第57話 友人と母親と

 翼と莉緒が乃愛の誕生日プレゼントを買い、その後はショッピングモールの近くのアミューズメント施設に向かった。

 そこでもたっぷり楽しみ、今は杠家で乃愛の美味しい飯に舌鼓を打っている。

 男を家に上げて大丈夫なのか不安だったが「お友達ですから」との事だ。

 俺達を尾行していた乃愛のクラスメイト達は、いつの間にか消えていた。


「このカレー、店で出せるレベルじゃないか。マジで美味い」

「最高ー! おかわりー!」

「ふふ。沢山作ったので、一杯食べて下さいね」


 カレーを絶賛する翼達。それが嬉しいようで、乃愛は柔らかい微笑を浮かべている。

 翼や莉緒、そして俺がおかわりをした事であっという間にカレーが無くなった。


「いやー。やっぱり乃愛の料理は美味しいねぇ」

「毎日これを食べれる瀬凪が羨ましいな」

「いいだろ。彼氏特権だぞ」


 この場には四人しか居ないので、堂々と乃愛の彼氏と口に出来る。

 思いきり自慢すれば、二人が嬉しそうに目を細めた。


「確かに。その特権、手放さないで下さいね?」

「勿論。前の反省を活かして頑張るさ」

「そうしてくれ。杠、瀬凪を頼む」

「頼まれました」


 大学生の事を中学生に頼むのは、普通であれば変だ。

 しかし普段から乃愛に料理を作って貰っているし、乃愛が傍に居てくれたからこそ今の俺が在るのだ。

 俺に口を挟む資格はない。


「さてと、それじゃあ乃愛に誕生日プレゼントだよ。ま、一緒に選んだからサプライズじゃないけどね」

「プレゼントを貰えるだけで嬉しいですよ」

「そう言ってくれると助かるよ。それじゃあ、はい!」


 莉緒が小さな紙袋を乃愛に手渡した。

 断りを入れて乃愛が袋を開けると、ハンドクリームが出て来る。


「買う時にも言ったけど、乃愛は家事してるからね。しっかりケアして欲しいな」

「ありがとうございます。大切に使わせて貰いますね」

「お次は俺だな。杠とは友達だけど瀬凪の彼女だから、俺が出来るプレゼントはこれくらいだ。すまん」


 翼が申し訳なさそうな顔で乃愛に渡したのはクッキーだ。

 一番優先する異性は恋人の莉緒で、乃愛は俺の彼女だから普段使いするような物は送れない。

 となれば、お菓子くらいしかなかった。

 それでも乃愛は花が咲くような笑顔を浮かべ、ハンドクリームとクッキーを胸に抱く。


「気にしないで下さい。凄く嬉しいので」

「ならいいんだ。誕生日おめでとう、杠」

「おめでとう、乃愛!」

「ありがとうございます。莉緒さん、成瀬さん」


 これまで乃愛は友人が居なかったのだ、当然ながら誕生日を家族以外に祝われた事など無い。

 しかし、今は恋人の俺だけでなく二人の友人が祝ってくれる。

 だからだろう。蒼と黄金の瞳が揺れ、薄く濡れる。


「こんなに幸せな誕生日は初めてです。本当に、本当に、ありがとうございます」


 深く頭を下げた乃愛に、二つの優しい笑みが向けられた。

 けれど二人は笑むだけに留め、乃愛が顔を上げたタイミングで席を立つ。


「さてと、それじゃあ俺達はお暇しますかね」

「後は恋人の時間を楽しんでね!」

「あ、えと、ありがとう、ございます。お見送りしますね」


 頬を薔薇色に染めた乃愛が、玄関に向かう二人の後を追う。俺も乃愛の後に付いて行き、二人で翼と莉緒を見送った。

 一瞬だけ二人にニヤリと笑われたので、この後に何をするのかバレているらしい。

 世間的に見れば犯罪なのに、それを揶揄からかい気味ではあるが応援され、苦笑を浮かべる事しか出来なかった。


「行っちゃいましたね」

「ああ。今更だけど、ダブルデートは楽しめたか?」

「はい! 凄く、すっごく楽しかったです!」


 リビングに戻りつつ乃愛が振り返り、太陽のような明るい笑みを浮かべた。

 その笑顔を見られたのだ。今回も二人で出掛けなくて良かった。

 安堵に胸を撫で下ろしつつ、一緒にソファへ座る。

 すると乃愛のスマホから音が鳴った。


「あ、もしもし、お母さん?」

『お母さんよー! 誕生日おめでとう、乃愛!』

「ふふ、ありがと」


 どちらも知っているが、親子の会話に混じるのは無粋だ。

 今だけは部屋の模様になっておく。


『今日は瀬凪くんと何かしたの?』

「うん、デートしたよ。瀬凪さんとだけじゃなくて、瀬凪さんの友達――ううん、私の友達二人と一緒に、ダブルデートした」

『ホント!? 良かったわねぇ……』


 しみじみと呟くような声が、微かに聞こえてきた。

 もしかすると、娘の変化を喜んで涙ぐんでいるのかもしれない。


『それで、今も四人で遊んでるの?』

「友達は帰ったよ。後は瀬凪さんとの時間だって」

『あらー。それじゃあ私はお邪魔だったかしらね』

「そんな事ないよ。電話してくれてありがとう、お母さん。私、変われたよ」

『……そうね。乃愛は変わったわ。ありがとう、乃愛は最高の娘よ』

「お母さんこそ、最高の親だよ」


 自分では力になれなかったと、俺に傍に居るようにお願いした母親。

 両親から受け取った瞳を、最近まで誇れなかった娘。

 短いやりとりだが、お互いに様々な想いを込めているはずだ。


『それはそうと、もしかして今日ちゃうの?』

「へっ!? それは、その……」

『あー! そうなのねー! しっかり約束は守りなさいよー!』

「わ、分かってるよぅ」


 先程のしんみりした空気は何だったのかと思うくらい、流れが変わった。

 恋人とその母親のこんな会話を聞かされて、俺はどんな反応をすればいいのだろうか。


『瀬凪くん、近くに居るんでしょー! 乃愛をよろしくねー!』

「は、はい、分かり――」

「何言ってるのお母さん! もう切るからね! 体調に気を付けてね!」

『え、あ、ちょ――』


 これ以上彩乃さんに話させてはいけないと思ったのだろう。乃愛が強引に電話を切った。

 それでも、最後の最後に彩乃さんを心配していたのが乃愛らしい。


「全く、お母さんったら。……えと、それで、します、か?」


 俺を見る蒼と黄金の瞳には、勘違いでなければ期待が揺らめいている。

 これからの事を強制的に意識させられ、どくりと心臓が高鳴った。


「そう、だな。夜遅いと、眠くなるしな」

「じゃあ、お風呂の用意をしてきますね」

「ありがとう。……今日は、一緒に入るか?」


 俺の誕生日から今日まで。バイトが無い日の半分は乃愛と一緒に風呂に入っていた。

 毎日じゃないのは、同時に風呂に入るとお互いに髪を乾かし辛いからだ。

 なので今日はどうするか尋ねれば、乃愛が顔を真っ赤にしてうつむく。


「今日は、別々で。体を隅々まで綺麗にしたいので」

「……確かに、そうだよな」

「い、いつも適当に洗ってる訳じゃないですよ!? 今日は念入りにしたいなって思ったんです!」

「分かってる。分かってるから」


 お互いに相手の体を知らない訳じゃないし、それなりに触っている。それでも、今日は特別なのだ。

 一番綺麗な体にしたいという気持ちは良く分かる。その努力の瞬間を見られたくないという気持ちも。

 なので、顔を思い切り横に振る乃愛をなだめて落ち着かせた。


「うぅ……。取り敢えず、お湯を張ってきますね……」


 墓穴を掘ったと理解した乃愛が、顔を真っ赤にしたまま風呂場に向かうのだった。

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