第46話 日付が変わるまで

「すぅ……」


 彩乃さんははしゃぎにはしゃいだ後、一瞬で電源が落ちた。

 テーブルに突っ伏して寝る彩乃さんへ、乃愛が呆れたと言わんばかりの視線を送る。


「ま、そうなるよね。……ホントに、自由なんだから」


 悪態をついても、乃愛の顔は先程と違って優しさに満ちていた。

 彩乃さんがどれほど嬉しかったのか、先程までのはしゃぎっぷりでよく分かっているからだろう。


「それじゃあお皿とかを片付けちゃいますね」

「そうだな。でも、残ったおかずは後で食べていいか?」

「後で、ですか? もしかして、お母さんの圧が強すぎてあんまり食べれてなかったり?」

「いや、十分食べられたよ。でも日付が変わってから、ちょっとだけ羽目を外そうかと思ってな」

「日付が変わってから……。ふふ、了解です」


 俺が何をしたいのか、乃愛はすぐに分かってくれた。

 くすくすと楽し気に笑いながら、彼女は空になった皿を片付け始める。


「その時にはお母さんを叩き起こしてもいいですよ」

「そんな事しないから。まあ、彩乃さんが自力で起きてきた時は一緒に楽しみたいかな」


 折角誘ってくれたのだ。叩き起こしはしないが、起きるのを期待するくらいはいいだろう。

 きっと楽しいだろうなと胸を弾ませつつ、片付けを終えた。


「次はお風呂ですね! 一緒に入りましょう!」

「え、今日なのか?」

「はい。もう付き合ってますし、お母さんからの許可も出ましたから」

「それはそうだけど、今日は勘弁してくれ。……何というか、罪悪感が凄い」


 母親が大切に育てた娘と、母親が寝ている間にいちゃつく。それも、普通ならば有り得ない風呂場でだ。

 下手をすれば、一緒に風呂に入るだけでは済まされなくなる。

 彩乃さんが俺達に許可を出しているので、もう遠慮する必要がないのも風呂に入るだけでは済まなくなる要因の一つだ。

 また、万が一彩乃さんが起きてきた際に恥ずかし過ぎる。

 必死に懇願すると、蒼と黄金の瞳が不機嫌そうに細まった。


「瀬凪さんの、いくじなし」

「そう言われても仕方ないけど、今日だけは頼む」

「……分かりましたよ。でもお詫びはしてもらいますからね」

「いいけど、お詫びの内容は?」


 一緒に風呂に入るのを拒否したのだ。どんなお詫びを要求されるか分からない。

 後出しをさせないように尋ねれば、乃愛が小悪魔の笑みを浮かべた。


「瀬凪さんの家にお泊り、ですね」

「俺の家に? また何で……」

「単純に泊まってみたいって興味があるのと、お母さんにはベッドで寝て欲しいので」

「あー、そういう事か。分かった、謹んでお詫びさせてもらうよ」


 俺が乃愛の家に泊まる許可が出たのだから、逆も許してくれるだろう。

 それに乃愛が俺の家で寝るなら、彩乃さんが乃愛のベッドを使える。

 思いやりと我欲の混ざったお詫びを、しないという選択肢はない。


「ふふ、楽しみです。それじゃあ瀬凪さん、お先にどうぞ」

「そうさせてもらうよ」

「でも、明日は一緒に入りましょうね? 絶対ですよ?」

「……うっす。了解っす」


 どうやら、明日は絶対に一緒に風呂に入るらしい。

 笑顔で圧を掛けてくる乃愛に腰の低い態度を取り、風呂場に向かうのだった。





「ささ、遠慮なく寛いで下さい」


 お互いに風呂を終えた後、リビングで寛ぐと彩乃さんを起こしてしまうという事で乃愛の自室で時間を潰す事にした。

 日付を過ぎてから起きては欲しいが、かといってすぐ傍ではしゃぐのは駄目だろう。

 毎日杠家に来てはいるが、乃愛の自室に入ったのは数える程しかない。

 緊張に体を固くさせながら、ゆっくりと足を踏み入れる。


「お、お邪魔します」

「そんなに緊張してどうしたんですか? ほら、こっちにどうぞ」


 くすくすと軽やかに笑った乃愛が、ベッドの端に座って横を軽く叩いた。

 いつもと変わらない様子の乃愛に肩の力が抜け、言われた通り遠慮なく隣に座る。

 すぐに頭を膝へと乗せてきたので、きちんと手入れをした後の滑らかな黒髪を梳くように撫でた。

 

「んー。この為に私は生きてますぅ……」

「大袈裟過ぎないか?」

「いーえ。大袈裟じゃないですよ。……ベッドの上だと、ソファよりも体を伸ばせて良いですねぇ」

「確かに。俺も胡坐を掛けるしなっと」


 体勢を変え、しっかりとベッドに乗って胡坐をかく。当然、乃愛の頭は俺の膝から離れない。

 こうしてある程度自由に体勢を変えられる分、ソファで膝枕している時よりも楽かもしれない。


「でもなぁ。ここは俺が落ち着かないんだよ」

「リビングと同じ私の家の中じゃないですか? どうしてですか?」

「乃愛の匂いが濃ゆいんだよ。滅茶苦茶良い匂いだけど、ちょっとな」


 蜂蜜を溶かしたような甘い匂いが濃く、俺の心臓が全く落ち着いてくれない。

 恥ずかしくて僅かに視線を逸らすと、視界の端で蒼と黄金の瞳が嬉しそうに蕩けた。


「興奮しちゃうんですねぇ」

「はっきり言うんじゃない」

「いいじゃないですか。私は嬉しいですよ、瀬凪さんが私を意識してくれてるって実感出来ますから」


 乃愛がぱたぱたとベッドの上で足を軽く跳ねさせる。

 ショートパンツを着ているせいで、真っ白な生足が惜しげもなく晒されていた。


「膝枕を辞めて、ベッドに顔を埋めて匂いを嗅いでもいいですよ?」

「それは変態過ぎるだろ。というか、俺がそんな事してたらドン引きじゃないか?」

「別に引きませんよ。……瀬凪さんに引かれるような事を、私は既にしましたから」


 羞恥に染まった小さな声に、洗濯物の一件を思い出した。

 乃愛からすれば、あの時と立場が逆になるだけなのだろう。

 俺が乃愛のベッドに顔を埋める想像を軽くしただけで気持ち悪かったので、絶対にしないが。


「まあ、何だ。不運な事故だったよな」

「……そういう事にしておいて下さい。あ、因みに私が瀬凪さんの部屋に入ったら、多分ベッドにダイブします」

「それを想像しても気持ち悪いとは思えないから、美少女は狡いよなぁ」


 何なら頬がにやけてしまうかもしれない。

 肩を竦めながら羨ましがると、白磁の頬に朱が入った。


「……いきなり美少女とか言われると、照れますね」

「匂いを嗅がれても照れずに、美少女って褒めるのは照れるのか。まあ、今までが今までだったもんなぁ」


 自分の容姿に複雑な思いを抱いていたのだ。少々ズレていても仕方がない。

 しかし、乃愛はもっと容姿に自信を持っていい。

 小柄なせいで子供っぽく見えるが、中学生としては有り得ない程に容姿が整っているのだから。


「毎日褒めようか? 実際、お世辞とかじゃなくてホントに乃愛は可愛いし、喜んでするぞ?」

「駄目です。私が自信を持ち過ぎて生意気になったらどうするんですか」

「それはそれで見てみたいな。むしろ今すぐ生意気になってみないか?」


 乃愛は中学生なのだ。少し生意気なくらいで丁度いい。

 最近の彼女は俺を手玉に取る時があるが、あれは生意気というよりは聡明だからこその計算高さだ。

 胸を弾ませて催促さいそくすると、乃愛が頬を真っ赤にさせて俺の腹に顔を埋める。


「……恥ずかし過ぎるのでナシです」

「そっか。でも、少しだけ期待して待ってようかな」

「うぅ、いじわるぅ……」


 日付が変わるまでの数時間、乃愛とじゃれ合いながら過ごすのだった。

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