第2章 ひとつ目の能力【1】
ふと目を開くと、木製に見えるドアの前に佇んでいた。辺りを見回しても、ただ暗闇が広がるばかり。シンと静まり返ったその空間は、なんとなく懐かしいような気分になる。躊躇いつつドアを開くと、その先は、埋め尽くされた本棚の並ぶ狭い部屋だった。天井の照明は点灯しているのに、部屋の中は少しも明るくなっていない。本の背表紙も読めないほどの暗闇だった。
『邪魔をしないでくれ』
不意に声が聞こえ、辺りを見回す。しかし、周囲に人影はない。
『もう少しですべて上手くいくはずだったんだ』
その低い声は恨めしく。まるで呪いのように耳の奥に滑り込んでくる。不安感の生じさせる空気に肌がピリと痺れた。
『お前さえいなければ』
まるで大勢に囲まれているように、様々な声が聞こえる。不協和音のような混声が、心を掻き乱すようだった。
『お前がなんの役に立つんだ。お前は王に相応しくない』
胸が締め付けられるような苦しさが呼吸を荒くさせる。足から力が抜けるような感覚に耐えられず、床に膝をついた。
『お前は邪魔だ。お前はいなくなれ』
……――
追い出されるようにして目を覚ます。短い呼吸を繰り返し、自分の周りを見回す。そこはリベルの寝室だった。
(……変な夢……)
きっと王になったという重圧からおかしな夢を見たのだ。何度か深呼吸してようやく心が落ち着いてくると、コンコンコン、と遠慮がちなノックが聞こえる。寝室に顔を出したのはイーリスだった。
「おはようございます、リベル様」
「おはよう、イーリス」
挨拶をしてベッドから立ち上がったリベルは、イーリスが当然と言うように着替えを手伝い始めるので少々面食らってしまった。イーリスの手付きは自然で、身分の高い者の世話に慣れているらしい。リベルはなんとも気恥ずかしい気分になったが、イーリスは平然とした様子だ。
リベルが鏡台の前に座ると、イーリスはリベルの髪をブラシで丁寧に整える。その表情はどこか楽しげだ。
「王というのはなんの仕事をするんだろう」
「しばらくは引き継ぎのための書類整理ですね。慣れてきたら、治政や領地経営、視察などの任されるようになりますわ」
長篠紫音は社会人経験があるが、王の任に比べれば楽な仕事だったのではないかと思える。王は民の上に立つ者。責任の少ない平社員とは格が違うのだろう。
イーリスが髪の手入れを終えると、リベルはひとつ息をついた。ダイニングに行けばすでに朝食が用意されているはずだ。紫音は料理の腕が壊滅的で、食事はいつも破壊的だった。あの強烈な刺激から解放されるなら、たとえパンとスープだけだったとしてもありがたい。
「僕はただの平民だったのに……」
「初めから上手くやろうとお思いになる必要はありません。リベル様は王として認められたのですから」
「うーん……まあ、正式に王が据えられるまで頑張るよ」
「……? リベルさ――」
「おはよう、リベル」
ドアを開けたところで声をかけられる。軽く手を振るのはミラだった。その穏やかな微笑みは、最後に会ったときと何も変わっていない。その事実が嬉しくもあり、少しだけ胸が痛むようだった。
「ミラ」イーリスが厳しい声で言う。「昔馴染みと言えど、リベル様は王となられたのですよ」
「そうだったわね」
ミラは手を胸に当て、恭しく辞儀をして見せた。王に対する敬意を表する挨拶だ。
「おはようございます、レクス」
澄ました表情のミラに、リベルは苦笑いを浮かべる。
「ミラはそのままでいて。なんだか変な感じがする」
「あなたがそう望むなら」
姉とまたこうして挨拶を交わすことができるのが、何よりも幸福に感じられる。これがこの先、新しい日常となること、それだけで胸がいっぱいだった。
「王になったのは確かだけど、無理はしないように。私のことはいくらでも頼ってくれて構わないわ」
「うん、ありがとう。とても心強いよ」
ゲームにミラ・ローシェンナという登場人物は存在しない。神はリベルにチート能力を授けることができないと言っていたが、姉の存在自体がチート能力のようなものだ。それだけで充分という気もした。
リベルは神の介入により弱体化しているが、この世界において破滅の大魔王であることに変わりはない。そのつもりがなくても、いつか悪役魔王になるときが来るかもしれない。
(僕は、僕からこの国を守る)
きっと
ダイニングへ行くと、すでにキングがテーブルに着いていた。
「おはよう、レクス。よく眠れたか?」
「おはようございます。お陰様で」
キングは王としては退位したが、魔王であることに変わりはない。先代魔王と新魔王が同じテーブルに着くことが、リベルには不思議なことに感じられた。
リベルが
リベルの記憶によれば、確かにキング率いる魔王軍と人間の国との抗争があった。原作では、その戦いでキングは勇者に討伐される。代替わりはそのあとだ。キングがいれば、リベルは破滅を招く大魔王にはなり得ないのではないか、という気がした。
「レクス」
キングに呼ばれ、レクスは顔を上げる。また考え事に耽ってしまっていた。
「どうかしたか?」
「いえ……まだ眠くて」
よもやすべて話すわけにはいかないと、レクスは誤魔化すように小さく笑う。彼が隠し事をしているのは、キングだけでなく、そばに控えるブラムやカルラも気付いていることだろう。それでも深く追及するつもりはないようだった。
「執務室の机に着けば、眠いなんて言っていられなくなるさ」
「そうでしょうね……」
きっと山のように仕事があるのだろう。そう考えると、レクスは少し憂鬱だった。
ゲームのテストプレイでは、キングの登場シーンはほとんどなかった。イメージイラストとシナリオで懐いていた印象より柔和な表情に見える。イメージイラストでは、王という地位に相応しい風采であった。
そうだ、とレクスは心の中で呟く。
(
ミラは、意識すれば互いの声が聞こえると言っていた。まだやり方は聞いていなかったが、レクスは背後に控えるミラに意識を集中させる。
(ミラ、戴冠式の時点でキングは討伐されていたよね?)
《 私のシナリオではそうね 》
頭の中にミラの声が響いた。上手く繋がったようで、レクスはひとつ安堵の息をつく。
《 リベルが王になってから、キングは回想以外では登場しないわ 》
《 シナリオとの差異が生じてる影響だよね 》
《 そうね。私とあなたの存在が差異を生じさせているわ 》
この世界は前回の転生者により破滅し、再生しようとしている。紫音と美緒の転生はそのための鍵。紫音の魂の転移により歯車を回し、神が介入することで再生に向かっている。シナリオとの差異はそれにより生じたもので、シナリオ通りに動く世界であれば、キングが存命しているはずはないのだ。
《 キングが僕にあんなことをするのも、その影響で…… 》
《 大丈夫よ 》
顔が赤くなりそうで俯くレクスに、ミラは力強い声で言う。
《 あなたには指の一本も触れさせないわ 》
《 頼もしいんだかなんだか…… 》
もう触れているけど、という言葉をレクスは呑み込んだ。
「お茶が入りました」
カルラに声をかけられてレクスは顔を上げる。考え込んでいるあいだに食事は終わり、味わうこともなく皿は空になっていた。腹は満たされたのでよしとし、ティーカップを手に取った。
「執務室でお前の側近を紹介する」キングが言う。「遠慮なく頼るといい」
「はい」
「もちろん、私のことも頼りにしてもらって構わないよ」
キングが爽やかに微笑んで片目を瞬かせるので、レクスは困って苦笑いを浮かべた。
(頼もしいんだかなんだか……)
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