アッティスの完璧な死

猿田夕記子

アッティスの完璧な死(完結)

 目の前には、荒れ果てた宴席が広がっている。卓は倒れ、花はしおれ、料理はそのままで干からびている。

「ここでアッティスは死んだのか」

「ええ、あの席よ」

 彼女は、花婿の席を指した。そこにはいまだに血が点々とちらばっている。

「花婿は結婚式の最中に、男根を自ら切り落として死んだわ」

 彼女は、きっぱりといった。

「アッティスは、神にも等しい美貌の持ち主だったと聞く。惜しいことだな」

「事件をふり返ってみましょう。あなたも知っての通り、アッティスは都でいちばんの美男子だった。そして優しく、誰からも好かれていた」

「彼は女遊びが激しかったのじゃないか。復讐として呪いをかけられたのかもしれない」

「あなたは、アッティスのことを誤解しているようね。親切で、誰に対しても優しくしていたのよ」

「まあいい、それで」

「アッティスは、王の娘と婚約していた。二人は相思相愛だった。だけど結婚式の最中、彼の母親のキュベレーは……父親といったほうがいいかしら……」

「両親か?」

「キュベレーは、もともと両性具有だったの。彼にとってのキュベレーは、父であり、母である」

「なるほど、アッティスは神々の血を引いているというわけだな」

「目撃者の話では、式の最中、キュベレーがアッティスに近づき、何事かを叫んだ。そうするとアッティスはやにわに叫びだし、己の男根を切り落として、死んだ」

「アッティスは狂っていたのか?」

「私には、そうは見えなかったけれど」

「しかし、ぞっとしない話だな。花嫁を捨てて、式の最中に冥府へおもむくだろうか。そして、同じ死ぬにしても、そんな死に方があるだろうかね」

「それに、まだまだ謎は残っているわ。キュベレーはアッティスに何をささやいたのか? その言葉が、彼に死を選択させたのか? また、死ぬにしてもなぜ男根を切り落とさなければならなかったのか?」

「その間、周囲の者は何をしていたんだ」

「みんな、ただぼうっと見ていただけのようなの。キュベレーが何かの力を使ったのじゃないかしら」

「神々が関わると、厄介だな」

 神は人間を疎んじているのではないか。それならさっさと滅ぼせばいいのに、時々は恵みを与えたり、結婚しようとしたりする。私は彼女に尋ねた。

「それで? 君はこの事件に首をつっこんで、どうしようっていうんだ?」

「私はアッティスと兄弟同様にして育ったの。キュベレーの血を引いてはいないけどね。つまり、姉よ。そしてあなたは、謎を解き明かすのが好き……そうよね、ガータ」

「確かに。この事件には不可解なことがたくさんある」

「私は弟の死の真相を知りたいの。そしてあなたも、好奇心を満たせる」

「ああ、それは何より素晴らしいことだな」


第一の証言 王の娘

「私はアッティスを愛していました。彼もまた私を愛していました。なのに、どうしてあんなことになったのでしょうか。今でも信じられない思いです。そういえば、式の一週間くらい前から、彼はなんだか落ち着かない様子でいました。そわそわしているというか……何かに苛立っているようでした。それが私には不思議でした。だって、もうすぐ私たちの結婚式なのに。それ以上に幸福なことってないでしょう。父も彼を気に入って、世継ぎにするといっていたのに。ああ、もしかしたら、そのことが恐ろしかったのでしょうか? 彼は王になることをためらっていたのでしょうか? だとしたら、私が彼をもっといたわってあげれば良かったんです。彼が死んだのは私の責任なのかもしれません……ああ、彼の死! 私たちの式の最中に、あのキュベレーが……ええ、彼の母親であり、父親である、それはわかってます。だけどキュベレーが宴席に現れなければ、彼はけっして死ぬことはなかったでしょう。彼は私の横で立ち上がって、何事かをぶつぶつとつぶやきました。そしてやにわに、短剣をとりだして――どうして花婿が剣など持っていたのでしょうか。不思議ですね……彼は死を予感して、結婚式に帯刀してきたというのでしょうか。彼は衣服を脱ぎ捨て――その時、私は彼が狂ったのだと思いました――自分で自分のものを切り落としました。そして、鮮血が飛び散り……その時、私は気を失ったようです。次に目覚めたのは、自分の部屋の寝台でした」


「そういえば、凶器はどこにいったんだ?」

「アッティスが男根を切り落とした短剣のこと?」

「これは自殺だから、凶器の行方なんてどうでもいいと思うかもしれない。だが、ちょっと気になるな」

「そんなに重要なこと?」

「アッティスは最初から自殺を計画して、短剣を隠し持っていたのか? それとも、キュベレーが神の力を使って彼に与えたのか? それによって、殺意のありなしが変わってくるだろう」


第二の証言 王

「アッティスは、世界一幸福な花婿に見えた……なにせ、わしの娘を妻に迎えようとしていたのだからな。もちろん娘は美しかった。だが、花婿はそれ以上に美しかった。アッティスは神の血をひいているんだろう。まさに光り輝くように、神々しかった――なのに、この事態だ! あいつは何を考えているんだ? 結婚式をむちゃくちゃにしやがって! これから娘はどうやって生きていけばいいんだ? あんなやつ、婿になんかしなきゃよかった。式のあと、こんな話を聞いたよ。アッティスは、キュベレーと寝ていたそうじゃないか。自分の母親と……恥知らずめ! いくらゼウスだって、自分の娘に手を出すことはないだろうよ。だがまあ、それなら納得できるな。キュベレーは愛人の裏切りに激怒して、結婚式をめちゃくちゃにしにきたんだろう。まったくアッティスも、あんな年増のどこがいいのやら……ああ、やっぱり神は信用ならんな。あいつらはすべてを与えて、そしてすべてを奪い去っていくからな――娘には、ふつうの人間と結婚してもらう。最初からそうすればよかったんだ」


「アッティスはキュベレーと男女の関係にあったのか?」

「そうよ」

「母親と息子だぞ。どうかしてるな」

「キュベレーはアッティスを愛していたから」


第三の証言 ナナ

「わたしがアッティスを身ごもったのは……もうずいぶんと遠い昔の話だよ。わたしは河のほとりを歩いていたんだ。そしたら、立派なアーモンドの木が生えていた。わたしはその実をとって、持ち帰った。それで家に帰って、実を食べたら、あの子をみごもったんだ。あとから聞いたら、あの木の下には、キュベレーさんのナニが埋まってたんだってね……きっとそのせいさ。みんな、わたしとキュベレーが結ばれて、アッティスを産んだんだろうって、そう思っているようだけど、そうじゃないんだ。わたしはキュベレーさんの顔も知らないよ。それから、それから……そう、あの時は父さんにこっぴどく叱られてね。そんな、得体のしれないものを食うんじゃない、って。そんな子は、川に流してしまえと言われた。父さんは、川の神だったから。自分で始末をつけるつもりだったんだろうね。でも、わたしはそれが可哀そうでね。アッティスを生んで、あの子を丘の上に置いてきたのさ。川じゃない。父さんの言いつけにさからったよ。これでもわたしは戦ったのさ……だから、あの子に生きる運命があるのなら、どうにかして生き延びるだろうと思ったよ。アッティスは、とても美しくなったんだってね。やっぱり、神々の血をひいてたんだね。わたしが育てればよかったかね。ああ、でもきっと、あの子には母親なんていらなかっただろうね。そんな気がするよ」


「ナナは、アッティスを産んですぐに捨てた。それで間違いないか?」

「そのようね」

「捨てられたアッティスは、その後、どうやって生き延びたんだ」

「牝山羊が面倒を見たと聞いたわ」


第四の証言 牝山羊

「確かに、アッティスは私が育てましたた。だけど息子は……もちろん、私と彼との間に血のつながりはありませんが……長じてからは、都へいって、こちらへはもう随分と長い間、帰ってきませんでしたよ。結婚式をあげるということも聞いてなかったんですよ。私は彼の母親なのに……王の娘と結婚したかった? 財産目当てなんじゃないのかね。言っちゃわるいけど……なぜって、ほら、あの忌々しいキュベレーだよ。実の子を、自分の愛人にしていた。あいつがいなけりゃ、アッティスはもうちょっとまともに育っただろうと思うんだよ。だけどね……べつに、無理矢理ってわけじゃない。アッティスは、嬉々としてキュベレーのあとについていった。馬車をひいてやったりね。――アッティスはキュベレーを愛していたのか? そこなんだよ。アッティスは、キュベレーの切り取られた男根から生まれた。キュベレーの体の一部であるということだよね。アッティスがキュベレーを求めたのは、離れ離れになった肉体にかえりたいという衝動だったのかしら? それとも、異性として見ていたのかね? あるいは、母であるキュベレーを犯したいとでも思っていたのかしらね? 私にはまったくわからないよ。あの子がこの丘を離れてからのことは、私には何もわからない……そういえば、アッティスの男根はどこへいったんです? またそこから子どもが生まれて、こんなばかげた物語が続いていくんじゃないのかね……私にはもう関係のないことだけれど」


「この謎を解くカギは、アッティスとキュベレーの関係にあるようだな」

「アッティスの男根の行方も気になるわ」

「子どもが生まれてるかもしれないしな」

「調べてみましょう」


 私たちはアッティスの遺体がおさめられたの神殿を訪れた。王が彼をそこで葬るように指示を出したそうだ。仮にも花婿となるはずだった者だ。無下にもできなかったのだろう。彼女がアッティスの姉だと自己紹介すると、すんなり中に通してくれた。神殿のなかは、ひんやりとしていた。まるで冥府につながる門が開いているかのようだ。アッティスの遺体は、裸のまま安置されていた。下半身に、自らえぐった傷が残っている。彼はまだ眠っているようだ。

「遺体はまだ腐ってはいないんだな」

「防腐剤を塗りこめたと聞いたわ」

「男根は欠けたままだな」

「まだ宴席のどこかに転がってるのかもしれないし、あるいはキュベレーが持ち帰ったのかもしれない」

「なぜそう思うんだ」

「だって、アッティス自身も、もともとキュベレーの男根だったのでしょう」

「なるほど。やはり彼女――彼か? に話を聞かなくては」


 私たちが神殿を出てしばらく歩いていると、道の向こうから大声で叫ぶ男に出くわした。

「たいへんだ! 王が去勢されちまったぞ!」


第五の証言 男根を切り落とした王

「まだわしは死んではいないんだな……冥府の門をくぐれるかと思ったのに……ああ、おまえたちか……今度はどうしたんだって? ほら、それだよ。そこにわしのものがある。自分でな、切り落としたんだよ。わしを狂っていると思うかね。いや、そうじゃない……ただわしは、そうしなければならないと思ったんだ。そうすることが正しくて、そのほかのものは何もなくて、そうすればわしは救われるんだって、そんな気がしたんだ……キュベレーの呪い? もしかしたらそうなのかもしれないな……聞いたぞ。キュベレーは、もともと男であり女である者だったんだろう? 完全なる両性具有者。その名はアグディスティス……だけど、完全なる者はねたまれる。他の神々が、アグディスティスを罠にはめた。そしてとらわれの身となったアグディスティスは男根を切り取られ、女であるキュベレーとなった。そして彼女の息子であり、愛人であるアッティスもまた男根を切り取って死ぬこちになった……どうだ、いかにも呪いってふうじゃないか。あいつらに関わった者はみんな、男根を切り落としたくなるんだ。ただ、こうするのが間違いだったとは思えないんだな。わしは己の手で、こうした。切り離した……そうしたら、すっと心が軽くなってね。何もかも赦されたような気がしたんだ……罪……わしはなにか罪を犯していたのかな? ああ、心当たりのあることはいくつかあるな。でもたいしたことじゃあないが……とにかく、わしは浄められたのさ。これでいいんだ」


「自己去勢、だな」

「え?」

「なぜ彼らは男根を切り落としたのか。死ぬためか。それだけなら、首を切ればいいだろう。そこには何か特別な意味があるんだ。自分の男としての力をそぎ落としたい。男でも女でもない者になりたい。そういった願望がこめられているのではないだろうか」

「そんなことして、どうしようというの」

「それが謎だというわけさ」


第六の証言 キュベレー

「あたしを犯人扱いするのかい! あたしは何もしていないよ、なにも……結婚式で? そりゃちょっと、息子にあいさつしただけさ。それだけだよ。あたしを捨てて、他の女と結婚しようっていうんだからね! よくあるじゃないか。男の結婚式に、昔の女があらわれて、ちょいと皮肉をいう……それだけだよ。疑ってるんだね。あたしが何かしたんじゃないかって。あたしの神としての力は、もうとっくの昔になくなっちまったよ。あの忌々しいオリュンポスの神々のせいでね! あんたたち、あたしの男根が切り落とされたことは、もうよーく知ってるだろう。あの時、神としての力は何もなくなったんだ。今のあたしはただの人間……ただの女だよ。ああ。どんなにあたしの男根を取り戻したかったことか! あれさえあれば……だけどそれはどこかに埋められて、アッティスに成長してしまったんだ。あれは、もとはあたしのものなのに……ああ、そうさ。あたしはアッティスと寝ていた……だけど、あれはもともとあたしなんだよ。あたしの男根さ。だから、なにしたっていいのさ。同じひとつのものにかえりたいってだけなんだよ。ああ、どこかにアッティスの男根が落ちていないかねえ。あれがあればさ、わたしのものになるんじゃないかって、そんな気がするんだ……いっしょうけんめい、探したんだけどね。とうとう見つからなかったよ。きっとまた、ゼウスあたりが自分の袖の下に隠し持ってるんじゃないかい。あいつはあたしが男でも女でもあるのが許せなくて、あたしをめちゃくちゃにしたんだからね。あんなに嫉妬深いやつったら、ないよ。すべてのはじまりは、あいつが原因なんだからね」


「ゼウスの子をはらみたいか?」

「いいえ」

「だったら、私が一人で話を聞いてくる。ガニュメデスだったのは、遠い昔の話だ」

「いちばん厄介な相手ね」


第七の証言 プロメテウス

「どこへ行くんだ。ゼウスに話を聞きにいくつもりなんだろう。やめておいたほうがいい。そんな昔のことは、忘れきっているからな。やぶへびになるぞ。おまえもわたしのように、何万年も肝臓をついばまれていたいのか? その代わりに、私がひとつの話をしてやろう。そもそもアグディスティスはどこから生まれたのか、だ。ゼウスの母は、運命の女神レアだ。ある日ゼウスはよからぬ心を抱いて、母を犯そうとした。その時にレアが抵抗して、ゼウスは精液を地にこぼした。そこから生まれたのがアグディスティスだ。アグディスティスはゼウスの息子といっていい。そしてゼウスは、かつて自らの父クロノスをほろぼして、神の座をうばったという経験がある。やつはいつでも恐れているのさ、自分を凌駕する息子があらわれるのを。アグディスティスの男根を切り落としたのは、そのせいだ。アグディスティスは、男であり女である完全なものだった。ゼウスよりも完璧なものだ。そんなやつ、どうしたってそのままにしてはおけないだろう。ではアッティスはなぜ死んだのか――アッティスは母であるキュベレーを犯して、かつ、母からうとまれなかった。そこがゼウスとちがうところだな。相思相愛の母息子。そのことがゼウスの怒りを買ったのだろうか? あるいは、母を犯した罪だと? ただひとつ言えることは――アッティスは死ななければならなかった。彼に生きるべき運命は与えられていなかった。その理由はなにか――それを突きとめるのはおまえの役目だ。ケルベロスがアッティスの男根をくわえていったぞ。そこでおまえは真実を見つけられるだろう」


第八の証言 姉

「それにしても、アッティスの男根はどこへ行ったのだろ。ナナはアーモンドの木の実を食べた時、アッティスをみごもった、その男根があれば、また彼は生まれ変われるのかもしれない。だけど、その物語を続けていってどうするのだろう。その息子は、また母と交わるのかもしれない。やはりそれは許されないことだろう。それゆえにアッティスは死んだのか……いや、こう考えるのはどうだろう。もしもアッティスが王の娘と結婚しなかったら。キュベレーのもとを離れなかったら。そうしたら、彼は今まで通りに生きていけたのではないか? 母の息子として愛人として……永遠に時が止まったまま、キュベレーの御者として。なぜ彼は王の娘なんかと結婚したがったのだろう。ずっと母の愛人として満足していればよかったのに。私は、やはりキュベレーは神としての力を使ったと思う。彼女は、息子が結婚するのが気に食わない。自分だけのものでなくなるからだ。そのせいでアッティスは狂乱して、我が身を傷つけたのだ。キュベレーを裏切った罰として。母ではなく、他の女をめとろうとして……私にはそれが、正しい道のように思えるのだけれど。運命は彼を許さなかったのだろうか?」


「ゼウスの話はきけた?」

「プロメテウスが、ゼウスには近づかないほうがいいと忠告してくれた。ところで――おまえの父はどこにいる?」

「知らないわ。きっと、どこかにいるんでしょう」

「おまえはどうやって育ったんだ」

「川のほとりで育ったの」

「それで? ナナに育てられたのか? それとも牝山羊に? 自分の過去を覚えているか?」

「何を聞きたいの」

「気づいたんだ。この物語には父がいない。ゼウスは母を犯そうとした。アグディスティスには、父も母もいない。ナナには夫がなく、木の実を食べただけでみごもった。そしておまえにも、父がいない。かれらはみな、父のいない世界で生きている。アッティスは結婚して、夫となろうとした――つまり、父になろうとした。それゆえに彼は死ぬ運命になったのではないだろうか」

「父になってはいけないなんて、そんなことはないわ」

「やはりこれは呪いだ。かれらはある世界に生きていて、その世界の規則から外れるようになったとき、死すべき定めにあるのだ。こぼされた精液。切断された男根。父の不在――ではこの世界には何が欠けているのか。それは――生だ。アグディスティスはその生涯を生きることを封じられた。アッティスも同じだ。生の不在、それが切断された男根として現れているんだ」


第九の証言 アグディスティス

「私は父もなく、母もなく生まれた。ゼウスが父だとはいえるが、そこに男女の結びつきはない。こんな私が男であり女である体をもって生まれたなんて、皮肉なことだ。私は何も望まなかった。望む必要はなかった。私のなかにすべてがあり、私はそれで十分満足していたのだから。もしも私が望むのなら、私は一人だけで子を産むこともできただろう。だが、神々はそんな私を許さなかった。何も求めない、欠けていない私が許せなかったのだ。そうして私は女の体を持つキュベレーとなった。キュベレーである私は、かつて自分が持っていて、そして失われたものを強く求めるようになった。それが私の男根であり息子であるアッティスだ。アッティスの結婚は、私にとっては裏切りでしかなかった。またもや私は欠けたる世界に放り込まれたのだ。こんなことがまかり通っていいものか。許せなかった。だから私はアッティスを狂乱させたのだ」


「ではアッティスを殺したのは、アグディスティスなの」

「そうとばかりは言えない。私は冥府で、アッティスの男根を探してきた。彼の言葉を聞いてくれ」


第十の証言 アッティス

「ぼくは彼女と結婚したい、と思った。みんなもぼくたちを祝福してくれた。だからこれでいいと思ったんだ。たとえ母さんと離れても……だけど、ぼくは間違っていたのかもしれない。ぼくは結婚への道を歩みはじめると共に、自分がだんだんと昏い世界に落ち込んでいくように思った。かつてぼくはすべてを持っていた――母さんの女の体と、男であるぼくの体――そして母さんはぼくを愛してくれていたんだ。そこに何の問題があるのだろうか。けれどぼくは彼女を好きになってしまった。彼女とずっと一緒にいたいと思った。ああ、世界はなんて不公平なんだろう。母さんと彼女、二人ともを手に入れることはできないんだろうか。母さんはぼくを非難する。――おまえなんて、胎のなかへ戻してやればよかったよ――その時ぼくは、自分が本当は何を求めていたのか、よくわかったんだ。ぼくは戻りたかった。その場所へ。母さんを抱くだけじゃ物足らない。何も知らない、無垢な胎児として。でもそのためには邪魔なものがある。ぼくから生えている、それだ。これはもともと母さんのものだったんだ。ぼくはそれを返さうとして……そうしたら、母さんは喜んでくれるだろう。これでいいんだ。ああ、だけど……なんて息苦しいんだろう」


「アッティスは、キュベレーの胎のなかに戻りたかったの」

「あるいは、アグディスティスの体を得たかったのかもしれない」

「完璧な世界に?」

「だけどそんなものはどこにもない。ゼウスですらも得られないものだ」

「アッティスを殺したのは、アッティス自身なのね」

「我々は不完全なんだ。望んだものは何も得られない。輝かしい日々は戻ってこない。完全な体になることは無理なんだ。だから――結婚しよう」

「どうしたの、いきなり」

「私が不完全な存在であるってことが、わかったからさ」

 彼女は笑った。私も笑った。

 私たちはアッティスの男根を川べりに埋めた。

 土から緑の芽が顔を出し、あっという間にアーモンドの若木となった。その木の周りに、白い蝶が吸い寄せられるようにやってきた。蝶は木の周りをひらひらと飛んだあと、虚空に消えていった。


 アッティスの死後、人間たちは神に憧れるのをやめ、欠けた世界を愛で織りなす道を選んだ。


                                 《了》

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アッティスの完璧な死 猿田夕記子 @tebasaki-yukio

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