第49話 女の嫉妬は恐ろしい

 乃愛の唇の感触が良すぎて、何度も味わってしまった。

 そのせいで、腕の中の恋人が熱っぽい表情で俺を見上げている。


「はふ……。きすって、こんなに気持ち良いんですね」

「だな。気持ち良すぎて、辞められなくなりそうだ」

「その時はその時です。ずっと、ずっとしてもいいんじゃないですかね」


 どうやら彼女もキスにはまったらしい。

 蕩けたような笑顔を浮かべ、乃愛が僅かに唇を突き出す。

 その仕草が何を意味しているかなど、考えなくても分かった。

 滑らかな頬に手を当て、唇と唇を重ね合わせる。

 何度もして乃愛も慣れたのか、無理なく息が出来るようになっていた。


「「ん……」」


 世間的には絶対に間違っている、中学生とのキス。

 乃愛を年下扱いしないように決めているが、それでも意識してしまった。

 どくどくと心臓は激しい鼓動を刻み、思考は茹って乃愛にしか集中出来なくなる。

 僅かに唇を離してもう一度触れ合わせようとしたが、至近距離の蒼と黄金の瞳がはっと見開かれた。


「乃愛?」

「……」


 不思議に思って名前を呼ぶが、乃愛は無反応だ。

 それどころか、美しい色違いの瞳がどんどん不機嫌の色を宿していく。


「どうした? もしかして、俺が嫌な事をしたのか?」

「いえ、嫌な事なんてされてませんよ。瀬凪さんは私をすっごく気持ち良くしてくれました」

「え。だったらどうしてそんな顔してるんだ?」

「気持ち良くしてくれたのが問題なんです!」

「は、え、えぇ……?」


 今時古臭い考えかもしれないが、彼氏として彼女を気持ち良くしたかった。

 口には出さないが、六歳年上の存在としても。

 だからこそ、乃愛の発言に頭の中が疑問符で満たされる。


「キスってお互いに気持ち良くないと嫌じゃないか?」

「それはそうです! でも、ですよ。瀬凪さん、デートと同じでキスするのにも慣れてません?」

「…………」


 聞かれたくなかった事を突っ込まれ、口から吐息しか出て来なくなった。

 つうっと視線を逸らすが、乃愛が俺に思い切り顔を近付け、両頬を掴まれて強制的に視線を合わせられる。

 さっきまであんなに美しかった蒼と黄金の瞳は、暗闇よりも黒い何かで満たされていた。


「せ、な、さ、ん?」

「その、ですね。俺って乃愛の前に付き合ってた人が居たじゃないですか」


 乃愛も知っている事実を改めて口にすると、彼女が唇に弧を描かせた。

 いつもなら可愛らしい笑顔なのに、どうしてこんなに背中が寒くなるのだろうか。


「そうですね。知ってますよ」

「それなりの期間付き合ったし、あんまり家には来なかったけど、デートには行ってた訳でして」

「前に聞きましたね。それで?」

「デートの終わり際とかで良い雰囲気になる訳ですよ」

「私達だって良い雰囲気になりましたから、それは理解出来ます」

「……だから、そのぉ。既にキスは経験済みだったんです」

「やっぱりそうだったんですねー!!!」


 凄まじく口にし辛い事実を告げると、乃愛が俺の胸板を叩き始めた。

 とはいえ全く痛くないので、怒ってもどうしようもないと理解しているらしい。

 俺に出来るのは乃愛をなだめる事だけだと、黒髪を優しく撫でる。


「そりゃあ分かってますよ。その時の瀬凪さんはあの人が一番だったんですから」

「……おう」

「でも、それでも、初めては私として欲しかったです。私以外として欲しくなかったです」

「……ありがとな、乃愛。そう思ってくれて嬉しいよ」


 キス等に手慣れた人が良い。逆に、全く経験が無い人が良い。

 恋人に対する想いはそれぞれだ。どちらが正しいかなど、恋人達次第だろう。

 そして乃愛はというと、デートと同じで最初から最後まで俺の唯一でありたかった。

 可愛らしい我儘に、頬の緩みを抑えきれない。


「もう最初はあげられないけど、これからは乃愛だけだ」

「ぎりぎり、許してあげます」

「俺の恋人は寛容だなぁ」


 華奢な体を抱き締めれば、乃愛がぐりぐりと頭を押し付けてくる。

 それを受け入れていると、彼女が再び光の無い色違いの瞳で俺を見上げた。


「念の為に聞きますけど、もしかしてあっち・・・も経験済みですか?」

「…………水樹瀬凪、二十歳、童貞です」


 何が悲しくて恋人に童貞という事実を暴露しなければならないのか。

 しかし、言わなかった場合に乃愛がどういう行動を取るか分からない。

 胸の痛みに耐えきれず両手で顔を覆うと、小さな手が俺の頭を撫でた。


「落ち込まないで下さい。私はすっごく嬉しいですから」

「俺は情けなくて泣きそうなんだが」

「ふふ、すみません。瀬凪さんを虐めたお詫びに私の処女を貰っていいですから、許して下さい」

「……許すよ。ありがとな」


 乃愛のこれまでの人間関係から察してはいたが、口にされると嬉しい。

 俺が彼女の初めてであり、努力し続ける限り唯一になるのだから。

 頭を撫でてくれたお礼に俺も同じ事をすれば、乃愛が嬉しそうにはにかんだ。


「ふわぁ……。安心したら眠くなってきました」

「とっくに深夜は過ぎてるからなぁ。そろそろ寝るか」

「はぁい」


 日付が変わってから彩乃さんと飲み、その後は俺の家で乃愛とキスに溺れ。

 そのせいで、普段ならとっくに寝ている時間だ。ほぼ間違いなく乃愛も。

 ぽんと彼女の肩を叩いて乃愛を離れさせ、寝る準備を終えて自室に入る。


「おぉ、ここが瀬凪さんの部屋! それじゃあ、お邪魔しまーす!」

「そう言えば俺のベッドにダイブするとか言ってたっけ」


 俺の部屋に入れてテンションが上がり、一時的に眠気が吹き飛んだらしい。

 遠慮の欠片もなくベッドにダイブした乃愛に苦笑を零した。


「……瀬凪さんの濃い匂いがします、ここ」


 乃愛がベッドに鼻を押し付け、匂いを嗅ぐ。

 整った顔は蕩けて色気を醸し出し、ベッドに広がる美しい黒髪と合わせて俺を誘っているようだ。

 暴走するのは駄目だと、欲望を理性で縛り付ける。


「俺がいつも寝てるからなぁ。嫌じゃない、よな?」

「勿論です。瀬凪さんさえ良ければ、偶にこっちで寝たいくらいですよ」


 彩乃さんからは杠家に泊まる許可が出ている。

 さっき乃愛を俺の家に泊めると言った時に喜んだくらいなので、逆に俺の家に彼女を泊めてもいいのだろう。


「それくらいなら喜んでだ。んじゃあ俺も入らせてもらうぞ」

「はい。どうぞ」


 自分のベッドなのにどうぞと言われるのがおかしくて、小さく笑いながらベッドに入った。

 すぐに乃愛が腕に飛び込んできたので、彼女の頭の下に腕を敷く。

 梳くように黒髪を撫でれば、蒼と黄金の瞳が嬉しそうに細まった。


「今日からこうして一緒に寝られるんですね。最高です」

「俺もだ。因みに、これも乃愛が初めてだぞ」

「ふふ。他の人にしちゃ駄目ですよ」


 興奮が収まって再び眠気が襲ってきたのだろう。だんだんと瞼が閉じてきた。

 もしかすると、実はかなり疲れていたのかもしれない。

 正直な所、相当な夜更かしをしたせいで俺も眠い。


「もっと、もっと、瀬凪さんと、お喋りしたい、のに」

「明日から一杯出来るぞ。だから今日は寝とけ」

「約束、ですからね。おやすみ、なさい」

「おやすみ、乃愛」


 蒼と黄金の瞳が長い睫毛によって覆われ、小さな吐息が聞こえ始める。

 黒髪を一撫でし、乃愛に僅かに身を寄せた。

 驚く程細いのに柔らかな体の感触と、蜂蜜を溶かしたような甘い匂い。

 普段ならば俺の欲望を搔き立てるそれが、今は最高の安眠効果をもたらす。


「……抱き枕にしては高級品過ぎるなぁ」


 乃愛の言う通り、これから毎日この気持ちを味わえる。

 それは最高だと改めて思いながら、目を閉じるのだった。

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