第48話 瀬凪の誕生日プレゼント

 乃愛を抱き締め、首筋に顔を埋める。

 華奢ではあるが女性らしい柔らかい体と、ほんのりと汗が混じった、蜂蜜を溶かしたような濃い匂いが堪らない。


「え、あ、えぇ!?」

「もしかして、駄目だったか?」

「ひうっ!? こ、こえが近いですぅ……」


 艶やかな黒髪に隠れた耳元でささやけば、乃愛の体がびくりと震えた。

 もっと囁いてみたくなるが、ぐっと欲望を抑えてお互いの顔が見えるだけの距離を取る。

 至近距離で見る蒼と黄金の瞳は、吸い込まれてしまいそうな程に美しい。


「彩乃さんが酔っ払うといつも絡まれてるもんな。こういうのは嫌だよな」

「い、嫌ではないですし、むしろ嬉しいです。まさか乗って来るとは思わなくて、びっくりしただけで」

「じゃあもっとしていいか?」

「……はい。どうぞ」


 深呼吸をして落ち着きを摂り戻した乃愛が、再び両手を広げた。

 もう一度小さな体を抱き締め、その感触と匂いを堪能する。


「乃愛はホント良い匂いがするよなぁ」

「ふふ。瀬凪さん、結構私の匂いが好きですよね。ここまではっきり言われたのは初めてですけど」

「酒に酔って口が滑った。そういう事にしておいてくれ」

「分かりました。でも、普段からこうして抱き締めてくれてもいいんですよ?」

「じゃあ、したくなったら遠慮なくさせてもらおうかな」

「はぁい」


 乃愛の楽しそうな笑い声が俺の耳を擽った。

 涼やかな声は聞き慣れているが、囁くような音量だと背筋がぞくぞくする。


「もし興奮しちゃったら、てもいいですからね?」

「酔っ払いにそういう誘惑の仕方は良くないと思うぞ?」

「別にいいじゃないですか。お風呂の時と違って、お母さんに見られる心配もありませんし」

「そうだけどさぁ。……今日はしないからな」

「えー、何でですか?」


 不満たっぷりな声を漏らし、乃愛が俺の胸を軽く叩く。

 痛くはないが、行動に出るあたり結構残念だったようだ。

 なだめるように乃愛の頭を撫でるが、彼女は俺を叩き続ける。


「酔った勢いでないと手が出せないとか、情けなさ過ぎるだろ。手を出すなら素面の時が良いんだ。それに、隣の家とはいえ彩乃さんとの約束もあるしな」

「むぅ。そういう事なら分かりました。今日はくっつくだけにしておきます」

「ありがとな、乃愛」


 感謝を伝えるように、乃愛の首筋から顔を離して彼女の頬に触れた。

 頭を撫でたり膝枕はしているが、頬に触れた事は無かったはずだ。

 滑らかでありつつも瑞々しい頬は、触るのが癖になる感触だ。


「ん……。ふふ、きもちーです」


 蒼と黄金の瞳を蕩けさせ、乃愛は撫でられるがままになる。

 しかしそれでは満足しなかったのか、俺の手に頬擦りしだした。


「手を繋いだ時も思いましたけど、瀬凪さんの手は大きいですよね。私の手とは全然違います」

「そりゃあ中学生と大学生だし、そもそも乃愛は小柄だからな」

「確かにそうですね。……ホントに、おっきい」


 撫でている手とは反対の手で乃愛の手を掴み、指を絡ませる。

 年齢や体格のせいで、包み込めてしまうのではと思えるくらいに違いがあった。

 僅かに力を込めると、乃愛が楽しそうに、嬉しそうにはにかむ。


「ん……。瀬凪さん、くすぐったいですよぉ。仕返しです」

「お、おお、確かにこれはくすぐったいな」


 乃愛と痛くない程度に手に力を込め合う。

 ある程度遊んで満足したのか、彼女が再び俺の胸に顔を埋めた。

 それだけでなく、僅かに腰を浮かせて俺の両太股の間に収まる。

 体格差があるせいで、乃愛がすっぽりとはまっている形だ。


「こういうのもいいですねぇ。確か、莉緒さんと成瀬さんがやってましたっけ」

「そうだな。まさか俺が乃愛にするとは思わなかったけど、いいもんだ」


 細過ぎる腰に手を当てて、乃愛を引き寄せる。

 乃愛はというと、抵抗するどころか俺にもたれ掛かってきた。


「瀬凪さんに包まれてる感じがします。瀬凪さんの匂いも、温かさもいっぱいです」

「乃愛は小柄だから、俺はぬいぐるみを抱き締めてる感じがする」

「なら私はこれから瀬凪さん専用のぬいぐるみです。抱き心地はどうでしょうか?」

「最高だ。……その、上からの眺めも」


 薄いキャミソールを着て、俺に凭れ掛かっている乃愛を見下ろしたらどうなるか。

 当然、俺からはキャミソールで隠されている場所が見えてしまう。

 やはり年齢と外見不相応な大きさのそれと、先端の桜色のそれ。

 男を誘惑する光景に、喉がごくりと鳴ってしまった。


「あ、そうですよね。この体勢だと、瀬凪さんからばっちり見えちゃいますよね」


 普通ならば悲鳴を上げるのだろう。

 けれど乃愛は俺の方を振り向き、妖艶な笑みを浮かべた。

 とはいえ頬を赤らめてはいるので、恥ずかしくはあるようだ。


「ふふ、瀬凪さんにだけ特別に見せちゃいます」

「……堪能させて貰います」


 これが男にとって絶景であるのは間違いない。

 許可を出されて、見ないと言う選択肢は取れなかった。

 ぼそりと呟けば、乃愛がくすくすと楽しそうに笑う。

 そうして乃愛の存在を堪能していると、突然彼女が「あ」と声を漏らした。


「明日――日付的には今日ですけど――の予定は家でゆっくりですけど、誕生日プレゼントは何がいいですか? その、今日までに決められなくて」

「あー、俺が物欲無いから決められなかったのか。ごめんな」


 誕生日の過ごし方と同じく、プレゼントで悩ませてしまったらしい。

 謝りはしたが、かといって今欲しい物が特に無いのも事実だ。


「でも、俺は乃愛が居てくれたらそれだけでいいんだ」

「瀬凪さんならそう言うと思ってましたよ……」

「まあ、乃愛にはバレるよな」


 呆れ気味の苦笑を零す乃愛に、俺も苦笑しか返せない。

 どうしたものかと悩ませると、ふと一つだけ欲しいものを思いついた。

 酔った勢いでの思い付きだが、彩乃さんとの約束にも引っ掛からない良い案だと思う。

 とはいえ、口に出すのは緊張するのだが。


「強いて欲しいものを挙げるなら、その、乃愛が欲しいかな」

「せ、瀬凪さん。やっぱり……」

「さっきないって言っただろ? だから、こっちだ」


 乃愛の顎を指先で掴んで持ち上げる。

 勘違いをさせたせいで頬に朱が差していた乃愛が、蒼と黄金の瞳を見開いた。

 その後、宝石よりも美しい瞳が歓喜に染まる。


「いい、ですよ。私の初めてのキス、瀬凪さんにプレゼントします」

「受け取らせて貰うよ。奪わせて貰うの方が正しいか?」

「ふふ、どっちでも。瀬凪さんに渡せるなら、どんな形でも嬉しいですから」

「そっか、ありがとな。それじゃあ、いくぞ」

「はい」


 本当に、俺はどれだけ乃愛に愛されているのだろうか。

 ゆっくりと、小さな唇に自らのそれを近付ける。

 潤んだ蒼と黄金の瞳が長い睫毛に隠れ、見えなくなった。

 少しずつ、少しずつ。俺と乃愛の唇の距離が縮まる。

 そしてついに、お互いの唇が触れ合った。


「「ん……」」


 僅かな吐息を漏らし、柔らかな感触と胸に溢れる幸福感に溺れる。

 なるべくこの時間を長くしたくて、鼻からゆっくりと呼吸する。

 けれど乃愛はそれに慣れないようで、すぐに唇を離した。

 可愛らしい顔は、真っ赤に染まるだけでなくふにゃっと解けている。


「ぷはぁ。……えへへ、すっごく幸せです。私がプレゼントを貰っちゃいましたよ」

「じゃあお互いにプレゼントって事で」

「もう。それじゃあ瀬凪さんの誕生日プレゼントにならないじゃないですか」

「確かにそうだな。じゃあ、俺が満足するまで付き合って貰おうかな」

「喜んで、です」


 まだまだ足りない。もっと乃愛とキスしたい。

 そんな欲望を、彼女はあっさりと受け入れてくれた。

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