第12話ルリの過去

雨の中、ララとルリは人目を避け、遠回りをしながらホテルに向かっていた。二人は何とか5階にある502号室にたどり着くと、ルリはフロントに簡単に説明を済ませ、ララと一緒に部屋に入った。部屋に着くや否や、ララはベッドに倒れ込み、そのまま深い眠りに落ちた。


どれだけ時間が経ったのかはわからないが、朝日が昇ろうとしていたころ、二人とも静かに目を覚ました。ルリは冷たくも気遣いながら声をかける。「よく寝れた?」


しかし、ララは何も返事をしない。ルリはため息をつきながら、どこかに電話をかけ始めた。ララはずっと塞ぎ込んだままで、時折涙を流していた。


しばらくして、部屋のチャイムが鳴り、ルリが応対する。先程頼んでおいたルームサービスが届いた。カフェオレとトースト、サラダという、ありふれた朝食が二人分運ばれてくる。


「食べなさい。」と、ララに声をかけたが、返事はなかった。ルリは少し苛立ちながらも、食事をしつつララに話しかけ続けた。


「あたしと一緒にいるのが嫌なら、出て行ってもいいけど、それだと困るから、ここにいてほしい。一応、あたしの命の恩人だし……何が起きてからじゃ遅いしね。」


その言葉には決して優しさが感じられなかったが、ルリなりに気を使って話を続けた。ふと、過去のことを思い出しながらルリは続ける。


「あたし達、出会い方は悪くなかったはず。散歩だって楽しかったし。でも、あたしのターゲットがあんたの飼い主で、心を壊したのもあたしだ。恨まれるのは仕方ないと思ってるよ。」


ララは顔を伏せたまま、答える気配もなかった。ルリはその姿に少し苛立ちながらも、続けた。


「でもね、あたしもやらなきゃ消される立場なんだ。仕方ないのよ、わかるでしょ?あんたも運命の女神に目をつけられて、面白がられて人間にされて……あの試練だって、ヒントもなく3日間も受けたでしょ?本来、あの女神が合格させるなんてありえないのよ。」


ルリはさらに苛立ちながらも、ララに問いかけた。


「で、あんた急にキャラが変わったけど、何があったの?この短期間で文字も読めるようになったし……何をしたの?何を聞いても答えないのね……」


ララの無言に、ルリはさらに話を進めた。


「ララ……あたしも、くるみに捨てられたの。あたしの場合、船で沖まで連れて行かれて、面白がって海に放り込まれたわ。助けてって必死に叫んでも、くるみは走り去って行った……その時、運命の女神が現れたのよ。」


その瞬間、ルリは過去の出来事を回想し始めた。


にゃ〜にゃ〜。その声に耳を傾けた運命の女神は、ふふっと笑みを浮かべた。「あらあら〜、可愛くて可哀想な猫ちゃん。大丈夫〜?」


女神は海からルリを救い出し、近くの空き家へと移動させた。「ここなら誰も来ないわねぇ〜。」ふわふわとした笑みを浮かべながら、ルリの体を見つめた。


「あらあら〜、この方が話しやすいでしょ?それに、復讐したくならな〜い?」女神の笑顔はまるで楽しんでいるかのようだった。


「もちろん……復讐したいです!」


その言葉を聞いた女神は笑みを深め、「じゃあ、あなたに試練を与えるわ。1週間以内に家族全員(くるみを除く)の心を壊しなさい。それができなければ、直接殺すのも手よ〜。」


その瞬間、女神は両足を広げて、無邪気にしゃがみ込んだ。まるで何も隠す気がないかのように、彼女の服の隙間からは見えてはいけないものまで見えていた。ルリはその光景に一瞬驚きながらも、彼女の無頓着さに気づく。


「この女神、本当に無防備すぎる……」ルリはその姿を見て思わずつぶやいた。


「あらあら、猫ちゃん。お名前は?」女神は満面の笑みで問いかけた。


「あたしは……ルリです。どうしてこんな姿に?」


「この方が喋りやすいからよ〜。そんなことより、飼い主に復讐したくな〜い?お手伝いしてあげるけど〜。」


「もちろん復讐したいです!」


「じゃあ、しっかり頑張ってね♡」と言いながら女神は立ち上がり、もう一度両足を広げて歩き出した。


ルリはその時のことを振り返り、再び現実に戻った。


「その後、女神はあたしに知識や戦い方を教えてくれた。正直、あの期間は本当に楽しかった。いい加減で気まぐれだけど、あたたかく包んでくれた……」


ルリはふとララを見つめ、「でも、それもあの女神の気まぐれだったんだろうね。」と、呟いた。それまで黙っていたララが、重い口を開いた。「でも、そんなのはおかしいです。確かに捨てられていたけど、海じゃなかったし……夕方の公園でしたよ?」と疑問を投げかけると、ルリは少し驚いた様子で答えた。


「あの記憶自体が作られたものなんだよ。おそらく、あたしを捨てた罪悪感から逃れるために、自分自身の心が作り上げた記憶だろうさ。」


ララは首を横に振り、「でも私が砕けた心を治して、いろんなシーンを見ましたけど、海に行ってるシーンすら一つもなかったんです。くるみさんは『海なんて泳げないし、嫌いだ』って言ってたし……ルリさんのその記憶こそ、どこかおかしいんじゃないですか?」


その言葉に、ルリは少し表情を険しくしながら言い返した。「そこまで言うなら、あたしの心を治してみなさいよ!」そう言って、ララに心を開いた。


「わかりました……やってみます。」


ララは集中して、ルリの心をのぞき込んだ。すると、明らかに壊れた部分が見え、その周りを別のシーンが覆うようにして陣取っていた。壊れた部分には、まるで鎖でロックがかけられたかのように、治されないようにされていた。


「これを解除するには、あの鎖を壊さないと……」ララは一度集中をやめ、ルリに向き直った。


「ルリさん、あなたの心には壊された部分があって、その周りを鎖でロックされています。ルリさんの能力で、その鎖を壊せませんか?」


「やってみる……」ルリはそう言い、鏡を見つめながら深く集中した。自分の心を見つめ、その鎖を破壊するイメージを強く抱く。すると、鎖はゆっくりとほどけていき、ロックが解除された。


「やった……」


ララは再び集中し、ルリの心に癒しの波動を送り込んだ。ルリの心が次第に癒されていき、砕けた部分が次々と修復されていく。その時、以前にララが見た光景が、ルリの心にも流れ込んできた。


ルリはその光景を全て見終わると、涙が溢れて止まらなくなった。


「ララ……ありがとう……」


そう言うと、ルリは突然ララに抱きついた。ララは驚いて「うわっ!」と声をあげたが、そのままルリの抱擁を受け止め、お互いに抱き合いながら涙を流した。二人はしばらく泣き続けていたが、ふとルリが「汚れてるから、大浴場に行こうか」と提案し、ララも頷いた。二人はゆっくりとお湯に浸かりながら、ルリは再び口を開いた。


「……あたしは、あの後、くるみの家に侵入したの。心を壊すだけにするか、殺すか迷ったけど……結局、心を壊すだけに留めた。でも、その場を後にする時、何かが胸に引っかかった……。」


ララは静かに聞き入る。ルリは少し言葉を途切れさせながら、続けた。


「家に戻ると、女神は『早かったわねぇ〜、壊すだけでよかったの?』なんて軽い調子で言ってきた。あたしは、『家族は奪えないから』って伝えて、シャワーを浴びようとしたんだけど……」


ルリは、お湯の中で小さく拳を握りしめた。「そしたら、女神が『待ちなさい』って呼び止めてきて、次の試練を告げたの。『まだ終わってないわよ〜。飼い主の親戚がもうすぐ来るから、始末しなさい』って……。」


「えっ、それって……?」と、ララが驚いた声を上げる。


「そう。復讐には関係ないのに、やらなきゃならなかった。あたしが断ろうとすると、女神がため息を吐いて……目が光ったのよ。次の瞬間、胸に激痛が走って……」


ルリはその時の感覚を思い出すように胸を押さえる。「吐血しながら床に倒れ込んで、女神が笑顔で『試練を破棄したら死ぬのよ』って言い放ったの。」


ララは驚きで息を呑んだ。「そんな……」


「そう……逆らえないと悟ったあたしは、次々に命を奪ったの。それでも不満はあったけど、女神は『合格よ〜』って言ってさ……。」


ルリは小さく苦笑いを浮かべた。「『あんた面白いから不老にしてあげる、今後もよろしくね』って……そう言って、去っていったの。」


「……」ララはその話を黙って聞いていた。


「だから、今は裏社会で仕事をこなしてる。もう普通には生きられないし……。でも、それがあたしの今の人生だから、仕方ないのかもしれない。」


「そうだったんですね……大変でしたね……」ララはルリの肩を撫でながら静かに言った。


ルリは軽く笑いながら、「まあね、でも大丈夫よ」と言うと、「さ、気分を変えて……お互い背中を流し合おうか!」と、明るい声で言い出した。


二人は湯船から出て、笑顔で背中を流し合い始めた。まるで姉妹のように楽しげに過ごし、笑い声が風呂場に響いた。


部屋に戻ると、思わぬ光景が二人を待ち受けていた。テレビの前に片膝を立てて座る女神が、無造作にリモコンを握り、テレビを見ていたのだ。何事もなかったかのように、女神は二人を見ずに画面に集中している。


「えっ……!」ララが驚きの声を漏らし、ルリは目を細めて女神を見た。


「……何してるの?」ルリが低い声で問いかける。


「何って?テレビ見てるだけよ〜、あら、あなたたちが帰ってきたのね。どう?お風呂は気持ち良かった?」女神は笑顔で振り返り、無邪気な表情を浮かべた。

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