第41話 夏休みの予定

「そう言えばさ」


 乃愛に膝枕をしつつ、艶めく黒髪を撫でる。

 恋人になる前もなってからも、彼女はこれがお気に入りで中々離れない。

 それは望むところなのだが、キャミソールを着るようになってから少々問題が発生した。

 今も声に反応して乃愛が俺を見上げるが、寝転がっているせいで細い肩紐がずれてしまっている。

 そのせいで外見に似合わない大きさのデコルテが見えてしまい、容赦なく俺の心臓を虐めてくるのだ。


「はい?」


 俺の内心など知らないという風に、乃愛がきょとんとした表情になる。

 こんな姿も可愛いと思った時点で、俺は乃愛に勝てないのだろう。


「あと数日で夏休みなんだ。乃愛は一週間後だっけ?」

「ですね。八月末まであります。瀬凪さんは?」

「九月末までだな。大学生の夏休みは長いんだよ」

「はえー。羨ましいです。学校の面倒臭いしがらみから離れられるので、私ももっと夏休みが欲しいですよ」


 前髪を切ってから数日経ち、多少なりとも信用出来る友人は出来たと聞いている。男子から注目を集め、俺の事を聞かれたりもしたらしいが。

 だからなのか、学校での関係が面倒臭いという思いは変わっていないようだ。

 実際、彼女が家に友人を呼んだり外に遊びに行っている様子はない。

 折角同級生との繋がりが出来たのだから、俺としてはもっと同級生との一時を過ごして欲しい。

 とはいえ乃愛にとっては余計なお世話でしかないので、心の中で思うだけにする。

 慰めるように黒髪を梳くと、蒼と黄金の瞳が気持ち良さそうに細まった。


「夏休みの長さはどうしようもないけど、乃愛さえ良ければ一緒に俺の実家に行かないか?」

「瀬凪さんの実家!? 行きたいです!」


 余程魅力的だったのか、乃愛が色違いの瞳を大きく見開いた。

 宝石よりも美しいそれに見惚れつつも口を開く。


「そんなに喜んでくれるとは思わなかったよ」

「喜ぶに決まってます! 瀬凪さんの事をもっと知りたいですし、瀬凪さんのご両親に挨拶したいです!」


 俺と仲良くしたいだけでなく、両親とも仲を深めたい。

 そんな言葉を迷いなく言える乃愛が恋人で良かった。

 唇に弧を描かせながら、感謝の気持ちを込めて乃愛の頭を撫でる。すると、唐突に彼女の顔が困惑で彩られた。


「あれ? 私、瀬凪さんの家族の事を詳しく知りません。もしかして、私のお父さんのように――」

「そういうのは無いよ。俺の家は普通の家庭かな。ああいや、ちょっと普通とは違うかも」

「は、はい?」


 手のひら返しを繰り返すと、乃愛が目を瞬かせた。

 混乱させるつもりは無かったと、謝りながら彼女の頭を軽く叩く。


「ごめんごめん。仲が悪いとか片親だとか、そういうのじゃないから心配はいらないぞ。むしろ、息子としては仲が良いと思ってるから」

「そう、なんですか? なら普通とは違うのって、どこなんですか?」

「ざっくり言うと、父さんと母さんは高齢なんだよ。俺が高校生になる頃に定年退職したんだったかな」


 俺の発言が余程衝撃的だったのか、乃愛が膝枕から跳ね起きた。


「え!? その、気を悪くしたらすみません。瀬凪さんって養子だったり……?」

「ちゃんと血は繋がってるぞ。ま、何だ。お互いに子供が出来にくい体質だったんだとさ」


 だからと言って、五十歳近くになってから実の息子を作るのは、少々頑張り過ぎな気がする。

 それだけ実の子を望んでいたようだし、その気持ちはしっかり受け取っているので不満などないが。


「ホントは養子も考えたらしいけど、俺が生まれたからそれはナシにしたんだとさ」

「はぇ~。確かにそれは、普通とはちょっと違うかもです」

「だろ? 俺はそういう家庭の一人息子なんだ」


 別段、面白い話はない。既に乗り越えた話はあるが、乃愛に話すのは気恥ずかしい。

 肩を竦めて膝を叩けば、落ち着きを取り戻した乃愛が再び頭を乗せた。


「実家の注意点だけど、結構田舎かな。だから娯楽は無いんだ。それでも大丈夫か?」

「瀬凪さんと一緒なら大丈夫です」

「ある意味心強いけど、乃愛に楽しんで欲しいんだよなぁ。……何か考えとくよ」

「はぁい」


 花が咲いたかのような笑みを乃愛が零し、ぐりぐりと頬を膝に擦りつける。

 こんなにも機嫌良くされたのなら、彼氏としての見栄を張ったかいがあった。

 その後は夏休みに何をしたいかを話しつつ、あっという間に時間が過ぎた。


「さてと。それじゃあ今日は帰るよ」

「……帰っちゃうんですか?」


 ソファから腰を上げようとしたが、乃愛に服の裾を引っ張られた。

 全く力は入っていないはずなのに、どうしても彼女の指を引き剥がせない。


「俺だってもっと一緒に居たいけど、流石に寝ないといけないだろう?」

「寝るのは私の家でいいと思います」

「……なんだって?」


 とんでもない提案をされた気がする。

 聞き間違いかと思って確認すると、乃愛が満面の笑みで口を開いた。


「もう私達は付き合ってるんです。恋人の家に泊まるくらい普通でしょう?」

「おかしな事じゃないのは確かだ。でも、付き合って初日の恋人達がする事でもないぞ?」

「普段から夜遅くまで一緒に居るんですよ? 私達は付き合って初日の初々しい間柄じゃないと思いますが」

「それはまあ、そうなんだが……」


 この調子だと、乃愛に言いくるめられて杠家に泊まってしまう気がする。

 実際の所、泊まっても問題はない。しかし下手をすると、理性が壊れてしまう可能性がある。

 俺だって大学生なのだ。思春期は過ぎたが、人並みにそういう欲はある。

 だが手を出すかは考えさせてくれと言った手前、初日でそれを破るのは避けたい。

 何とかしなければと頭を捻らせれば、一つの案が浮かんだ。


「この家の家主は彩乃さんなんだ。念の為に確認を取らないと駄目じゃないか?」

「別に確認は取らなくてもいいと思いますよ? というか、これからお母さんを体の良い言い訳に使うつもりじゃないですか?」

「……ソンナコトナイヨ」

「瀬凪さんとるのをお母さんが禁止したら、それはそれで手を出さない理由として使えるとか、思ってませんか?」

「…………オモッテナイヨ」


 乃愛があっさりと俺の思考を読み、蒼と黄金の瞳をすうっと細める。

 露骨に視線を逸らしたまま顔を固定していると、乃愛が盛大に溜息をついた。


「瀬凪さんの考えはよーく分かりました。つまり、お母さんの許可があれば色んな事が出来るって事ですね?」

「あ、え? そういう話に持って行くのか?」

「持って行きます。というか持って行かせます。覚悟しといてください、瀬凪さん」


 ふんす、と鼻息を荒くした乃愛が素早い手つきでスマホを弄り始める。

 画面は見せてくれるらしく、彩乃さんに一番早く帰れる日を聞いているようだ。


「…………もしかして俺、失敗した?」


 小さな呟きに、隣に座っている恋人は反応してくれなかった。

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