第52話 夜の散歩

「あ~~~」


 ソファに寝そべって体の力を抜く。だらしなさ過ぎる姿だが、今だけは許して欲しい。

 唯一俺を注意しそうな恋人はというと、寝そべっている俺の上に乗り、こちらもぐったりしている。

 乃愛が小柄だから出来ている事であり、乗られた程度では全く息苦しくない。凄まじく暑苦しくはあるのだが。


「う~、あ~」


 乃愛も俺のように、間延びした声を漏らした。

 白磁の頬は真っ赤に染まっているが、羞恥ではない。

 それに、俺の頬も今は同じ理由で真っ赤だろう。


「やり過ぎたなぁ……」

「ですねぇ。真夏のお風呂の中は危ないのが分かりました……」

「盛り上がる場所は考えないとな……。ところで乃愛。今だけ離れたり、しないか……?」

「私も考えたんですけどねぇ……。お風呂でのぼせても、離れるのは嫌です……」

「離れるのが嫌なら仕方ないなぁ……」

「仕方ないんですよぉ……」


 俺の声にも乃愛の声にも普段の覇気がない。

 会話の中身も、お互いに頭で考えているか怪しい程にストレートだ。


「でも。すっごく気持ち良かったですぅ……。瀬凪さんはどうでしたか……?」

「俺も気持ち良かったぞ……。ありがとな、乃愛……」

「いえいぇ……。私が瀬凪さんに慣れる為ですのでぇ……。またしましょうねぇ……」

「おぅ……。でも、風呂場は止めような……」

「はいぃ……」


 普段ならばもっと恥ずかしがる話なのに、頭がぼうっとしていて羞恥が沸き上がらない。

 のぼせたのはあるが、やりたい事をしただけでなくお礼もたっぷりしてもらい、大満足だからというのもあるだろう。

 年齢と外見不相応の大きさの物が俺の胸に当たって形が歪んでいるが、体は反応せず素晴らしい光景だとしか思わない。


「「…………」」


 風呂上がりの熱を、くっつきながら逃がしていく。

 まともに頭を働かせられるようになったのは、それから三十分も後だった。


「うし、多少復活だ。冷たい物が食べたいんだが、冷蔵庫に何かあったっけ?」

「多分何も無かったと思いますよ。ちょっと待って下さいね」


 乃愛が俺の上から退き、冷蔵庫を確かめに行く。

 ソファから起き上がって待っていると、後ろから首に腕を回された。


「なーんにも無かったです。アイス買っておけば良かったですね」


 耳元で囁かれるとくすぐったい。けれど乃愛がじゃれてくれるのは嬉しいので、注意はしない。


「もうちょっと体を冷やしたいし、買ってこようかな。乃愛は何か欲しい物あるか?」

「私もアイスが欲しいので、一緒に行きます。というか、一人で行こうとしないで下さいよ」


 細い指が不満を示す為に俺の頬を突いた。

 乃愛にはまだ休んでいて欲しかったので誘わなかったのだが、失敗だったらしい。

 苦笑を零し、僅かに後ろを向いて乃愛の頭を撫でる。


「ごめんごめん、それじゃあ行くか。でも、ちゃんと服は着替えるように」

「分かってますよー。この格好を見せるのは瀬凪さん限定ですから」


 乃愛が俺と頬を擦り合わせ、ようやく離れた。

 一度自分の家に帰り、外出用の服に着替えて乃愛と一緒に家を出る。


「あ、そうだ。折角だし、ほら」


 いつも通り腕に抱き着こうとした乃愛へと手を伸ばした。

 普段と違う態度に、彼女がこてんと可愛らしく首を傾げる。


「えっと……?」

「外は夜だし、行くのはコンビニ。どうせ人には見られないんだ。だから恋人繋ぎをしたいんだが駄目か?」


 腕に乃愛が抱き着いてきた事は多かったが、手を繋いだのは一度だけだ。

 その一度も、恋人じゃない時だったので指を絡めてはいない。

 また、指を絡めたのも昨日の家の中が初めてで、しかもじゃれあいの延長だった。

 それだけでなく、恋人となってからも、俺達は恋人繋ぎどころか手すら繋いでいない。

 仲の良い兄妹か親戚として、あるいは必死に年上へアピールする子供として周囲に勘違いさせる為に。

 けれど、これからの一時だけはその心配をする必要がない。

 決して普段出来ない提案をすれば、蒼と黄金の瞳が歓喜の色に染まった。


「駄目じゃないです! よろしくお願いしますね!」


 小さ過ぎる手が俺の手に重なった。すぐに指が絡み合い離れなくなる。

 そのままマンションを出てコンビニに向かった。


「ふふ。こうして手を繋げるなら、今度から夜の散歩をしてもいいかもしれませんね」

「だな。一応、人が近くに来たら離すぞ」

「了解です。バレて瀬凪さんと一緒に居られない方が嫌ですし、危険な事をしてるからにはリスクを減らすべきですからね」


 大人のような台詞を口にする乃愛だが、表情はゆるゆるだ。

 繋いだ手を何度も軽く握り、感触を確かめている。


「ホント、大きい手ですよね。瀬凪さんに守られてるみたいです」

「そう出来たらいいなとは思ってるし、出来るように頑張るつもりだ。乃愛こそ、こんな小さい手で頑張り過ぎだって」


 この小さな手を持つ恋人を大切にしたいと心から思うが、同時に俺が大切にされている事も分かっている。

 料理に家事と、この手だけでなく華奢な体でも彼女は頑張ってくれているのだから。


「家事とか、辛かったら言うんだぞ? 無理はしないでくれよ?」

「いつも心配してくれてありがとうございます。でも、そんなにヤワじゃないですから大丈夫ですよ」

「それはそうかもしれないけどさ」

「まあ、今後に期待して下さいな。手だけじゃなくて体もまだまだ成長しますからね」

「……成長期って、中学三年生くらいまでだった気がするんだが」


 まだ夏だが乃愛は中学二年生なのだ。

 この時点で小学生高学年並みの体型となると、後一年でどれだけ成長出来るか謎だ。

 自信満々に胸を張る乃愛に突っ込みを入れると、割と本気の頭突きが返ってくる。


「ふんぬ!」

「いっ!?」

「私はまだ望みを捨ててません! 中学校を卒業する頃には、きっと凄く成長してるはずです!」

「た、楽しみにさせて貰おうかな。でも、今のままでも乃愛は十分魅力的だぞ」

「それは知ってます。瀬凪さん、すっごく興奮してくれましたもんね」


 怒ったかと思えば、色気たっぷりの笑みを浮かべる乃愛。

 風呂場での一件を指摘されれば、何も言えなくなる。


「そういう事だよ」

「あ、因みに胸の方は揉まれると大きくなるらしいですよ? さっきも沢山してくれましたけど、もっとしてみますか?」

「それ、ホントかどうか怪しいよな。……まあ、やってみるか」

「ふふ。ありがとうございます」


 周囲には気を付けているものの、常識的には絶対有り得ない会話をしているとコンビニに着いた。

 流石に手を離し、多少仲の良い兄妹のフリをしてアイスを購入する。

 お互いに我慢出来ず、家に帰る途中でアイスの袋を開けた。


「ん~。夏にアイスは堪らないですねぇ」

「さっきまでのぼせてたし、更に美味しく感じるな」


 乃愛はチョコミントの棒付きアイスを食べてご満悦だ。

 真夏になってから、彼女が家の中で食べているのを偶に見ている。

 世の中には過激派が居るらしいし、俺は好きでも嫌いでもないので余計なコメントは控えさせて貰っていた。


「瀬凪さんのモナカ、美味しそうですね。ちょっと分けて下さいな」

「いいぞ。ほら、あーん」

「……え?」


 昨日、彩乃さんの前で乃愛がおかずを食べさせてくれたのだ。

 そのお礼のタイミングが来たのだから、手渡しする訳がない。

 アイスを持ったまま乃愛の口元に持っていけば、彼女が呆けた声を漏らして固まった。


「うん? 食べないのか?」

「た、食べます! でも、その、結構恥ずかしいですね、これ」

「俺は彩乃さんの前でやったけど、今は二人きりなんだ。こっちの方がハードル低いだろ」

「そ、そうですね。……分かりました、行きます!」


 覚悟を決めた乃愛が、アイスに思い切り齧り付いた。

 可愛らしい顔が、すぐにご満悦の表情になる。


「これもおいひぃですねぇ。それに、食べさせて貰うのも幸せです」

「だろ。恥ずかしいのは恥ずかしいけど、いいもんだ」

「はい。という訳で、どうぞ!」


 どうやら俺も乃愛のアイスを食べなければいけないようだ

 嫌という訳ではないし、食べさせて貰うのは二度目なので抵抗などない。それでも、羞恥に一瞬だけ固まってしまった。

 すると蒼と黄金の瞳の輝きが失われ、かくんと不気味に首を傾げられる。


「…………まさか、チョコミント様を歯磨き粉と言って食べないつもりですか? 瀬凪さんは、そんな人じゃないですよね?」

「そ、そんな訳ないだろ! ちょっと恥ずかしかっただけだ!」


 どうやら乃愛は過激派だったらしい。これまで余計な事を言わなくて正解だった。

 背中を襲う悪寒を払うべく、差し出されたアイスを口に含む。

 ミントの清涼感とチョコの甘さが混ざり、これはこれで悪くない。


「うん、美味いな」

「でしょう!? 世間はもっとチョコミント様の素晴らしさを知るべきなんです!」

「……ああうん、そうだな」


 恋人の新たな一面を知れて嬉しいはずなのに、苦笑を浮かべる事しか出来なかった。

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