言わない。ルイにはルイの事情がある。人混みが苦手なルイに、不特定多数の人と裸で出会う風呂は更に難易度が高い。

『どう? タビトは。仲良くできそう?』

「仲良く? わからない」

 この『わからない』というのは、『仲良く』にかかる。仲良くという意味がわからないから、タビトと仲良くできるかどうかわからないと、ルイは言っている。

 本やアニメの登場人物たちは、仲良くご飯を食べ、仲良く旅をする描写もある。だけど、ご飯を食べたり、移動したりするだけでは、仲良しではないだろう。だって、食事や移動はマサムネともしたことがあるけれど、仲良しではないと思う。タビトだって、似たようなものだ。

 高度で、ルイとの会話を熟知しているAIは、きちんと短い会話の中に含まれた意味を掬い上げる。

『これから仲良しの意味がわかるようになればいいね』

 心に似たものはあっても、心のないエモにゃんは思う。ルイとタビトには仲良くなってほしい。ルイの決して埋まることのない孤独を、少しでも和らげてほしい。

「うん」

 ルイは小さく頷いて、エモにゃんに返事をする。返事をしてくれただけでも、大きな進歩だ。

『ルイも今のうちにシャワーを浴びたらいいんだよ』

「わかった」

 ルイはのそのそとした緩慢な動きでカバンを漁り、着替えを見つけ出す。それから、シャワーに向かった。浴衣は着ない。シャワーの後は、持参したパジャマを着る予定だ。



 その晩。タビトは小食なルイが残したご飯に加え、おひつごとご飯をおかわりして女将さんを驚かせた。女将さんはその見事な食いっぷりに、明日の朝もご飯をたくさん炊きましょうと、むしろ嬉しそうに頬を上気させた。

 満腹になり満足したタビトとルイが寝た頃。山に続く道を、数人が歩いていた。

「まーさかり かーづいた きーんたろー」

「くーまに まーたがり おーうまの けいこ」

「はーいしどうど はいどうどー」

「はーいしどうど はいどうどー」

 調子が外れたままやけにご機嫌に金太郎の歌を歌っているのは、この村及び近隣の村の名士たちである。この村の大地主 稲垣、村議会議員 古橋。それから、隣村にある工場の社長 横沢、その工場で働くベテラン技師 有田の4人だ。

 彼らは高校の同級生で、今日は飲もうというので集まったのだ。そして、全員がこの後、タビトたちが泊まっている旅館に泊まることになっている。

 夜にはバスがないという田舎ならではの事情もあるが、各々の妻に言われての方が大きい。夜遅くに帰ってきて、騒がしく風呂に入り、いつも以上に豪快にいびきを立てて眠る夫に、妻たちはキレた。酒を飲んで夜遅くなるくらいなら、帰ってくるな。

 何年か前に揃って言われた旦那たちは、少しだけ反省したのち、それならばと思い立った。帰ってくるなというのなら、どこかに泊まってやろう。

 泊まってやろうと言っても、例のごとく村に旅館は1軒しかない。宿は自然とそこになる。そこならば、浮気の心配もない。丈の短いスカートを穿いたお姉ちゃんたちだって、田舎過ぎて来てくれない。女将の目もあるから、ハメを外すこともない。

 ということで、妻も夫も万々歳、旅館だけが酔っ払いを押しつけられて少々迷惑している現状が出来上がった。ちなみに、妻たちは妻たちで、別のラグジュアリーなホテルでディナーを食べている。

 そんな夫たち4人の飲み会で話題に上がったのは、例の祠だ。大雪で崩れた祠は、彼らの思い出の場所となっている。夏休みになれば山を登り、祠の周りで追いかけっこや虫取りをした。

 そんな思い出の祠が壊れたという話を、村議会議員 古橋が持ち出した。古橋は村議会議員として、祠の修繕に関する補正予算案にも目を通した。補正予算案には、壊れた祠の写真が載っていた。

 その痛ましい写真とそのとき感じた郷愁を、酒の力で思い出した。古橋が持ち出した祠の話は、他の3人の胸も打った。歳を取ると、どうしても昔話ばかりしがちだ。昔の楽しかったあの頃に意識が舞い戻っていく。

 存分に思い出話が盛り上がった頃、大地主 稲垣が言い出した。あの祠を見に行こう。酒が入って足下が少々おぼつかない彼らではあるが、進んで止めようというものはいない。いつもの集合場所である居酒屋の店主もにこやかに送り出す。店の中で寝られるよりは、余程いい。足下がおぼつかないといっても、千鳥足ではない。子供だけでも遊びに行ける、大した山ではないから、登ればいい酔い覚ましになるだろう。

 少し多めに勘定を払い気が良くなった彼らは、元気に金太郎の歌を歌いながら道を往く。これがもう少し夜が更けたなら、いくら地元の名士たちであっても警察の注意を受けただろう。山に入って行けば行くほど、彼らの声は遠くなり、気にする人もいなくなった。

「電気、付けよう」

「街灯ってなかったんだっけ?」

「なかったんだなぁ。子供の頃は暗くなる前に帰ってたからなぁ」

「村議会! ちゃんと仕事しろよ!」

「こんなところに街灯付けるって言っても、議会は通らん! まだ老人ホームを建てると言った方が現実的だな」

 ハハハと山中に大きな笑い声が響く。職人気質の有田が、いつも持ち歩いている懐中電灯で道を照らす。道には草が生い茂っているが、歩けないほどではない。補正予算案に写真が載っていたくらいだ。祠の調査に村役場の人間が度々くるのだろう。車で草を薙ぎ倒した痕跡がある。

 酔っ払いたちは大声で話しながら山を登っていく。若い頃とは体重も体力も違う。ズボンを支えるベルトは引きちぎれまいと身を強ばらせている。昔は駆け上った山道も、今では膝に手を当てて登る始末だ。誰もが頭の片隅に、止めておけば良かったと思い始めた頃、ようやく目当ての祠が現れる。

「お、ここだ」

「はぁ、やっとか」

「着くより先にくたばっちまうかと思ったわ」

「お前はもう少し痩せたらどうだ」

 などと軽口を叩きつつ、辿り着いたことに胸を撫で下ろす。

 有田が懐中電灯で祠を照らす。

「これは……」

「酷いなぁ」

 誰もが思わず口を噤む。いつも穏やかに見守ってくれた地蔵が、今も変わらず微笑んでいるからこそ、祠の悲惨さが際立つ。潰れた屋根は自然の恐ろしさを、苔むした石は長い間誰も手入れをしてこなかったことを教えてくれる。夜で、照らす明かりが月明かりと懐中電灯だけというのが、殊更に神々しさとそれに伴う恐ろしさを引き立てる。

「今日は……」

 思わず、稲垣は手首に付けたスマートウォッチで日を確認する。日付は5月16日、旧暦卯月の9。頭上には膨らみが大きくなりつつある上弦の月が浮かんでいる。満月にはまだ日がある。旧暦15日の夜は外出が禁止されているが、今日はまだ神経質になるほどではない。

 稲垣は視線を時計から祠に戻す。祠を貫くように棒が刺さっている。

「これが揉めている棒か」

「けど、前からあったけどな」

 村役場の施設管理課は台帳に載っていないこの棒の取り扱いに困っているらしい。だが、稲垣たちにしてみれば、この棒はずっとこの祠にあったのだから何を今更騒いでいるのかという感じだ。

 昔、この祠の周辺で遊んでいた稲垣少年たちは、好奇心の赴くまま、祠の内部を覗き見た。祠に悪戯する、というのは少年心にも悪いことというのはわかっていた。だが、覗くのは果たして悪いことなのか。悪戯とは言えないのではないか。好奇心が言い訳を後押しし、彼らは地蔵の後ろでひっそりと立てられていた棒を見つけたのだった。

 だが、見つけただけで、触ろうとは思わなかった。触るのはやはり悪戯の範囲に入ると思われたし、祠の中で微笑む地蔵に全ての悪戯が見透かされているかのような、そんな罪悪感があった。

 少年時代の1ページが鮮やかに蘇る。

「へぇ、結構凝った模様、彫ってあるんだな」

「そうだなぁ」

 有田が懐中電灯で棒を照らす。懐中電灯の明るい光を受けて、微かに残る凹凸に影ができる。

「これ、売ったら結構いい値段になるんじゃないか?」

「こういうの集めている人は欲しいかもしれないが、ただのボロい棒だろ?」

「いや、そうとも限らないぞ。実際、わざわざ骨董品店がこの棒を見に来る……いや、もう来たんだったかな? らしい」

「へぇ。ということは、やっぱり良い品なんだろうな」

 古橋の言葉に、全員なるほどと頷きながら棒を再度見る。価値がある、と言われた途端、ありがたみを感じるから、人間は不思議なものだ。

 そして、飲酒というのは、多かれ少なかれ、人の気を大きくさせる。

「村役場はこの棒の扱いに難儀しているんだろ? 俺らで棒、取ってしまえばいいんじゃねぇか?」

「売るのか?」

「すぐに売ったら足が着くから、売らねぇ。けど、忘れた頃に売ったら……」

 稲垣が悪い顔で笑い始める。

「どうせ誰の物かもわかってない。むしろ、こんな棒があるから、祠の修繕が進まなくて困っているんだ。たまには役場をちょっと助けてやろうじゃないか」

 古橋にも悪い顔が伝播する。

「なぁ、売ったらよ、俺にもいくらかくれるんだろ?」

 横沢は棒を売った後の分け前が欲しい。工場は年々経営が厳しくなる。このままでは、近いうちに工場を畳まなければならない。それを、少しでも遅らせたい。

「みんなでパァっと、飲んでしまおうぜ」

 有田はいつもより良い酒が飲みたい。いつもは手が出ない大吟醸の熱燗を、懐具合を気にせず飲めたら、さぞ愉快だろう。

 少年の頃に畏怖で抑え付けていた好奇心が、酒の力を借りて増幅する。有田は懐中電灯で棒を照らし、そのほかの3人が棒に手をかける。

 長年埋まっていた棒は、すっかりと地面に押し固められて動かない。それでも、大人の男3人がかりで棒を動かせば、地面は緩む。棒を締め付けていた力が弱くなる。

「お! いいんじゃねぇか?」

「よし、せぇので引くぞ!」

「せぇの!」

 3人が一斉に棒を上に引っ張り上げる。思ったよりも棒は長かったが、あれほど頑固に刺さっていたのが、簡単に呆気なく抜けた。

「おー。土に埋もれていた部分も模様は結構綺麗に残っているな」

 有田は棒に付いた土を手で取って状態を確認する。木でできた棒だから、土の中では腐食していると思っていたが、模様は綺麗に残っている。

 3人も力仕事をした後の興奮そのままに、棒を代わる代わる持って重さや模様を確かめる。

「良い仕事したな! 戻って飲み直すか」

「当たり前だ! こんな日は飲むに限る」

「その前に、俺の家に寄ろう。棒を納屋に入れる」

「さすが村一番の大地主。おっきい納屋があるもんな。あそこに入れておけば安心だ」

 4人は飲み直しに、その前に稲垣の家に寄ろうと山を下りる。だが、良い気分だったのは、そこまでだった。

 山が揺れる。祠が傾ぐ。地蔵が微笑んだまま屋根に押しつぶされる。

「うわっ!」

「地震か!」

「危ない!」

「伏せろ伏せろ!」

 各々声を上げつつ、地面に伏せる。だが、なかなか揺れは収まらない。そのうち、山の斜面が崩れ始める。

「山が……!」

 更に高まる身の危険に、全員が身体を硬くする。だが、揺れが続いている以上、下山することもままならない。

「おい、ちょっと待て……! あれ、見ろよ!」

 そんな中、必死に地面に伏せている有田の手に握られたままの懐中電灯が祠を照らす。傾いだ祠の下の地面が盛り上がっている。盛り上がりはみるみるうちにに大きくなる。その様は、山の胎動を感じさせた。

 祠を下から突き上げるように、それは姿を現した。銀色の身体をした、機械のようなそれが。



『タビト! ルイ! 起きるんだよ! 早く早く!』

 災害時に鳴る緊急速報メールのようなけたたましい音が、タビトとルイのスマホから出ている。それに負けじと切羽詰まったエモにゃんの声がタビトとルイを呼ぶ。

 尋常ならざる音に、タビトは深い眠りから強制的に引きずり出される。

「うっ……なに、エモにゃん」

 覚醒しようと努力はするが、しつこい眠りがタビトを離そうとはしない。エモにゃんは大きな音を出し続ける。

『ダットが……ゴーレムが現れたんだよ!』

「ゴーレムが? どこで? どうして?」

 ゴーレムと聞いてタビトは一気に瞼をこじ開ける。視界の端でルイが素早く身を起こしているのを確認する。

『説明は車に乗りながらするにゃ。早く早く!』

「わかった」

 タビトは寝ている内にほとんどはだけていた浴衣を脱いで、服を着る。ルイは既に準備ができている。

「っと、カバン」

『イヤホンもだにゃ』

 部屋を出る前にカバンをひっつかむ。エモにゃんに言われ、イヤホンも雑に耳に突っ込む。

「ど、道明寺様! どこへお出かけですか?」

「ちょっと急用ができまして。騒がしくしてすいません」

 タビトとルイのスマホから出た大音量に苦情でも言いに来たのかもしれない。パジャマを身につけた女将が出てくる。

「山に行かれるおつもりですか?」

「えっと……」

 どこに出掛けるかは聞いていないタビトは答えに詰まる。

「そうです」

 だが、代わりにルイが答える。

「山は今は止めた方がいいです」

 女将が厳しい顔でタビトとルイを引き留める。その真剣さにタビトは姿勢を正しつつ、なぜ、と問う。

「先ほど、山で大規模な土砂崩れがあったようです」

 女将がスマホの画面を見せる。最近では、自治体が独自でアプリを作っているところも多い。アプリはこれまでの回覧板の他、不審者情報や川の増水などの危険情報についても配信している。田舎で家一軒一軒が遠く離れており、お年寄りが多い地域こそ、案外このようなアプリは役に立つ。

 そのアプリから、『山で土砂崩れあり。危険ですので、しばらくは近づかないでください』とメッセージが届いている。

「急がないと……!」

 メッセージを凝視していたルイが、外に向かって駆け出す。祠に関する何かが起こったのは間違いない。

「行ってはダメです!」

「すいません、女将さん。行ってきます」

 心配する女将に頭を下げ、タビトはルイの後を追う。タビトは素早く運転席に乗り込む。ルイも焦がれたかのようにドアを開け、助手席に座る。エンジンをかけると同時に、エモにゃんに聞く。

「土砂崩れって……」

『祠のあった山だにゃ』

「ゴーレムが現れたってどういうこと? まだ満月まで日があるよね? それなのに現れたの? 何でエモにゃんはわかったの?」

 夜道の運転に集中しながらではあるが、タビトは疑問をエモにゃんに投げつける。

『ゴーレムが現れた理由は不明。だけど、最近はダット及びゴーレムの活動が活発になってきているから、満月じゃなくても、極端な話、新月じゃなければ動けるって話だよ』

 月の明かりによってエネルギーを得ていると考えられているダットは、満月の夜にのみ活動すると言われていた。逆に満月でなければ活動できない、とも。

 だがここ数年、月からやってくるゴーレムの数は明らかに増加した。それに伴ってなのか、何らかの改良がされてなのかはわからないが、満月でなくとも、それに近い月齢でも活動が報告されることが増えた。今日は5月16日、旧暦卯月の9。満月まであと6日あるが、充分だろう。

 エモにゃんは先ほどのタビトの質問に対する答えを続ける。

『ゴーレムがいるとわかったのは、CROWNが独自に打ち上げている衛星のおかげだにゃ。人に擬態しているときはわからないんだけど、ゴーレム本来の姿に戻ったらわかるようになっているんだよ。ゴーレムになると、金属っぽい見た目になるでしょ? それを利用して、CROWNの衛星はゴーレムの身体でのみ反射する電磁波を常に発信しているんだよ。電磁波が帰ってきたら、そこにゴーレムがいるって訳なんだにゃ』

「つまり、ゴーレムを鏡みたいに利用しているって認識でいいのかな?」

『いいんじゃないのかな?』

 CROWNが打ち上げた衛星は、ゴーレム本来の姿にしか反射しない電磁波を常に発信している。地球上の生物及び人に擬態しているゴーレムには、この電磁波は何も作用しない。

 だが、ゴーレムが本来の金属質な姿に戻った途端、その身体は鏡のような役割をする。電磁波を鏡のように跳ね返し、自分がどこにいるのかを教えることになる。

 それが今回、先ほどタビトたちが訪れた祠だったということらしい。

『タビト、気を付けるんだにゃ。暗い山道だから、慎重に、だけど急いで』

「難しいこと言うなぁ」

 エモにゃんの注文に文句を言いつつ、タビトはハンドルを握り締め、アクセルを踏み込み着々と山道を登っていく。

「止まって。誰かいる」

 今まで静かにしていたルイが止まるように指示を出す。車が止まるか止まらないかのうちに、ルイが助手席から飛びだしていく。タビトもギアをパーキング入れ、サイドブレーキを引いてからルイを追う。

 ルイの言う通り、慌てて山を駆け下りてくる2人がいた。

「大丈夫ですか」

「い……古橋と横沢が……、友達が……」

 有田が震える手で山の上を指す。

「あ……あんたらも逃げないと! ば、化け物が……化け物がいる!」

 稲垣がタビトの肩を掴む。その強さが、どれほど稲垣が怯えているのかを示している。

『たぶん、ゴーレムだにゃ』

 有田の言う化け物とは、やはりゴーレムのことを言うようだ。エモにゃんがイヤホンを通じてタビトに告げる。タビトは気を引き締め直す。

「お二人はこのまま山を下りてください。俺たちは先を急ぎます。ルイ、行こう」

「うん」

 タビトは車に乗り込む。2人には悪いが、徒歩で下山をしてもらうしかない。いち早く上に行くには、車が必要だ。

「俺たちを置いていくのか!」

 叫んで抗議する稲垣に、タビトはにっこりと笑う。手を叩き、花を飛び出させる。

「俺たちは上に残された2人を助けに行きます。大丈夫ですから、ね」

 子供騙しのマジックだ。更に怒りはヒートアップするかもしれないともタビトは思った。

 だが、子供騙しだったからこそ、2人の怒りは萎んでいく。友達を置き去りにした負い目も思い出す。

「頼む、急いでくれ!」

「俺たちは警察を呼ぶ」

 駆け下りるように山を下る2人を見送る暇さえ惜しんで、タビトは再び車を発進させる。

『あと50mだにゃ』

「了解」

 タビトはきつくなる傾斜に無意識のうちに奥歯を噛みしめる。そして、登りきったところで、ようやくゴーレムの姿を認めた。

 人の2倍はあろうという大きな金属の塊が、意思を持って動いている様は何度見ても背筋が冷える。

「うわぁぁああ!」

 男の叫び声が山に響く。ゴーレムは足に比べれば貧弱な、それでも人間よりは頑丈なミトンのような指で男を挟んでいる。そして、天に向かって口を開く。掴んだ男を食べるかのように、口の上に持っていく。

「止めろ!」

 タビトはアクセルを蒸かし、車ごとゴーレムに突っ込む。激しい衝撃と共に、エアバッグが膨らむ。ゴーレムが10mほど吹っ飛ぶ。

「ルイ、降りて!」

 タビトはカバンをひっつかみ車から降りる。ルイも素早く車から脱出する。

「あ……あんたらは」

「逃げてください」

 ゴーレムに掴まれていなかった方、横沢が地面に座りこんでタビトとルイを見上げる。ルイは言葉短く逃げるよう促す。横沢は足を引きずりながらも、山を下りていく。

 問題はゴーレムと、未だゴーレムに掴まれたままの古橋だ。

「あれを倒せって……正気かよ」

 車に跳ね飛ばされたにもかかわらず、ゴーレムは起き上がる。タビトの頬が引き攣る。

 アパートの中は狭かったから、身体を縮こまらせていたのかもしれない。外で見ると、文字通り見上げるような巨体だ。とても人間が敵うような相手だとは思えない。車で跳ね飛ばされてもピンピンしているようなゴーレムに、生身の人間が敵うはずがない。

 それに、おもちゃの銃で対抗しろ、と言っているのだ。どう考えても正気じゃない。

「大丈夫。タビトは前にも倒したことあるから」

「あれはたまたま。毎回上手くいくとも限らない」

 ルイは事もなげに言うが、そもそもフィールドだって違う。

「タネも仕掛けもないのに、マジックなんてできない」

 タビトの家は、まだ良かった。マジックの道具もたくさんあるし、電気の位置やテーブルの位置などの細かい配置まで知り尽くしていた。ショックを与えればゴーレムは壊れるというのなら、アパートには奇襲を仕掛けるには好条件が揃っていた。

 だが、この山は違う。タビトの味方ではない。タネを仕込む暇も、仕掛けを作る時間もない。

「それでも、タビトはできる」

「なんでそんな自信満々なんだ……」

 やけに簡単に言ってのけるルイにタビトは呆れつつ、ゴーレムに向き直る。タビトはゴーレムに向けておもちゃの銃を取り出して構える。ゴーレムはタビトが構えた銃を見つけたようだ。レンズのようになっている目が月光を反射して光る。

 ゴーレムが古橋を離す。ルイが古橋を回収に行く。それを横目で見ながら、タビトは自分に振り下ろされるゴーレムの腕を見つめる。

 タビトは目を見開き、タイミングを計る。できるだけゴーレムの注意を引き寄せて。

「バンッ!」

 ゴーレムの眉間めがけて銃を撃つ。派手な発砲音とは裏腹に、銃口からは紙吹雪が飛び出す。ゴーレムは一瞬動きを止めるが、そのままタビトに掴みかかる。タビトは寸前のところで手を躱す。

「効かない! どうして!」

 タビトの部屋に侵入してきたゴーレムは同じ方法で撃退できたのに。このゴーレムには効かない。タビトの中に混乱が生じる。

『ゴーレムは全ての個体が同期・連動しているんだよ。だから、同じ手は二度とは喰らわないんだにゃ』

「そういうことは! 早めに言ってよ!」

 必死にゴーレムの追撃を躱すタビトに、エモにゃんがドコエモンからアドバイスを贈る。

 だが、言うのが遅い。同じ手が二度と通用しないなんて重要事項は、もっと早く言っておいてほしい。銃以外の方法で倒さなければならないなら、他の方法を準備してきたのに。てっきり銃のマジックが有効なのかと思ってしまった。

『ようはショックを与えればいいんだにゃ。今までとは違う方法で、何かできないのかにゃ?』

「ルイもそうだけど、エモにゃんも簡単に言ってくれるね!」

 命の遣り取りが行われている今この場で、新作マジックを考えろなんて正気の沙汰じゃない。

「けど……やらないと、死ぬ」

 だが、できなければ殺される。ルイに戦う術はない。タビトが何とかするしかない。

 タビトは一つ深呼吸をしてから状況を把握する。壊れた車、潰れた祠、祠に突き刺さっていたはずなのに地面に落ちている棒、あとは山に生える木々。

「エモにゃん、ゴーレムって目は良いの? 木の間に隠れても大丈夫?」

『ゴーレムは視力はそれほど良くないみたい。だけど、代わりに耳がとても良くて、人間の心臓の音も聞こえていると言われているにゃ。だから、隠れてもあまり意味ないにゃ』

「うーん、困ったなぁ」

 せめて木々に隠れて作戦を練ろうと思ったけれど、それもままならない。

「棒を」

『もしかして……。タビト、棒を使ってみるといいんだよ』

 ルイの言葉を受けて、エモにゃんが助言を出す。

「棒を使えって言ったって……。俺は武道とか、そういうのやったことないんだって!」

 ゴーレムがタビトに向けて手を振り下ろす。タビトは思わず木の陰に飛び込む。完全にタビトの身体は木の陰に隠れたはずだが、ゴーレムは的確にタビトを狙い追撃を叩き込む。隠れていた木が、ゴーレムの馬鹿力によって割ける。

「うわっ、マジかよっ!」

 タビトは避けつつ、棒を使えと言うならば、と棒を手に取る。見た目通り重たい棒をゴーレムに向かって構える。

 ゴーレムがタビトに向かって足で蹴りを食らわせる。タビトは棒で防御の体勢を取るも、ゴーレムの勢いは止まらない。そのまま棒ごと地面に転がされる。

「ぐっ……」

 蹴られた衝撃で呻く。武道の心得のないタビトが棒を持ったって、急に強くなる訳ではない。むしろ棒という重荷が加わった分、攻撃を躱すことさえままならない。

「その棒は、そうやって使うんじゃない」

『タビト、この棒がどうなってくれたら嬉しい? それを考えてみて』

「はぁ? そんなこと考えている場合じゃ……」

「いいから」

『いいから』

 棒の使い道を想像して遊んでいる場合じゃない。だが、ルイとエモにゃんの意見は同じだ。

 仕方なく、タビトは棒について考えて見る。

「どうなったら嬉しいか? えーっと、えーっと……」

 迷っている間にゴーレムが腕を振りかぶる。じっくり考える暇もない。

「あー! えー! と、とりあえず! 攻撃を防いでくれたら嬉しい!」

 タビトが混乱混じりに言うと、棒が巨大な盾に変形する。ゴーレムの強烈な一撃がタビトを襲う。タビトは慌てて盾の陰に隠れる。

 ガキンと金属バットにボールが当たったときのような、硬質な音が響く。

「ハッ、ハッ……何とか、なった?」

 盾は健在で、傷1つ付いていない。どういう理屈なのかはわからないが、棒が単なる『棒』ではないことは証明できた。

『わかったにゃ! タビト、これでゴーレムを攻撃するにゃ』

「攻撃……、そうだな、攻撃か。けど、どうやって?」

 防御だけをしていてもゴーレムには勝てない。攻撃に転じなければ。

「棒が盾になったのなら……」

 棒が変形した理屈は後回しだ。だが、さっき盾に変形したように、他の形にも変形するのだろう。とは言っても、タビトに武術の心得はない。ここで攻撃するために木刀に変形したって、大して使うことができない。

「ゴーレムは衝撃……ショックに弱い」

 それに、ゴーレムはショックを与えると壊れる。本物の銃では傷1つ付かないが、タビトの持つおもちゃの銃では簡単に壊れた。それを踏まえると、いかにも攻撃してきそうな木刀よりは、やはり奇をてらう作戦を採るべきだろう。

「棒……スティック……」

 タビトは盾を持ち上げ回転させるように捻る。すると、盾は元の棒に戻る。変形させる、というのは、こういうことを意味するらしい。

 そして、こういう風にタビトの意のままに棒が変形するのなら。まだタビトにも勝機があるかもしれない。

「やるだけやってやるか!」

 タビトはゴーレムをキッと見上げる。棒を身体の前に立てる。手を離す。

「見てろよ、ゴーレム! タネも仕掛けもないマジックだ!」

 タビトが手を上に上げる。すると、棒が持ち上がる。タビトの手は完全に棒から離れているにもかかわらず、だ。棒は空中を浮遊している。鳥のように飛ぶ訳でもなく、蝶のように羽ばたく訳でもなく、あえてたとえるのならUFOのように予測しがたい動きで宙を飛び回る。

『あれは……?』

 高性能のAIであるエモにゃんでさえ欺くタビトのマジック。もちろんゴーレムをも困惑させる。

「今のはほんの肩慣らし。これからが本番でございます」

 タビトは努めて、いつものショーを意識する。あくまでショーで行うマジックを見せるつもりでゴーレムに向き合う。

 マジックこそが、タビトの最も得意とすることであり、ゴーレムに対する有効打だ。ならば、このショーを最も盛り上げるための芝居を打つ。

「行きますよ! そぉれっ! ご覧ください。何の変哲もない棒が独りでに踊り始めます」

 タビトは大袈裟に両手を振る。タビトの手の動きに連動して、と思いきや連動せずに、予測不能な動きで棒はゴーレムの周りを飛び回る。

「――ッ」

 ゴーレムが思わず耳を塞ぎたくなるような金属音を出す。言葉なのか、それとも歯ぎしりなのか。どちらにせよ、タビトのマジックが何らかの影響を与えていることは間違いないようだ。

「エモにゃん」

 タビトは小声でエモにゃんに話し掛ける。

『なんだにゃ?』

「この棒って、何でもできると考えていいの?」

『何でもはできないんだよ。例えば、棒から水は出せないんだよ。だって、棒だもの。棒ができること、棒が集まればできること、なら可能なんだよ』

「棒ができること……」

 タビトは考えを巡らせる。先ほどの盾。盾は木を加工して作られる。そういった発送から実現した、ということでいいのだろう。だから、たとえば棒をたくさん集めた船、という概念で船を形作ることも可能だと思われる。

 タビトは色々と着想を膨らませる。

「さて、棒にはフィナーレを飾ってもらいましょう!」

 タビトの言葉が理解できたのか。それとも、うろちょろと動き回る棒に焦れてなのか。地面すれすれを飛ぶ棒を踏み潰さんと、ゴーレムの頑丈な足が持ち上げられる。

「行きますよ! それっ!」

 ゴーレムが棒を踏む。その瞬間、棒が爆ぜる。爆竹を彷彿とさせる火花が飛び散り、周囲が明るくなる。凄まじい破裂音が連続して響く。

 火花は素早くゴーレムの身体を駆け上がり、ついにはレンズ部分に到着する。

「バンッ!」

 タビトの掛け声と共に、一際大きな火花が目の前で爆ぜる。

 それが決定打だったのだろう。ゴーレムは動きを止め、砂へと分解されていく。

「ハァ……ハァ……」

 タビトはゴーレムの身体全てが砂になったのを確認し、地面にへたり込む。

「しんど……疲れた……」

『お疲れさまなんだよ、タビト』

「凄かった」

「うん、ありがとう」

 エモにゃんとルイに労われ、タビトはゆっくりと身体を起こす。

「勝ったん……だよね? これで、良かったんだよね」

『最高の勝ち方だったと思うんだよ。タビトはこれで二体もゴーレムを倒したんだにゃ。すごいんだよ』

「うん」

 エモにゃんの言葉に、ルイも強く頷く。

「それにしても、あの棒は何だったんだ? というか、爆発させてしまったけど、良かったのか?」

「大丈夫。あれは『杖』だから」

「杖?」

 ルイの説明にタビトは首を捻る。ルイはゴーレムがいた辺りを確認し、何かを掴む。タビトの元に戻ってきたときには、棒が握られている。とはいうものの、タビトが最初見たときよりは短く、細い。ルイに手渡されてじっと見てみると、確かにあの棒に描いてあったような模様が描かれている。

『杖かぁ。だから、ルイは欲しかったんだね。気づいてあげられなくて、ごめんにゃ』

「いい」

「それで、杖ってなに? 棒じゃなくて、杖? 杖っぽくなかったけど? 長かったし」

 杖にするには長すぎた。祠の下から上まで貫くようにして立っている棒だ。タビトの胸くらいの長さにはなる。人間が使うには長すぎて、邪魔だろう。

『CROWNはルールブックの他に、剣、杯、杖、護符の「スート」も集めているんだよ』

「何か、トランプみたいだな」

 マジシャンであるタビトには、トランプもなじみ深いものだ。スペードは剣、ハートは聖杯、クラブは杖、ダイヤは護符をそれぞれ示している。あの棒が杖、トランプでいうところのクラブだったとして、どうしてCROWNは集めているのだろうか。

『この4つのスートは地球のエネルギー、つまりスペードは風、ハートは水、棒は火、護符は地を司っているんだよ。これを集めることで、人間はダットとの戦いをより有利にすることができるんだ。さっきのゴーレムだって、おそらくこの杖で封印されていたんだよ』

「封印? そんなこともできるのか」

『ダットやゴーレムは月で生きているからね。地球での行動は、たとえば満月の間、みたいに制限されるんだにゃ。だから、土に埋めて、杖で封印……そうだね、杖で地下に牢屋でも作っていたのかもしれないにゃ』

 杖が棒から、盾、爆竹みたいに変形するのなら、地中で牢屋だって作れるのだろう。そして、その上に祠を建てた。何事も起きませんように、誰も杖に触りませんように。

「けど、誰がそんなことを? CROWN?」

『祠の状況を見るに、CROWNではなさそうだにゃ。日本には、山には天狗とか鬼とかの伝説があるよね? 伝説のいくつかは、ゴーレムではないかというのが定説なんだよ。この村についてサーチした結果を鑑みるに、このゴーレムも昔「鬼」として退治されて、封印されたみたいなんだにゃ。退治したのは、CROWNじゃなくて、名もなき一般人たちだね』

「だから、祠が作られた」

 ルイがエモにゃんの言葉に付け加える。

 昼間、ルイは「祠は結界の役割を果たす」と言っていた。それは、ゴーレムを村に入れないための結界、という意味だったのだろう。

「なるほどなぁ。それで月日が経つにつれて、ここに何が埋められているのか、祠に、杖にどんな役割があるのか忘れられてしまったって訳か」

 伝承が忘れられ、祠が崩れ、禁忌を犯した。棒を引き抜くことにより、ゴーレムの封印が解かれた。

『今あったことは、全てCROWNに報告済みだにゃ。みんなきっと喜ぶんだよ』

 同時に、タビトのスマホが鳴る。

『マサムネから電話だにゃ』

「げぇ。支部長から?」

 タビトは顔を思い切り顰める。戦いで肉体的に疲労した後に、マサムネで精神的に疲労するのは避けたい。だが、エモにゃんを通じて全ての行動を把握されていると思われるので、ここで出なければさらに面倒なことになるだろう。

 タビトは覚悟を決めて、通話ボタンを押す。スピーカーモードにして、ルイにも会話を聞こえるようにする。

「私を待たせるとは、お前も偉くなったもんだな」

「支部長と話しするために、気合いを入れないと行けなかったので」

「なかなか面白いことを言うじゃないか。こんなフレンドリーな私からの電話で、気合いを入れるだなんて」

 こんな嫌みったらしい会話のどこがフレンドリーだ、と思いつつ、タビトは口を閉じ続きを促す。

「ゴーレムを倒したようだな。しかも、杖も手に入れた」

「えぇ、まぁ、はい」

 ゴーレムを倒したことも、杖を手に入れたことも、CROWNにとっては僥倖だ。僥倖なはずだ、とタビトは自分に言い聞かせる。だが、マサムネの性格を見るに、褒めるためだけに電話をしてきたとは思えないから怖い。

「私はお前を褒めるためにわざわざこんな夜更けに電話をしているんだぞ。もっと喜んだらどうだ?」

「支部長がそんな素直な性格なら、俺も素直に喜ぶんですがねぇ」

 見透かされたような言葉に、タビトは内心たじろぎつつも、マサムネに嫌味を言い返す

「騙されていないなら、話が早い。お前たち、やってくれたな」

「はい?」

「まず、杖を実際に確認していたにもかかわらず、そのまま放置した。本来は速やかに回収すべきところ、これを怠った」

「え? あ、はい、それはそうですけど、でも……」

 タビトの言い訳など聞かず、マサムネは淡々とタビトたちのヘマを数える。

「次に、一般市民を危険に巻き込んだ」

 稲垣たち4人は命の危険にさらされた。それだけではない。がっつりとゴーレムを見た。CROWNの秘密事項があっさりと漏れた。

「そして、備品である車を破壊した。どうやって帰ってくるつもりだ?」

「あ……」

 タビトは斜面に沿って斜めになっている車に目をやる。前方は大きくひしゃげ、エアバッグも開いた車は廃車にするしかなさそうだ。

「これだけやっておいて、まだ褒められるつもりか?」

「やっぱり怒るために電話をかけてきたんじゃないですか」

 だったら、せめて最初から褒めるためだなんて、余計な嘘を吐かなければいいのに。タビトは思うものの、電話の向こうで冷たい怒気を発しているマサムネをわざわざ刺激する必要もないだろう。

「それで? 俺はどうすればいいんですか? クビにもできないんでしょう? 始末書? でも書けばいいんですか?」

 普通の企業にも勤めたことのないタビトには、これらのヘマでどれほどの責任を取らなければならないのか想像もできない。CROWNを辞める=秘密が保持できない=死んでもらうしかない、という図式が成立するため、おちおちクビにもできないだろう。

「始末書……、お前もなかなか面白いことを言うな」

「おもしろい?」

 タビトは首を捻る。

「迎えは明日の昼頃、村に着くはずだ。それまで大人しく、始末書でも書きながら待っていろ」

「はい?」

 突然、明日の話をされてタビトは戸惑う。マサムネは頭が良いからか、タビトを置いて話を進めるときがある。

「以上だ。私は忙しいんだ。残り少ない睡眠時間を、これ以上短くさせるな。切るぞ」

「いやいや、ちょっと説明が足りないと思うんですけど!」

 何の説明もされていない。杖の説明も、目撃者の話も、車の話も全て置いてけぼりだ。だが、マサムネは本当に話を終わるつもりのようで、タビトの声など聞こえていないかのように一方的に話し続ける。

「ご苦労」

「ちょっと! おーい! 支部長! ……本当に切りやがった」

 最後に一言だけを残し、マサムネは電話を切った。タビトがいくらスマホに話し掛けても返事はない。画面も暗くなる。あれほど「忙しい」と言っていたマサムネにかけ直したら、今度こそ逆鱗に触れることになるだろう。そんなマサムネにかけ直してまで聞きたいことはない。

「ハァ……。痛っ……」

 タビトは溜息を吐く。予想通り、マサムネとの会話は神経を使う。忘れていた疲れと、車でゴーレムに突撃したときなのか、戦っている最中に打ったのかわからないが、そのときと思われる痛みがようやく現れる。アドレナリンとかそういうので今まで誤魔化されていたのだろう。

『良かったね、タビト』

「何が? どこが?」

 エモにゃんに言われ、タビトは首を捻る。

『マサムネが人を褒めるなんて、なかなかないんだよ』

「まぁ、支部長が人を褒めないというのは予想できるけれど、俺も褒められていないよ」

 マサムネのような傲岸不遜人間が人を褒めるだなんて。想像しただけで身の毛がよだつ。外面だけはいいから、見知らぬ他人は褒めるのかもしれない。だが、本性を知った今は褒められたいとも思わない。

『褒めていたんだよ。最後にマサムネは「ご苦労」って言ってたにゃ』

 わざわざ律儀に「ご苦労」の部分は、先ほどのマサムネの声を録音したものである。

「あれが褒め? えぇー……、うすー。ねぎらい薄ーい。あんなの全然褒められた気にならないし、何なら上から目線でちょっと嫌だし。いや、実際立場は上なんだけどさ」

 マサムネはCROWNの日本支部長で、総理大臣よりも強い権限を持っている。だから、日本のヒエラルキーでは、実際とんでもなく上位に位置する。だけど、これだけ身体を張ったのに、褒める言葉が「ご苦労」1つじゃやりきれない。やるならもっと上手に褒めてほしい。

『マサムネにもっと適切に褒めるよう言っておくにゃ』

「やめて、エモにゃん。今度こそ殺されるかもしれない」

 お節介をしようとするエモにゃんを、タビトは止める。そんなこと報告されたら、始末書では済まなそうな気配がする。

「タビトは頑張ってた。僕の方からも、支部長には言っておく」

「いや、言わなくていいんだって」

 ルイもマサムネに何か助言でもするらしい。絶対に面倒なことになるから言わないでほしい。

「……とりあえず、山降りよっか。ここで野宿する訳にもいかないし」

「うん」

『車の中に懐中電灯があるから、使うといいんだよ』

「わかった」

 エモにゃんの言う通り、車の荷台には様々な用具が詰め込まれていた。懐中電灯と非常食を取り出し、山を下りる。

 非常食は改良が進んでいるからか、思ったよりもおいしくて、ルイとエモにゃんと話ながら山を下りるのが楽しくて、タビトは少しだけ、この後に待ち受けているであろう後処理の嵐を忘れることができた。



「……ちょっと凄すぎて引くわー」

「引かないでよ。俺だって必死にやっただけだよ」

 翌日、昼頃タビトたちを迎えに来たのは、タクヤだった。物流部のタクヤは、荷物だけではなく人も運ぶ。ワンボックスカーで迎えにきたタクヤを見て、タビトが安堵から大いに脱力したのは言うまでもない。万が一にもマサムネだとしたら、大変困る。

 タクヤが乗って来たバンの助手席にタビト、後部座席にルイを乗せて、タクヤは車を発進させる。

 車が壊れる過程の一連の経緯について説明を受けたタクヤの反応が「引くわー」だ。一生懸命頑張った末に引かれるなんてあんまりだ。

『タビト、質問いいかにゃ?』

 もちろん、この車のナビにもエモにゃんが搭載されている。

「なに、エモにゃん」

『杖がどうやって浮いたのか、わからないんだよ』

「そうそう。俺もそこが気になった。杖は確かに任意の形に変形できるらしいけど、宙に浮くなんて変形の域を超えているだろ」

 杖はあくまで木としての応用が利く範囲でしか変形することができない。普通の木には「宙に浮く」という性質はない。たとえ不思議な力を持つ杖だとしても浮くだなんて非現実的なのだ。

「あぁ、あれもマジックの一種だよ。ダンシング・ケーンっていう手法なんだけどね。まず、いい感じの棒を用意するところからマジックのタネの仕込みは始まる」

 この棒はどんな棒でもいい訳ではない。糸を真ん中に通して下の方が重くなっていなければならない。

「いい感じの棒が用意できたら、その真ん中に糸を通す。今回の杖をぶら下げるための糸は、杖から作った」

「作った?」

「要は、木であればいいんだろ? 木って繊維にもなるじゃん」

 亜麻や麻、芭蕉などから糸を取り出す技法は昔からある。藤や蔦などはそのままロープになるようなツルを持っている。

 タビトは杖を木の繊維であればありだと思えばいいというところから発想を飛ばし、杖の中心から糸のように細い繊維を伸ばした。

「後は普通のマジックの要領。重心が中心にないから、棒の動きは不安定になる。だから、手を振っても予想とは違う動き方になる」

 これが明るい日光の元であれば、もしくはゴーレムの目が良かったら、あるいは失敗していたかもしれない。ダンシング・ケーンで重要なのは、予測不能な動き。手と棒を繋ぐ糸が見えれば、面白くはないだろう。

 通常のダンシング・ケーンは、自分の右手と左手の間を行き来する。だが、今回はゴーレムの周りを回るように、山に生える木々に糸を張り巡らされた。タビトが「あそこに糸を掛けたい」と思えば、杖から伸びる糸は意志を持ったかのように伸びていったから便利なものだ。逆に普通の棒と糸ではなし得なかった反則技と言ってもいいだろう。

「あとは、棒とゴーレムを接触させて、棒から糸を出してゴーレムに絡みつかせる。それで、爆発させる、と」

 ゴーレムが杖を踏んだ瞬間、見えない糸がゴーレムの全身を包み込んだ。ゴーレムの怪力であれば、糸は容易く引き千切ることができるだろう。

 だが、そうなる前に、タビトは火を付けた。タビトはそのとき棒のスートが火を司っていたのは知らなかったが、上手い具合に爆発してくれた。爆竹のように爆ぜる糸は、衝撃を嫌うゴーレムにとって弱点とも言ってもいいだろう。

 そして、最後に一発大きな破裂音を目の前で鳴らす。

「どんなマジックにも、タネも仕掛けもある。それは変わらないよ」

 ゴーレム相手に「タネも仕掛けない」と言ったのは、マジックをする前の決まり文句だ。「ない」と言われた人間は、タネや仕掛けを探して真剣にマジックを見るから、より一層盛り上がる。

 どちらにせよ、杖というイレギュラーを取り込み、見事にダンシング・ケーンの仕掛けを行ったタビトの技量は見事という他ないのだろうが。

『ダンシング・ケーンかぁ。検索したら、確かにヒットしたんだよ。エモにゃんはマジックについての勉強もしないとだにゃ』

「あまりタネ明かし系の情報は見ないでほしいんだけど。商売ができなくなるから」

 タビトは苦笑する。世の中の人全員がマジックのタネを知れば、マジシャンは廃業しなければならない。

「それで、その後は?」

「その後?」

「結局、村役場とはどういう決着を付けたんだよ」

 タクヤに問われ、タビトは苦い顔をする。

「祠がある山で土砂崩れがあった。俺とルイは気になって駆けつけた。その頃には、既に祠は崩れていた。夜遅かったこともあり、棒はどこかに消えてしまった。ってことで、担当者には納得してもらったよ」

 エモにゃんが夜中に言い訳を考えてくれたらしい。山から帰ってきて仮眠から目覚めたタビトは、朝一でエモにゃんの作った文書を読み込み施設管理課の係長、高橋に電話をかけた。土砂崩れがあったことはニュースを見て知っていた高橋だったが、タビトから「祠が崩れた」と聞いて、慌てて山に向かった。

 タビトの報告通り、祠が崩れているのを見て、棒がなくなっているのを確認し、かえって高橋はにっこりと笑顔になった。

「高橋さんたちは棒の扱いをどうしようか悩んでいたからね。棒が土砂崩れでなくなったのは、むしろ良かったみたい」

 棒、もとい杖の存在は、速やかになかったことにされるのだろう。土砂崩れの現場で、わざわざ誰の物かもわからない物を探すほど、村役場は暇ではない。

 また、土砂崩れがあったことで、祠の再建に疑問を抱いていた酒井も納得したようだ。祠がないと、土砂崩れの厄災が起きる。迷信ではあるが、確かな不気味さを感じたであろうことは間違いない。

「……逆に俺から、1つ質問なんだけど」

 タビトは一呼吸置いて聞く。

「あの人たちは……、ゴーレムを見た人たちはどうなるの?」

 ダットについて知った人は、CROWNに所属するか死ぬかのいずれかの運命を辿る。タビトはマサムネにそう脅された。だから、タビトはCROWNに所属することになった。

 では、山でゴーレムの封印を解き、襲われていた稲垣、古橋、横沢、有田の4人はどうなるのだろうか。

 殺される、のだろうか。タビトがCROWNに所属するか死ぬかの選択肢をもらえたのは、ゴーレムを倒したという実績があるからだ。ただただ迫り来るゴーレムから逃げていた彼らは、その選択肢さえないように思える。

『大丈夫だよ。タビトが思っているようなことにはならないから』

「そう、なの?」

「普通の人は、ダットを見たことをすぐに忘れてしまうんだって」

 タクヤの説明に、タビトは首を傾ける。

『ちゃんとは説明できないんだけどね。ダットのことを覚えておくのは、とても難しいんだよ』

「難しい? どうして? 俺もルイもタクヤもちゃんとゴーレムのこと覚えているじゃん」

 アパートでゴーレムに襲われたこと。ゴーレムをおもちゃの銃で倒したこと。もちろん、昨夜の山での戦闘だって生々しく覚えている。

『エモにゃんのおかげなんだよ』

「エモにゃんの? どう、エモにゃんが関係してくるの?」

 カーナビの中でエモにゃんが自由自在に動く。

『ダットに関する情報は、何故か人々の記憶からこぼれ落ちやすいんだ。たとえば、外国人の名前とか、何度聞いても覚えられないこと、あるよね?』

「あー……世界史で『何とかティウス』ばっかり出てきたときは、確かに全然覚えられなかったけど」

『簡単に言うと、馴染みがないから覚えられないんだよ』

 「記憶する」という作業を分解して考えると、「記銘」「保持」「想起」の3つに分けられる。それぞれ、覚える、覚えた情報を維持する、思い出す、というのが一連の流れだ。

 どのような仕組みかは未だ解明されていないが、ダットに関する情報は、この一連の流れのうち、保持がされづらいことが証明されている。

「つまり、人間はダットのことを忘れやすい?」

『そういうことなんだよ。これはIQなどの知能指数には関係ないんだよ。みんな、忘れちゃうにゃ』

 だけど、とエモにゃんはここで胸を張る。

『エモにゃんが入れば、バシッと解決! エモにゃんがこの「保持」の部分を受け持つことにより、CROWNの職員はダットについて記憶することができるんだよ』

 タビトが持つドコエモンや、タクヤの身につけているスマートウォッチにはエモにゃんがいる。エモにゃんを身につけることで、記憶の保持を長引かせることができる。

 だが、この作用もどうしてかは解明されていない。ダットのことを何故か人が忘れてしまうのと同じで、エモにゃんを身につければ何故かダットの記憶を保持することができる。

「なるほど……? じゃあ、支部長のデッドオアアライブは……?」

 マサムネは「ダットとCROWNについて知ってしまったから、タビトは死かCROWNに所属するしかない」と言っていた。

 だが、今のエモにゃんの話を総合するに、タビトはあのままダットやCROWNについて忘れてしまう公算の方が大きかったはずだ。

『マサムネの脅しだね。マサムネの提案を拒否していれば、タビトは今頃、CROWNの人じゃなかったかもなんだよ』

「えー!」

 タビトは頭を抱える。CROWNに巻き込まれたのは、ひとえにあのときのタビトの選択ミスだったようだ。マサムネの脅しに屈せず、CROWNには入らないと拒絶していれば、今頃何の不自由ない生活が送れていたのかもしれない。

『いいじゃん、いいじゃん。タビトもCROWNに入ってから楽しいでしょ?』

「楽しいよ? エモにゃんとルイと一緒にサングリアで働いて、タクヤと話をするのは楽しいよ? だけど、俺はマジシャンとしても、かなり楽しんでいた方なんだよ? マジシャンとして充分、楽しんでいたし、別に転職したいとは思っていた訳じゃないよ?」

 エモにゃんの何とも能天気な励ましに、タビトは強めに反論しておく。タビトは自分のマジックで人が驚き、笑うのが好きだ。そのために新作マジックを考えるし、ショーも行う。テレビ出演よりも、その場で反応がもらえるショーの方が好きだ。自分の楽しみと、手先の器用さが合致するマジシャンは天職だと思っている。

 それを簡単に『サングリアの方が楽しいでしょ』みたいに言ってほしくない。

『そういうつもりはなかったんだよ。ごめんにゃ。マサムネに、タビトにもっとマジックする機会をあげてよって言ってみるんだよ』

「うん、ありがとう。エモにゃん」

 こんなことになったとしても、マジシャンとして活躍する機会がもらえれば嬉しい。それはきっと、ダットとルールブックを取り合う中で、きっと大きな心の支えになる。

「サングリアに戻ったら、俺にも見せてよ。何だっけ? ダンシング・タビト?」

「俺はダンスしないよ。ダンシング・ケーンね」

「それそれ」

 元の調子を取り戻しつつ、タビトはサングリアに向かう。

 ルイは薄らと目を開ける。

(僕と一緒にいて、楽しい……)

 タビトの言葉を心の中で反芻する。何度も何度も噛みしめて、自分の中に染みこませる。

 ルイは生まれつき、嘘を見抜くという特殊能力を持っている。その能力で人の心の中を覗いてきた結果なのか、ルイ本人は喜怒哀楽の感情が希薄で、何が嬉しいのか悲しいのか、それさえも掴みあぐねている。

 ルイの特殊能力は、同時に人の言葉に対する興味も酷く薄くさせた。人は嘘を吐く。わざわざ嘘に塗れた言葉を聞くよりも、その心の中を覗いた方が真実が見えるからかもしれない。

 だけど、タビトのさっきの言葉は、ルイの心の中に留まり続ける。それは、タビトの言葉に嘘がないから。真正面からルイと向き合い、ルイの人格を尊重してくれるから。

(僕も……楽しい。たぶん)

 いつか、たぶんが消える日が来るだろうか。それとも。

(けど、僕のことを知ったらきっと……)

 訪れないかもしれない。タビトがルイに良くしてくれるのは、ルイのことをよく知らないからだと言われればそれまでだ。

『大丈夫だよ』

「ん? 何が?」

「急にどうした、エモにゃん」

 タビトとタクヤが、脈絡もなく話始めたことに驚く。だとすれば、エモにゃんの言葉はルイへ向けてのものだろう。エモにゃんは、ルイの正体を知っても仲良くしてくれる、唯一の相手だ。それはエモにゃんがAIであり、「感情」というものがないからだと思う。

 それでも、エモにゃんが言うのなら。誰よりもルイのことを理解し、ルイよりもタビトのことを理解しているエモにゃんが言うのなら、結果が出るまで待ってみてもいいのかもしれない。

「故障か? AIも故障とかするのか?」

「機械であるなら、故障もするんじゃない? どうする? 支部長に報告する?」

『失礼な! エモにゃんは超優秀なAIだから、自分でデバッグもできるんだにゃ。壊れるだなんて、有り得ないんだよ』

「へぇー?」

「そう?」

『なんで二人とも信じていないんだにゃー!』

 賑やかに、ルイが初めて経験する賑やかさを乗せて、車は東京へと帰っていく。 

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クラウン 桜木 トモ @sakuraki1006

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