第50話 幸せな寝起き
「ん……」
すぐ傍で柔らかい何かが動いた。
それと離れたくなくて抱き締めれば、蜂蜜を溶かしたような甘い匂いが濃くなる。
胸一杯に良い匂いを吸い込むと「瀬凪さん」と鈴を転がすような声が耳に届いた。
ようやくいつもと違うと脳が理解し、重い瞼を開ける。
「おはようございます、瀬凪さん」
視界を埋め尽くすのは、可愛らしい乃愛の笑顔だった。
至近距離の蒼と黄金の瞳は、吸い込まれてしまいそうな程に美しい。
朝からこんなに素晴らしい光景を見られるのだから、一緒に寝て本当に良かった。
「おはよう、乃愛。今何時だ?」
「九時ですよ。全然焦らなくて大丈夫です」
「そっか、良かった。彩乃さんの見送りが出来なかったら嫌だからな」
「ふふ、お母さんを気にしてくれてありがとうございます」
「そんなの当たり前だって」
彩乃さんは俺にとって恩人のようなものだ。
昨日一緒に酒を飲んで盛り上がったのもあるし、邪険にするのは有り得ない。
とはいえ、時間よりも早く杠家に行ってお休みの邪魔もしたくない。
もう少しだけ乃愛と一緒に居てもいいだろう。
「ん……。ふふ、くすぐったいです」
「乃愛のほっぺたは柔らかくて、触りたくなるんだよ」
滑らかな頬に触れれば、蒼と黄金の瞳がとろりと蕩けた。
「好きなだけ触っていいですよ。私も堪能しましたから」
「堪能した?」
「あ」
不思議に思ってぼそりと呟くと、乃愛がさっと視線を逸らした。
漏れてしまったような声を聞いたのもあり、頭の中で疑問が膨らんでいく。
「なあ。乃愛って何時くらいに起きたんだ?」
「せ、瀬凪さんが起きる、少し前ですよ?」
「ふぅん……?」
「あ、ちょっと、瀬凪さん」
艶やかな黒髪をかき分け、小さな耳に触れる。
感触を確かめるように擦ったり軽く引っかいたりすると、華奢な体がびくりと跳ねた。
「それ、だめです。ひ、ぅ……」
「……正直に言わないと、ずっとこうするぞ?」
艶めかしい声と身を
もっと別の方法で尋問すれば良かった。
なるべく早く白状して欲しいと願いながら耳を弄り続ける。
「わ、わかり、ました。言います。ぁ……。だから、それ、やめて、くださ……」
「じゃあちゃんと言う事。乃愛は何時に起きた?」
「一時間くらい前ですぅ……」
乃愛の耳から手を離すと、彼女が荒い息を整え始めた。
すぐ傍でこんな姿を見せられると心臓に悪過ぎる。
必死に平静を取り繕いながら、じっとりとした目を乃愛に向けた。
「一時間前に起きて何してたんだ?」
「……瀬凪さんの寝顔を見たり、頬を突いたりしてました」
「そっか、成程な」
「えと、怒ってないんですか?」
納得しただけの俺を不思議に思ったのか、乃愛がきょとんとした顔になった。
再び彼女の頬を撫でつつ小さく笑う。
「悪戯された訳じゃないし、怒る必要がないだろ。単に、何をしてたのか気になっただけだよ」
「そ、それだけ……?」
「ああ。それに、逆の立場だったら俺も乃愛の寝顔を見るしな」
何度か寝顔は見た事があるものの、一緒に寝たのは初めてだし、折角なら寝顔を堪能したい。なので、俺に怒る権利は無いのだ。
状況によっては寝顔を見せてもらうと告げれば、乃愛がむっと唇を尖らせる。
「じゃあ、何で私は耳に悪戯されたんですか!?」
「乃愛が正直に言わないからだろ。俺が怒ってるように見えたか?」
「それは、見えませんでしたけど。うぅ……」
理解は出来ても納得は出来ないのか、乃愛が俺の胸に頭突きした。
恋人の可愛らしい拗ね方にくすりと笑い、頭を撫でて慰める。
そうして暫くの間、乃愛とくっつき続けたのだった。
昼前に杠家に帰り、彩乃さんと一緒に昼食を摂った。
その後、出発の準備を終えた彩乃さんを乃愛と一緒に見送る。
「行ってきます、二人共!」
「行ってらっしゃい、お母さん」
「気を付けて下さいね」
昨日かなり飲んだはずだが、彩乃さんは元気一杯に出て行った。
本当に忙しいようなので、昨日と今日の午前中が彩乃さんにとって癒しになったのなら何よりだ。
「……行っちゃいましたね」
何だかんだで寂しいのだろう、整った顔には
俺は彩乃さんの代わりにはなれないし、なってはいけない。
何も突っ込む事なく、細い肩を軽く叩いた。
「だな。戻ろうか」
「はい」
乃愛と一緒に杠家に戻る。
今日はのんびりすると決めているので、この後の予定は無しだ。
取り敢えずソファに座ろうとすると、乃愛から待ったが掛かる。
「今日は私の部屋でのんびりしませんか? 漫画とか、リビングに持って来るのが面倒ですし」
「確かになぁ。それじゃあお邪魔させてもらうよ」
乃愛の提案通り彼女の自室に向かった。
どこに座ろうかと視線を巡らせれば、乃愛がベッドを叩く。
もしかすると、これから乃愛の自室ではベッドの上が定位置になるかもしれない。
遠慮なくベッドに上がって胡坐をかくと、乃愛がするりと身を寄せて胡坐の中に座り込んだ。
「何か読みたい漫画はありますか?」
「そうだな。男性向けのやつも置いてるみたいだし、それがいいな」
「りょーかいです!」
乃愛が胡坐から抜け出して本を取り、すぐに元の位置へ戻ってくる。
漫画を俺に手渡すが、彼女は何も持っていない。
「乃愛はどうするんだ? この体勢だと多分一人しか本を読めないけど」
「瀬凪さんと一緒に読みます。気分が変わったら寝たり別の本を読むので、気にしないで下さい」
「分かったよ」
細い腰に腕を回し、乃愛の体の前で漫画を広げる。
甘い匂いと柔らかな感触を感じながら漫画を読むなど、最高の一時だ。
問題は、昨日と同じで乃愛を見下ろす体勢だ。
キャミソールが意味を成さず、色々な所が見えてしまっている。
乃愛もそれを理解しているようで、僅かに見える耳がほんのりと赤く染まっていた。
「服、変えるか?」
「変えませんよ。瀬凪さんには特別だって言ったでしょう? 遠慮なく見てもいいですからね」
「……ありがとな」
男の欲望を理解し過ぎている乃愛に感謝をしつつ、理性を必死に働かせるのだった。
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