第42話 洗濯物
「ふー。こんなもんかな」
綺麗になった水樹家を見渡して笑みを零す。
乃愛よりも一足早く夏休みに入り、まず行ったのは部屋の大掃除だ。
基本的に寝る時以外は杠家に居るが、埃は溜まっていくし布団の手入れもしなければならない。
乃愛が夏休みに入ると彼女と一緒に行動する時が今以上に増えるため、このタイミングでしておきたかった。
「もうこんな時間か。昼前からやっておけばよかったかな」
もうすぐ乃愛と一緒に買い物なので、時間に余裕を持って行動すれば良かった。
夏場に大掃除をしたのだ。汗を沢山搔くのは仕方がないが、こんな姿で乃愛に会いたくはない。
どうすべきか悩んでいると、部屋にインターホンの音が鳴り響く。
取り敢えず会っておくべきと判断し、玄関の扉を開けた。
「こんにちは、瀬凪さん!」
「こんにちは、乃愛。早速だけど、部屋に上がってちょっと待っててくれないか?」
「はい? 買い物に行かないんですか?」
「掃除で汗を搔いて、出来ればシャワーを浴びたいんだよ」
「シャワー、ですか?」
不思議そうな表情をした乃愛が、ふらりと俺に近付く。
匂いを嗅がれそうな気がしたので、彼女から距離を取った。
すると可愛いらしい顔が悲しみの色に染まる。
「そんなに避けられると傷付くんですが」
「匂いを嗅ごうとしてなかったら謝るけど、どうなんだ?」
「匂いを嗅ぐくらい、良いじゃないですか。減るものじゃないでしょう?」
「やっぱりか……。乃愛が逆の立場だったら嫌じゃないか?」
「ふむ……」
乃愛が顎に手を置いて考え始めた。
そんなに時間を掛ける間もなく、白磁の頬に朱が宿る。
「恥ずかしいですね。嫌な匂いだったらショックですし」
「だろ?」
「でも、瀬凪さんが嗅ぎたいなら私はいいですよ」
「……中学生の汗の匂いを嗅ぎたいとか言う大学生ってどうなんだよ」
「相手が私じゃなければ犯罪です!」
「乃愛相手でも犯罪だ! というか変態だろうが!」
何故か羞恥の中に歓喜を混ぜた笑みを浮かべて発言した乃愛に、思い切り突っ込みを入れる。
すると、彼女はにやにやと小悪魔の笑みを浮かべた。
蒼と黄金の瞳が、内心を見透かすようにジッと俺を見つめる。
「じゃあ、嗅ぎたくないんですか?」
「……」
「私は瀬凪さんの気持ちが聞きたいんです。どうなんですか?」
「…………ちょっと、嗅いでみたいです」
自分の発言の背徳感の凄まじさに、心臓が激しく脈打ち始める。
羞恥に頬を炙られて乃愛から視線を外すと、くすくすと楽しそうな、嬉しそうな笑い声が耳に届いた。
「私と同じですね。という訳で、今日は私のターンです」
「ああもう、分かったよ。逆になる時があったら覚悟しろよ?」
「はーい」
本当に分かってるのか謎な軽い返事をした乃愛が、俺に近付いてくる。
逃げたくなる気持ちを押し殺して待っていると、彼女が胸元で鼻を鳴らした。
「ふふ、良い匂いですよ。全然嫌じゃないです」
「なら良かった。それはそれとして、シャワーを浴びさせてくれ」
「え? 何でですか? 私は瀬凪さんが汗を搔いていても大丈夫ですし、買い物してから私の家でシャワーを浴びればいいでしょう?」
シャワーを浴びるのは、汗だくの体で乃愛に近付きたくなかったからだ。
そんな乃愛が大丈夫だと言うなら、買い物が終わるまでこのままでもいいのかもしれない。
下手に抵抗しても綺麗に逃げ道を塞がれそうなのもあり、溜息を落としつつ頷く。
「そうさせてもらおうかな。でも、買い物中に腕に抱き着くのはナシだ」
「えー」
「駄目なものは駄目。汗だけじゃなくて、掃除で体が汚れてるんだよ」
「……むぅ。分かりましたよぅ」
滅茶苦茶不満そうだが、どうやら納得してくれたらしい。
素直に感情をぶつけてくれるのは嬉しいが、それはそれとして
「風呂上がったぞ。ありがとな、乃愛」
「はーい。それじゃあ私もすぐ入りますね」
買い物を終えて杠家に帰り、すぐにシャワーを浴びさせて貰った。
次は乃愛の番なので、その間に隣へ一旦戻ってさっきまで着ていた服を洗濯機に放り込みたい。
そう思って玄関に向かおうとしたのだが、待ったが掛かった。
「今更ですけど、瀬凪さんの服も私が一緒に洗濯しましょうか?」
「夏休みに入って時間はあるし、これくらいは自分でやるさ。それに、男の服を一緒に洗濯するのは嫌だろ?」
「服は服ですよ。それ以上もそれ以下もありません。男性の服だから一緒に洗濯したくないとか、思いませんよ」
「それは助かるけど、下着もあるんだぞ?」
俺が今持っている服を乃愛が洗濯するとなると、下着にはどうしても触れてしまう。
彼女を気遣ったつもりだが、大きく首を横に振られた。
「それも大丈夫です。…………興味ありますし」
「うん?」
「な、何でもないです!」
最後に何か呟いたみたいだが、あまりに小声だったので二人きりの部屋でも聞こえなかった。
顔を僅かに赤くしつつ、焦ったように手を体の前で振る乃愛
この様子だと、これ以上尋ねても話してくれないだろう。
「とにかく! どうせ私も洗濯するんですし、折角なら一緒にやってしまった方が楽だと思いませんか?」
「楽なのは俺だけで、乃愛には負担が掛かるんだが。もしかして、俺も乃愛の服を干していいのか?」
俺は杠家の鍵を持っているのだから、その気になれば乃愛が居ない時も家に入れる。
乃愛が学校に行っている間に洗濯を済ませようかと発言すると、彼女は一瞬で頬を真っ赤にした。
黒髪の隙間から見える耳すら赤く染まっているので、相当恥ずかしいのだろう。
「それは駄目です! 拒否します!」
「えぇ……。さっき服は服だとか言わなかったか?」
「それはそれ、これはこれです! というか下着も洗ってるので絶対に駄目です!」
「無茶苦茶が過ぎる……」
傍若無人とはこういう人の事を言うのかもしれない。
別に俺が被害を受けてる訳じゃないし、むしろ楽になるのだが。
「という訳で、私が瀬凪さんの服を洗濯してもいいでしょうか!」
「という訳も何も、説明がまともじゃなかったんだが」
「い、い、で、しょ、う、か!」
乃愛がぐいと顔を近付け、圧を掛けてきた。
正直なところ怖くはないが、勢いに根負けして許可を出す。
とはいえ釘を刺すのは忘れない。乃愛の負担が増えるのだから。
「……分かった。分かったよ。でも、無理はするなよ」
「はい! 洗濯物が少し増えるだけですし、全然辛くないですから!」
残念ながら彼女は満面の笑みを浮かべているので、刺した釘は効いてないようだ。
「だったら俺が乃愛の服を干しても問題ない気がするんだが」
「駄目!」
「さいですか」
どうやら、意地でも俺に洗濯物を干されたくないらしい。
完全に諦めて脱衣所へ戻り、服を洗濯機に放り込むのだった。
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