第44話 彩乃への報告

 明日から乃愛も夏休みに入るという、七月の終わり。

 俺は終業式を終えた乃愛と一緒に、杠家でその時をジッと待っている。


「怒られるかなぁ……」

「多分大丈夫ですよ。それに、もし怒られたら私が何とかしますから」


 不安で胸が一杯の俺とは対照的に、乃愛は蒼と黄金の瞳に決意を宿して拳を握っていた。

 怒られても乃愛との関係を変えるつもりは無い。しかし、信頼に応えられなかった罪悪感はある。

 悶々としたまま時間が過ぎ、ついにその時がやってきた。

 玄関の鍵が勝手に開き、乃愛が迎えに行く。


「ただいまー! 乃愛ー! 久しぶりー!」

「おかえり、お母さん。あぅ……」

「やーん! 乃愛だー!」

「…………はぁ」


 リビングに居る俺には見えないが、会話から察すると乃愛が彩乃さんに抱き締められているのだろう。

 露骨な溜息をついた乃愛だが、きっと仕方ないなという笑顔でされるがままになっているはずだ。


「よし! 乃愛を補給完了! こんにちは、瀬凪くん!」

「こんにちは、彩乃さん」


 満足したようで、乃愛を開放した彩乃さんがリビングに来た。

 ちゃっかり冷蔵庫に何か――ほぼ確実にお酒――を入れて俺の前に座る。


「それで、大切な話があるのよね?」

「はい。これだけは会って伝えないといけないと思いました。無理させてすみません」

「無理なんてしてないわ。ちょうど一度帰っておこうと思ってたし、タイミングばっちりよ。それで?」


 乃愛にそっくりの青みを帯びた瞳が、真っ直ぐに俺を見つめた。

 その真剣さに気圧されそうになったからか、隣に座っている乃愛が口を開こうとする。

 しかし、これは俺が言わなければならない事だ。

 視線で乃愛を制し、覚悟を決めて口を開く。


「少し前から、乃愛と付き合ってます。その報告と――」

「あらー! おめでとう、二人共!」


 俺が言葉を言い切る前に、彩乃さんが黄色い声を上げた。

 彼女の顔には、俺への怒りなど欠片も浮かんでいない。

 予想が外れた安堵と、あまりにも気楽な態度に肩の力が抜けた。


「えと、良いんですか? 大学生と中学生ですよ?」

「付き合うかもしれないって分かった上で瀬凪くんにお願いしたのよ? 良いに決まってるじゃない!」

「え、えぇ……」

「ほら、私の言った通りでしょう? お母さんなら、それくらい考えてますって」


 呆れた風に肩を竦め、乃愛が柔らかく笑う。

 流石親子と言うべきか、完全に思考を読んでいた。


「乃愛はもう一人できちんと判断出来るわ。その乃愛が付き合うと決めたなら、私にあれこれ言う権利はないと思うの」

「世間的には犯罪なんですよ?」

「そうね。でも年齢差のある男女が一緒に居ちゃいけないなんてルールは無いわ」

「まあ、確かに」

「それに、仮に外で乃愛と瀬凪くんがいちゃついても、従妹なり兄妹なり親戚なり、いくらでも言い訳が出来るから問題ないでしょう? それでも怪しまれたら、親の私も知ってると言えばいいわ」

「彩乃さんがそう言ってくれるなら心強いです」


 家の外で一緒に居る際の言い訳すら、彩乃さんと乃愛は一緒だった。

 ここまで考えが一緒だと、驚きを通り越して感心してしまう。

 第一の山場は乗り越えたと、ホッと一息つく。

 しかし彩乃さんが再び表情を真剣なものに変えたので、俺も気を引き締め直した。


「とはいえ、全部が全部二人の判断に任せる訳にはいかないわ。だから、私から二人が付き合う上での条件を出させて貰うわね」

「……分かりました」


 やはり条件無しで付き合って良いとはならないようだ。親として、ここは譲れないのだろう。

 隣を見れば、乃愛が不安そうな表情をしつつ膝の上で拳を握っている。

 そんな乃愛をちらりと見て、彩乃さんは傍に置いていたキャリーバッグを漁り始める。

 何を取り出すか分からず神経を研ぎ澄ませる中、キャリーバッグから出てきたのは――


「はい。瀬凪くん」

「……………………え?」

「……………………はぃ?」


 呆けた声が二つ、リビングに響く。

 すっとテーブルの上を滑らせて、彩乃さんから渡された物。

 それは俺が今まで使った事がなく、けれどいつか使う予定のある物だった。


「私からの条件は一つ。この家の中でならてもいいけど、ちゃんと避妊はする事!」

「いや、あの、えぇ……」


 あまりにも予想外だった物の出現と告げられた言葉に、思考がついて行かない。

 戸惑いの声を上げると、彩乃さんがむっと唇を尖らせる。


「まさか、避妊しないつもりだったのかしら? それは駄目! 子供を作るのはせめて乃愛が高校を出てからよ!」

「そういう訳じゃないんですけど、いいんですか? これも犯罪ですよ?」


 彩乃さんの言い分から察すると、乃愛が高校生になる前でも手を出して良いようだ。

 しかし、流石に親としてそれはいかがなものだろうか。

 喜ぶべき側の俺が念を押すと、彩乃さんが教えるかのように人差し指を立てた。


「順を追って話すわ。取り敢えず話を聞いてくれないかしら。乃愛も、一旦落ち着きなさい」


 隣に視線を向ければ、蒼と黄金の瞳を今まで見た事が無い程に煌めかせた乃愛が居た。

 実質的に彩乃さんからの許可が出た事で、感極まって言葉が出なかったのだろう。


「う、うん。分かった。すぅ……。はぁ……。えへっ、えへへぇ……」


 深呼吸をしたと思ったら、へらっと緩み切った表情を見せた乃愛。

 必死に抑え込んでいるようだが、はしゃぎたいのが丸わかりだ。

 とはいえジッとしているのは確かで、話に割り込むつもりがないのを確認して彩乃さんが口を開く。


「当然、これも犯罪よ。でも仮にここで私が禁止した場合、どうなると思う?」

「乃愛が高校を卒業するまで待つ、ですかね?」

「あ! そう言えばさっきも乃愛って呼んでたわよね! ……じゃなくて。瀬凪くんの案は間違いなく無理ね」


 笑顔の花が咲いたと思ったら、諦めの苦笑で首を振る。

 ころころと表情が変わるのは相変わらずだ。


「無理、とは?」

「瀬凪くんは大学生。そういう事をしたい年頃でしょう? そして、それ以上にしたい年頃なのは乃愛。我慢出来ると思う?」

「それは――」

「仮に我慢出来たとしても、それは乃愛と瀬凪くんの関係に良くない影響を与えると思うの。ずっと不満を抱えたまま、一緒に居なければならない。きっと苦痛になるわ」

「そう、ですね。下手をしたら、仲が悪くなったりするかもしれません」


 どれだけ触れ合っていても、その先を望んでも、我慢するしかない。

 その不満は不仲へと変わり、別れへと向かう可能性がある。

 単純に彼氏としても、俺が爆睡した後のアクシデントのように、乃愛に不満を貯め込んで欲しくない。あれはあれで素晴らしかったのは置いておく。


「でしょう? となれば、私にバレないようにるしかない。この家の中だとバレるかもしれないから瀬凪くんの家で、それも駄目なら外でする事になる」

「そうなると、俺達以外の人に関係がバレる可能性があるって事ですか?」


 杠家だと彩乃さんが帰って来た時にチェックされるかもしれない。

 ならば俺の家ですればいいが、何かが原因でそれが駄目になった場合、今度は外だ。

 ただくっつくだけなら、いくらでも誤魔化せる。しかし、それ以上となると無理だ。

 彩乃さんの言いたい事を察して先回りすると、正解という風に大きな頷きが返ってきた。


「ええ。問題になってしまうと私も庇いきれない。二人の仲を引き裂く事になる。付き合う切っ掛けを作った身として、それは嫌なの」

「だから初めから許可しておく、と」

「そういう事ね」


 俺と乃愛がこれからする事は、間違いなく犯罪だ。

 それを分かった上で、親として妥協出来るギリギリのラインを引いてくれている。

 彩乃さんの説明を受け、彼女が決して軽い気持ちで言った訳じゃない事を理解出来た。


「分かりました。るならこの家の中だけ。絶対にそれを守ります」

「頼んだわ。乃愛の事、よろしくね」

「はい」


 差し出された手を握り返し、約束が結ばれた。

 話が一段落したからか、乃愛が立ち上がって彩乃さんに抱き着く。


「ありがとう、お母さん! もし駄目だったら、何とかして説得しなきゃって思ってた!」

「そんな事だろうと思ったわ。でも、私の言いたい事は分かったわよね? 条件を呑んでくれる?」

「うん!」

「ふふ。なら安心ね」


 目の前の光景は、母と子の感動のやりとりに見える。

 しかし、よくよく考えると内容がおかしい。

 娘が手を出されるというのにそれを後押しする母と、それに感謝する娘の姿なのだから


「気にしたら負けだな、うん」


 何にせよ、これで不安要素が全て消えたのだ。細かい事を気にする必要はない。

 頷きを落として二人を見守っていると、何だか変な方向に会話が向かっていく。


「ねえお母さん。付き合ってるんだし、瀬凪さんを家に泊めてもいい?」

「いいわよー。というか、まだ泊めてなかったのね。私の許可なんて要らないのに」

「私もそう思ったんだけど、瀬凪さんが気にしてたから」

「瀬凪くんは真面目ねぇ。他に遠慮してた事は無いの?」

「うーん……。あ、一応確認だけど、瀬凪さんと一緒にお風呂に入ってもいいよね?」

「勿論よぉ! 仲睦まじいわねぇ」

「……」


 女性二人の会話が弾み過ぎて、突っ込みを入れられず部屋の景色と化すのだった。

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