第1章 戴冠式【3】
「リベル!」
かけられた声に、リベルはハッと姉を見上げる。ミラは小さくひとつ頷いた。騎士ミラ・ローシェンナがリベル付きであるなら、キングとイーリスも彼女のことを知っているはず。リベルのそばにいてもおかしいことではないのだろう。
「リベル様、いかがなさいましたか?」
イーリスは心配そうな表情を浮かべていた。そのあとに続くキングも、案ずるようにリベルを見遣る。それから、背後に控えるミラに視線を遣った。
「あ、えっと……お腹が痛くて……。この人は様子を見に来てくれただけです」
ちらりとミラを盗み見ると、腕を後ろ手に組み、澄ました表情をしている。すっかり騎士モードである。
「もう平気なのか?」
「はい。もう大丈夫です」
「湯浴みの支度ができています。今日はもうお休みしましょう」
小さく頷いたリベルの肩に、キングが優しく手を添えた。先ほどのことを思い出しかけて、リベルは慌てて思考を別の方向に逸らす。
「明日から新魔王としての任に就くことになる。今日はゆっくり休め」
「はい」
キングに促されて寝室に向かう途中、リベルは突如として現実を思い出していた。
(僕、これから王様としてやっていくってこと……!?)
昼間に行われた戴冠式は、リベルを新魔王として公表するための場である。先代王キングのもと、リベルは新魔王――レクスとして冠を授かったのだ。つまり、魔王国の頂点に立つ、紛れもない「王」なのである。
(よく考えたら、大変なことなんじゃ……。僕は庶民も庶民、ど平民だったのに……)
どこまで設定に忠実なのだろう、とひとつ小さく息をつく。リベルも小さな村の出身で、家名もないような平民だった。リベルの知識によれば、魔族に家名がないのは普通のことらしい。どういう経緯で新魔王に選出されたかはわからないが、平民からいきなり王になるなど、まさしく物語でなければあり得ないのではないだろうか。物語の世界に来たのだと実感すると同時に、とてつもない重圧を感じる。神と
物語は戴冠式後から始まる。戴冠式より以前のリベルがどうだったかは設定でしか知らないが、王位に就いたリベルは悪逆非道という言葉がよく似合う所業だった。テストプレイの時点では、村でどう過ごしたらこれほど性格の捩れた王になるのだろうか、とつくづくと思っていた。ことごとく主人公と攻略対象を傷付け、痛め付ける。命を以ってその罪を償う姿は、まさに魔王になるために生まれて来たようなキャラクターだった。
だが、ここが紫音にとっての現実世界となったいま、リベルの頭の中は設定とは少しだけ違っていた。
(村にいた頃の
設定では、気も力も弱いリベルが村の中で冷遇される、となっていた。その結果、地位と権力を手に入れたリベルが“復讐”として魔王国を滅ぼそうとする。だが現在のリベルは、村では普通の生活を送っていたし、友人にも恵まれていた。父はすでに亡くなっているが、母とも良好な関係を保っている。少なくとも、戴冠式で人が変わりでもしなければ破滅の大魔王にはなり得ない。
(でも……ここは神が再生しようとしている世界、なんだよな……)
前回の転生者は、悪役魔王リベルとして設定の通りに魔王国を滅ぼした。それが世界の破滅へと及んだため、神の力が介入したのだ。世界そのものが破滅をきっかけとして改変されているのかもしれない。リベルが破滅の大魔王にならないために。
物語の主人公は「ノア・オリヴェル」という少年。人間と魔族のあいだに生まれた子として、人間からも魔族からも疎まれている。現在は魔王国の村で魔族の父親とともに暮らしているはずだ。小さな村の平民でありながら、人間の母から光の魔法を受け継いでいる。人間の母は行方知れずということになっている。勇者に選ばれた攻略対象とともに破滅の大魔王を討伐しに立ち上がるのだ。半分は魔族の血を持っているという点での葛藤がよく描かれていた。少し気弱だが優しく、心の美しい少年だ。乙女ゲームで言えば“ヒロイン”に当たり、絹のような金髪と紫色の瞳が可憐さを印象付けていた。
(
まさに闇と光の対立。リベルの加虐心に満ちた悪役顔がノアの清廉さを際立たせていたのは確かだ。
(でも、制作陣に人気があったのは
制作陣のほとんどは姉と繋がりのある腐女子たちだった。姉の作品を心から愛し、このゲームを形にするため奮闘してくれていた。姉の病室にも毎日のように誰かが見舞いに訪れ、ゲーム制作の進捗を話して行ったものだ。その中で、制作陣の腐女子たちがそれぞれ“推しキャラ”と“推しカプ”について熱く語っている姿をよく見かけた。姉もそれを嬉しそうに聞いていた。姉の葬儀で見た彼女たちの無念に溢れた涙は終生、忘れることはないだろう。
現在のリベルがどうかは計測してみなければわからないが、姉の作った設定では、新魔王となったリベルは膨大な魔力値を誇っていた。豊富な魔法を以って勇者パーティを苦しめるのだ。
おそらく前回の転生者は、もとから備わる膨大な魔力に加え神から授けられたチート能力を利用して、この世界を破滅へ導こうとしたのだろう。神と、紫音の絶対的な味方――姉の美緒が、その運命を変えようとしている。リベルもそのための鍵なのだ。
(王様として上手くやっていけるかは自信がないけど、世界を救うという点では、魔族の王として何かできたらいいんだけど……)
神も姉も、紫音がやることは特にないと言っていた。ただ、第二の人生を楽しめばいい、と。
(自由な人生……。王様という時点で自由かはわからないけど……)
チート能力はない。それでも、ずっと欲していたものにようやく手が届くのかもしれない。そう考えると、それこそが転生の価値だったのではないかと思えた。
リベルが物思いに耽ったまま、寝室の前に到着する。随分と離れた場所まで走ってしまったらしい。この広大な城のどこに何があるか。方向音痴の紫音にはそれも課題のようだった。
寝室の前で立ち止まったキングが、向き合うようにリベルの肩に手を添える。つくづくと見ても美形だ、と考えていたリベルは、キングの手が頬に触れるので顔を上げた。このとき、リベルは完全に油断していた。優しく触れるだけのキスを落とされるとは、考えてもみなかったからだ。
「おやすみ、私の可愛いリベル」
朗らかに微笑むキングに、リベルはようやく状況を理解すると耳まで赤くなるのが自分でもよくわかった。これ以上にこの場にいることが耐えられず、寝室の中に飛び込む。そして思わず頭を抱えていた。
(どういう状況なんだよ!)
この先、この世界で行くことでわかってくることもあるだろう。しかし、いまはこの状況に頭がついていかなかった。
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