第6話 田原先輩

 一年の指導を担当する田原先輩は先日の試合で右の足首を負傷した影響で練習には参加していなかったが、二年生ながらチームの正ゴールキーパーを務めていた。この人から少しでも吸収してやる、と僕は意気込んでいた。


「田原先輩、よろしくお願いします!」一年のゴールキーパー四人で挨拶をした。しかし目の前にいる田原先輩の反応はない。どうしたのだろうと思っていると、一年の一人が「お願いします!」ともう一度大きな声で挨拶した。すると、田原先輩はギラリとした目つきで僕らを睨んで言った。


「うるさいねん。聞こえてるわ」田原はそれ以上何も言わず、ただチームの練習を見つめていた。僕ら一年は目を見つめ合わせて呆然とするしかなかった。何か癪に障るようなことをしただろうか。ただ元気に挨拶をしただけだった。


 僕らは何もすることができず、ただただときが流れていった。五分くらいすると、唐突に田原が口を開いた。


「お前ら、なんでそこに突っ立ってんの?」


「えっと、何をしたらいいかわかんなくて」僕が言った。


「アタマ悪いんか。アップくらい言われなくてもせえよ。何しに来とんねん」ため息をつきながら田原はまたチームの練習を眺めた。


 僕らは唖然としながらもそれぞれがアップを始めた。一人が「アップすることくらい言えや」とボソッと言ったことに、残りの三人で大きく頷いた。ボールを使っていいのかも分からなかったが、聞いても怒られそうだったので、結局ストレッチ程度しかできなかった。


 アップが終わり、一年でじゃんけんをした結果、僕が田原に報告しに行くことになった。


「田原先輩。アップ終わりました!」


 返事はない。田原は他の先輩と最近のアイドルの中で誰とヤリたいか話し合っていた。


「すみません、田原先輩。アップ終わりました」


「うるさいな。今喋ってるやろ。わからん?」


「……練習何すればいいですか」


「二人一組でダイビングでもしとけ」


「何本やりますか?」


「そんなんこっちで決めるわ。さっさとやれ」そう言うと作戦会議を始めるかのように真剣にアイドルの話に戻っていった。


 このことを残りの一年キーパーに伝えると、「マジなんやねんあいつ」「もう嫌いになったわ」などと愚痴り合いながら仕方なくダイブの練習を始めた。


 一人がふわっと投げたボールをダイビングしてキャッチする。右向きにダイビングしたら、次は左向きといった具合で交互に合計十回繰り返す。それが終われば、ボールを投げる役とダイビングする役を交代して同じことをするといった練習だった。


 こんなのはゴールキーパーをやっていれば、誰もがやったことのある練習だ。問題なのは時間だった。これをいつまで続けるのか。普通は一人一セットくらいのものだ。でも田原が終わりを告げる様子はない。僕らのことを見てすらなかった。


 でもたまに僕らが休憩していると「サボんな!」と声だけはかけてきた。結局、その日は三時間ダイビングだけをして終わった。

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